第117話 導く責任
気がつくと、俺は白い霧の中に横たわっていた。
見慣れた景色だった。
どこまでも白くて、境目が曖昧で、静かすぎる場所。
「……また、ここか」
吐き捨てるようにそう言って、俺は起き上がろうとする。
その時だった。
「……あ?」
妙な違和感に気づいた。
視界の位置が高い。
手をつく感触も違う。
思わず自分の身体を見下ろした俺は、息を止めた。
小さな小人の身体じゃない。
痩せ細ってはいるが、見慣れた――いや、見慣れすぎた、本来の自分の身体。
魔王ルースとして生きていた頃の姿だ。
「……なるほどな」
ゆっくりと立ち上がる。
白い霧の中で、自分の手を開いたり閉じたりしてみる。
間違いない。
あの頃の俺だ。
そこで、俺は霧の向こうを睨みつけた。
「全部、アンタの目論見通りってわけか?」
問いかける。
姿の見えない何かに向かって。
すると、返ってきたのは穏やかな声だった。
「そうですね」
大地の女神キリン。
やっぱりお前か。
「ですが、私だけではありませんよ」
「……は?」
その言葉の直後だった。
背後に、人の気配を感じた。
反射的に振り返る。
そこにいたのは――五人。
兜の奥から鋭い眼光を向けてくる騎士。
蔑むような目でこちらを見下してくる魔術師。
憐れむような視線を向けてくる僧侶。
伏し目がちにこちらを窺ってくる盗賊。
そして、その全員の前に立つように、堂々と真正面から俺を見つめてくる勇者。
「……っ」
思わず、喉が鳴る。
見間違えるはずもない。
あの時、俺を討ちに来た連中だ。
その代表みたいに、一歩前へ進み出た勇者オラクスが口を開く。
「僕たちは女神キリン様の導きのもと、君を討伐することに命を捧げた」
その言葉に続くように、騎士ディルクが前へ出る。
「この手で葬りたかったが、それは難しいと一戦交えて悟ったぜ」
次に、魔術師サルヴァが鼻で笑うように言う。
「魔導遺跡と魔導書、そして我ら生贄を使った世界結界で貴様を弱体化する。うまくいく保証はなかったがな」
相変わらず、嫌味ったらしい目だ。
続く僧侶カルナは、小さく首を振ってから言った。
「確証がなくとも、私達にはこうする以外の術がなかったのです」
そして、最後に盗賊ネアが、目を伏せたまま小さく告げる。
「助けてあげられなくて、ごめん」
「……っ」
その言葉が刺さる。
心臓の奥。
まだ痛みが残っていた場所に、真っ直ぐ。
直後、オラクス以外の四人が、同時に腕を前へ突き出した。
何をするつもりだ、と問いかけるより先にキリンの声が響く。
「あなたの正体を、彼女たちも知ってしまいました」
彼女たちって、誰のことだ?
そう思った瞬間だった。胸の奥で、何かが軋んだ。
「……ぁ?」
直後、俺の胸元から光が一つ飛び出した。
真っ直ぐに、騎士ディルクの手元へと吸い込まれていく。
「な……」
「あなたの役目を、彼女たちも理解しました」
まただ。
だから、彼女たちって誰だよ。
そう思う前にもう一つ、光が飛び出す。
今度は魔術師サルヴァの手元へ。
その時、俺はようやく気づいた。
身体が、縮み始めている。
「おい、待て……!」
腕が細く。
視界が低く。
服が余る。
また、あの小さな姿へと戻っていく。
「あなたの罪を、彼女たちに背負わせますか?」
その言葉で、胸の奥にひびが入った。
いや、違う。
ひびなんてもんじゃない。
土台ごと、崩れていく。
三つ目の光が飛び出し、僧侶カルナの手元に収まった。
そしてキリンが告げる。
「ナビゲーターとして、最後の仕事です」
その声は、どこまでも穏やかだった。
「残り一体のソヴリンを打ち倒すため、あなたの願いを彼女たちに告げなさい」
ナビゲーター。
その言葉を聞いて、ようやく俺は理解する。
彼女たちって言うのは、イザベラたちのことなんだと。
――そうか。俺の正体、バレちまったんだな。
なんて言われるんだろうか?
俺のせいで、世界が滅んだようなものだからな。
きっと、怒られるに決まってる。
嫌われるのも当然だと思ってたほうが良いはずだ。
最後の光が胸元から飛び出し、盗賊ネアの手元に宿った。
その光を見て、俺は勝手に理解した。
もう、皆の心は俺から離れていったんだって。
誰も、俺の傍にいてくれる人はいないんだって。
そこで――俺の心は、折れた。
「……俺は」
ぽつりと、声が漏れる。
「俺を……殺してくれ」
言ってしまった。
いや、違う。
やっと、口にできたんだ。
その呟きと同時に、白い霧がゆっくりと晴れていく。
そして。
勇者オラクス以外の姿が、揺らいだ。
騎士ディルクが、クゥとライラの姿に。
魔術師サルヴァが、ダグの姿に。
盗賊ネアが、アレックスの姿に。
僧侶カルナが、イザベラの姿になる。
「……は」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
そういうことかよ。
こいつらが――今の、勇者たちの役目を継ぐ連中ってわけだ。
四人の姿を見ていると、不思議と心が静かだった。
ああ……こいつらになら。
殺されても、いいかもしれない。
そんな、諦めに似た笑みが浮かぶ。
すると。
「殺して欲しいって……それ、本気で言ってるの?」
ダグが、震える声で言った。
俺はそっちを見る。
「あぁ、本気だぜ、ダグ」
できるだけ軽く言ったつもりだった。
「俺の正体を、知ったんだろ? だったら、躊躇する必要はないはずだ」
けれどダグは、首を横に振った。
「オイラがルースを斬れるわけないじゃん」
手に握りしめた大願のナイフが、かすかに震えている。
躊躇してくれるのは嬉しかった。
けど、それすら俺が見たいものを勝手に見てるだけかもしれなかった。
ルースを殺せ。
そう言われて、ダグが迷わず動ける奴じゃないことくらい分かっていた。
そう考え、俺は視線をアレックスへ移した。
「アレックス。お前ならできるはずだ」
「ルース殿」
アレックスは困ったように目を細めた。
「我輩も、ダグ殿と同じだゾ」
そういうアレックスに、俺は思わず叫ぶ。
「俺のせいで! あの子たちが危険な目に合うかもしれないんだぞ!」
「その時は、我輩が全力で守るから心配はいらないゾ!」
「そういう話じゃ――!」
通じない。
こいつ、本気で言ってる。
話が通じないことに苛立ちながら、俺はクゥとライラを見る。
「俺のせいで、世界が滅んだんだぞ! 許せるのか!?」
クゥとライラは一度顔を見合わせてから、ほとんど同時に口を開いた。
「アタシはその時まだ生まれてなかったから、許せるかどうかなんて分かんないクェ」
『クゥの言う通りです。むしろ私もクゥも、ルース様から貰ったものの方が多いのですよ?』
「そうクェ! これからライラと一緒に、この目で世界を見て回りたいクェ!」
「……はぁ?」
何言ってんだ、こいつら。
呑気すぎるだろ。
呆れて言葉も出ない。
すると。
「分かってないのは、あんたの方よ」
イザベラが、まっすぐ俺を見ながら言った。
「私達は皆、それぞれ思い描いてる未来があるんだから」
「だからこそ!」
俺は叫ぶ。
「その未来を壊さないように、俺を殺すべきだろ!」
喉が痛い。
それでも止まらない。
「俺には……生きる価値なんかないんだから……!」
そう言った瞬間だった。
イザベラの顔が、露骨にムッとする。
そして、ツカツカとこっちへ歩いてきた。
「な――」
止める間もない。
小さくなった俺の身体を、イザベラがぐいっと掴み上げる。
「お、おい!」
抗議するより先に、彼女は俺の両頬を指で摘まんだ。
「いひゃっ……!」
容赦なく、ぐにっと。
涙目になりながら見上げる俺に、イザベラは怒鳴る。
「アンタが憧れた世界に、アンタがいなくてどうすんのよ!」
「……っ」
その言葉で、俺の頭の奥に焚火の光が灯った。
あの夜。
イザベラとダグと、三人で火を囲んでいた時間。
俺が夢みたいに語った、あこがれの世界のこと。
それを――イザベラは、覚えていた。
怒りと涙でぐちゃぐちゃの顔で、それでもまっすぐ俺を見ている。
「こんなところで放り出されたら、全員ドンゾコに逆戻りよ!」
摘まんだ指に、さらに力が入る。
「だからアンタには、最後まで導く責任があるの!」
「……ぅ」
視界が、滲む。
いつからかなんて分からない。
でも気づけば、涙がぼろぼろ零れていた。
俺は、イザベラを見上げる。
言い返したいはずなのに、何も出てこない。
気づけば。
俺たちは、四つの塔に囲まれた台座の傍に立っていた。
白い霧は消えている。
代わりに、眩しい朝日が差し込んでいた。
空は高くて、風は少し冷たくて。
世界が、ちゃんとそこにある。
イザベラの後ろでは、ダグが涙を拭いながら必死に笑おうとしていた。
クゥは羽を震わせながら、ぐずぐずと鼻を鳴らしている。
ライラは目元を押さえながらも、優しく微笑んでいた。
アレックスは大きな手で顔を覆って、それでも隠しきれない涙を流していた。
そして俺も。
ずっと止まっていた何かが、ようやくほどけたみたいに。
泣いていた。
朝日に照らされながら。
みっともなく、子どもみたいに。
ただ、泣いていた。
風が吹く。
涙で滲んだ視界の向こうで、四つの塔が静かにそびえ立っている。
その光景を見つめながら、俺はようやく思った。
……まだ、終わってない。
終わらせちゃいけないんだ。
俺一人の罪も。
俺一人の願いも。
俺一人の死にたさも。
全部抱えたままでも――皆となら、先へ進めるのかもしれない。
眩しすぎる朝だった。
その光が照らし出してるのは明るい未来か、それとも、薄汚い現実か。
どっちだとしても、俺は覚悟しなくちゃならないはずだ。
ここから先の道は、きっと今までより険しいはずだから。
ドンゾコから這い上がっていく、そんな泥臭い道。
それが分かってても、今の俺は気分が良いぜ。
だって、一緒に歩いてくれる仲間がいるからな。
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