【禍津怪異譚】壱・軍隊橋
彼に近付いてはならない。
彼は、さまざまに呼ばれてきた。
『占い師』『探偵』『浮浪者』『傍観者』『観察者』『干渉者』『触媒』──
『霊能力者』『拝み屋』『呪術師』『祈祷師』『霊媒師』、そして『ペテン師』。
誰が何と呼ぼうと、彼はいつも笑っていた。
ある者は彼に救いを見た。
ある者は彼に地獄を見た。
そして皆、最終的にはこう言う。
「あの男に関わったのが、すべての始まりだった」
彼に近付いてはならない。
だが──それでも出会ってしまったなら。
そのとき、あなたにはもう、彼の力が必要になっている。
……良くも、悪くも。
九州のとある県、その中核都市に私は住んでいる。
これは私がまだ学生の頃の話だ。
この街にはあまり有名ではない心霊スポットがある。
その名も『軍隊橋』。
昭和初期に作られたそこまで大きくはない石造りの橋だ。
昔、この辺りには大きな軍の墓地があったらしい。
現在は競輪場になっており墓地自体はなくなっているが、忠霊塔やこの軍隊橋、廃墟と化している円形野外講堂などは残っていた。
小学生だった私はギャンブル狂であった父に連れられ良くこの近くを通っていたのだが、何とも言えない薄気味悪さを感じていた。
私には霊感などないのだが、いかんせん怖がりだった事もあり、この軍隊橋へ自ら近づく事はしなかった。
小学六年になった頃、クラスではオカルト的なものが流行りだした。
クラスメイト達はコックリさんや学校の七不思議などの話をこぞってしていた。
怖がりだった私は極力そんな話から遠ざかるようにしていたのだが、親友の茜ちゃんはむしろオカルトにドはまりしていたのだった。
放課後にクラスの女子数人で集まり、コックリさんを実際にやったり、心霊スポットの噂を聞けば肝試しに行っていた。
当然私も付き合わされるのである。
とは言っても、これと言って心霊体験と呼べるような事は起きたことがなかった。
正しく言えば、いつも未遂だったのだ。
例えば、放課後の教室でコックリさんを始めようとすると、必ず先生に見付かり怒られる。
心霊スポットへ行こうとしても、メンバーの誰かが体調不良や、現場に到着する前に誰かしらの親にバレたりなど。
奇妙なほどに未遂で終わっていた。
今から考えれば、それは何かしらが守ってくれていたのかもしれない。
「軍隊橋って知ってる?」
夏休みも間近になったある日、茜ちゃんは私に嬉々として聞いてきた。
茜ちゃんが嬉しそうに話してくる時は、大体オカルト関係なのだ。
「競輪場の近くの池にある橋?」
「そうそう!」
「幽霊でも出るの?」
正直、どうせまた未遂で終わると思った私は興味なさげに聞き返した。
実際、あの場所は嫌いだ。
近くを通るだけでもあれだけ怖いのだ、行こうなどという気は起きない。
そんな私を後目に、茜ちゃんは軍隊橋に関する噂を話し始めた。
「それがね、忠霊塔にいく道で兵隊が行進する足音が聞こえるんだって!その橋で自殺した人の霊も出るとか!」
私が想像したまんまの噂だった。
軍に関係する心霊スポットなら兵隊が見えるとか、行進の足音とかは定番中の定番だろう。
それに、薄気味悪い橋ならば、自殺者の霊が出るなんて、何処にでもあるような話。
「で、そこに行くの?」
「行く!アンタも来るでしょ!?」
どうやら、数人で行くつもりらしい。
メンバーは恐らくいつもの五人だろう。
茜ちゃんをリーダーにして、双子の香織ちゃんと詩織ちゃん。
それと、茜ちゃんの家の隣に住んでいる由紀ちゃんと私。
この5人は幼稚園からの幼馴染で、心霊に関係なくいつも遊んでいた。
夏休みも目前で、季節的にも肝試しに適していると判断したのだろう、私以外の全員は既に決断済みらしい。
「……、行かない」
「え?」
私の返答が予想外だったのだろう、茜ちゃんは笑顔のまま奇妙な声を上げた。
「だから、私は行かない。行きたくない」
「なんで!?面白そうやん!」
「あそこはホントに気持ち悪い。行きたくないんだよ」
私の言葉に、茜ちゃんの顔は興ざめというような顔になった。
「アンタ、ホントにビビりやね。いいよ、4人で行くから。その代わり、親に言ったたら絶交だから!」
茜ちゃんは吐き捨てるように言うと、他の3人の席に向かった。
それから四人と私は少し疎遠になった。
私はハブられたのだ。
別にいじめというレベルではなかったが、他のクラスメイトが気を利かせてくれ私はすぐに別のグループに入れてもらった。
そんなこんなで一週間程が経ち、一学期の終業式の日。
私は学校が終わると特にやることもないのでまっすぐ家に帰り、夕飯までゴロゴロ過ごした。
私の両親は共働きで、昼間は婆ちゃんが家事をしている。
婆ちゃんがたてる生活音を聞きながら漫画を読んでいたのだが、いつの間にか寝てしまい、夕飯時に帰ってきた母に起こされた。
「遊び行かなかったの?」
「うーん」
いつもなら日が暮れるまで茜ちゃん達と遊んでいたのだが、家で寝ていた私を母は少し奇妙に思ったのだろう。
私は眠い目をこすりながら生返事を返す。
「もうすぐご飯よ」
夕食の準備を手伝っていると父も帰宅し、家族全員で夕食を食べた。
その後何事もなく、私はいつもより早く寝てしまった。
深い眠りに就いた頃、私は母に無理やり起こされた。
「アンタ、茜ちゃん達と今日遊んだ?」
母の顔は少し焦っていたようだった。
時計を見ると、夜の十二時近かった。
「茜ちゃん……?」
「茜ちゃんと香織ちゃんと詩織ちゃんと由紀ちゃん。こんな時間になってもまだ帰ってきてならしい。アンタ、いつも五人で遊んでたでしょ?なんか知らない?」
ハッとした。
「軍隊橋……」
私はそう呟いた。
行ったのだ、軍隊橋に。
夏休みの初日とも言える今日、あの四人は肝試しを決行したのだ。
「なんて!?」
「軍隊橋に行ったんじゃないかな……。四人で行くって言ってたから……」
「なんでそれを早く言わないんだ!」
急に母が大声を出した。
その声を聞いたのか、父が顔を出す。
「パパ!軍隊橋!軍隊橋に行ったみたい!」
「分かった!お前は婆ちゃんと家にいなさい!」
全く状況が掴めない私は泣きそうになりながら婆ちゃんにしがみつく。
「待ちなさい!オレとこの子も連れて行け!」
「こんな遅くに連れて行けないだろ!」
「駄目だ!お前達だけじゃどうにもならない!」
婆ちゃんは私を抱きしめながら言った。
手にはいつも仏壇の前で使っている数珠を握りしめていた。
「でもな……」
「早くしなさい!」
困惑していた父を捲し立てる婆ちゃん。
結局、私たちは父の車に乗り込んだ。
「急げ!間に合わんぞ!」
父の車は何かに蹴り飛ばされた様に急発進する。
軍隊橋に向かう道中で父が現状を説明してくれた。
どうやら、茜ちゃん達は終業式の後、一旦家に帰って荷物を下ろしてまた出掛けていったらしい。
それ以来、帰っていない。
8時辺りから4人の家族は捜索しているらしいのだが、あまりにも見付からない為、今は警察や消防団にも協力してもらっているという。
「よりによって、軍隊橋……」
忌々しげに父は呟いた。
「軍隊橋はダメと?」
「あそこは駄目だ」
婆ちゃんがピシャリと言った。
「アンタも何となく分かってたでしょ?だから、一緒に行かなかったんでしょ?」
婆ちゃんは私の考えていた事を全てお見通しのようだった。
私は頷く。
「あそこは元々大きな軍隊墓地だった。それが今は競輪場になっている。残っているところは管理してあるけど、手が行き届いていない。元が元だから、悪いものが集まっている」
その『悪かつ』に茜ちゃん達が捕まったとでも言うのだろうか。
しかし、何故私と婆ちゃんも行かなくてはならないのかが分からない。
「後から教える。とにかく今は急がないといけない」
すぐに競輪場の駐車場へ着いた。
父が茜ちゃんの家に連絡していたのだろう、行方不明になっている4人の家族以外にも警察や消防団の人達が集まっていた。
軍隊橋を中心に大掛かりな捜索が始まっていた。
「間に合わんやったかもしれん……」
婆ちゃんは独り言のようにポツリと呟いた。
そんな時だ。
警察の人が数人、私達のいる駐車場へ戻ってきた。
遠くから救急車のサイレンも聞こえる。
「女児二人を保護したらしい」
どうやら、警察の無線で知らせが来たようで、駐車場の近くを捜索していた数人が戻ってきたらしい。
少しして、消防団のおじさんに抱きかかえられた香織ちゃんと詩織ちゃんが現れた。
「香織ちゃん!詩織ちゃん!」
私は思わず二人の元へ駆け寄ったが、その様子を見て驚愕した。
抱きかかえられた二人は目を見開いたままだった。
瞬きすら一切しない。
口も半開きで、まるで人形のようだ。
あまりの光景に私の膝は震えだした。
それ以上近づくことも後ずさる事もできない。
「もう一人見付かった!」
到着した救急車に二人を乗せている時に警察の人が言った。
その時だ。
「何かあったんですか?」
場違いに緊張感のない声だった。
その場にいた全員が声の方へ振り返る。
私も例外ではなかった。
そこにいたのは三十代くらいの男。
真っ黒だった。
夜だと言うのに薄手のニット帽を目深に被っている。
細身の黒いスキニーパンツに黒いパーカー。
これは見えていい人なのか、その場にいた全員がそう考えたに違いない。
そんな雰囲気を全く気にすることなく、男は抱きかかえられた香織ちゃんと詩織ちゃんへ近付いた。
「これは、中身抜かれたか……。軍隊橋の辺りですか?」
男は香織ちゃんを抱きかかえた消防団員のおじさんに聞いたが、おじさんは目を白黒させるだけだった。
そんな中、婆ちゃんが男の元に駆け寄った。
「アンタが何者か知らないが、アンタといらっしゃる神さんを見込んで頼む!この子等を助けてくれ!」
婆ちゃんは縋り付くように言った。
誰も何も喋れなくなっていた。
男は軽く息を吐き、何処からとも無くタバコを取り出し、それに火を点けた。
真っ黒な革の手袋をしている。
「料金は頂きますよ?それでもいいですか?」
「早くしてくれ!このまんまじゃ手遅れになる!」
「お婆さんはこの状況をよく理解しているようですね。で、全部で何人ですか?」
「四人です。その内三人は既に見付かっています」
「なるほど……」
男はフーッと煙を吐いた後、軍隊橋の方へ歩き出した。
「あの人、何?」
私は婆ちゃんに訪ねた。
「知らない。でも、あの神さんならどうにかしてくれるかもしれない……」
そう言って婆ちゃんは男の背中に両手を合わせ、小声で般若心経を唱えはじめた。
「あ、その子達はすぐに病院へ。後で私も行きますので、病院の住所と、私が関係者として面会できるようにしておいてください」
男はそう言って夜闇に消えていった。
それから男が帰ってくるまで一時間程だった。
長かった。
先に保護された香織ちゃん、詩織ちゃん、由紀ちゃんは病院へ運ばれ、駐車場で待機している救急車は一台だけになった。
茜ちゃん用だ。
婆ちゃんは相変わらずお経を唱えている。
私は男の言葉を思い出していた。
中身を抜かれたとはなんなのか。
しかし確かにあの三人はまるで魂を抜かれたような有様だった。
そういう意味だったのだろう。
魂を抜かれたのなら、あの三人は元に戻るのだろうか。
それに、茜ちゃんは何処にいるのか。
お経を唱える婆ちゃんにしがみつきながら、私も同じように手を合わせていた。
そうやって待っていると、いつの間には捜索を行っていた大人達が駐車場に集まっていた。
どうも、あの男が捜索を打ち切らせたようだ。
勿論、私の父と母も戻ってきた。
「なんだあの男は!」
父達は憤慨していた。
捜索を無理やり打ち切ったことに対してだろう。
「全員戻されたのか?」
「いや、警官二人だけはあの男の手伝いをさせられている。他の者は帰れだそうだ」
結局、私達家族と茜ちゃん家族、2人の警察と救急車の隊員だけを残して、捜索隊は解散した。
それから10分程で、男は戻ってきた。
茜ちゃんは警官2人が持つ担架に寝かされていた。
男は茜ちゃんの胸辺りに手をかざして何かを唱えているようだった。
男の背後で何かが蠢いている気がする。
呆気に取られていると、そのまま救急車に乗り込む。
茜ちゃんの家族も乗り込むと、救急車は駐車場を出ていった。
「オレは茜ちゃんの病院に行く。お前達は帰って寝ろ」
父はそう言って私達を自宅に送り届けると、そのまま病院へ向かった。
翌日、病院から帰ってきた父から4人の状況を聞いた。
まず、先に見付かった香織ちゃんと詩織ちゃんは明け方に意識が戻ったらしい。
特に変わった様子もなく、一応入院して、何もなければ明日には退院出来るらしい。
由紀ちゃんも同じく明け方には意識が戻ったようだが、ショックで一部の記憶がなくなっているらしい。
しばらく入院することになるだろうということだった。
「茜ちゃんは?」
私は父に聞いたが、父の顔は暗い。
「……、死んだと……?」
「生きている。でも、まだ起きない……」
父はそれだけを言い残し、風呂に入ってしまった。
その後は誰も茜ちゃんの話をしなかった。
それは夏休みが終わるまで続いた。
新学期が始まると、先に保護されていた3人と教室で合うことができた。
3人はあの夜の事をよく覚えていないらしい。
軍隊橋の近くまで歩いて行ったのは覚えているが、その後からの記憶が全くないらしく、気がついたら病院のベッドの上だったそうだ。
「茜ちゃん大丈夫かな……」
夏休みの間、茜ちゃんのお見舞いに行こうと何度も父に言ったが、連れて行ってはくれなかった。
何処の病院に入院しているすら教えてもらえず、心配する以外に何も出来ないままだ。
「私達も教えてもらえない」
「絶対おかしい」
香織ちゃん達も同じ状況らしい。
そんな話をしていると、担任の先生が教室に入ってくる。
朝のホームルームが始まったのだが、そこで茜ちゃんが引っ越した事を知らされた。
あまりに唐突で意味が分からない。
「先生、茜ちゃんは退院したんですか?」
「先生も何も分からないんだよ……」
全くもって意味が分からない。
そしてこれ以降、私は二度と茜ちゃんに会うことはなかった。
例の騒ぎから3ヶ月が過ぎた頃、私は街で例の男を見かけた。
夕暮れに染まる街の中で、まるでそこだけ墨汁がこぼれたような影。
「あ!あの!」
私は思わず声を掛けた。
男はゆっくりと振り返ると、黒いニット帽の奥から私の顔をまじまじと見る。
「あー、君は……」
「茜ちゃんはどうなったんですか!?」
両親や婆ちゃんに聞いても答えは返ってこなかった質問を投げかける。
「茜ちゃんか……」
男は何かを思い出す様に一度明後日の方向見た後、口元だけでニヤリと笑った。
「人目もあるし、喫茶店にでも入ろうか」
男はそう言って近くの喫茶店に私を連れて行った。
「深沢という、よろしく」
今更ながらの自己紹介に面食らうが、深沢と握手を交わす。
相変わらず、黒い革手袋をしていた。
「深沢さん、茜ちゃんの事なんですが……」
「右大腿と左下腿から下を切断、左目の失明」
「え?」
「母親も死亡。現在は関西のとある山寺にいるよ」
頭が真っ白になった。
茜ちゃんは両足と片目を失った上に、お母さんが死んだ……?
「ショックだろうが事実だ。むしろ、被害は最小限に抑えたんだよ、これでも。相手は死神だったんだし」
「死神……?」
私の頭には何一つ入ってこなかった。
呆然とする私を見かねたのか、深沢は一度手を叩く。
私はビクッと身体を強張らせた。
「君も肝試しに誘われたんだろ?だったら君にも縁が繋がっている、ごくごく細いものだろうがね。けどまぁ、君にはご先祖様もついてるから大丈夫だろう」
「はぁ……」
「それと、この話は誰にもしちゃダメだ。話を縁に、また誰かを引き込もうとするだろうからね。特に、あの時助けられた三人には。彼女達は常に狙われている状態だ、長生きは出来ない」
「はぁ……」
そこまで話して深沢は席を立った。
「じゃあ、俺はもう行くよ。もう二度と会わない事を祈るよ」
深沢はニヤリと笑う。
「あの!」
「うん?」
「あの……、深沢さんの神様にお礼を言っておいて下さい」
何故そんな事を言ったのか自分でも分からない。
しかし、口をついて出たのだ。
それを深沢は軽く笑う。
「それも縁を結ぶ行動だ、おすすめしない。言っただろ?もう二度と会わない事を祈るよ」
そう言って、黒い革手袋をした手を振って店を出ていった。
それから私は、例の件について誰にも何も話さなかった。
周りの大人もそうしているように、忘れるようにした。
この世には近づくだけで危険なモノがある。
それだけ、心に深く刻み込んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
『軍隊橋』は、実在の心霊スポットを元にしたフィクションです。
子どもの頃の何気ない肝試しが、もし本当に“危ないもの”と繋がってしまったら──そんな想像から生まれました。
本文中の会話には、福岡県南部の方言を標準語にルビで表記しています。読みにくかったらすみません。
雰囲気ごと楽しんでいただけていたら幸いです。
禍津怪異譚は今後も続けていきますので、またお付き合いいただけたら嬉しいです。