第19話 深夜の「営業」
「……ふぅ。一時はどうなることかと思った……」
私はギルドの廊下で、痺れがようやく取れてきた足をさすりながら立ち上がった。
正座一時間の刑。マスターの小言付き。
このギルド、もはや冒険者ギルドを装った「正座強制収容所」なんじゃないだろうか。
だが、元社畜の私はこの程度では折れない。
むしろ、逆境こそが私の知恵を研ぎ澄ませるのだ。
「次は、絶対にバレないように新規顧客を開拓してやる……!」
私は拳を握りしめ、夜の静寂が降り始めたギルドのフロアを見下ろした。
そう、作戦の舞台は「夜の酒場」だ。
昼間の健全な依頼掲示板の前では、マスターやリリィさんの監視の目が厳しすぎる。
だが、夜の酒場は違う。給仕の仕事中という大義名分もあるし、何より客のほとんどが酒を飲んでいる。
「ふふふ……人間、ベロンベロンになれば判断力なんてゴミ箱行きでしょ?」
酔っ払った冒険者たちにさらに酒を注ぎ、気分を良くさせたところで、
「ねえねえ、今度私をレンタルして、美味しいもの食べさせてくれない?」
と囁く。
正常な判断ができない状態で、一筆……とまではいかなくても、
ギルドの連中がいる前で口約束さえ取れれば、こっちのものだ。
ついでに、彼らが世界各地で見てきた「珍しい食材」の話から、
お米……ジャポニカ米の情報も聞き出せるかもしれない。
「もしマスターに見つかっても、
『酔っ払いに絡まれて困ってたんですぅ!』って涙目で被害者ムーブをかませば完璧……!
私ってば、天才かもしれない!」
私はエプロンを整え、意気揚々とフロアへ躍り出た。
一方、その頃の受付カウンターでは――
リリィは眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、
手元の売上表と、フロアでチョロチョロと動く銀髪の影を交互に見ていた。
(……うーん……)
リリィの脳内では、冷徹なまでの事務処理が続いていた。
ノアが「顧客開拓」と称して、酔客のテーブルにへばりついては、
あざといポーズ(本人は必死)を繰り出している。
その結果、何が起きているか。
「おい、ノアちゃん! こっちにもう一杯持ってこい!」
「俺のところにもだ! つまみも一番高いやつを頼む!」
ノアにいいところを見せようとしたり、
彼女の相手を引き延ばそうとしたりする冒険者たちによって、
酒と料理の注文が右肩上がりで増えていた。
(……ノアがああやって営業……いえ、迷走していると、
確かにお酒の注文が増えるんですよね。
グラスを割る損失を差し引いても、利益は大幅なプラス……)
リリィはチラリと、奥の部屋で腕を組んでフロアを睨んでいるマスターの方を見た。
マスターもまた、ノアの不審な動きには気づいているはずだが、
拳骨を落としに行く気配はない。
(……まあ、いいでしょう。
彼女のあの動き、本人は『騙して搾取している』つもりでしょうけど、
客観的に見れば……)
リリィは「ふっ」と、ほんのわずかに口角を上げた。
(サキュバスとしての本能……というよりは、
ただの『愛嬌のある看板娘』として、
しっかりギルドに貢献してしまっていますからね)
「できる女性」であるリリィは、静かにペンを走らせた。
ノアの「不適切な顧客開拓」という項目に、
そっと『経過観察(放置)』の印を書き込んで。
ターゲット確保?
そんな裏事情など露知らず、私は鼻息を荒くして、
一番出来上がっているテーブルに狙いを定めた。
「おっ、お兄さんたち、景気いいね!
わたしがもう一杯注いであげよっか?」
「おお、ノアちゃん! 気がきくなぁ!」
私は自然な動作で、彼らの隣に滑り込む。
自分では完璧に「獲物を狙う狩人」のつもりだが、
周囲から見れば、小さなサキュバスが大型犬の群れに混ざって、
一緒にワチャワチャと楽しんでいるようにしか見えなかった。
(よし……まずはこのお兄さんをパトロン候補Aに……!)
私が意識していないところで、
銀色の髪がキャンドルの光を反射し、
褐色の肌が夜の酒場に妖しく(?)映える。
本人は「悪巧み」をしているつもりだが、
その必死な姿が、図らずもサキュバスとしての本来の役割……
「男たちを惹きつける力」を、ほんの少しだけ引き出していた。
「ねえ、お兄さん。実はお米って知ってる?
白くて、ツヤツヤしてて……」
「お、米?
砂漠の向こうの東の国にあるっていう、あの穀物か?」
「……っ!!
砂漠の向こう!!」
私は思わず身を乗り出した。
パトロン開拓のついでに、
ついに「聖域」への手がかりを掴みかけていた。
「お兄さん、詳しく聞かせて!
その話、パフェ……じゃなくて、プリン三個分くらいの価値があるわ!」
私の深夜の「営業」は、
こうして思いもよらない方向へと加速していくのであった。




