第99話 そのための、火
気が付くと、私は白い霧の中に立っていた。
足元も、空も、境目が分からない。
冷たいわけじゃないのに、どこか現実感が薄い。
「……ここ、どこ?」
声を出した瞬間、自分が“一人じゃない”ことに気づいた。
霧の向こう。
すぐそばなのに、輪郭だけが曖昧な誰かがいる。
「……誰かいるの?」
少しだけ警戒しながら問いかけると、返事はすぐに返ってきた。
「いるよ。ちゃんと、ここに」
若い女の声だ。
軽くて、柔らかくて――どこか距離の近い声。
「驚いたカナ?」
「……ええ、少し」
姿は見えないのに、不思議と敵意は感じない。
それでも、私は距離を保つように言葉を選んだ。
「あなたは……誰?」
すると、霧の中の気配が、くすっと小さく笑った。
「名前? うーん……今は名乗らないでおくカナ」
「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「盗賊でいいよ。それが私にぴったりの名前だから」
「……盗賊?」
拍子抜けするような呼び名に、思わず眉をひそめる。
でも、言われてみればしっくりくる気もしたんだ。
だって、似たような3人を見てきたから。
「まさか、あなたも勇者一行の仲間だったの?」
「へぇ。私たちってそんなに有名になってたんだね。ちょっと気恥ずかしいカナ」
また、くすりと笑う気配。
それを聞いて、私は少しだけ肩の力を抜いた。
「……分かったわ、盗賊さん」
そう呼ぶと、彼女が満足そうに頷いた“気”がした。
「それで、イザベラさん。どうやってここに来たのカナ?」
「どうやって……?」
そういえば、何があったんだっけ?
おぼろげな記憶を辿った私は、自分の手を見下ろした。
――何かを、握っている。
はっきりとは見えないけれど、確かにそこに“欠片”がある感触。
そして思い出す。
嵐の中に浮かんでた欠片を、手に取ろうとしたんだっけ。
「なるほど。それじゃあ私はあなたを待ってたんだ」
盗賊さんの声が、静かに続く。
「その欠片はね、元々は魔導遺跡だったものなの」
「……これが、魔導遺跡?」
「そう。西の大陸にあった魔導遺跡」
胸が、少しだけ強く鳴った。
「じゃあ、遺跡は……」
「今はもう、ないよ」
盗賊さんは淡々と言った。
「西の大陸の魔導遺跡はね、空に浮かんでたの」
「空に……?」
「風の魔道具を使って、浮かせてたんだ。地上に置いたら、削られちゃうから」
なるほど、と頭の中で点が繋がる。
「でもね。狡猾なビャッコは、それに目を付けた」
「……まさか」
「そう。遺跡を浮かせるための風の魔道具を利用して、嵐を生み出したんだよ」
盗賊さんの声は淡々としている。
「そしてビャッコは自身の爪の欠片を嵐に混ぜたの」
「……だから、大地があんな……」
「金属の刃だらけになった。今の西の大陸の完成、ってわけカナ?」
私は、言葉を失った。
「じゃあ……魔導遺跡も、魔導書も……」
「失われたよ。全部」
はっきりと告げられた現実が、胸に重くのしかかる。
「……そんな」
力が抜けそうになる。
「魔導書がないなら……ソヴリンは、倒せない……」
それは、これまでの旅で何度も確かめてきた事実だ。
偶然や勢いだけで、ソヴリンには勝てない。
「終わり、なの……?」
私の呟きに、盗賊さんは少し間を置いた。
「……そうとも限らないんじゃないカナ?」
「え?」
「イザベラさんなら、できるかもしれないよ」
その言葉に、思わず顔を上げる。
「どうして、そう思うの?」
「魔導遺跡はね」
盗賊さんの声が、少しだけ真剣になる。
「いつか誰かを導けるように、私たちが作ったものなんだ」
「導く……?」
「その欠片に触れて、こうして私と話せてる時点で……イザベラさんは、持ってたんじゃないカナ?」
「……何を?」
問い返すと、盗賊さんは迷うことなく答えた。
「希望とか、願いとか。そんなもの」
胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じた。
―――願いが魔術となる。
それじゃあ、こうして盗賊さんと話ができているのも、私の願いが生み出した魔術ってことなのかな?
「……」
言葉を失った私に、盗賊さんは優しく続けた。
「簡単にできるとは言わないけどね。でも、今の時代にそれができるとしたら、あなただと私は思うよ」
「……魔導書を、私が?」
そう告げた途端、霧が少しずつ薄くなっていく。
別れが近いことを、直感的に理解した。
それは盗賊さんも同じだったのか、ゆっくりと気配が遠のいていく気がする。
「待って」
私は、慌てて声を上げる。
「最後に一つ、聞かせて」
盗賊さんの気配が、足を止めた。
「いつか誰かを導けるように魔導遺跡を作ったって言ってたけど……あなたは、どうしてそんなことをしようと思ったの?」
少しの沈黙。
それから、盗賊さんは静かに答えた。
「他の皆が、どんな思いだったかは知らないけど」
一呼吸。
「――償うため、カナ」
「償う……?」
「そう。私は、彼から沢山盗んじゃったから。その償い」
その声には、迷いがなかった。
「そのための、火」
霧が、光に溶けていく。
「じゃあね、イザベラさん」
盗賊さんの声が、遠ざかる。
「きっと、出来るよ。あなたなら」
――次の瞬間。
まぶしい光が、視界を満たした。
ゆっくりと、私は目を開ける。
そこにあったのは、夜明けの空。
日が昇り、世界が再び動き始めていた。
私は――まだ、生きている。
そして胸の奥には、確かに残っていた。
消えない、火のようなものが。
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