第65話 神秘を一つ
南の大陸の灼熱も、東の大陸の湿気も乗り越えた。
だから北の大陸なんて寒いだけで、楽勝――そう考えてた俺は、甘かった。
寒さってやつは、ジワジワと身体を削ってくる。
吐く息は白く凍り、雪は体温を奪い、氷は血を冷やす。
気がつけば指先から感覚が消えて、顎はガクガク震えてた。
こんな時、クゥがいてくれたらなぁ。
アイツの羽毛は、マジであったけぇから。
……だけど、クゥはいない。昨日、山麓の湖を偵察に行ったきり帰ってこなかった。
夜になっても戻らず、俺たちは探すために無理して進んだ。
それが悪かったんだろう。イザベラが熱を出し、まともに動けなくなっちまった。
『荷物は後で取りに来よう。それよりも今は、イザベラを安全な場所まで運ぶのが先決だ!』
「そうだねっ!」
「……ふたりとも、ごめん、ね」
「大丈夫だよイザベラ! きっとすぐに小屋に着くから!」
そう言ってダグは肩に引っ掛けた紐を強く引く。
簡易小屋を解体して作った即席のソリを滑らせながら、前進してるんだ。
底面に氷柱を付けてあるおかげで、意外に滑りが良いんだぜ。
……そんなことは今はどうでもいいか。
幸い地形は平坦だが、速度は鈍る。つまり――狙われやすい。
『ダグ! 来るぞ!』
「分かった!」
雪原に響く遠吠え。白い狼の群れが周囲を取り囲んだ。
昨夜から嗅ぎつけていたらしい。俺とダグは交代で警戒してたが、イザベラの看病で眠りも浅い。突破口はなかった。
『ダグはイザベラを守ってくれ、俺が撃退する!』
「分かった! 氷柱突!」
ナイフと氷柱を手にして身構えたダグ。
構えてるところ悪いが、俺だけで対処しなくちゃだよな。
『堅氷壁! 3連続!』
後ろと左右に氷の壁を張る。
これで奴らは正面からしか襲ってこれないはずだぜ。
あとは、馬鹿正直に突っ込んでくるオオカミどもを迎え撃てばいい。
……と思ったが、様子がおかしい。
「ねぇルース、オオカミたちが逃げてくよ?」
『だな。まるで、何かを怖がってるように見えたぜ……』
氷壁を透かして見てた俺たちは、オオカミたちが視線を投げてた方に目を向けた。
パッと見た感じじゃ、特に何もいないんだけどなぁ……。
『なにもいないよな?』
「うん。そう見えるけど……あれ?」
『どうした!? なにか見えたか?』
「気のせいかな? いま、そこの岩が動いたような」
『岩が? そんなことあるワケ……』
ないだろ?
そう続けようとした俺は、思わず黙っちまったぜ。
なぜなら、見ちまったからだ。
ダグが指さした方にある岩が、モゾッと動いたところを。
半分以上が地面に埋まった岩――一見ただの岩だが、よく見ると――
こいつ、岩に擬態してやがる!
『気づいてなかったぜ。こういう時は見物する瞳だな!』
岩に擬態したそいつを、氷壁越しに透かして視た俺は正体を知ることになる。
『ポイズナス・クラブ。北方の地に生息している毒を持った肉食の大蟹。体内で生成される毒を泡にして放出し狩りを行う』
説明文を読んだ俺たちは沈黙した――そのとき、コポコポと音が聞こえる。
正面の氷壁の隙間から、紫色の大きな泡が流れ込んできた!
クソ!
攻められないようにって作った柱が、このままだと俺たちの棺桶になっちまうぜ!
『マズいな、とりあえず足元に氷壁を作って上に逃げるか!』
「それがよさそうだね。あの泡に触れるのはダメそうだし」
『堅氷壁!』
とはいえ、こんな高いところからどうやってイザベラを降ろすんだって話だよな。
なんにせよ、まずはあの蟹をなんとかしねぇとダメみたいだぜ。
「イザベラ、ちょっと待っててね」
「……ん」
『寝てるぜ。起こさないように、静かにやらねぇとな』
「難しいかもだね」
ダグの視線は眼下の蟹に注がれている。
やつは、俺たちに見つかったことを知ってか、岩の擬態を解き動き始めた。
堅そうな甲羅、大きな鋏、泡を吹き続ける毒――厄介だ。
どう攻略するか考えていたそのとき、視界の端に何かが近づいてくるのを感じた。
「あれ、なに?」
『いや、俺に聞かれても知らねぇよ』
「こっちに向かってきてるよね? 走ってる……のかな?」
『走ってる? いいや、そんな風には見えねぇけど。って言うか、姿が良く見えねぇし』
見えているのは、水をかき分けてる細長い棒だけ。
棒が走ってきてるワケ、無いよな?
あたらめて見通す瞳で観察しようとした俺たちは、唐突に水中から飛び出てきたソイツを、初めて目にしたんだ!
屈強な身体を鱗が覆い、四肢や背中にヒレ、長い尻尾のようなヒレ――
まるで巨大な魚に手足が生えたようだ。
まさか、新手の敵か!?
そう思い、身構えたところで、そいつは言ったんだ。
「フハハハハハハッ!! このようなところにいたのだなっ! もう大丈夫だぞ! 吾輩が助けに参ったのであ~る!」
『誰だ……ってか、なんだ、アイツ』
「わ、わかんないけど、敵じゃないみたいだね」
「慌てる必要はないぞ! すぐに吾輩が万事解決するからな!」
『おいおい、アイツ、生身で蟹に突っ込んでくつもりだぞ!?』
「待って! そのカニ、毒の泡を吐くんだよ!」
「フハハハッ! そのようなもの、吾輩には通用しないのだっ!!」
魚人の男は拳を振りかぶり、大蟹の懐に突入。
鈍い衝撃音とともに蟹はひっくり返った。
「これでもう大丈夫だぞ! おまけに今日は大漁だ! 歓迎の証に蟹の宴を開こうぞ!!」
『何者だよ、こいつ』
「つ、強いね。あの大きな蟹を、一発で倒しちゃった」
『だな。って言うか、蟹の宴って、あれを持ち帰るつもりなのか?』
腰に手を当て、得意げに笑い声をあげてる魚人。
そんな彼のおかげで、俺たちは難を逃れることができたわけだ。
氷壁の上から降りて、とりあえず礼を言おう。
「あ、ありがとう。えっと、オイラはダグ。彼女はイザベラ、そして―――」
「俺がルースだ。よろしくな。ところでアンタ」
「うおぉぉぉぉ!? な、なんだ!? 今、どこから現れたのだ!? わ、吾輩、そのようなもの、見たことがないぞぉ!?」
「いちいち大声出すなって。あとで詳しく説明してやるからよ」
「本当か!? フハハハハッ! これで吾輩も神秘を一つ知ることができるのだな! めでたいことであ~る!」
「なんだよ神秘って。それよりアンタ。もしかしてクゥと会ったのか?」
「吾輩、名をアレックスという。遅くなってしまったがよろしく頼む。クゥ殿は、吾輩たちの住む家で待っていてもらっているところだ!」
「やっぱり会ってたんだな」
胸の奥が軽くなる。とりあえず、クゥは無事らしい。
「なぁアレックス。とりあえず今はイザベラを安全なところに連れていきたいんだ。手伝ってくれねぇか?」
「ん? よく見ればその女子、呪いを受けているではないか! よし! 吾輩に任せろ!」
「は? 呪い?」
そんな大層な物じゃなくて、ただ寒さで熱を出したんだぜ。
そう言おうとした俺は、アレックスが穏やかに頷いているのを見て口を噤んだ。
そして、彼の行動を見守ることにする。
右手首の布切れを解き、イザベラの額に当てる。
左腕を胸に当て、祈るように目を閉じた。
「おぉ、神よ。子供達を苦しみから解放してくれたまえ」
次の瞬間、イザベラの顔色が明らかに変わった。
重さが消えたように身を起こし、驚いた声を上げる。
「あれ? 私……体の重さが取れて……」
「イザベラ!? 大丈夫!?」
「は? え? どうなってるんだよ」
「フハハハハッ! 気分はどうかね、お嬢さん!」
豪快に笑うアレックスを見て、イザベラは戸惑いながらも一言。
「気分は良くなったわ。で、あなた誰?」
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