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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界恋愛(短編)シリーズ

恋人に心臓を刺されまして

 私の胸に、一振りのナイフが付きたてられていた。


 ナイフは柄まで私の胸に食い込み、刃は完全に私の心臓を貫いている。


「なんで……」


 私の言葉は、喉の奥から込み上げてくる血によって妨げられた。


 カールの顔は悲しみで歪み、血塗られた手で顔を覆い、泣き崩れていった。


 私の意識は遠のき、暗闇に沈み込もうとしていた。





****


 私とカールは五歳の頃からの幼馴染だ。


 父親が隣接する領地の領主ということで、よく家族ぐるみで交流していた。


 カールのお兄さんは私を敬遠していたみたいだけど、カールは女の私ともよく遊んでくれた。


「ねぇカール、どうして私と仲良くしてくれるの?」


「んー、なんでかな。秘密!」


 照れて頬を染めるカールは、なんだか可愛らしかった。


 十歳のある日、私たちはいつものように森の中に入りこみ、二人きりの秘密の場所で暗号文を作って遊んでいた。


 アルファベットを絵文字に置き換える、とてもシンプルなものだ。


 だけど私たちだけに通じる会話として、私たちはそれを楽しんでいた。


「ねぇアリーナ、これ読んでみて」


 カールが地面に書いた暗号文、それを読み上げて私は顔が熱くなるのを自覚した。


「これ……本気なの?」


 そこに書かれていたのはプロポーズ。『結婚して欲しい』というシンプルな言葉。


 カールは私から視線を外し、恥ずかしそうに頷いた。


「もちろん、本気だよ。僕は次男だから、家は継げないけど。そんな僕でよければ、その……結婚、してくれないかな」


 私はカールの顔を見つめ、彼に抱き着いて応える。


「うん! いいよ! 私はカールのお嫁さんになる!」


 照れたカールは、私から顔をそらして頬を掻いていた。


 私はカールに抱き着いたまま、彼のぬくもりを感じ取っていた。





****


 私は十三歳になった。夜会デビューが許され、そろそろ婚約者を決める年齢だ。


 もちろん、私の婚約者なんて決まってる。そう思って過ごしていた。


 だけどある日の来客が、私の想いを打ち砕いた。


「私が……聖女?」


 聖教会からの使者は、真顔で頷いた。


 聖女――各国に一人、聖神様によって任命される。聖神様の言葉を信徒に伝え、民衆に救済を与えるのが聖女の役目だ。


 先代の聖女が亡くなり、その遺言で新しい聖女が選定された。それが私だという話だった。


 私は呆然としているお父様に振り向き、必死に告げる。


「ねぇお父様、なんとかなりませんか。

 私、聖女なんて務まりません!」


 お父様は苦い表情で応える。


「聖神様のお告げに逆らうことはできない。アリーナはもう、聖女として生きていくしかないんだ」


 私は愕然としながらその言葉を聞いていた。


 貴族子女にとって、父親の言葉は絶対。お父様がお決めになったなら、逆らう事は許されない。



 そのまま私は、お父様に言われるままに支度をして、聖教会の使者とともに聖教会本部へ移住することになった。





****


 あれから三年が経過した。


 私も今では一人前の聖女として働いている。


 子供の頃に友人だった貴族子女たちの婚姻話なんかも噂に聞くと、羨ましく感じてしまう。


 ……聖女に婚姻の自由はない。ただ聖神様に祈り、人々を癒すのが仕事だ。


 それも庶民を癒せるのは午前中のみ。午後は寄付金を多く収める貴族たちの下を巡り、彼らを癒していく。


 救える人間が少ないことに、毎日やきもきしていた。


 そりゃあ聖教会だって活動資金が必要なのはわかるけど。ここまでお金の亡者みたいなムーブをしなくてもいいんじゃない?


 聖神様へのお祈りで愚痴ったこともあるけれど、聖神様からのお答えは『人間の問題は人間が解決しなさい』というものだった。


 私たち聖女が癒しの奇跡を使えるのが最大限の譲歩、それ以上は私たちが話し合って解決しなきゃいけない。


 仕方がないので午後に空き時間を作って王国議会に参加しては、庶民を救う政策を訴えていった。


 そんな私は社交界で一つの派閥を作っていた。


 私に命を救われた人々が主な構成メンバーで、王国議会の一大勢力だ。


 せっかく作った私の同調者、私が直接癒していくより、政治の力で多くの人たちを救えないかと思って頑張って活動した。


 夜会にも参加し、派閥の人たちと庶民を救う政策について意見交換をしていく。


 その夜も話し合いをしている私の前に、一人の老年貴族が姿を見せた。


「――あなたは、アールバッハ伯爵じゃない」


 アールバッハ伯爵はニコリと笑い、私に会釈をした。


「お久しぶりですね、アリーナ様」


 高価な絹や毛皮を用いた重厚な貴族服、派手な装飾品類は相変わらず。


 権力と富を誇示するような彼は、老獪な貴族そのものといった風格だ。


 ……どうしてこんな人からカールが生まれたのかしら。


「カールは元気にしてるの?」


「ええ、息子は最近、ハインリヒ子爵令嬢との婚約を進めておりますよ」


 ――え?!


 慌てて夜会の会場を見渡し、カールの姿を探す。


 すぐに彼の明るい金髪が目についた。彼の傍には淡い水色の髪をした令嬢が微笑んで佇んでいる。


 彼女が……ハインリヒ子爵令嬢か。


 カールの笑顔は変わらず優しい。だけど気のせいでなければ、どこか心ここにあらずという感じだ。


 幼馴染ならではの直感だけど、カールの心はハインリヒ子爵令嬢にない。


 ……もしかして、まだ私へのプロポーズを覚えていてくれてるのかな。


 今でも私の大切な思い出、あの日のプロポーズ。あの頃は、二人は結ばれると信じていた。


 胸が切なくなって、苦しい胸を手で押さえた。


「おやおや、アリーナ様はどうなされたのかな?

 あなたは婚姻を許されぬ身。未練があろうと、息子は諦めてもらわなければ」


 ……アールバッハ伯爵には、全てお見通しね。


 私は恋心を振り払うようにため息をつき、アールバッハ伯爵に向き直る。


「そんなことを言いに来たのではないでしょう?

 なんのご用なのかしら」


 アールバッハ伯爵がニヤリと微笑んで私に応える。


「いえね、実は今度、議会に新しい政策を提出しようと思っているのですよ。

 あなたが望む庶民の負担を軽減する政策をね」


「どういうことかしら? 詳細を聞いても?」


 彼が大仰に頷いた。


「もちろんですとも。商人たちの市場税を減免し、商売を活発にします。

 これにより商品が安く庶民の手に入ることになる。この政策をアリーナ様にも後押ししてもらいたいのです」


 聖女の権威は王族に次ぐ。派閥も持っている私が賛同すれば、議会で政策が承認される可能性が高くなる。


 だから私にアプローチをしてきたってところだろうけど、私には政治の何たるかまではわからない。


「その政策、聞く限りでは庶民の暮らしを楽にしてくれるように思えるのだけれど、減った税金の穴埋めはどうするの?」


「そこは他で何とか補填しますよ。そちらは現在、検討中です。

 ですがアリーナ様が賛同して下されば、庶民の負担が減ることはお約束しましょう」


 うーん、それなら賛同してもいいのかなぁ。


 背後から別の男性の声が聞こえてくる。


「アリーナ様、騙されてはいけませんよ」


 振り向くと、そこにはヴェッティン侯爵が立っていた。


 まだ四十過ぎと若く痩身のヴェッティン侯爵は、どこかぎらついた眼差しでアールバッハ伯爵を睨み付けている。


「そこの男は商人ギルドと癒着しております。商人を優遇し、代わりに民衆への課税を増やして帳尻を合わせるつもりなのでしょう。

 そんな政策より、私の提唱する政策に賛同してもらえませんか。土地税を減免し、庶民が家を持ちやすくします。

 これにより家を持つ庶民の暮らしが格段に安定しますよ」


「……それで、埋め合わせはどうするの?」


 ヴェッティン侯爵がニヤリと微笑んだ。


「儲けている商人たちの通行税を増額し補填します。

 利益を上げている商人たちに多く税金を納めてもらう。当たり前の話でしょう?」


 なるほど、理にかなってる。


 アールバッハ伯爵が険しい顔でヴェッティン侯爵に食って掛かる。


「貴様の領地は我が国一番の特産品、香木の産地ではないか!

 通行税を増額しては、我が国の輸出産業に大ダメージとなる!」


「おやおや、利益率の高い商品を扱うのです。多少の増税くらいは飲む余裕があるはずですが?」


 私を放置し、アールバッハ伯爵とヴェッティン侯爵が口論を始めてしまった。


 彼らの話を聞いていると、商人を優遇したいアールバッハ伯爵と、民衆を優遇したいヴェッティン侯爵という図式に見える。


 だけどヴェッティン侯爵も、自領地の税収を上げるための政策を打ち立てているということらしい。


 ……どっちもどっちね。どちらの政策を後押ししても、民衆の暮らしが楽になるのか疑問だわ。



 その後も王国議会では、アールバッハ伯爵とヴェッティン侯爵は度々争論を交わしていた。


 結局、自分に利益を誘導していることに変わりはない。


 それでもより庶民の暮らしがよくなるよう、私は派閥の貴族議員たちと一緒に政策の妥協点を探っていった。



 議会が終わり、夕食を済ますと私は私室のベッドに倒れ込んだ。


 疲れた……毎日の癒しの務めがあるから毎日参加できる訳じゃないし、彼らの仲裁をし続けることもできない。


 ヒートアップを続けるアールバッハ伯爵とヴェッティン侯爵は、このままでは内乱まで起こしそうな勢いだ。


 彼らの派閥もそれぞれ大きな勢力を持っている。対抗できるのは、私の派閥くらい。


 だけど私にはこの政争の落としどころがわからなかった。


 ……こんな時、カールが傍に居てくれたら相談に乗ってくれたのに。


 私は栓のない想いを胸に、入浴までのわずかな時間で眠ることにした。





****


 ある日参加した夜会で、ばったりカールと出会った。


 彼はハインリヒ子爵令嬢を連れ、夜会に参加しているようだ。


 私は精一杯の微笑みで告げる。


「お久しぶりねカール。元気にしてらした?」


 カールは弱々しい微笑みで私に応える。


「アリーナ……様こそ、お元気そうで」


「ふふ……そう見える? 毎日忙しくて、目が回りそうよ。

 それより、そちらの令嬢と婚約するというのは本当?」


 私が視線を投げかけると、ハインリヒ子爵令嬢が私にカーテシーで応える。


「ハインリヒ子爵が娘、サンドラです。お初にお目にかかります」


 私はニコリと微笑んで応える。


「アリーナ・リンドナー、今は聖女よ。

 カールは素敵な男性なの。逃さないようにね」


 どこか複雑な表情のサンドラが、ニコリと微笑み返した。


「ええ、そうですね」


 ……あれ? これってサンドラも婚約に乗り気じゃないのかな?


 確かに伯爵家の次男だし、カールはあまり騎士として優れたタイプでもない。


 身を立てて出世するには、不安があるかもしれないけれど。


「カール、少しサンドラを借りるわね」


 私はカールから離れ、サンドラを連れて壁際の人が少ない場所へ歩いて行った。





****


「ねぇサンドラ、カールのどこに不満があるのかしら」


 私の質問が意外だったのか、サンドラは目を見開いて驚いていた。


「……なぜ、そうお思いになるのですか?」


「だって、あなたの心がカールにあるようには思えないわ。

 婚約に乗り気じゃないのでしょう? それは何故?」


 うつむいたサンドラが、ぽつりとつぶやく。


「優しい人だとは思います。誠実だとも。

 ですが、彼の心は私にはありません。

 昔から心に決めた女性が居るのではないでしょうか。

 アリーナ様は幼馴染なのでしょう? 心当たりはありませんか」


 私が思わず言い淀んでいると、サンドラは私の目を見上げ、小さく息をついた。


「そうですか。あなたがカール様が心に決めた方なのですね」


「……でも私は聖女、婚姻が許されない身分よ。

 カールも早く、私なんて諦めてしまえばいいのに」


 サンドラがフッと寂しそうに笑った。


「そうやって割り切ろうと、努力しているのは感じます。

 ですがどうやっても、彼の愛はあなたにあるのです。

 ……このまま彼と婚姻しても、幸福な家庭を築く自信がありません」


 それだけ言うと、サンドラは会釈して私の前から去ってしまった。


 あいつ、不器用な所があるしなぁ。恋心を忘れられない私が言っても説得力がないけど。


 このままじゃ、カールも不幸な婚姻生活を送ることになっちゃう。


 あっちもこっちも問題だらけ。人生はなんてままならないんだろう。


 カールの方を見ると、慌てて私から視線を外しているようだった。


 遠くにいる私を、目で追いかけていたのか。先が思いやられるなぁ。



 その日は派閥の意見交換も打ち切り、私は早めに聖教会に戻っていった。





****


 カールは父親と一緒に夜会から帰宅すると、すぐに部屋にこもった。


 ――今日もサンドラを悲しませてしまった。


 アリーナを忘れようと努力し、サンドラを愛するよう日々努力していた。


 だがその全てが空回りで、サンドラには心中を察せられて、努力すればするほど彼女の心が離れていくように感じていた。


 アリーナの柔らかい栗色の髪、優しく青い瞳は、いつもカールの心を締め付けた。


 抱きしめたい衝動に耐え、話しかけたい気持ちを抑え込み、サンドラと言葉を交わす――そんな心の内を、サンドラは見抜いているのだ。


 こんな時、どうしたらいいのか。悩んだカールは父親に相談するため、私室を出てアールバッハ伯爵の書斎に向かった。



 書斎の扉は珍しく閉まっていた。人払いがされている?


 不審に思ったカールは、そっと扉に耳を付けて中の様子を窺った。


「ハハハ! 今の議会の趨勢すうせいなら、我らの政策を押しきれるだろう!

 鬱陶しいヴェッティン侯爵めがどれほど抗おうと、押し切ってくれる!」


「さすがアールバッハ伯爵ですな。

 この調子で資金を増やし兵を増強すれば、王家打倒も間近でしょう」


「ククク……脆弱な現王家では、この国を守り抜く事などできん。

 私がこの国を導き、民を救って見せよう!」


 ……これは、王位を簒奪するという父上の宣言だろうか。


 カールはそっと気配を殺し、ゆっくりと書斎の前から離れ、私室に戻っていった。



 ベッドに倒れ込んだカールは、これからどうするかを悩んだ。


 父親が王位簒奪を企んでいる事実――決して無視することはできない。


 だがカール一人では、父親を止めることはできない。


 誰か協力者が、それも強い力を持った人物の協力が必要だ。


 ヴェッティン侯爵――彼では駄目だ。この事実をすぐにおおやけにして、アールバッハ伯爵一家が断罪されるだろう。


 なるだけ穏便にアールバッハ伯爵を止めなければならない。そんな発言力を持った人物――アリーナ。


 聖女であるアリーナの言葉なら、アールバッハ伯爵も聞いてくれるかもしれない。


 逆らえば聖女の権威と派閥によってアールバッハ伯爵は破滅の道が待っている。


 最悪、カール自身の命も危うくなるが、アールバッハ伯爵が説得に応じてくれるなら大事にならずに済む。


 ……試してみるか。


 カールは便せんを用意し、アリーナに向けた手紙をしたため始めた。





****


 聖教会で午前の務めを終えた私に、神官の一人が手紙を渡してきた。


「アリーナ様宛の手紙が来ております」


 私は手紙を受け取って裏返してみる――差出人の名がない。


「これはどうしたの?」


「はい、聖教会の前に置かれているのを、朝発見しました。

 中身も確認しましたが、意味の分からない絵の羅列が書いてあるだけです」


 ――絵の羅列?!


 私は慌てて封筒を開け、中の便せんを取り出した。


 そこに記されていたのは、とても懐かしい、私とカールだけが知る暗号文。


「……今日の午後は、貴族たちを治療して巡るんでしたね」


「ええ、五件ほど予定が入っております」


「それが終わったら、私は行くところがあります。

 帰りは遅くなりますので、夕食は外で取ってきますわ」


 神官が恭しく頭を下げ、去っていった。


 私は手紙を大切に懐に入れると、昼食を食べるために食堂に向かった。





****


 夜遅く、町はずれの教会前に馬車を止めてもらった。


 御者と護衛を馬車に残し、私は人気のない教会に入っていく。


 中には一人の青年の姿――カール。


 カールはこちらにすぐに気づいて、振り向いて微笑んだ。


「来てくれると思っていたよ」


 私は手紙を懐から取り出し、カールに見せながら尋ねる。


「これは何? 『話したいことがある』って、どういうこと?

 なぜこんな場所と時間を指定したの?」


 カールは寂し気な微笑みを浮かべながら応える。


「まぁ、そこに座って欲しい。ゆっくりと話すから」


 私は戸惑いながらカールの傍の長椅子に腰かけ、彼の話に耳を傾けた。





「……そう、アールバッハ伯爵が王位簒奪を」


 カールが暗い表情で頷いた。


「そうなんだ。なんとかして父上を止めたい。協力してくれないか」


 私は立ち上がり、カールの肩に手を置いて告げる。


「もちろんよ。このまま放置はできないし、大事にしてしまったら伯爵家が処断されてしまうわ。

 あなたをみすみす殺させはしない。絶対にね」


 カールは眉をひそめ、私を見つめて告げる。


「こんなこと、君に頼むのは筋違いだとわかっている。

 だけど他に頼れる者が居なかったんだ」


 私はニコリと微笑んで応える。


「水臭いわよ? 私たち、幼馴染でしょ?

 立場は変わっても、それだけは変わらないわ。

 あなたは私にとって大切な人なの。今もね」


「アリーナ……ありがとう。

 もし父上が説得に応じなければ、迷わず陛下に報告を上げて欲しい。

 王位簒奪なんていう不名誉を、我が家が行う訳にはいかない」


「そんな! それじゃあカールも一緒に処刑されてしまうのよ?!」


 カールは寂し気に笑った。


「構わないさ。

 私は君の居ない人生にも、意味を見い出せないままだ。

 それなら王家への忠誠を守って死ぬ方を選ぶ。

 せめて誇りある貴族として死んでいくよ」


「サンドラはどうするの? 婚約するんじゃないの?」


「私が望んだ婚約じゃない。父上が話を取り付けてきたんだ。

 彼女の父親は父上の派閥、有力な商人だからね」


 カールが望んだわけじゃない?


「じゃあ、あなたは独身を貫くつもりだったとでもいうの?」


 彼の優しい目が私を見つめた。


「君が独身を貫かなければならないなら、私だってそうするだけだ。

 私にとって、妻は君しかありえない」


 私は胸が熱くなって、思わず彼に告げる。


「私たち、元の関係には戻れないの?」


 カールが私から視線を外し、寂しそうにつぶやく。


「それは……それだけは無理だろ、聖女様。

 私はただの伯爵家次男で、君は聖女。それは変えられない」


 ――なによそれ?!


「もう、カール! しっかりして!

 そこまで思ってくれるなら、今を変えようと思わないの?!

 私は変えるわ! 聖女が婚姻できないなんて、ただの聖教会が決めた規律でしかないの!

 そんな不条理な規律、私が変えてみせる!」


 私の力強い言葉に、カールは面食らったようだ。


 しばらくして、クスクスと笑いながらカールが応える。


「アリーナ……君は相変わらずだな」


「当然よ! 聖女になろうと、私は私なんだから!」


 私もクスクスと笑いだし、ひとしきり笑い合うと、立ち上がったカールが私に手を伸ばした。


「じゃあ――行こうか。父上の所へ」


 私は頷いてカールの手を取り、馬車へ向かった。





****


 アールバッハ伯爵邸の応接間で、私はカールと一緒にアールバッハ伯爵に向き合っていた。


 私が鋭い言葉で告げる。


「話はすべて聞きました。あなたが王位簒奪を企てていると。

 証人がここに居る以上、私が陛下に報告をすれば、あなたの周辺が調査され物証も上がってくるでしょう。

 今ならまだ間に合います。伯爵が王位簒奪を断念してくれるなら、この一件は私の胸にしまっておく事もできます。

 ――どうしますか、アールバッハ伯爵」


 アールバッハ伯爵は私たちを睨み付けて応える。


「だが今の脆弱な王家では、この国を周辺国家から守る事などできん!

 強い王家が必要なのだ! この国を率い、兵をまとめ、民を導く王が!

 それは陛下では為せないことだと、なぜわからん!」


 私はゆっくりと首を横に振った。


「いいえ、あなたは民を顧みることが出来ない人。

 あなたでは民衆を幸福に導く事などできません。

 それに私たち聖教会が目を光らせ、簡単には戦争にならないように牽制しています。

 今の王家が頼りなくても、私たちが支え切って見せます」


 私とアールバッハ伯爵の睨み合いが続いた。


 お互いが一歩も譲らぬ気迫をぶつけ合う。


 だけど全く引かない私を見たアールバッハ伯爵が、ついに目を伏せ、小さく息をついた。


「……ふぅ。わかった、あなたの言う通りにしよう。アリーナ様」


 私はアールバッハ伯爵を睨み続けながら告げる。


「その言葉、一旦信じるわ。

 だけどあなたのことは見張らせてもらいます。

 また不穏な気配があれば、今度は警告抜きで陛下に報告を上げるわ。

 努々(ゆめゆめ)忘れる事の無いようにしなさい」


 アールバッハ伯爵が目を上げ、私を見て力なく笑った。


「わかっているとも――それより、少しカールと二人きりで話をさせてくれないか。

 それほど長くはかからない」


 私は頷いて応える。


「じゃあ部屋の外で待ってます。話が終わったら教えて頂戴」


 私はソファから立ち上がると、応接間の外に向かって歩きだした。





****


 アリーナが応接間の扉を閉めると、アールバッハ伯爵が深いため息をついた。


「まさか、こんなことになるとはな」


「父上……あなたこそどうかしていたのです。

 王家を支え、臣下として国を支える。それでよいではないですか」


「そうだな……カール、これを受け取ってくれないか」


 アールバッハ伯爵が、懐から短剣を取り出して机の上に置いた。


 それはアールバッハ伯爵家の家督を証明する品、家宝の短剣だ。


 カールは慌てて短剣を押し返し、アールバッハ伯爵に告げる。


「何のつもりですか! 家督は兄上が継ぐはずです!」


「もちろんそのつもりだ」


 アールバッハ伯爵と目が合ったカールの動きが突然止まった。


 自力で身体を動かせなくなったカールが、焦った声で告げる。


「これは……なにを、なさったのですか」


 アールバッハ伯爵が、フンと鼻を鳴らしながら応える。


「アリーナには通用しなかったが、相手の意志を奪い、短時間だけ人形のように操る魔法だ。

 お前には修得するだけの魔力がないから、教えてこなかったがな」


 カールの手が短剣を握りしめ、懐に潜ませていく。


「父上、これで私に、何をさせるつもりですか!」


 アールバッハ伯爵の目が冷たく光った。


「アリーナが油断したら、心臓を貫け。その刃でな。しくじるなよ」


 ソファから立ち上がったアールバッハ伯爵が、応接間から退出していく。


 それっきりカールの意識は遠のいて行き、闇に沈んだ。





****


 応接間から出てきたアールバッハ伯爵が、私に弱々しい笑顔で告げる。


「話は終わった。あとは二人で積もる話でもするがいい」


「ええ、そうさせてもらうわ」


 私は伯爵と入れ違いに応接間に入り、カールの横に座る。


 カールはうなだれたまま、私に反応する様子がない。


「どうしたの? お父さんと何を話していたの?」


「……父上が、私に家督を譲ると言いだした」


「え?! じゃあ、お兄さんはどうす――」


 さくり、と私の胸から音がした。


 私の胸には、一振りのナイフが付きたてられていた。


 ナイフは柄まで私の胸に食い込み、刃は完全に私の心臓を貫いている。


「なんで……」


 私の言葉は、喉の奥から込み上げてくる血によって妨げられた。


 カールの顔は悲しみで歪み、血塗られた手で顔を覆い、泣き崩れていった。


 私の意識は遠のき、暗闇に沈み込もうとしていた。


 静かに応接間に入ってきたアールバッハ伯爵が、カールに告げる。


「ご苦労カール。これであとはお前が死ねば、問題は無くなる。

 そのナイフでお前も胸を突いて死ね。

 アリーナと同じナイフで死ねるんだ、本望だろう?」


 カールの手が、私の胸からナイフを抜き取った。


 ゴフッと私の口から血がこぼれ落ちて行き、胸からも血が溢れていく。


 薄れゆく意識の中で、私は必死にカールに手を伸ばした――駄目、そんなこと、させない!


 カールの両手がナイフの柄を掴み、勢いよく突き立て――彼の胸を刺し貫く寸前、その刃が砕けていた。


「――な?! なにが起こった?!」


 混乱するアールバッハ伯爵に、私はゆっくりと立ち上がりながら応える。


「せ、聖女を、舐めないで欲しいわね……」


 私は癒しの奇跡を自分に施しながら、なんとか足を踏ん張った。


 アールバッハ伯爵は、驚愕して私を見つめていた。


「馬鹿な……あの状態で奇跡を祈れるわけがない!」


「祈れたんだから、しょうがないでしょう! こんなもの、気合と根性よ!

 ――カール! アールバッハ伯爵を捉えなさい!」


 ハッとしたカールが、伯爵の腕を取り床に組み伏せていく。


「くっ、離せカール! 離さんか!」


「黙れ! 私にアリーナを殺させる男を、もう親とは思わん!」


 カールの拳が、何度も伯爵の顔面を襲った。


 ついには意識を失った伯爵が脱力し、それを確認した私は一息ついた。


「――ふぅ、 カール、早く縄で縛ってしまいなさい。伯爵を陛下に突き出すわよ」


 カールが手早くロープを部屋の外から持ってきて、伯爵を縛り上げていく。


「これで、私もアリーナとお別れだな。短い間だったが、昔を思い出せて嬉しかった」


 私は呆れてカールに告げる。


「何を馬鹿なことを言ってるの? あなたは王位簒奪を未然に防いだ功労者。

 私の権限を全て使って、あなたの命だけは守って見せるわ」


 私は伯爵を抱えたカールを連れ、応接間を後にした。





****


 アールバッハ伯爵は、王位簒奪の罪で裁かれ、極刑が決まった。


 関わった貴族たちも順次、処刑されるらしい。


 私が必死に訴えた結果、カールの命は助けてもらえることになったけど、伯爵家は取りつぶしになってしまった。


 カールが自嘲するようにつぶやく。


「私はもう平民、いよいよアリーナと一緒に居られなくなってしまったな」


 私は小さく息をついて告げる。


「何を言ってるのよ。平民だって、聖教会の聖騎士には成れるのよ?

 元貴族なら、審査は優遇してもらえるはず。

 何より私が推薦すれば、間違いなく採用してもらえるわ」


「アリーナ……それは職権乱用じゃないのか?」


 私は拳を握り締めてカールに告げる。


「私の幸せのためなら、この程度の乱用は聖神様もお見逃し下さるわ!

 ――それより、これから忙しくなるわよ?

 各国の聖女と連携して、聖教会の規律を改革するわ!

 聖女でも婚姻できる世の中にしていくのよ!」


 カールが困ったように笑いながら応える。


「まさか、あの話を本気で進めるつもりなのか?」


「当たり前でしょ?! 有言実行! 言ったからにはやりきるわよ!」





 それから私は数年かけて、聖教会の改革に取り組んだ。


 やはり婚姻できない事を不満に思う聖女は多いらしく、多数の聖女たちが改革に賛同してくれた。


 拝金主義のような聖教会の取り決めもついでに廃止し、庶民の癒しにかけられる時間も増やしていった。


 私とカールが二十歳を超える頃、ようやく『聖女の婚姻を認める』という規律が聖教会に制定された。



 教会の壇上で、ウェディングドレスをまとった私がカールに告げる。


「ふぅ。ここまで長かったわね。待たせてしまったかしら? 私の聖騎士さん」


 カールが柔らかく微笑んで応える。


「いいや? 君と一緒に居られたこの数年間、とても充実していたよ。

 これからも充実した人生を、私に約束してくれるかい?」


 私たちは唇を近づけながら応える。


「もちろんよ、私の愛しい人――」


 私たちの唇が重なり、来場客の祝福の声が響き渡った。


 婚姻する聖女第一号として、記念すべき日だ。


 これからも、聖教会の腐敗とは戦っていく日々になるだろう。


 だけど! カールが傍に居てくれるなら、私は何だってできる気がする!



 カールに抱きかかえられながらバージンロードを通り抜け、私たちは馬車に乗りこんだ。


 短い日程だけど、新婚旅行がこれから始まる。


 そして二人で歩む、長い人生の旅路が、これからも続いて行くんだ。


 晴れた夏の日差しが私たちを祝福するように、馬車を照らし出していた。


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