第96話 嵐を追う大地
嵐を抜けた瞬間、世界が変わった。
耳を引き裂いていた金属音が嘘のように遠ざかり、風はただの風に戻る。
それもかなり大きな変化だったけど、それ以上のものが足元に広がってたんだ。
「……なんだ、これ」
そこにあったのは、刃だらけの金属の大地じゃなかった。
柔らかく波打つ地面。踏み込めば、わずかに沈み込む感触がある。
嵐に追われる側の大地では、選別衆以外の生き物は見なかった。
だが、ここは違う。
少し先に、動く影が見える。
人の集団だ。それも一つや二つじゃない。
簡易的な天幕を張り、家畜のような魔獣を連れ、互いに距離を保ちながら移動している。
「……動物がいるわ」
イザベラが、ぽつりと呟いた。
さらに視線を巡らせると、野生の魔獣も確認できた。
金属の角を生やした鹿が、地面を蹴りながら駆けていく。
空には、小さな鳥の群れが舞っていた。羽毛の一部が金属化しているらしく、太陽光を受けてきらきらと光っている。
「嵐を追う側の大地には、生き物がいるんス」
前を歩いていたベニーが、振り返らずに言った。
「削られたばかりの大地にはこうして草も生えるんスよ。だから選別された人間はみな、嵐を追いかける側にいるっス」
確かに、地面の状態がまるで違う。
ベニーの言葉を借りるなら『嵐に追われる側』の大地は金属がむき出しで、どこを踏んでも刃があるような荒野だった。
それに対して、こちらの大地は――まるで、耕された畑みたいだぜ。
「どうして、こんな……」
「嵐に削られた金属が、わずかに残った岩の欠片と混ざるんス。それが水分を吸ってこうなるらしいっスよ」
ベニーが地面を蹴る。
土埃が舞い、その中に微細な金属光が混じっていた。
「ただし、土も草も中身は金属入りっスけどね」
確かに、ところどころに生えている草は、葉脈がわずかに光って見える。
そんな話をしているうちに、前方から人の波が迫ってきた。
数が多い。さっき見た集団とは規模が違う。
「止まれ」
囲まれる。
武器を構えた者たちが、俺たちを中心に半円を描いた。
緊張が走るが、ベニーは気にした様子もなく手を挙げる。
「連れてきたっスよ」
その言葉に応じるように、人垣が割れた。
現れた男を見て、俺は息を呑んだ。
豪奢な衣服。
左腕には、明らかに後付けと分かる立派な義手。
そして顔には、東の大陸では見なかった大きな傷跡が刻まれている。
「久しぶりじゃねぇか」
――エオウィンだ。
「その腕……どうしたの?」
イザベラの問いに、エオウィンは義手を軽く掲げた。
「戦利品だ。ガルドって野郎とやり合ってなぁ。勝ったからには奪わねぇとダメだろ?」
その名に、周囲の人間たちがざわめく。
「元々、選別衆を率いてた男だ。今は捕虜の身だがな」
淡々と言い放ったエオウィンの視線が、背後の人ごみに向けられた。
ぱっと見じゃ分からないが、奥の方にガルドって言う男がいるみたいだな。
「この大陸じゃ、勝った奴が選ぶ。生かすか、殺すかをな。だから今、選別衆は俺に従ってる」
なるほど。
歪んでるが、一貫した理屈だ。
ちょっと考えれば分かる。
そういうルールがないと、この大陸では争いが絶えないんだろう。
「で?」
エオウィンは、俺たちを一瞥して続けた。
「この大陸に来たってことは、北のソヴリンも退治してきたんだろ?」
その瞬間、周囲の空気が変わる。
取り囲んでいた人々の間に、明確な動揺が走った。
そんな人々を見渡したイザベラが、続いて俺たちに目配せをしてから一歩前に踏み出した。
「倒してきたわ」
はっきりと告げた彼女の声が浸透するように、どよめきが広がる。
それを楽しんでいる様子のエオウィンは口の端を吊り上げた。
「じゃあ次は、西か?」
「もちろん。そのつもりよ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、エオウィンは失笑した。
「良い度胸だ。だがな、テメェらじゃビャッコは倒せねぇ」
「……なぜ?」
「魔導書がねぇからだ」
そう言って、彼は語り始めた。
南の大陸にあった氷の魔導遺跡。
そこで彼は目にしたのだと。
不自然に穿たれた大穴と、その底に落ちていた書見台。
「テメェらは氷の魔術を使ってた。そしてセイリュウ討伐のときはあのナイフだ。少し考えれば分かるぜ。魔導書が鍵なんだろ?」
だからこそ。そう結んだエオウィンは首を振りながら告げる。
「この大陸に遺跡はない。いや、建物が存在できない。ここまで来たテメェらなら、理解出来てるだろ?」
イザベラは、反論するように口を開く。
「嵐の中心に、まだ遺跡が残っているかもしれない」
だが、エオウィンは鼻で笑った。
「だといいなぁ。だが、コイツらの話だとそれはないらしいぜ?」
彼の声が、少し低くなる。
「夜遅く、中心の嵐に近づくとよ……空に浮かぶ巨大な瞳が見えるらしいぜ」
ぞくりとした感覚が背中を走る。
「だから昔から、この大陸の連中はあの嵐に近づかねぇ。恐れて逃げるだけの、臆病者どもだ」
そう吐き捨ててから、エオウィンは俺たちを見据えた。
「それでも、テメェらは行くんだろ?」
空気が張り詰める。
イザベラは一瞬だけ視線を伏せ、そして顔を上げた。
「当たり前ね。じゃなきゃ、ここまで旅してきた意味が無くなっちゃうわ」
周囲がどよめく。
「いいねぇ、嫌いじゃねぇぜ」
「エオウィン様!?」
「うるさいぞ、黙ってろ」
「は、はい……」
唐突に声を張り上げた女は、エオウィンにすごまれて黙り込んだ。
選別衆? じゃなさそうな雰囲気だな。
どちらかというと、エオウィンの仲間というか女というか。
べったりくっついてるぜ。
そんな女性が、深々とかぶったフードの奥から、イザベラを睨みつけてる。
見通す瞳で見たから分かったけど、イザベラには黙っておくとしよう。
まさか睨まれてるなんて考えてもいない様子の彼女は、少し考えてから口を開いた。
「それで? わざわざ私たちを呼びつけたのはどうして? まさか、再開の挨拶をするためだなんて言わないわよね?」
「当たり前だ。テメェらの仲良しごっこに付き合うつもりはねぇ。だが、使える物は全部使うのが、俺の流儀だからな。手を貸せ。じゃなければ、全力で邪魔するぜ」
「どうせそういう事だと思ったわよ。良いわ。邪魔されたら撃退するのが面倒そうだし。ここは一旦、共闘する方針で動いた方がいいわね」
彼女は続けた。
「ただし、嵐の中心で魔導遺跡を見つけられた場合、魔導書の捜索を最優先する。それが条件よ」
エオウィンは、数秒黙ったあと、楽しそうに笑った。
「いいだろう」
こうして、話はまとまった。
あいかわらず、イザベラは胆が据わってるぜ。
その夜、俺たちは一晩の休息を取ることになった。
ゆっくり休息を―――取れればいいんだけど。
嵐の中心に“何が待っているのか”を思うと、胸の奥がざわついて仕方ないぜ。
面白いと思ったらいいねとブックマークをお願いします。
更新の励みになります!




