シアワセのカミサマ
「人の世がどう移ろうともその業の深さは変わらぬものだな…」
「はぁ?ジィさん頭大丈夫か!?」
武志は憐れみと侮蔑を浮かべた表情で妙なことを口走る老人に言った。
「オマエを幸せにしてやるから願い事をひとつ言いなされ」
白髪の老人は自らを神様と名乗るとそう告げた。
「ったく…分かった分かった。じゃぁアレだ。俺が望む事全てが叶うようにしてくれよ」
武志は馬鹿にしたように言った。
「良かろう」
神様はそう言うと静かに頷いた。
「さ、試しに何か望んでみるがいい」
そう続けると武志を促した。
「金だな。この右手に100万の札束が欲しい。」
馬鹿にしきった笑いは次の瞬間に消えた。
武志の右手に突然に札束が現れたのだ。
「望む全てを叶えて欲しい…オマエの幸せ、確かに叶えたぞ」
神様は口許だけで笑うと武志の前から煙のように消えた。
呆然と佇む武志だったがそれも数秒。
我に返ると札束を握り締めて狂ったように笑い始めた。
それからの武志の暮らしは一変した。
金が欲しければ頭で願えば湧き出て来るし、ワザワザ買わずとも欲しいモノは思えば手に入る。
好みの女を見掛けたならば望めばたやすくその心まで武志のものになった。
「武志くん、変わったね」
久しぶりに会った彼女は淋しそうに言った。
「何が不満な訳?」
武志は明らかに不快な声を出した。
気高い馬が刻まれた高級外車の助手席に乗り、行列の名店で列ばずに食事出来たり…
不満など在るはずが無いのに、彼女のこの態度は不快極まりない。
「優しくない」
「は?どこがよ!」
「私にじゃなくて、他の人に対して思いやりが無いの」
「あぁ、分かった分かった。オマエ、どうでもいいわ、降りろ」
武志はそう言うと車を停めた。
「何でも思い通りになると思ってるなんて可愛そうな人」
降り際のその言葉に血が昇った。
あの日以来、人から批判をされるのは初めてだった。
怒りが込み上げた次の瞬間には怒鳴りつけていた。
「うるさい、昔のよしみで付き合ってやっていたら付け上がりやがって!この馬鹿女死んじまえ!!」
-死んじまえ-
最後の言葉はきっと彼女には聞こえていないだろう。
武志が全てを言い終える寸前に彼女の身体が宙に高く舞った。
彼女が立っていた場所には原形の無い車が白煙をあげていた。
-望む全てを叶えて欲しい-
違う!
違う、違う!!
頭を振りながらスローモーションで落ちる彼女の下へ駆けた。
俺はそんな事を望んじゃいない!
全身の血の気が引く。
悪寒と共に血液が足へと下がる。
懸命に駆けた武志の及ばぬ先に黒い影が落ちた。
足元に振動が伝わる。
舗道に叩き付けられた影に駆け寄ると抱き抱えた。
赤い染みが広がる舗道で喚く武志に彼女が口を動かす。
「幸せは…」
「喋るな」
「…沢山」
「いいから喋るな」
「笑顔…囲ま…て生き…こと…」
腕の中で小さな痙攣を感じた。
次の瞬間、腕の中の温もりが急速に消えていった。
「やめてくれ、俺はこんな事を望んではいない。こんな事…」
激しく地面を殴りつけながら、そう繰り返し呟いていた。
骨が軋み、拳の形が変わろうともアスファルトを殴り続けた。
「戻してくれ、彼女を、時間を…」
後悔だけがそこにあった。
望んだのだ。
金も地位も彼女の死も。
全て武志が…
「俺が…」
「殺してしまった」
止まらない嗚咽の中、絶望の闇へと引き込まれる意識を潰れた拳の激痛が引き戻す。
夢と現実を彷徨うように揺れ動く意識は精神を蝕むようだった。
眩暈がする。
世界が歪んで見えた。
平衡感覚を失ったみたいに身体の自由が利かない。
眩暈と耳鳴りの中でもがいていた。
数分間…
数時間…
どれくらい続いていたかは分からない。
だがもう少しこの世界に居たならば武志の精神は崩壊していたのは間違い無い。
それを救ったのは耳鳴りの奥に聴こえた声だった。
「…ね」
「…かね」
「は…く…な…かね」
途切れながら聴こえるしわがれた声に顔をあげるとそこには神様が居た。
「早く願いを言ってくれないかね」
「神様…」
武志はその場に座ったまま見上げていた。
「ほれ、オマエを幸せにしてやるからさっさと願い事を言わんか」
「あ、あ…あ」
失語症にかかったように口をパクパクとさせながらようやく武志は言った。
「みんなを、周りのみんなの笑顔が絶えないようにして下さい!」
「承知した」
神様はゆっくりと頷くと両手を天に掲げた。
眩い光が周囲を包み、光が消えると神様の姿もそこには無かった。
まだ座りこんだまま天を仰ぐ武志の背中で呼び声がする。
振り向くと満面の笑みを浮かべた彼女が居た。
武志もくしゃくしゃの泣き顔みたいな笑顔で彼女を見た。
胸の奥が暖かくて幸せな気持ちだった。
おわり




