第97話 返せない者
――貸しは、必ず返さなければならない。
それが、西の大陸の掟だ。
誰かに助けられたなら、その分だけ返す。
返せない者は、先に切り捨てられる。
善意なんてものは存在しない。
あるのは貸し借りだけだ。
だから私は、ここにいる。
大陸の中心にある嵐。
誰も近づこうとしない場所へ、この連中と一緒に足を踏み入れている。
風は重く、鋭い。
何層にも重なった風の魔道具がなければ、立っていることすらできないだろう。
それでも、進めている。
進めてしまっている。
――それが、怖かった。
足取りが重いのは、嵐のせいじゃない。
この先の未来が、どうしても見えないからだ。
私は、この場所に来る理由を一つしか持っていない。
貸しを返すためだ。
アレックスに救われた命。
あのとき、風に吹き飛ばされ、刃の大地に叩きつけられる寸前だった私を、全身で庇った魚人。
あれは、貸しだ。
返さなければならない。
だが――
一緒に歩くうちに、私は気づき始めていた。
この連中は、自分の力で進めてしまう。
アレックスだけじゃなく、他の連中だってそうだ。
エオウィンに至っては、選別衆の頭領を打ち負かしたらしい。
猛烈な嵐も。
嵐に紛れる魔獣も。
聞くところによれば、各地にいたソヴリンでさえも。
すべて、越えてきた連中だ。
――じゃあ、私は?
役に立っているだろうか。
足を止めずに歩いているだけじゃないか。
知っていることを少し話しただけじゃないか。
貸しを返す隙が、見つからない。
返す前に、この旅が終わってしまったら――
私はどうなる?
そんな考えが頭をよぎった、その時だった。
嵐の中に、影が揺れた。
いや――影じゃない。
白い。
真っ白な毛並みを持つ、大きな獣。
「……ビャッコ」
喉が、かすれた。
大陸の中心。
嵐の核。
金属を司るソヴリン。
鋭い瞳が、こちらを射抜く。
その視線だけで、足がすくむ。
『出やがったな……!』
エオウィンが、即座に武器を構えた。
だが、その前に――
地面が、割れた。
金属の甲羅を持つ巨大なサソリが這い出して来る。
一匹、二匹……いや、もっとだ。
次から次へと姿を現す魔獣たち。
まるで、ビャッコ守るように立ちはだかる。
あっという間に私たちの数を越えたサソリの群れは、統制の取れた動きで私たちを包囲してしまう。
『くそっ……!』
迎撃に入るアレックス。
魔術を展開するイザベラ。
指示を飛ばすルース。
それでも――押されている。
敵の数が、多すぎる。
打ち付けられるサソリの毒針を、盾で防ぎながら。
私は思い知った。
――ああ。
この連中でも、命の危機に陥るんだ。
胸が、冷えた。
イザベラたちですら太刀打ちできないなら。
ビャッコには、敵わない。
そういう世界なんだ。
このまま、私たちはここで死ぬ。
そして、選別衆は今まで通り、嵐を回り続ける。
時を遡るように。
抗わず、削られながら。
それが、西の大陸で生きるための正解だ。
なのに。
『――下がらないで!』
イザベラが、叫んだ。
『まだ終わってないぞ!』
アレックスが、声を張り上げる。
『なにか手があるはずだぜ! 考えろ!』
頭の中に響く声は、ルースのそれだ。
『チッ……面白くなってきやがった』
エオウィンでさえ、舌打ちしながら前に出る。
誰も、諦めない。
逃げようとしない。
抗うことは、身を滅ぼす行為だ。
それを、この大陸で生きてきた私は知っている。
だからこそ――
この光景は、異様だった。
理解できない。
理解したくもない。
諦めないことは、ただ身を削るのと同じだ。
報われない抵抗だ。
そう思ってきた。
――その時。
『……捕まえました!』
頭の中に響いた声。
それは植物の少女、ライラのものだ。
彼女の身体から無数のツタが伸び、一匹のサソリを絡め取る。
どうやら甲羅の隙間に入り込み、関節を縛り上げてるらしい。
なぜそんなことを。と、半ば呆れに近いものを私が抱いた瞬間。
彼女はそれを操って見せたんだ。
巨大なサソリの身体を、まるで道具のように。
振り回し、叩きつけ、他の魔獣を粉砕する。
『さすがだぜライラ! よしアレックス、援護だ! エオウィンも手伝いやがれ!!』
『命令してんじゃねぇ!!』
ツタで制御されたサソリが、道を切り開く。
『今よ! 乗って!』
そう叫ぶのはイザベラだ。
彼女の指示を受け、皆が次々とサソリの背中に飛び乗っていく。
―――出遅れたのは、私だけだった。
いつだってそうだ。
私は、周囲の人間とうまく関わることができない。
ついていくことが、できない。
だからこそ、私は追放されたんだ。
貸しを返せない者は、真っ先に見捨てられる。
なぜなら、価値を示せないのと同義だからだ。
背中を突き飛ばされ手ひどい怪我を負った過去の光景が、脳裏に浮かんできた。
このまま、私は置いていかれるのだろう。
そう思った時。
誰かの手が、私の背中を押したんだ。
『シグさん! 急いで!』
ナイフを片手に私を押したのは、ダグという少年。
そのまま私は、引き上げようとするアレックスの手を掴んで、サソリの背に飛び乗った。
暴風を切り裂き、魔獣をなぎ倒しながら、サソリは走る。
嵐の中を――突き抜ける。
気づいた時には、私たちは嵐を脱出していた。
心臓が、うるさい。
呼吸が、乱れている。
生きている。
助かった。
――助けられた。
まただ。
また、貸しが増えた。
でも。
嵐の向こうで、必死に抗うあの背中を見て、私は思ってしまった。
この連中は、
貸しを返すために生きているんじゃない。
それでも前に進む。
削れても、抗う。
……そんな生き方が、あるのか。
西の大陸で育った私には、
それがどうしても――眩しく見えた。
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