霧子が狙ふもの
〈小春とは比べられずや春一日 涙次〉
【ⅰ】
こゝは「もぐら御殿」。カンテラ・じろさんコンビが端坐してゐる。
朱那が「粗茶ですが」と湯呑み(樂焼の高価なものである)を持つてきた。
「さあ、食べませう」馴染みの弁当屋で買つた、「ステーキ丼弁当」を出して、もぐら國王は莞爾としてゐる。「これがなかなかイケるんでね」
三人、弁当を平らげてから、國王「で、頼みつて、何です?」
じろさんが切り出す。「國王、あんたに盗んできて貰ひたい物があるんだ」
國王「さてそれは?」カンテラ「實はね、間司霧子探偵事務所つてところから、これ迄の盗聴のデータを盗んで慾しい」國「ほお... テオくんにハッキングして貰ふ譯にはいかないんですか?」カ「テオには、他に重大な使命を命じたのでね」國「こないだの、例の盗聴とは? 関連性があるんですか?」じ「まあ、腹いせつてのもあるがね」こゝでじろさん、國王に耳打ち。
國「なるほど。よござんす。他ならぬお二人のお願ひとあらば、やつてみませう」
【ⅱ】
でゞこがテオに云ふ。「テオちやん、ゴハン、食べないの?」テオ「僕は今、ダイエット中なんだ」で「別にその儘でもカッコいゝのに」テ「野良猫に、變装しなくちやならないんだよ」で「おしごと?」テ「さう」で「大變ねえ」
テオの「野良猫メイク」は、徹底してゐる。痩せさばらへた躰を、蝋燭の煤で汚し... と云ふ手間がかゝるのだ。さて、メイク完了。「ぢや、僕行つてくるから。でゞちやんはしつかりお留守番するんだよ」で「はあい。行つてらつしやい」
【ⅲ】
先日の盗聴騒ぎがあつてから、カンテラにはふと、思ひ当たるフシがあつたのだ。もしも、先日のルシフェルと政治屋の密通の他に、霧子が獨自に摑んだ、魔界情報があるなら... 横取りしても彼女には文句は云へまい。それで、國王に、そのデータを盗み出すやう、依頼したと云ふ譯だ。
国王は霧子の事務所がテナントで入つてゐるビルの地下まで、トンネルを掘つた。事務所は二階にある。拔き足、差し足。だが、やる事はいつもと變はりない。オートロックは無視して、バールでドアをこぢ開ける。防犯ベルが喧しく鳴る。警備員を二・三人ほど毆り倒すと、それと覺しいCD-Rを頭陀袋に入れ、また地下のトンネルから遁走した。少々荒つぽ過ぎる嫌ひはあるが、建物の構造上致し方ない。
テオ。霧子の二人の連れ子、に會ふ為、彼らが殘飯を野良猫たちの為饗する、ラウンジに潜入した。テオは、心のなかの言葉を、二人にぶつけてみた(テレパシーで)。
「お母さんは優しい?」二人「あ、猫ちやんが喋つた!」前述したと思ふが、子供は心中で話す事に、長けてゐるのだ。大人になると、それを忘れてしまふが、子供の素直な感性には、難しからぬ事。
「うん。とつても優しいよ」「お父さんは會ひにくる?」「あんなお父さん、怖いばつかりで、僕たちは嫌ひだ」うむ。だうやら霧子は、新城とは本当に「切れた」らしい... それだけ確かめると、テオはその場から、離れた。
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〈猫に云ふ春のうらゝとはなりけむその儘眠る子の可愛さよ 平手みき〉
【ⅳ】
テオが事務所に戻り、データを開いてみると、出るわ出るわ、國内の有名人たちの、赤裸々な情報が。霧子は「大事な要件は電話で話してはいけない」と云つてゐたが、このスマホ天國(地獄?)の日本に於いても、電話盗聴すれば、かう云ふ事に突き当たる、そのショウケースの如き、感がある盗聴データであつた。
ルシフェルは、各界の著名人たちを、次々に誘惑してゐた。或ひは- 先の失敗に學び、電話を通信口とする事は、已めたかもしれない。然し、これらのデータを集め、霧子が目論む事は、一體何なんだらう。
一同、戦慄するより他はなかつた。
【ⅴ】
「よもや、とは思ふが、彼女自身魔界と通じているのではないか」カンテラの言葉は重みを持つて、じろさんはじめとする一味に傳はつた。要注意人物、さう皆の心には刻み込まれた。
【ⅵ】
ルシフェルとは、その内に一戦を交へなければなるまい。だが、だうやつて勝利を収めるか、そのアイディア自體、カンテラの頭脳(?)には思ひ浮かばない。霧子恐るべし。一介の探偵とは、明らかに狙つてゐるものが違ふ。いつそ、斬つてしまはうか、そんな事すら、カンテラは考へた。
これは戦いの序章に過ぎないのだ。武者震ひする、カンテラ(もしくは、作者)が、そこにはゐた。
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〈春靄に亡き人が立つ白日夢 涙次〉
今日のところは、これ迄とする。次回からこの物語、少し様相が變はつてくるやも知れぬ。ではまたいつか、その日までのお別れ。