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第六話 ビットコイン創世記

 時は、二〇〇九年末。

 僕の本当の人生が、ようやくここから始まろうとしていた。

 その最初の仕事は、僕の頭の中に存在する、あまりに複雑で巨大なシステムの設計図を、人間の言語に翻訳することだった。それは、未来の同志たちにこの金融革命の意義を伝え、参加を促すための招待状であり、宣言書でなければならなかった。


「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」


 新しいテキストファイルに、そのタイトルを打ち込む。

 そこからの数週間は、言葉との、そして自分自身の記憶との戦いだった。僕の脳裏には、未来で読んだ無数の解説記事やブログ、フォーラムの書き込みが、混沌としたまま渦巻いている。どの言葉を選べば、サトシ・ナカモトの熟慮した、このシステムの核心が伝わるか。どう説明すれば、誤解を招かずに済むか。

 特に、論文の冒頭、要約アブストラクトの書き出しには頭を悩ませた。


「A purely peer-to-peer version of electronic cash would allow online payments to be sent directly from one party to another without going through a financial institution.」

(純粋なP2P電子通貨のバージョンは、金融機関を経由せずに、ある当事者から別の当事者へ、オンライン支払いが直接送信されることを可能にするだろう)


 この一文に、僕はこのシステムの全ての思想を込めた。金融機関という「信用トラスト」を前提とした仲介者を、テクノロジーによって排除する。その革命性を、簡潔に、なおかつ力強く示す必要があった。これでサトシの思いは伝わっただろうか。

「二重支払い問題」というデジタル通貨における長年の課題を、如何にして分散化されたタイムスタンプサーバーとプルーフ・オブ・ワークの連鎖によってエレガントに解決したか。その部分を記述している時、自らが再構築した理論の美しさに、我を忘れて悦に入ることさえあった。


 それと並行して進めていたのが、地獄の釜の蓋を再び開けるがごとき、実装の作業だった。

 理論設計と実装は、全くの別物だ。論文の上ではエレガントに解決された問題が、コードに落とし込んだ途端、無数の牙を剥いて襲いかかってくる。特に僕を苦しめたのは、Windows環境での開発だった。未来の僕が知る限り、オープンソースのプロジェクトはLinuxで開発されるのが半ば常識だったが、僕が慣れ親しんでいたのはWindowsだった。互換性のないライブラリ、不可解なコンパイルエラー。MinGWやMSYSといった、当時の不完全な互換ツールとの格闘に、僕は貴重な時間を奪われていった。

「ただ動けばいい」というレベルではない。僕の脳裏には、未来で起こった様々なセキュリティインシデントの記憶がある。だからこそ、将来の拡張性やセキュリティを考慮した、堅牢な設計にしなければならない。その無意識のプレッシャーが、僕のコーディングをいっそう困難なものにしていた。



 そして、二〇一〇年の初頭。タイムリープ前の世界の歴史からは、約一年遅れてしまったが、僕の生まれ変わった世界線における「その日」は、静かに訪れた。

 僕は、ついに最初のブロックを生成することに成功したのだ。

 ジェネシスブロック。僕が創り出した、小さな宇宙のビッグバン。

 僕は未来の記憶を頼りにして、そのブロックの中に、あるメッセージを埋め込んだ。それは、サトシ・ナカモトがこのシステムを創り出した理由そのものだった。


「The Times 03/Jan/2009 Chancellor on brink of second bailout for banks」

(タイムズ紙 2009年1月3日 銀行救済、二度目の瀬戸際に)


 旧来の中央集権的な金融システムへの、痛烈な皮肉。そして、サトシからの静かな宣戦布告だった。


 完成した論文と、まだ不安定な部分を多く残す最初のバージョンのソフトウェアを、僕はインターネットにアップロードした。何重にもVPNを経由し、匿名のアカウントを使って。そしてそのリンクを、暗号技術について議論するサイファーパンクたちのメーリングリストに投稿した。

 ペンネームは、もちろん一つしかない。


 「Satoshi Nakamoto」


 エンターキーを押した瞬間、僕の部屋は張り詰めたような静寂に包まれた。

 やった。ついに、世界に放った。

 タワーマンションの窓から、眼下に広がる東京の夜景を見下ろす。この無数の光の中で、僕が今行ったことの意味に気付く者は、まだ一人もいない。その絶対的な孤独感と、歴史の歯車を自ら動かしたという万能感が、僕の中でない交ぜになっていた。「やはり早すぎたのか?」「世界に理解されないものを生み出してしまったのか?」という、創造主だけが味わう不安が、僕の心を支配した。


 最初の反応は、すぐには来なかった。

 数時間、数日間、僕の投稿は、インターネットの情報の海の中で、誰にも気付かれずに漂っているかのようだった。僕は毎日、意味もなくF5キーを押し続け、メールの受信ボックスを一分おきに確認した。


 それから数日後。ついに、最初の火花が散った。

 技術的な質問や懐疑的な意見が、ぽつり、ぽつりと届き始める。

 アダム・バック、僕がプルーフ・オブ・ワークの概念を参考にした「Hashcash」の発明者その人からも、短いコメントが届いた。彼は、僕のシステムが彼のアイデアを応用していることに気付き、いくつかの鋭い質問を投げかけてきた。それに対して、先人への敬意を払いながらも、僕のシステムがHashcashとはどう違うのか、その独自性を丁寧に説明した。


 もちろん、批判的な意見も多かった。

『これは、計算資源の壮大な無駄遣いに過ぎない』

 ある研究者は、そう断じた。僕はサトシとして、冷静に返信した。

『既存の銀行システムが、その信用のために消費している資源――巨大なビル、無数の行員、決済ネットワークの維持コスト――と比べてどうだろうか?』

 その反論は、コミュニティに小さな波紋を広げた。


 そんな中、一通のメールが僕の目に留まった。

 そのメールの主は、他の誰とも違っていた。彼はこのシステムの表面的な問題点ではなく、その思想の核心を即座に理解していた。

 「Hal Finney」

 メールの署名欄にあったその名前を見て、僕の心臓は大きく飛び跳ねる。ハル・フィニー。PGPの開発にも携わった、伝説的なサイファーパンク。未来の知識を持つ僕は、その名前の重みを誰よりも知っていた。彼こそが、僕が待ち望んでいた最初の「同志」だったのだ。


『Satoshi、非常に野心的で、エレガントなシステムだ。すぐにソフトウェアをダウンロードして、ノードを立ち上げてみるよ』

 ハルからのメールは簡潔だったが、その一行一行に、本物の知性と興奮が滲んでいた。

 メールを受け取って、数時間後。僕のネットワーク監視ツールに、信じられない表示が現れた。僕のノード以外にもう一つ、新しいノードが接続されたのだ。ネットワーク上に、初めて僕以外の人間が参加した瞬間だった。僕は思わずモニターの前で、ガッツポーズを作っていた。


 さらに、歴史的な瞬間が訪れる。

 ハルから、彼のアドレスが記されたメールが届いた。

『準備ができた。もしよければ、テストでコインを送ってみてくれないか』

 僕は、震える指でコマンドを打ち込んだ。ジェネシスブロックで僕が採掘した50BTCの中から、10BTCをハルのアドレス宛に送金する。

 もし、ここで失敗したら?

 もし、重大なバグがあったら?

僕のシステムの信頼性は、始まる前に失墜する。

 しかし、僅か数分後。その取引はブロックチェーンの170番目のブロックに、永遠に消えることのない記録として確かに刻まれた。

 人類史上初めて、中央銀行も、金融機関も、どんな仲介者も介さずに、個人間で純粋なデジタルデータが「価値」として間違いなく移転された瞬間だった。

 直後、ハルから 「Received!」(受け取ったよ!)という短い返信が届いた。その一言を見た瞬間、僕の全身から力が抜け、椅子に深く沈み込んだ。安堵で涙が滲んだ。


 しかし、感動に浸っている時間など、ありはしない。

 僕が急いでリリースした最初のソフトウェアは、当然ながらバグだらけの未完成品だった。

「Satoshi、クラッシュしたよ。ログを送る」

 ハルからの報告を受け、僕は修正に追われる。彼のような超一流のプログラマの目から見れば、僕のコードは、素人の手習いに毛が生えたような拙いものだったかもしれない。だが、彼は僕を馬鹿にすることなく、常に建設的なアドバイスをくれた。


 ある時は「難易度調整アルゴリズム」の不具合が、コミュニティの最初の危機を招いた。マイナーが僕とハル、そして数人の有志しかいなかったため、ブロックの生成に何時間もかかってしまい、「このシステムはもう止まったのか?」と、フォーラムに不安の声が書き込まれた。僕は、アルゴリズムが約二週間(2,016ブロック)ごとに、過去のブロック生成時間に基づいて自動調整される仕組みを説明し、今はネットワークが幼い故の現象だと、コミュニティをなだめなければならなかった。


 またある時は、数値のオーバーフローを利用すると、理論上、無限にコインを生み出せてしまうという、致命的な脆弱性が見つかった。その報告を受けた時の僕の血の気の引きようは、尋常ではなかった。このままでは、サトシと僕が創り出したシステムは、その信頼性を失って、生まれてすぐに死んでしまう。

 僕はそこから三日間、一睡もせずにコードの修正に没頭した。食事も忘れ、コーヒーだけを流し込み、モニターと睨み合い続けた。ハルや、新たに参加してくれた数人の開発者と絶え間ない議論を重ね、ようやく修正パッチをリリースすることができた。

 この危機を乗り越えたことで、僕とまだ名前もないこの小さなコミュニティとの間には、確かな絆のようなものが生まれた。僕はもはや、孤独な創造主ではなかったのだ。このプロジェクトを率いるリーダーとしての自覚が芽生え始めていた。



 二〇一〇年の中盤。

 僕は、SourceForgeというプラットフォームにプロジェクトページを立ち上げ、Bitcointalkという名のフォーラムを開設した。そこでの議論は、日に日に活発になっていった。「マイニングのやり方を教えてくれ」「ウォレットのバックアップはどうすればいい?」といった初歩的な質問に、僕はサトシとして、あるいは他の初期メンバーが丁寧に答えていた。


 僕は、やり取りの中で意識的にcolour, favourといったイギリス英語のスペルを使い、自分の国籍や背景を曖昧にした。決して個人的な感情を見せず、常に技術的な議論に徹する「サトシ・ナカモト」というペルソナを演じ続ける。

 僕は、タイムリープ前のサトシの行動を知っていた。分散化された金融システムを構築するのに、創造主自らが中央集権的権威であってはならない。僕はそれに強く共感し、同時に大きな感銘を受けていたのだ。この世界のサトシ・ナカモトとして、ネットワークを支配する愚者になるつもりは毛頭なかった。


 そんなある日、ある取引の報告がフォーラムに書き込まれた。

 フロリダに住む一人のプログラマが、「一万BTCで、誰かピザを二枚届けてくれないか」と投稿し、実際に取引が成立したのだ。

 ビットコインが、初めて現実世界のモノと交換された瞬間だった。そのささやかではあるが歴史的な出来事に、コミュニティは熱狂した。

 僕は、そのスレッドをただ静かに見つめていた。僕のウォレットには、その何十倍ものBTCが眠っている。しかし僕の関心は、もはやその価値にはなかった。僕が創り出したものが、人びとの間で確かに「価値」として認識され、動き始める。その事実が、僕の心を、二十三億円の資産でさえも決して与えてくれなかった本物の達成感で満たしていった。

 そこには、満ち足りた充実とともに、ゴールをすればこの全力疾走ができなくなるのだという、物悲しい切なささえ同居していた。何かをやり遂げるとは、こういうことだったのか。


 僕の介入が必要な場面は、徐々に減ってきていた。プロジェクトは、僕がいなくても動き続ける、確かな生命力を持ち始めている。

 この舞台から去るべき時が近付いていることを、僕は肌で感じ始めていた。

 サトシ・ナカモトという役割の終わりを。

 そして、僕、佐藤健としての、次の役割の始まりを。

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