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第3話 どこに書いてますか?


 ノアはいつものように、冒険者たちの輪に混じって食事を恵んでもらっていた。

 無防備に、そして当たり前のように他人の皿をつつくその姿を、一人の冒険者が呆れたような、それでいて探るような目で見つめていた。


「なあ、ノア。お前、魔王に忠誠誓ってんじゃないのか?」


 目の前で冒険者の男が、眉をひそめて問いかける。

 ノアは、ふん、と鼻を鳴らした。


「忠誠は誓ってるよ。でも、魔王様の言うこと聞けなんて、どこにも書いてないじゃん?」


 ノアは悪びれる様子もなく、にこやかに言い放った。

 その言葉に偽りはない。


 魔族として転生した際、魂に刻まれたのは『魔王様に忠誠を』という漠然とした命令コマンドだけだ。

 具体的な行動指針など、どこにも示されていなかったのだから。


「……そんなんでいいのか」


 冒険者の男は、理解が追いつかないといった顔をする。だがすぐに気を取り直したように、核心を突いてきた。


「……じゃあ、俺たちはどうなるんだよ。俺たちはお前の敵じゃないのか?」


 その問いに、ノアは優雅に小首を傾げた。

 さらりと、銀色の髪が流れる。


「そうだなあ。たしかに『人類は敵』って魂に刻まれてるけど」


 ノアは、自分が奴隷として貸し出されているこのギルドのロビーを見回した。

 清潔で、食事も三食出る。魔力は封じられているとはいえ、命の危険を感じるような扱いは受けていない。


「でもね、**『全部敵』**とか書いてないし?」


 ノアは口角を上げ、男の目を覗き込む。


「少なくとも、私は今、冒険者ギルドで生かしてもらっているわけだし。魔王様の忠誠心は変わらないけど、生きるためには、少しは柔軟にならないとね?」


 男はノアの底知れない眼差しに、思わずごくりと唾を飲み込んだ。

 この魔族が何を考えているのか、全く読めない。


 ただ一つ確かなのは、その優美な微笑みの裏には、転生前の元男性だった日本人のずる賢さが、色濃く滲み出ているということだった。


「じゃあ、もし……」


 冒険者の男は、少し意地悪な笑みを浮かべて畳み掛けた。


「その魔王様が『帰ってこい』って言ったらどうするんだよ? 忠誠を誓ってるなら、すぐにここを出ていくんだろ?」


 痛いところを突かれた、と言わんばかりに、周囲の冒険者たちも興味深そうに耳をそばだてる。


 だが、ノアは困ったように眉を下げ、わざとらしいほど大きなため息をついた。


「帰りたいのは山々なんだけど……見ての通り、私って無力な『捕虜』でしょ?」


 ノアは自分の首元――魔力を封じる首輪チョーカーがあるあたりを、華奢な指先でトントンと叩いてみせた。


「魔力は封じられてるし、ギルドの監視付き。ここから魔王城まで、か弱い私が一人で帰れると思う?」


「……うっ」

「思わないよね? 物理的に無理だよね?」


 ノアは畳み掛けるように同意を求めると、またすぐに優雅な笑みへと戻る。


「だから、魔王様の命令に従うためには――魔王様ご自身が、ここまで私を迎えに来てくれるしかないってこと」


「はあ!?」


「迎えに来てくれるその時までは、私はここで『待機』するしかないの。あーあ、辛いなあ。魔王様を信じて、温かいご飯を食べて寝て待つだけの生活……本当に辛い」


 棒読みで嘆いてみせるノアに、冒険者の男は呆れて口を開けたままだ。


 こいつ、帰る気がない。

 『物理的な不可能』を盾にして、現状の安楽な生活を手放す気などさらさらないのだ。


 忠誠心という建前を完璧に守りつつ、すべての労力を魔王側に丸投げするそのスタンス。

 やはり中身は、したたかな現代人そのものだった。

 

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