第72話 最善の手
イザベラたちが飛んでいった。
目指している先は間違いなく、霧に覆われた山の頂上のようである。
そんな彼らを見送った吾輩たちは、すぐに動き出したのだ。
と言っても、実際に外に飛び出したのは吾輩とダグ殿だけだがな!
小柄な彼を背中に乗せて泳ぐことなど、吾輩にとっては簡単なこと。
むしろ、激しく揺れる中振り落とされずにしっかりとしがみついてる彼の方が凄いかもしれない。
「見えてきた! あれが言ってた森!?」
「そうだぞ! マングローブの森だ!」
「思ってたより、うねうねした木だね。でも、無いよりは全然いいかな!」
そう叫ぶや否や、ダグ殿はためらいなく木へ飛び移った。腰の小さなナイフを振るうと、分厚い幹が悲鳴を上げるように裂け、やがて根元から倒れ始める。
まさか――! あの小さな刃で、本当に木を切り倒すとは。
吾輩は自らの無知を思い知らされた。
「アレックスさん! これ、流されないように縛ってて欲しいな」
「それくらいなら、任せるのだぞ!」
次々に木を倒しながら、彼は汗を滲ませて戻ってくる。いつの間にか水位は膝まで上がっており、時間の猶予がないことを突きつけてきた。
「ごめん、ちょっと時間かかっちゃった。これくらいあれば、皆が乗れそうだよね?」
「きれいに並べることができれば、なんとかなると思うぞ」
「分かった。それじゃあ戻ろう。アレックスはそのままロープを引っ張って教会まで戻ってくれる?」
「ダグ殿はどうするつもりなのだ!? まさか……」
「戻ってる間の時間も無駄にできないからね。オイラはちゃんと船っぽくなるように仕上げをするよ」
そう言って彼は、倒木を縛り合わせ、余分な枝を削り落とし、窪みを刻んで他の木と組み合わせていく。
見様見真似の即席の船。それでも、その手際は驚くほど迷いがなかった。
「では! 参るぞ!」
「うん! できるだけ急いでね! 結構水が上がってきてるから!」
確かに、湖の水位は恐ろしいほどの速さで上昇している。
こんな中を子供たちに歩かせることを想像してしまい――ぞっとした。
違う。だからこそ船を作っているのだ。
これが吾輩たちにできる最善の手――そう信じていた。
……だが、その瞬間、脳裏にイザベラの声がよぎった。
『それならなおさら! 早くゲンブを倒さないとダメじゃない!』
本当にこれが最善だったのか?
もし、もっと早く討伐に踏み切っていれば……。
そうしたら、あんなことには。
思い出してしまう。あの悲劇を。
―――小さな墓が増えた、あの日のこと。
彼の名前は、バルグ。
わずか十歳で聖浄の布巾を手にした、有望な子だった。
希望の象徴だったはずの少年は、魚を捕えに湖へ入り、帰ってこなかった。
だがその希望が、吾輩たちの持っていた期待が、彼の命を奪ってしまったのかもしれない。
その日彼は一人湖に入って、魚を捕えようとしていたのだ。
生きるために、そして、他の子たちを生かすために。
だが、そのまま帰ってくることはなかった。
残されたのは、無惨に食い破られた亡骸。
その瞳から光が消えた瞬間、吾輩たちの胸にあった希望さえも闇に呑まれたのだ。
だからザハンはイザベラを止めた。
希望を背負った者を、また失うわけにはいかなかったから。
だというのに、なぜ。
「よぉし! これできっと大丈夫だね!」
背後でそう呟いたダグ殿は、即席のいかだにしがみつきながらも、はるか遠くに聳えている山を見上げている。
「待っててよね、皆。もう少しで行くから!」
なぜ、そう思えるのだ?
それだけ若く、小柄で、力も吾輩に及ばないような子供たちが。
どうして、ゲンブに立ち向かえるのだ?
聞きたい。ダグ殿の言葉を。
そして、否定したい。
ここで引き留めなければ、吾輩はさらに深く後悔することになる気がするのだ。
イザベラたちはもう、行ってしまったから。
せめて彼だけでも、吾輩が止めるべきなのでは。
それが、吾輩にできる最善の手ではないのだろうか。
そんなことを考えているうちに、吾輩たちは教会にたどり着いた。
子供たちは1階には降りれないから、2階の窓から船に乗せる。
そうして、全員が乗ったことを確認したところで、ダグ殿が口を開いたのだ。
「それじゃオイラ、ルースたちのとこまで行かなくちゃだから」
「本気で行くのか?」
「うん! 約束したしね。みんな待ってるはずだよ」
「……そうか。健闘を祈る」
「ありがと」
「ホントに行っちゃうの?」
今にも水に飛び込もうとする彼を引き留めたのは、ミルナだ。
泣きじゃくるアモリを抱いたまま、必死に彼を引き留めようとする。
そんな彼女の金髪を優しく撫でたダグは、肩を竦めながら告げる。
「ごめん。でも祈ってて。オイラ、また会えるように頑張るから」
彼がそう言った直後、すさまじい轟音が山から降り注いできた!
見上げると、西側の斜面から勢いよく濁流が噴き出している。
「ありゃ西の山上池が決壊したな。ここもじきに危険だぞ」
ザハンの言葉に、子供たちが声を詰まらせている。
急いで安全な場所を探して出発したほうがよさそうだぞ!
でも……。
それでも、ダグは山に向かおうとしている。
拳をぎゅっと握りしめ、山を見上げたまま大きな息を吐く彼。
覚悟を決めたのか?
そう思った吾輩の目に、彼の震える膝が映ったのだ。
それを見た瞬間、吾輩は吾輩の身体を抑えることができなくなった!
出来るわけがないだろう!?
ここで、恐怖を抱いているダグ殿を置き去りにすることなど!!
「ダグ殿!! やはり考え直すのだ! 今からでは間に合わない! 吾輩ならともかく、ダグ殿は泳げるのか!? 無理であろう!? 流れに逆らって泳いでいるうちに、濁流にのまれてしまうだけだ! そのようなこと、見過ごすわけにはいかないのだぞ!!」
「うわっ!? ちょっとアレックスさん! 落ち着いて! 落ち着いてってば!」
「す、すまない。取り乱してしまった。だがダグ殿。やはり山に向かうのは―――」
「そうだね、泳いでいくのはかなり難しそうだって、オイラも思ってたところだよ」
「では!?」
「でも、諦めるわけじゃないよ? だってこういう時、ルース達なら別の方法を考えるはずだからね」
なぜだ。なぜそこまで――。
「ダグ殿が行けば、ゲンブに勝てるというのか!?」
「それは、やってみないとわかんないよ」
「行けば死ぬかもしれないのだぞ!?」
「そうだね、その可能性も考えてるよ」
「ではなぜ!? なぜ頑なに戦いに赴こうとするのだ!?」
「それは……みんなが戦ってるからかな」
そういったダグは、吾輩の方を振り返りながら続けた。
「アレックスさんの気持ち、オイラもちょっとわかるよ。先を歩いてく人たちが見えなくなって、消えていっちゃって。そんなのって悲しくてつらいよね。そんなオイラを変えてくれたのがルース達なんだ。はじめは着いていくだけだった。でも、少しずつだけど見つけたんだ。自分で道を切り開くってこと。その方法をね」
「道を切り開く?」
「うん。オイラを引きずってでも連れてく人が居たり、そばを歩いて導いてくれる人が居たり。いろんな人と一緒に居た中で、気づいたんだ。オイラにできることが何なのか。それはきっと、一緒に道を切り開いていくことなんだろうなぁって。だってオイラ、一人でいたらきっと、死んでたもん」
そして彼は結ぶ。
「だから、皆と一緒に居るために、オイラは闘いにいくよ。前にも言ったけど、追いかけるのは慣れてるからね」
自信満々な表情でそう告げたダグは、直後、すこし恥ずかしそうに頭を搔きながら付け加えるのだ。
「だから、さ。申し訳ないんだけど。アレックス。オイラと一緒に山に登ってくれないかな? さっき言ってたよね? 『吾輩ならともかく』って。それってつまり、泳いで山頂まで行けるってことでしょ?」
吾輩が、ダグ殿と一緒に山頂に向かう?
そのようなこと、考えていなかったぞ。
だって、吾輩なんかが山に登ったところで、役に立つわけがないのだ。
いいや、違う。
吾輩が役に立つのかどうかなど、一度たりとも考えていなかった。
最善の手?
何が最善の手だ。
ダグは言った。
一人でいたら死んでいたと。
それはきっと、この船に乗っている子供達も同じで、山に向かったイザベラたちも同じことなのだ。
ここで、ダグを一人山に向かわせることが、最善なのだろうか?
吾輩にできることが、何かないだろうか?
「ザハン殿!!」
「はぁ……仕方ねぇなぁ。この子達のことは任せておけ。でもその代わり、分かってるな?」
「分からん。なんだ?」
「いいや、分からないとは言わせねぇぞ」
そう言って、ザハンは吾輩の胸を拳で小突く。
「生きて戻れよ」
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