タイトル未定2025/11/24 03:08
さやかの勧めでバイトを始め、ボクの生活は大いに変わった。
一日の大半は勉強に明け暮れ、週末の夜はバイト。
そのせいでさやかと何処かに出かけると言うことはなかったが、さやかはいつもボクの側にいた。
それだけで幸せだった。
おかげでボクもさやかも単位を落とすことなく、無事に卒業をすることができた。
卒業後、さやかは今まで住んでいたワンルームのマンションを出た。
2LDKのアパートに引越し、本格的にボクとさやかの同棲生活が始まった。
ボクは、昼間実家の開業医に勤め、週末の夜はbarのバイトをしていた。
さやかは、総合病院で研修医として勤めていた。
交代勤務のさやかとはすれ違い生活だったけど、さやかとの同棲生活は楽しかった。
さやかとの同棲生活から、数か月が経った頃だった。
思いがけない話を、バイト先のbarのマスターに言われた。
それは店が終わり、店の掃除をしていた時だった。
「俺がいなくても、充分やっていけるな」
「何を言っているんですか」
ボクはモップで床を拭きながら、マスターに言った。
「田舎の両親が高齢で、そろそろ面倒をみなくちゃいけないんだ」
ボクはこの時、初めて顔を上げた。
マスターはタバコに火をつけ、続けて言った。
「両親の老後を見る。そう言う条件で、田舎を出てきたからな」
「店は、どうするんですか?」
マスターはしばらくタバコを吸ってから、ボクの問いに答えた。
「七海……お前、継いでくれるか?」
思いがけないマスターの言葉に、ボクは言葉が出なかった。
「お前なら、ひとりでもやっていける。今まで通り、やってくれれば良いから。俺がいなくなるだけだ」
「でも……」
「全てを、お前に託すんだ。お前のやりたいように、やれば良い。この店を生かすも殺すも、お前次第だ」
「はぁ……」
barのバイトを始めてから、雇い主のマスターにはお酒の作り方だけではなく、挨拶をはじめ言葉遣い、立ち振舞い等、一から全てを教わった。
不安はあったが、barの仕事をするようになって、いつか自分の店を持ちたい。
そう思うようになっていた。
だからマスターの言葉は、ボクにとって願ってもいないチャンスだった。
数日後マスターは田舎に帰り、ボクはマスターの店を引き継いだ。
マスターはお酒にこだわり、頑固一徹な人だった。
ボクは食事を充実させ、もっとくつろげる店にしたいと考え、実家の家政婦のまちこに相談した。
まちこは、イタリアンレストランの厨房で仕事をしていた、学生時代の後輩のたきこを紹介してくれた。
店内と厨房をリフォームしたり、たきこの仕事着を新調したり、僕自身必要な講習を受けたり、開店に至るまで思いのほか時間が掛かってしまった。
開店の時はさやかに来てもらいたかったけど、仕事のためさやかは来なかった。
自分の店を持っても、日常は今まで通りさほど変わりはなかった。
ボクの歯車が狂い始めたのは、この頃からだった。
勤務中の昼休憩を、ボクは実家で過ごしていた。
実家の台所で昼食を終え、二階にある学生時代使っていた自分の部屋のベッドでボクは寝ていた。
携帯のタイマーで目を覚ましたボクは、白衣を着ながら階段を降りた。
階段を降りきったところで、朝から不在だっ院長でもある父親と、今日初めて顔を合した。
「なんだ、その赤いティーシャツは。白衣から透けて見えるだろ!」
またはじまった、うるさいな。
思わず舌打ちをしそうになった時、インターホンが鳴る音が聞こえた。
父親から逃げるように、ボクは小走りに玄関に行きドアを開けた。
「こんにちは。お荷物をお届けにあがりました。こちらにサインをお願いします」
訪問者は、宅配業者だった。
ボクは言われた通りサインをした。
荷物を受け取る時、宅配業者と目があった。
宅配業者は背が高く、長い髪の毛を一つで縛った、目の大きな女性だった。
ボクは荷物を手にしたまま、固まったように動けなかった。
気が付くと、宅配業者はいなくなっていた。
ボクは慌ててドアを開け、外に飛び出した。
外に出ると宅配業者は、業務用の軽自動車のドアを開けていたところだった。
ボクは大声で叫んだ。
「瞳ちゃん!」
ボクの声で反射的に振り向いた宅配業者は、ボクが高校三年の時つきあい、卒業式の時突然行方をくらました坂田瞳だった。




