赤田家の日常 第五和
※本作は正真正銘のフィクションです。
出てくるお店や人物、動物、メロンパンはすべて架空のもので、どこにもありません。
メロンパンで月や星は掴めません。夢なら掴めるかも?
どこかのなにかで「あれ?なんか似てるな〜」と感じたら、
きっとあなたの思い出の中か、もしくは前世かなんかの遠い日の記憶です。
赤田家の日常
「第五和:環境や肩書が人を作ることがあってもメロンパンを作れるのは人とオーブンと愛やらなんやら」
赤田家の夏は暑い。
その日は最高気温を記録したとある夏の一日。
汗がしたたる、という気温をとうに超えており、外で何かするには難しい環境である。
そんな日の午前10時過ぎ。
沙奈はオレンジベーカリーの本社近くにある公園に、一人佇んでいた。
試作を始めた究極のメロンパンの開発が難航しており、青井から休憩でもしてきなよ、そう言われたのだ。
今日も赤田家は真夏日である。
頭の中には完成形のイメージは明確に存在している。しかしそれが上手く焼き上げられない。一歩近づいたと思っても、そのイメージまでの距離が縮まらない、そんな気がしてならない。非常にやきもきしている。
そんな焦る気持ちのせいか、セミの鳴き声も一層、鬱陶しく感じてしまうではないか。
日差しは異常なほど強く、肌にいちいち突き刺さる、そんなことにさえ不快感を覚える。
メロンのような理想の見た目とビスケットのサクサク感の両立が難しかった。
生地が割れたり、サクサク感が強すぎたり、ふわふわ感が足りなかったり。
それでも試行錯誤、度重なるトライアンドエラーでイメージにかなり近づいてきた。
しかし食感と味、沙奈自信は満足いくレベルになっているのに何か足りない気がすると、その状態が長く続いていた。
何が足りないのか分からず、本当に究極メロンパンを完成させることができるのか、沙奈は珍しく弱気になっていた。
雲を掴む、月を掴む、星を掴む、そんな不可能なことに挑んでいるような錯覚さえ感じている。
焦りの色が、確かにその表情に浮かんでいた。
昨日も遅くまで没頭し、帰る間際に師匠の青井に「少し根を詰めすぎ」と言われた。
長女の華奈からは「ふふっ、高みへの階段は壁なのよ、飛び越えるんじゃなくて、壁によじ登って、次の壁への踏み台にしなさい!!!」と、励ましなのか、冷やかしなのか分からないメールが届いた。
次女の奈々からは帰宅時に「あんた何?帰ってくるの遅くない?なんだっけ、あの色みたいな、ほら、なんちゃら会社なの?あのパン屋。」と言われる始末。
奈々にはブラック企業なんて自分には一生関係ないであろう言葉など辞書にはないのだ。
ホワイトでもブラックでもグリーンでも関係ないのだ。
そもそも社会に出て一人前に働くことすら叶わない悲しきモンスターなのだ。
取材と称し、てきとうにゲーム配信して投げ銭貰えれば十分なのだ。
しかしそんな言葉も愛する妹を心配しすぎるあまり、思わず吐いてしまっただけなのだ。
「あんたのこと応援してるよ!でも心配だよ……」という割と簡単な言葉が出てこないだけなのだ。
自然と一体になりすぎて暑さを思わず忘れていた、そんな時。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
日陰のベンチに座り、ぼーっと一点に顔を向けていた沙奈に一人の男の子が声をかけた。
「大丈夫だよ、少し考え事してただけだよ」
と、腕まくりをし、か弱い腕の存在しない力こぶを見せる。
完全に空元気だが、なんとなく意地を張った。
「お姉ちゃん、ってあそこのパン屋さんの人~?」
男の子は本社に隣接しているオレンジベーカリー朝焼け1号店を指差し言う。
「そうだよ。好きなパンはある?」
「うん!!カレーパンが好き!食べると元気になるよー!辛いのにとっても美味しいもん!!」
そう言うと元気に走り去った男の子。
ここ数年、カレーパンの人気も鰻のぼり、鯉のぼり、滝のぼり。
青井が開発に異動してから初めて自らが、一から手がけた一品である。
今では青井の手から離れ、当時のレシピとは少し変わってはいるが定期的に行われる変更の度、ユーザーからの喜びの声は増えるそうだ。
沙奈は青井からそんな話を聞いていた。
「初めて自分で何か結果のあるものが出来た。でも本当に自信に変わったのは1号店でお試し販売をした時にね、お客さんが『逆に今までなかったのが不思議!もの凄く美味しい!』そう喜んでくれたのを見た時だったよ」
そんな言葉を不意に思い出した。
先ほど男の子とその母親だろうか、遠目に親子の姿が見える。
オレンジベーカリー朝焼けの袋を幸せそうに持ち、何やら話している様子。
そして突如、男の子が跳び上がる。
袋の中に好きなパンでもあったのだろうか。
「やった!!カレーパンだ!!」
声は聞こえていない。でもそんな風に聞こえた気がした。
そんな光景に、男の子に、青井の言葉に気付かされた。
今の自分はもう「作る側」なのだと。
自分だけのためじゃなく「お客様に満足してもらう」そんな大事なことを無視していたではないか。
改めて思った。
「自分のためじゃなく誰かのための、一人でも多くの、笑顔のために」
一気に霧が晴れた気がした。
「よしっ」
そう意気込むと休憩前とは打って変わり、ピンと背筋を伸ばし公園を後にする。
「師匠!休憩から戻りました!」
戻ってきた沙奈の姿、瞳に気負っている様子はない。
青井は何も言わずオーブンを開く。
次の焼成で必ず完成すると。
赤田家は熱いのだ。
第五和~完~
夏は暑いので嫌いですね、そう汗を拭いながら話すのは「あかたさな」。赤田家の作者である。
クーラーもない、扇風機もない、キンキンに冷えたアイスコーヒーもない。君、もてなす気あるの?これ、ないよね?微塵も感じられないよ?汗止まらないよ?怒りの温度も急上昇、臨界点まで止まらないよ?
ピッ♪
……ん?……クーラー♡
もともと「第五和:いつも時系列とかめちゃくちゃでごめんね、これはわりとやさしめ」、なんてタイトルだったのだ。アイスコーヒーを飲み干すと「あかたさな」はそう言い、去っていった。