タイトル未定2025/11/24 08:18
坂田瞳はボクを無視するように、車に乗ろうとした。
ボクは慌てて、瞳の腕を掴んだ。
「瞳ちゃんだろ!」
「誰かと、間違えているんじゃないんですか?」
そう言った瞳の横顔は、明らかに狼狽していた。
「とぼけるなよ!」
「大きな声を、出さないでください」
「ごめん……瞳ちゃんだろ」
ボクは、ゆっくりと静かに言った。
そのせいか、瞳は観念したように小さくうなずいた。
「話がしたいんだ」
「勤務中ですから」
その声は、ボクを拒絶するように聞こえた。
でもボクは、そんなものは無視をして、社名が書いてあった軽自動車を見ながら言った。
「此処に勤めているんだ。仕事終わるの何時?迎えに行くよ」
「やめてください!」
「じゃあ、仕事が終わったら、よく行ったあの店に来てよ」
あの店とは、瞳とつきあっていた時によく行った、チェーン店のハンバーガーの店だった。
「失礼します」
か細い声で言った瞳は、逃げるように車に乗り込んだ。
そんな瞳の背中に、ボクは叫んだ。
「ずっと、待ってるから!」
午後の勤務を終えたボクは、急いで家を出た。
本来勤務が終わると、父親と報告会をするのだが、そんなものはすっぽかした。
後で父親に怒鳴られることは、承知の上だ。
目的の店に向かって、ボクは更に足を早めた。
午後六時をまわっているせいか、店内は混みあっていた。
オーダーしたアイスコーヒーはすぐ手渡され、店の入り口近くのテーブル席に座った。
店内は禁煙だった。
アイスコーヒーをテーブルの上に置いて腕組みをしたボクは、窓の外の景色をぼんやり眺めた。
瞳が来る保証なんてどこにもないのに、ボクは必ず来ると確信していた。
そしてそれは、すぐ現実となった。
人混みの中に瞳の姿はあり、迷うことなくボクの前に来てくれた。
ロングヘアの瞳にあの頃の面影はあまりないけど、ボクはつきあっていた当時を懐かしく思い出していた。
「来てくれて、ありがとう。何か買ってくるよ。何がいい?」
ボクがそう言うと、瞳は首を横に振りながら言った。
「急いでいるから……七海君にずっと、謝りたかった。ごめんなさい」
ボクの目の前で頭を下げる瞳を見ていたら、今までの怒りや悲しみがすーっと消えていた。
「わけがあって、ボクの前からいなくなったんだろ?」
瞳はしばらくの間うつむいていたが、ゆっくり顔を上げると意を決したように切り出した。
「私はアパートで、ずっと母親とふたり暮らしだった。でも、住んでいたアパートの家賃を滞納していて払えなくなかったから、母親は私を連れて恋人の家に転がりこんだの」
「それで、ボクの前からいなくなったのか」
「母親の恋人にも連れ子がいて、私は家にいたくなくて、昼はスーパーのレジ打ち、週末の夜は居酒屋でバイトをしていたわ」
「そうだったのか」
「七海君は?白衣を着ていたとこを見ると、医者になって家を継いだの?」
「まだ、見習い中だよ。週末の夜は、barで仕事をしている」
「bar……?」
「大学時代に、barでバイトをしていたんだ。マスターが田舎に帰ったのを機に、店を継いだんだ」
「七海君が?信じられない。じゃあ、七海君。barのマスターなんだ」
「一応ね」
「七海君のバーテン姿、見てみたいな」
「店においでよ」
瞳はボクの顔を、みつめただけだった。
「宅配便の仕事をしていたね。スーパーの仕事は、やめたの?」
「うん。宅配便の仕事は、最近始めたばかりだけど……まさか、七海君に会うなんてね」
ボクと瞳は顔を見合わせて、静かに微笑んだ。
まるで、つきあっていた頃に戻ったみたいだ。
このまま時間が止まれば……ボクは、そう思った。
しかしそんな思いとは裏腹に、瞳が現実に引き戻した。
「もう、行かなきゃ」
「待てよ!まだ、何も聞いていない」
立ちあがりかけていた瞳は、ゆっくり椅子に座り直した。
「まだ、お母さんとお母さんの恋人と一緒に暮らしているの?」
瞳は、ゆっくりと首を横に振った。
「じゃあ、一人暮らしをしているんだ?」
瞳は先ほどと同じように、首を横に振った。
「えっ?じゃあ、今はどうやって暮らしているの?」
わけがわからないボクは、瞳をじっと見つめて聞いた。
瞳はうつむき、しばらくの間黙り込んだ。
ボクは何も言わず、瞳を見守っていた。
やがて瞳は、ゆっくり顔を上げた。
「居酒屋の仕事をしていた時、ある男性と知り合い、親しくなったの。家を出たかったから、彼と一緒になった」
「……結婚しているの?」
瞳は、黙ったまま首を横に振った。
結婚はしていないと知ったボクは、ホッとして、思わず安堵のため息が出そうになった。
突然、瞳が言い出した。
「私、もう行くね……」
「まだ、いいじゃないか」
「……子供が、待っているから」
「……子供?」
「……息子がいるの。保育園で、預かってもらっているから」
「そ……そうなんだ。何歳?名前は?」
「五歳。名前は……大門」




