タイトル未定2025/11/24 08:40
実家の玄関のドアをそっと開けると、家政婦のまちこと鉢合わせをした。
ボクは、小さな声で言った。
「おはようございます……親父は?」
「坊ちゃん、おはようございます。旦那様なら、診察室に行かれましたよ」
まちこの言葉に、ボクは小さく息をついた。
そんなボクに、まちこは言った。
「昨夜旦那様は、お怒りでしたよ」
昨夜勤務が終わった後、父親に何も言わず報告会をすっぽかしてボクは瞳に会いに行った。
「やっぱり……まだ、怒り継続中?」
「坊ちゃんに急ぎの用事ができたと言っておきましたから、話をあわせてくださいね」
「ありがとうございます!」
「でも、嫌味のひとつやふたつは、覚悟してくださいね」
嫌味のひとつやふたつ……まちこに言われた通り、ボクは覚悟をしていたが、父親は何事もなかったようにいつものように受付で朝礼をした。
朝礼が終わると、父親はボクを呼んだ。
此処で嫌味を言われる!そう思ったが、そうではなかった。
「これから看護師長と、此処へ行ってくれ。詳しいことは、ここに書いてある。わからないことは、看護師長に聞け」
そう言いながら父親は、受付から出て行った。
父親に手渡されたファイルを見ると、今日の日付と保育園の内科検診の日程表が書いてあった。
看護師長が運転する車で、指定された保育園に行った。
園内にあるホールで、検診は年少児から始めた。
年少児の検診が終わり、年中児の検診になった。
さすがに年中児ともなると、スムーズに検診ができる。
流れ作業のように、内科検診は続いた。
ふと、ある園児の胸に聴診器をあてた時、ボクの手は止まった。
園児に背中を向けるよう言い、そっと服をめくり上げ、園児の身体に聴診器を当てながら園児の身体を観察した。
園児は年中児にしては身長があるものの、ひ弱な身体つきをしていた。
園児が着ていた服の名札に、ボクの目はくぎ付けになった。
「どうか、しましたか?」
助手役の看護師長の声で、ボクは我に返った。
「いえ、なんでもありません」
何事もなかったように、ボクは検診を続けた。
ひ弱な身体つきをした園児は、瞳が話してくれた大門だった。
瞳に息子がいることは、やはり本当のことだった。
ボクは、落胆した気分だった。
園児たちの内科検診が無事に終わり、職員室の入り口でボクと看護師長は、園長に挨拶をした。
一通りの挨拶を終え、ボクは看護師長に車で待っているように言った。
看護師長がいなくなってから、ボクはゆっくり切り出した。
「すみませんが、大門君の担任の先生と話をしたいのですが」
ボクの頼みに、園長はすぐ呼び出してくれた。
大門の担任は、まだ二十代の若い担任だった。
突然の呼び出しに、ひどく緊張した表情をしていた。
その緊張をほぐすため、敢えてすぐには本題に入らなかった。
「今日は、お疲れ様でした」
「お世話になりました」
「今年の四月から実家の病院で勤務するようになって、園児たちの内科検診は、これが初めてなんですよ」
ボクの言葉に、園長が反応した。
「毎年麻生先生が、診察に来てくれるんですよ。先生に、息子さんがいらっしゃったなんて、知りませんでした」
「ボクも、父親が毎年園児の内科検診をしているとは、知りませんでした」
少しだけ和やかな雰囲気になったのを機に、ボクは本題に入った。
「大門君のことで話が」
「大門君……」
大門の名前を出しただけで、ボクが何を話したいのか、園長と担任は察しがついたようだった。
ボクは一気に、話を進めた。
「大門君を診察したら、大門君の胸や背中に青あざが、いくつもありました。もしかして、家庭内で虐待があるのではと……」
ボクの言葉に大門の担任と園長は顔を見合わせ、担任は小さくうなずくと、ゆっくり切り出した。
「お気づきのように、家庭内で日常的に虐待があります。保護者の方と、何度か面談をしたのですが」
「そうですか……大門君は知り合いの息子さんなので、気になって。ボクの方からも注意します」
「よろしくお願いします」
担任と園長は、そろって頭を下げた。
保育園を出て駐車場に向かうと、車の中で看護師長はスマホをいじっていた。
ボクは助手席側のドアを開け、助手席に座った。
「先生、何かあったんですか?」
普段、挨拶程度しかしたことがない看護師長だった。
背が高くキリッとして、常に看護師たちをやさしく厳しく、指導をしていた。
ごまかしたところで、看護師長は全てを見抜くだろう。
ボクは、正直に看護師長に打ち明けた。
「検診中、知り合いの息子さんに会いました」
「そう言えば、年中児の検診中、少しだけ手が止まっていたわね。その児童?」
「はい。児童の胸や背中にあざがあって……」
「あざ……虐待?」
「担任に話を聞いたら、家庭内で虐待があると」
「家庭内のことになると、やっかいね」
そう言った看護師長は、車のエンジンをかけた。
午後の診察が終わると、父親は診察室を出て、診療所内から自宅に併設された自宅に行った。
自宅から、診療所に戻ってきた父親はスーツ姿だった。
父親はボクと、看護師長に言った。
「今から、出かける。戸締まりを頼む」
そう言って、父親は出かけた。
父親がいなくると、ボクは看護師長に言った。
「ボクも、出かけます。すみませんが、後を宜しくお願いします」
ボクは、足早に看護師長の前を離れた。
路線バスに乗ったボクはスマホを取り出すと、『遅くなるので、夕飯は外で食べる』と、さやかにラインを送った。
保育園に着いた頃は、午後五時を回っていた。
園庭では、親の迎えを待つ園児が遊んでいた。
園児たちをゆっくり見ていると、園庭の隅にあるブランコで、ブランコに揺れていた大門を見つけた。
大門は、一人だった。
ボクは大門に近づき、大門に声をかけた。
「こんにちは」
ボクに気が付いた大門は、揺らしていたブランコを止め、黙ったままボクを見上げた。
ボクは大門の側に行き、腰を下ろして視線を合わせた。
「昼間ホールで、皆の身体を診た先生だけど、覚えているかな?」
大門は、小さくうなずいた。
大きな目でボクをみつめる大門は、黙り込んだままだった。
「大門君……だよね?ボクは、大門君のお母さんと友達なんだ」
少し驚いた顔で、大門はボクを見ていた。
「お母さんは、優しい?」
大門は少しの間を置いてから、大きく頷いた。
「お父さんは?」
そう言うと、大門は視線を僕から外した。
「お父さんと、遊んだりするの?」
大門はうつむいて、静かにブランコを揺らした。
父親と、遊ばないのか。
大門は、黙り込んだままだった。
「じゃあ、お母さんと遊ぶのかな?」
大門は小さくうなずくと、ブランコから降りて、鉄棒の方へ行ってしまった。
離れた場所から見ていると、大門は逆上がりに挑戦していた。
しかしなかなか足が上がらない。
ボクは、大門の方へ行った。
「しっかり鉄棒を握ってあごを引いて、思いっきり足を蹴るんだ。それ!」
大門に声をかけながら、逆上がりの補助をした。
大門の身体が、空に円を描くように周り、地面に着地した。
大門は呆然とした表情で、ボクをみつめた。
「頑張ったね」
言いながらボクは、手を上げた。
「タッチだよ」
ボクがそう言うと、大門は恐る恐ると言うように手を上げた。
ボクは、大門の手にタッチをした。
すると大門は、初めてボクに笑顔を見せた。
「お父さんと、全然遊ばないの?」
「うん」
「お父さん、遊んでくれないの?」
「うん」
「そっか……じゃあ、ボクが大門君と遊ぶよ」
「……ホントに?」
「もちろん!」
そう言った時だった。
瞳の声が聞こえたのは。
「……七海君?なんで、此処にいるの?」
「この保育園の、検診に来たんだ」
「そう……」
瞳は大門の手を引いて、歩き出そうとしたので、ボクは慌ててそれを阻止した。
「待てよ!話があるんだ」
「話なら、もうしたでしょ。大門、行くわよ!」
すがるような目で大門はボクを見たが、瞳は大門を教室に連れて行った。
遠ざかる瞳と大門を見ていたボクは、門の方へ歩いて行った。
やがて大門の手を引いた瞳が、教室から出てきた。
ボクを見るなり、瞳は小さくため息をついた。
「大門君と遊ぶ約束をしたんだ。約束を、守りたい」
「七海君……気持ちは嬉しいけど、私は、七海君に取り返しのつかないことをしたのよ。これ以上、七海君に迷惑をかけたくない」
「そんなこと、なんとも思っていないよ」
「何を言っているの!私たちのことは放っておいて。さぁ、大門行くわよ」
瞳は言いながら、大門の手を引っ張った。
ボクはすぐさましゃがみこみ、大門の頭をなでながら言った。
「約束は守るよ。大丈夫」
不安そうだった大門の顔が、笑顔になった。




