第34話 サキュバスの焦燥
「……んぐ、んぐ。……ぷはぁ。やっぱり、塩こそが至高。異論は認めないわ」
王都冒険者ギルドの片隅で、ノアは不格好な塩むすびを、それはもう幸せそうに頬張っていた。
炊き立ての米の甘みと、キリッとした岩塩の刺激。元日本人男性の魂が、全細胞を挙げてスタンディングオベーションを送っている。これがあるから、過酷な労働も、マスターのグリグリ攻撃も耐えられるというものだ。
だが、最後の一口を飲み込んだ瞬間。
ノアの脳内に、一筋の戦慄が走った。
(……待って。私、今何してたんだっけ?)
視界には、空になったおひつ。
手元には、おにぎりを握りすぎた自分の手。
ふと記憶を遡れば、ここ数日の自分のログが
「米を研ぐ」
「米を炊く」
「握る」
「焦がして怒られる」
しかないことに気づく。
「……え!?
いつからお米様一色の話になった!?」
そう、本来の目的を忘れていた。
ギルドマスターからは「結果を出せ」と厳命されていたはずだ。給仕としての働きはともかく、ノアの本分(建前上)は「レンタル冒険者」である。
最後に依頼を受けたのはいつだ?
そもそも、この世界に来てから魔物の一匹でも倒したか?
……答えは否。
米を倒す(食べる)ことには余念がなかったが、剣や魔法を振るった記憶が、これっぽっちも引き出せない。
「やばい……これ、そろそろマスターの堪忍袋が『パーン!』ってなるやつじゃない?
首輪が……はずされる!」
脳裏に浮かぶのは、暗くて、寒くて、そして何より
「米が不味い(甘い)」
地獄のような魔国。
そこには、露出狂ことニマが待ち構えているに違いない。
『あらぁノア様、戻ってこられましたの?
仕方ありませんわね、わたくしがサキュバスのいろはを、たっぷり、ねっとりと教えて差し上げますわ!
おーほほほ!』
そんな幻聴まで聞こえてくる。
「絶対嫌!!
あんな露出マニアに先輩風吹かせられて、一生ライスプディングを強要される人生なんて、死んでも御免よ!」
ノアは焦った。
しかし、今の彼女には実績がない。
レベルも上がっていない。
ノアは「効率重視」な脳細胞がフル稼働した。
彼女の視線はロビーでキラキラとした後光を放ちながら、おにぎりを食べている金髪の騎士――
あるっちに固定されていた。
「そうよ……私には、あのアホみたいに強い『パトロン』がいるじゃない」
あるっちは今やAランク昇級目前の超エリート。
対するノアは、生まれて間もない家出サキュバス。
ノアは、そこにある「格差の罠」に気づいた。
「これ、あれじゃない!
1人だけレベルが低くて、あがったら一緒にしようねって言われて、永遠に差が詰まらずに、結局ずっと置いていかれるネトゲのパターンじゃない!!」
こっちは毎日昼まで寝て、昼寝して、皿を割って、と物理的に拘束されているのだ。
その間に、貴族の四男連中は、フィールドに出てガンガン経験値を稼いでいる。
このままでは、期間限定イベントにも呼ばれなくなり、最終的には
「あ、ノア君は街でおにぎりでも作っててよ」
と言われるようになるのが目に見えている。
「ざ、ざまあ属性が見えてきたあるっちに置いていかれるのはまずい!」
ノアは決意した。
正攻法でレベル上げなど、今の多忙なスケジュールでは不可能。
ならば、これしかない。
「パワーレベリングよ!!」
ノアはおしぼりで手を拭き取ると、営業用の「今にも消え入りそうな儚い少女(嘘)」の表情を作り、アルフォンスへと駆け寄った。
「あるっちぃぃ……!」
「おや、ノア君。どうしたんだい?
そんなに震えて……さては、おにぎりの塩加減を間違えたのかい?」
「そんな些末なことじゃないわよ!
違うの、私……強くなりたいの!
あなたの背中が、遠くに見えて寂しいのぉ……!」
アルフォンスの碧眼が、感動に打ち震える。
(おお、ノア君……!
僕と一緒に歩むために、自らを鍛えようというのかい!?
なんという健気な愛犬……いや、パートナーなんだ!)
「わかったよ、ノア君!
僕がついてる。
まずは無理のない範囲で、魔導書の読み方から始めようか?」
「そんなまどろっこしいの要らない!
今すぐ、一瞬で、私をBランク級のステータスに引き上げなさいよ!」
「……えっ?」
「いいから、明日私を連れて、王都近郊に行くわよ。
そこで、あるっちがザクザクと敵を倒して。
……で、パーティの私がおこぼれを貰う。
それを繰り返すのよ!」
そう、究極のパワレベ。
あるっちという核兵器級の戦力を、フル活用し、経験値だけを横取りする。
サキュバスの搾取、本領発揮だ。
「さあ、あるっち!
早く準備して!
私は忙しいの!
私をLv.30まで引き上げなさい!!」
「え、あ、ノア君?それはちょっと……」
「いいから行くのよ!!
私の、私の安泰な暮らしがかかってるんだからぁー!!」
ノアはアルフォンスの腕を掴み、強引にギルドの出口へと引きずり始めた。
こうして、王都近郊にてサキュバスによるパワーレベリングが開始される。
その残酷な結末を知らずに……




