第24話 彼の国からの使い
その日、王都冒険者ギルドのロビーは、朝から異様な緊張感に包まれていた。
朝一番にギルドの扉を叩き、ど真ん中の最も目立つ席に陣取った一人の女性。
燃えるようなピンク色の髪、視線を釘付けにする豊満なボディ。
そして、隠す気などさらさらないと言わんばかりの、露出度の高い衣装。
誰が見ても、紛れもなく「本物」のサキュバスだった。
「ノア様に用がある。……呼んでくる?
いや、よい。寝ているのなら起こさずともよい。ここで待つ」
彼女はそう言い残すと、優雅に脚を組み、彫像のように動かなくなった。
冒険者たちは、伝説の魔物が放つ圧倒的な「色気」と「威圧感」に、遠巻きに見守ることしかできない。
一方、ノアの朝は遅い。
中身が元日本人であろうと、現在の彼女を動かしているのは
「空腹」という名の生存本能だ。
お昼前、ようやくエサ・センサーが反応し、二階の個室から
寝癖だらけの銀髪を揺らしてノアが降りてきた。
「ふわぁ……。お腹すいた……。今日のお昼は何かなー」
ノアはロビー中央で放たれている「本物のサキュバスオーラ」を完全にスルーした。
視界に入っていないわけではない。
「面倒くさそうなものには蓋をする」
という彼女の高度な危機回避能力が、視覚情報をシャットアウトしたのだ。
ノアは一直線に、なじみの冒険者たちが座るテーブルへと向かった。
「おっ、ノア。起きたか。今日の肉はうまいぞ」
「わーい。じゃあこれ一本もらうね。あ、そのパンの耳も」
ノアは軽口を叩きながら、冒険者の皿から勝手にポテトを掠め取り、
愛想を振りまきながらモグモグと頬張る。
その姿は、高潔な魔族というよりは、
完全にギルドに居着いた野良猫のそれだった。
その光景をずっと見ていたピンク髪のサキュバスが、
ついに限界を迎えた。
「な、……な、なにをやっているのですか貴女はーーーーっ!!」
椅子を蹴立てて立ち上がった彼女の怒鳴り声が、ロビー中に響き渡った。
ノアはピタリと、ポテトを口に運ぶ手を止めた。
(……あー、やっぱり絡まれた。
知らん顔、知らん顔……)
ノアはあからさまに目を逸らし、隣の冒険者に囁く。
「ねえ、今の風の音かな?」
現実逃避を試みるが、ピンク髪のサキュバスは猛然と詰め寄ってきた。
「無視しないで下さい!
私は貴女のその……その、堕落しきった姿を見過ごせません!」
彼女は豊かな胸を震わせ、指を突きつけて叫ぶ。
「いいですか!
サキュバスという生き物は本来、『搾取』の象徴なのですよ!
椅子にふんぞり返って運ばれてきた酒を飲み、
貢がれた飯を食うのが伝統的なスタイル!」
どこかで聞いたようなフレーズが、彼女の口から飛び出す。
「それなのに貴女ときたら……!
自らおこぼれを貰いに行き、
あまつさえ軽い愛想を振りまいて尻尾を振るなど、
サキュバス界の面汚しです!
恥を知りなさい!」
ノアは、もぐもぐとポテトを飲み込むと、深いため息をついた。
「……あのさあ。
伝統とかスタイルとか、お腹膨れないじゃん」
「なっ……!?」
「私は今、これ(首輪)のせいで魔力も封じられてるし、
実年齢、生後数日なの。
伝統守って餓死するより、
愛想振りまいてポテト貰うほうが合理的だと思わない?」
「屁理屈を……!
貴女にはサキュバスとしての矜持というものがないのですか!?」
ノアは、心底めんどくさいやつが来たなー、と思うのであった。
「で、何の用ですか?
何度も言わせないでください。私は魔界には帰りませんよ」
ノアは、空になったポテトの皿をテーブルに置き、
ピンク髪のサキュバスを見上げた。
「……なっ!
なぜ私が魔族だとお分かりになりましたの!?」
女は、この世の終わりでも見たかのように驚愕の表情を浮かべた。
その場にいた冒険者たちは、一斉に冷ややかな視線を彼女に送る。
(……サキュバスって、こんなのばかりなのか?)
ロビーに漂う乾いた空気。
ノアは呆れ果てて鼻で笑った。
「見れば誰でもわかるでしょうが。
当てつけみたいに胸を放り出して、露出狂みたいな格好して。
そんな不審な格好で乗り込んできて、後輩いじめですか?」
「なっ……!
い、露出……!?
決してそのような破廉恥な意図ではございませんわ!」
女は顔を真っ赤にしてうろたえたが、
すぐにコホンと咳払いをして姿勢を正した。
その場に跪きそうなほど丁寧な所作で、
真剣な眼差しをノアに向ける。
「失礼いたしました。
本日は、あるお方からの伝言を伝えに参りました。
……そのままお伝えいたしますわね」
彼女は一度目を閉じ、重々しく口を開いた。
『魔族は人にはなれない。……そちらに居たいなら好きにするがいい。
ただ、我らと敵対しているという事だけは忘れるな。
時々ニマを寄越すゆえ、何かあったら言いなさい』
……とのことですわ。
「あ、ちなみにニマというのは、わたくしのことです」
ノアは、毒気を抜かれたように口を半開きにした。
人にはなれないと突き放しつつも、
様子見の使いまで送るという至れり尽くせりな内容。
どう見ても、
家出した娘を心配して右往左往している父親からのメッセージにしか
聞こえなかった。
「で、何とお返しすればよろしいでしょうか、ノア様?」
ニマが小首を傾げて問いかける。
ノアは眉間にしわを寄せ、絞り出すように聞き返した。
「……え?
これ、誰から?」




