第92話 まだ、終わってない
最初は、風の音に紛れた錯覚だと思った。
金属の荒野を削る嵐の唸り、その奥に混じった微かな震え。
『違う……これは……』
耳に意識を集中させた瞬間、はっきりと届いた。
それは、イザベラの声。
掠れて、震えて、泣きそうな声。
その一言を聞いた瞬間、俺の中で何かが弾けた。
だが――
俺よりも先に、反応した奴がいた。
「――っ!」
アレックスだ。
説明も、合図もなかった。
ただ、地面を踏み砕く音とともに、巨体が前に出る。
「どけぇぇぇぇぇっ!!」
風を切り裂き、刃の荒野を蹴散らしながら、一直線に敵陣へ突っ込んでいく。
『おい待て! 後先考えろ!』
叫んだが、もう遅い。
止まる気配は一切ない。
その背後で、シグが動いた。
彼女はアレックスの後を追いながらも、地形と影を選び、金属の柱や段差を使って身を隠す。
真正面から突っ込むアレックスとは、真逆の動き。
そんな彼女とはすでに、会話もできない距離まで来ちまってるぜ。
俺は歯を食いしばり、意識を切り替えた。
『援護に回る。行くぞ』
選別衆がこちらに気づき、慌てて陣形を整え始める。
その前に――
『堅氷壁』
地面から立ち上がる、分厚い氷の壁。
突撃してくる男たちを遮り、進路を強制的に分断する。
「氷だと!?」
『隆突槍』
次の瞬間、大地が唸り、氷壁の隙間から土の槍が突き上がる。
足を取られ、転倒する選別衆。
「くそっ、迎撃だ!」
『遅ぇよ』
俺たちは、そのまま一直線に突き進んだ。
そして―――目的地に到達する。
目に入った光景に、思考が一瞬止まる。
ダグが倒れていた。
九人の男に囲まれ、殴られ続けたのだろう。
顔は原形を留めておらず、腫れ上がり、血と唾液を吐きながら地面に転がっている。
『……クソが』
さらに視線をずらす。
クゥが、地面にうずくまり、何かを覆うように羽を広げていた。
大量の羽がむしり取られ、泣き声を上げながら、それでも離れようとしない。
「やだ……やだよ……」
そして――イザベラ。
男に押さえつけられ、服を掴まれ、今まさに引き剥がされようとしていた。
数秒もかからずに状況を把握した俺とアレックスは、ほぼ同時に動き出す。
「ぐぉっ!?」
アレックスが、ダグを囲んでいた男たちの中に突っ込んだ。
腕を振るう。
ただそれだけで、二人、三人と吹き飛ぶ。
「どけぇ!! 彼に触れるな!!」
怒りだけで動く暴力。
だが、それは確実に“守る”ための力だった。
『俺はこっちだ』
イザベラに襲いかかっていた男へ、意識を集中する。
『堅氷壁』
地面から突き出した氷壁が、男の足元をすくい上げ、そのまま空へと打ち上げた。
「うわぁぁぁっ!?」
金属の夜空に消える悲鳴。加減するのを忘れちまったぜ。
突然の乱入者。
選別衆の男たちは、完全に動揺していた。
「な、なんだこいつら!?」
「魚人!? しっかり飛ばしたはずだろ!」
『アレックス、今の内だ。まずはダグを回復するぞ!』
俺の指示を受け、アレックスがその場に屈んでダグに手を添える。
『リカバリー』
淡い光が、痛々しい彼の体を包む。
呼吸が整い、吐血が止まり、ダグの身体がわずかに動いた。
「……ル、ルース……?」
『喋るな。今は寝てろ』
咄嗟に返事したけど、聞こえてないはずだよな。
まぁ、傷がふさがって意識も戻ったみたいなら大丈夫だろう。
次は――
『クゥを……』
そう思った瞬間、違和感が走る。
背中。
クゥの背中にいるはずの存在が――いない。
『……ライラ?』
思考が追いつくより先に、声が響いた。
「ルース!!」
イザベラだ。
泣きながら、クゥの元へ駆け寄り、俺たちを見上げて叫ぶ。
「ライラが……切られたの!!」
『……は?』
胸の奥が、冷たく沈んだ。
受け入れる前に、選択しなきゃならない。
考える前に、動かなきゃならない。
『アレックス! クゥの元に!』
「分かった。ダグ殿。こちらへ」
痛みに顔をゆがめるダグを抱きかかえたアレックスは、そのままクゥの元へと向かう。
そして俺たちは理解したんだ。
クゥが、何を守っていたのかを。
「ライラ……」
『あいつら! 絶対に許さねぇ!』
「イザベラァ! ライラ、治せるよね?」
「オイラ……守れなかった」
地面に横たわる、小さな身体。
金属の地面の冷たさを、そのまま受け止めるように――ライラは動かない。
『……ライラ』
返事はない。
蔦も伸びず、葉も揺れない。
嫌な想像が頭をよぎるのを、力ずくで押し殺す。
『まだだ。まだ終わってない』
俺はアレックスに膝をついてもらい、彼女に添えた手から回復を施す。
『リカバリー』
淡い光が、ライラの身体を包み込む。
切り裂かれた根元、傷ついた表皮。
確かに、傷は塞がっていく。
……それでも。
『……動かない』
胸の奥が、じわりと冷える。
『くそ……』
次に思いついたのは、理屈じゃなかった。
ただ、確かめたかった。
『欠乏と結合』
意識が、アレックスの身体からライラの身体へと移動する。
人の身体とは違う、静かな感覚の奥へ。
――そこに、微かな“声”があった。
『……みず……』
掠れた、弱々しい感覚。
言葉というより、欲求そのもの。
『水か……!』
要求を理解した俺は、即座に意識を外に向けた。
『聞き澄ます耳!』
頭の中に、皆の気配が一気に流れ込む。
『聞いてくれ! ライラはまだ生きてる! 水が欲しいみたいだ!』
「水!?」
「ルース殿、しかしここは――」
「敵陣のど真ん中だよ!」
『分かってる! だから――』
言葉を続けようとした、その時だった。
「どけっ!!」
怒号とともに、金属が砕ける音。
視線を上げると、アレックスが拳一つで選別衆を吹き飛ばしていた。
だが、数が多い。
このままじゃ、時間が足りない。
『くそ……どうする……』
その瞬間。
「―――っ!」
金属の柱から、影が飛び出した。
「受け取れぇっ!!」
シグだ。
彼女は、大きな荷物を肩に担いだまま、全力で駆けてきていた。
背後には、追ってくる選別衆。
「我輩たちの荷物!」
そのまま、思い切り投げる。
「アレックス!!」
「おぉぉっ!!」
アレックスが片手で受け止める。
が、視界の端でシグが選別衆の男たちに取り押さえられていく。
『シグ……!』
「我輩に任せろ!」
次の瞬間、シグに迫っていた男たちが、まとめて殴り飛ばされた。
「お前たちの相手は我輩だ!!」
アレックスが、完全に壁になっている。
『今しかない』
俺は、ダグが荷物の中から引っ張り出した鍋に意識を集中する。
『ケトル』
鍋の中に、熱を帯びた湯が満ちる。
「氷柱突!」
魔導書を広げたイザベラが叫ぶと同時に空気中の水分が凍り、氷柱が生まれる。
それを砕き、湯に落とす。
『……よし』
程よい温度になった鍋を、慎重に引き寄せる。
『ライラ……』
小さな身体を、そっと鍋の中へ沈める。
葉が、わずかに揺れた。
『……反応した』
胸の奥に、ようやく空気が戻ってくる。
その背後で。
「しぶとい奴め!」
「囲め! 奴さえ仕留めれば、こっちのもんだ」
「まとめてかかって来い!!」
アレックスが吼え、拳を叩きつける。
直後、彼に飛び掛かった男たちが返り討ちにあい、地面に転がった。
「これ以上は無理だ! 引け!!」
選別衆が、ようやく距離を取り始めた。
俺はそんな様子を視界の端で確認しながら、もう一度ライラに声をかけてみる。
『……ライラ』
返事はないが、水を吸うように蔦がゆっくりと伸びる。
回復に専念してるのかもしれないな。
だとしたら、そっとしておいたほうが良いだろう。
『……よし』
まだ、完全じゃない。
でも、生きてる。
『絶対に、死なせない』
そう誓いながら、俺は再び顔を上げた。
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