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名前のない人生劇

【短編】王太子を張り倒した令嬢はオババになる。

作者: ヘチマチ

【シリーズ第二弾】

設定ゆるゆる、ご容赦ください。

最近、繰り返し同じ夢を見る。

小さい子供が私の胸の中で叫ぶ。


「ママ、ママぁ!」


ああ、この子だけは助けて。

どうか、どうか、どうか…!


-----



バシッ!!バシッ!!

室内に渇いた音が響いた。


「な、何をっ!」

頬を押さえ狼狽る王太子。


「ひ、ひどいわ!」

王太子の横にいた聖女も頬を押さえる。


まさか王太子の婚約者候補がこんな暴挙に出るとは思っていなかった側近の男は慌てて令嬢を取り押さえる。燃えるような赤髪の令嬢は側近の男を鋭い目つきで見た。


「あら、あなたも張り倒されたいのかしら?」


-----



別室に閉じ込められた令嬢の前には宰相補佐が座って頭を抱えている。


「派手にやられましたねぇ」


それは令嬢へ向けた言葉か、はたまた王太子と聖女へ向けた言葉か。


——-


王太子の婚約者候補として各地から選ばれた彼女たちは常に比べられ、あらゆることに対して優秀であることが求められた。容姿、作法、教養。

彼女たちはライバルでありながら切磋琢磨しあう仲間として強く正しく美しくあり続けた。

これからどのような形であれ国を支える女性としての矜持を持つ同志であった。

中でも燃えるような赤髪を持つ令嬢は婚約者候補たちのまとめ役であり頼られる存在だった。


ある日、彼女を含む婚約者候補の面々が王太子によって用件も伝えられずに王宮の一室に集められた。


「婚約者をお決めになるのかしら」


「婚約者の選定は王妃様がされるはず。今日は交流会ではなくて?」


訝しむ彼女たちの前に現れたのは王太子本人と、癖毛の側近の男、また王太子との距離が近いのではと噂になっている聖女だった。

嫌な予感がしたが婚約者候補たちは、さっと淑女の仮面を被り微笑をうかべた。

王太子は婚約者候補を見渡し告げる。


「私は真実の愛に目覚めた。紹介しよう。

彼女こそが私の最愛であり唯一国母となる人だ」


-----


王太子の許しを得てから赤髪の令嬢が問うた。


「そちらのお方を唯一と仰るということは“私たちは婚約者候補から外れる”という認識で間違いありませんでしょうか」


王太子は聖女に向けて微笑みかけ顔をこちらに向けることもなく答えた。


「そのとおり。しかし彼女は貴族になってから日が浅い。君たちで彼女を支えてほしい」


各地から選ばれた婚約者候補たちは、これまで長い時間をかけて切磋琢磨してきた。

それは正式な婚約者となり国母となるため。

妃に選ばれなくとも同志の中から輩出される未来の正妃、側妃を支え、この国を支えていくためである。

お互いの事情が各方面からのプレッシャーがある中で、この国のために足の引っ張り合いではなく高め合おうと協力し努力してきた。

言い方は悪いが、最近貴族になった聖なる力があるだけの目の前の女を支えるためでは決してない。

婚約者候補たちの心が急速に冷めていく。


遠方から婚約者候補に選ばれたがために家族友人と離れ王都で生活している者。

その高い学力を活かし就きたかった職業を諦め婚約者候補として邁進してきた者。

候補に選ばれなかったら違う時間を過ごせたのではないか、いつも他の候補と比べ続けた日々は何だったのか、同志の中ならと自分の気持ちと折り合いをつけていたのに。


「お断りしますわ」


そう言って王太子と聖女の前に進み出て彼らの頬を引っ叩いた赤髪の女は、おとなしく、そして振り返ることもなく癖毛の側近の男に連れて行かれた。

癖毛の側近の男は細身長身であるが国軍上層部の子息である。鍛えているのであろう、掴まれた腕が痛かった。


----


その日の夜、掴まれていた腕を見ると赤くなっていた。

王太子と聖女を張り倒したことで何かしらの処罰を受けるだろう。沙汰が出るまで自宅謹慎が許されたことから、こうして自宅にいる。

腕の痛みと人を張り倒した手のひらの感覚、暗雲たる気持ちとは裏腹に、“やってやった”という妙な高揚感が体を巡り、なかなか寝付けないでいた。


夢との境界線を行き来していると最近よく見るあの夢を見た。



-----


ガタガタガタガタ!!!


大きく揺れる。側にある四角いものから大きな警告音が鳴る。慌てて子どもに覆い被さる。次の瞬間、大きな音とともに何かが落ちてきた。痛い。


この子にあたっていないか。

子どもの体を素早く確認したいが驚いた子どもはワーッと泣いてしがみついてきて確認できない。


「ママ、ママぁ!」


「大丈夫!ママはここにいる!痛いところはない?」


子どもが落ち着いてから少し身を離す。

背中に何やら重いものが覆い被さっている。

あまり動けない。そしてものすごく痛い。

だけどこの子を守るために倒れ込んではいけない。


しばらくすると、おい!大丈夫か!と、隣のおじさんの声が聞こえた。


おばさんの、私と子どもを呼ぶ声がする。


ここにいます!助けて!と力の限り叫んだ。


意識が遠のく。

ああ、この子だけは助けて。

どうか、どうか、どうか…!


-----


バッ!と起き上がると朝だった。

私は汗だくになって顔が涙でべちゃべちゃになっていた。

私の子どもは私の愛するあの子はどうなったのか、

心臓がバクバクと鳴った。

とても夢の出来事とは思えなかった。


-----


数日後、側近の男は癖毛を揺らして命じられるがままに宰相補佐の男とともに赤髪の令嬢の様子を見に来た。

あんな苛烈な炎のような令嬢は見たことがない。

自分を睨んだ凄みのある目つきを思い出す。

令嬢の自宅の応接間に通され待っていると彼女が入ってきた。


「ごきげんよう」


挨拶をする彼女はとても数日前に人を張り倒したようには思えない、さっぱりとした顔をしていた。

宰相補佐が今回の経緯と処遇について説明する。

彼女は背筋を伸ばし、じっとこちらを見て静かに聞いていた。

今回のことは王太子の独断であったこと。

王妃様は王太子に対してお怒りであるということ。

王太子の発言を取り下げたいことろではあるが、なんと聖女が王太子の子を既に身籠っていること。


赤髪の令嬢の処罰は王太子を張り倒したことで、それなりの罰があるはずであったが、婚約者候補の令嬢たち全員が赤髪の令嬢の罰の取り下げを嘆願したことから、お咎めなしとなった。

彼女たちは国中から集められた、将来、国を支える女性たちである。

優秀なだけではなく彼女たちの親はそれなりの権力者であることから彼女たちの嘆願を無視できなかったのだろう。

婚約者候補たちは王妃様からの許可を得て、今後、国を支える重要な役職に就く者、自領に帰るもの、ある程度の希望を聞いてもらえるらしい。


貴方はどうされたいかと聞かれた赤髪の令嬢はこう答えた。


「親のいない小さい子どもが、たくさんいるところはありませんか?私はそこで過ごしたいのです」



-----



宰相補佐は意外な希望に驚いたが、すぐに切り替えた。


「孤児院のことでしょうか。王都にもありますよ。

慰問に訪れてはいかがでしょう」


赤髪の令嬢は自らの今後について希望を詳細に語った。

曰く、王都から離れたいこと。

孤児院への慰問ではなく住み込んで働きたいこと。

これには宰相補佐も側近の男も驚いた。


「つまり…平民になりたいということですか?」


-----



まずは王都の孤児院で慰問という名の視察をして様子を見てからにしましょう、との宰相補佐の提案を受け令嬢は納得したようだった。

癖毛の側近の男は赤髪の令嬢が平民として孤児院で働くなど到底、現実的な話ではないと感じていた。

親戚の領にも孤児院があるが、なんせ孤児院がある付近は治安も悪く普段から世話をやかれる立場の令嬢がそんな場所で暮らしていけるわけがない。

そう、頭では分かっているのに、彼女の鋭い目、意思の強そうな目がずっと忘れられなかった。


-----


5年後、王太子の側近だった男は父と同じく国軍に所属しメキメキと頭角を現していた。

制服の胸元には多くのバッジがキラキラと輝く。

男の兄夫婦には既に男児が2人いる。

親からもうるさく言われない、次男である男は、婚約者も据えず仕事に邁進していた。

無骨な軍人の中では細身で身のこなしが優雅な癖毛の男は女性から大変人気があった。

あれから王太子と聖女は結婚し、あの時お腹の中にいた子どもは4歳になろうとしていた。

聖女は王太子の愛を一身に受け、一途な真実の愛を貫く王太子夫婦として評判も良かった。

王太子を支えたいという聖女の気持ちは本物のようだと婚約者候補であった女性たちの幾人かは自ら望んで聖女を支えていた。


癖毛の男は自身の隊を率いて親戚の領主のもとを訪れた。親戚の領は大きな河を境に他国と隣接している。近年、隣国から不法に入国した者が他国に奴隷として売り飛ばすために人を攫う事件が頻発していた。

今回、領主から国軍に対応を求める嘆願があったこと、そして国防に関わる問題であると判断されたことから癖毛の男の隊が派遣された。

奴隷商は隣国の貴族が関与しているとされており、下っ端であっても殺めず捕縛する必要がある。

隣国に変な言いがかりをつけさせないため、また証言を得るためである。

癖毛の男は領主に領内を案内してもらった。

事前に目を通しておいた被害状況報告書によると10代前半の子どもが被害にあうことが多いという。


あまり治安が良いとは言えないエリアに入った時、子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。

地面に丸が並べて書いてあり、そこを子どもたちが順番に飛んでいる。


「けん!けん!ぱっ!」


お母さん、見ててよ!という子どもに、

はいはい、と言いながら笑顔を見せる赤髪の女を確かに知っていた。


あの令嬢だった。

とはいえ長かった髪は短くなり、表情も格好も以前とは全く違っていた。令嬢というよりは町に住む1人の女という出立ちであった。

しかし癖毛の男は、あの目を忘れるはずがなかった。


太陽のような人だ、そう思った。



-----


癖毛の男が率いる隊は、日々、町人の格好をして、町人に紛れて、巡視していた。

ある日、彼女が住んでいる孤児院の付近で怪しい人物を見つけ、事情を聞こうとしたところ、

怪しい男は懐に持っていた短剣を振り回した。


癖毛の男はサッと身をかわしたが、頬にチリッと痛みが走った。

その隙に逃げようとした男を、待ち伏せしていた他の隊員が取り押さえた。


暴れる男を、隊員が2人がかりで連れて行ったのを見届けて、振り返ると、赤髪の女がこちらを見ていた。


「あら、知った顔ね」

女はニッと笑った。



-----



女に事情を説明している間、孤児院の子どもたちが癖毛の男を見て、


「あ、怪我してる!」と叫んだ。


血も垂れないような切り傷だったが、子どもたちが手当てしてあげる!と言い、中に引っ張り込まれた。


中は広く、低い棚と、高さの違う机と、子ども用の椅子がある以外は、あまり物がない部屋だった。

年齢がバラバラな数人の子どもたちが、どこからか木箱と水を持ってきた。


木箱の中には、布切れと紐がいくつも入っており、

布に水を染み込ませて頬の傷をトントンと拭いてくれた。

子どもたちの手慣れた様子に驚いていると、女が言った。


「この子たちは、怪我した人を手当てする係なのよ。この子たちは、それぞれの班毎に、役割を持っているの」


誇らしげに言う女は、優しい目をしていた。


-----


それから孤児院を訪れる度に、のびのびと、しかし、自分のことは自分でする、たくましい子どもたちに驚かされた。


そして、赤髪の女は、


「また来たの」

といいつつも、笑顔で迎えてくれた。


ここは、居心地が良かった。

ここには、名誉や、階級、身分、といったものはなく、子どもたちは、在るだけで、その存在を認められ、1人の人間として生きていた。


癖毛の男は、町人の格好をしてここにいると、何の肩書きもない自分自身の存在を認められているような気分になった。


これまでの、順当な人生の中では味わったことのない幸福感だった。


-----


ある明け方のこと。

奴隷商の手先と思われる輩たちが、孤児院を襲っていると報告を受けた。


軍服に着替えた男は、他の隊員を従えて、現場へ急いだ。


孤児院の外には町の人たちが集まっており、町の男たちは果敢にも武器を持つ輩を何人か取り押さえていた。


他の隊員に、町人が取り押さえている輩の身柄の確保を指示し、中に入ると、うずくまった赤髪の女を、数人の輩が蹴っている様が見えた。


すぐに輩たちを制圧し、孤児院の外へ連れ出す。


中には、うずくまったままの女と、奥の部屋に避難しているらしい、他の女と子どもたちの泣き声が聞こえてきた。


急いで女に駆け寄ると、女は1人の子どもを庇っていた。

覆い被さっていた女を起こすと、すぐさま奥の部屋から他の女と、少年たちが出てきて、赤髪の女に守られていた子どもを奥へ避難させていた。


蹴られていた女は顔も踏まれたのか、髪も顔も土で汚れており、唇を噛んで耐えたのか、

ふくよかな唇に血が滲んでいて、酷い有様だった。


すぐに救護をと、抱き抱えようとしたその時、男は、女の燃えるような鋭い眼光を目の当たりにした。


女は外に連れ出された輩に対して、凄まじい怒りを目に宿し、ボロボロの身体で、前のめりになりながら、全速力で外に走り出した。


女と対照的に、キッチリと軍服を着込んだ男が、慌てて外へ追いかけると、女は、他の隊員が取り押さえていた輩に馬乗りになり、短い赤髪を振り乱し、嗚咽を漏らしながら輩を殴っていた。


隊員は思わず女を止めたが、赤髪の女の、鬼気迫る様子に、たじろいでいた。


癖毛の男が強い力で女を輩から引き剥がした。


すぐに他の隊員が殴られていた輩を取り押さえ直す。

後ろから羽交締めにされ、暴れる彼女は、どう見てもボロボロで、どこにこんな力があるのか、不思議なくらいだった。


次の瞬間、癖毛の男の鳩尾目掛けて、赤髪の女が、思い切り肘鉄を喰らわした。

痛くはなかったが、思わず女を離すと、女は癖毛の男の胸ぐらを掴んできた。


「なんで私を止めるのよ!!!」



-----




「なんで私を止めるのよ!!!」

半ば絶叫した女は、振り乱した赤髪の間から、

あの、鋭い眼を光らせ、睨みあげた。


「あんたたちは一体、何を守っているの!?」

女は胸ぐらを掴む手を離し、男の軍服に並ぶバッジを叩いた。


「この勲章で!一体、何が守れるの!?

私の両手では、たった1人の子どもを守ることしかできないのに!

あなたたち軍は、その多くの体で、腕で、一体何を守っているというの!?

目の前の人を守れないのなら、あなたたちに、私を止める権利なんてないのよ!!!!!」


静まり返った周囲に、赤髪の女が咽び泣く声が響く。

朝日が昇ってきて、徐々に辺りを照らしていく。

癖毛の男は、体を震わせて咽び泣く、華奢で折れてしまいそうな赤髪の女を隠すように、包み込むように抱きしめた。


-----


事件後、隊員を孤児院に配置させ、手伝いをしながら様子を見た。

満身創痍だった赤髪の女は、癖毛の男に運ばれて、領主の館で治療を受けた。


今回の事件について、王都に報告をするため、急ぎ、領主と共に書類を作成し、今後の話し合いを行なった。


輩たちの処遇は、領主と王都の国軍本部に任せ、領には、今後、治安警備隊を設置することにした。


しばらくの間は、国軍から隊員を派遣し、治安警備隊の訓練をできるよう、本部へ提出する立案書も作成した。


ひと段落ついたのは、夜になってからで、癖毛の男は赤髪の女を見舞うことにした。


面会の許可を取り、部屋に入ると、赤髪の女は、適切な治療を受け、薄暗い部屋のベッドの上で横になりながらも、起きているようだった。

顔や腕に包帯が巻かれ、痛々しい様子だったが、

男を見ると、開口一番、謝罪の言葉を口にした。


「貴方に、貴方たちにあたってしまって、ごめんなさい。

貴方たちが悪いわけじゃないのに。

本当にごめんなさい」


癖毛の男はゆるく首を振った。

自身を含む隊員たちは、彼女の言葉に、絶叫に、ハッとさせられたはずだ。


一体、何を守ってきたのか。

一体、何を守るべきなのか。


孤児院に配置した隊員たちが、自主的に、わざわざ軍服を脱いだのは、彼女の言葉に、何か思うところがあったからだろう。


目の前の彼女は、輩に馬乗りになって殴り、さらには自分の胸ぐらを掴んで叫んだ女とは思えないほど、今にも消えそうな、部屋の暗がりに溶けてしまいそうな、雲に隠れつつある月のような雰囲気だった。


「手を取っても?」


思わず男がそう聞くと、しばしの沈黙の後、スッと布団の中から細い手が出てきた。


貴族の令嬢だったとは思えない、あかぎれでガサガサした、しかし、しなやかで、とても冷たい手だった。


男は温めるように女の手を包み込む。


「炎のような貴方、

太陽のような貴方、

月のような貴方、

貴方は一体、何者なのですか」



-----



女は、ぽつりぽつりと話をした。

違う人生を生きた記憶があること。

幼い子どもを残して逝ってしまったこと。

あの子が無事でいるか知りたいこと。

常に喪失感があること。


話し終えた女は疲れた顔をしており、


「貴方の手、温かくて子どもみたいね。

大きくて、安心する。もう少し、握っていて…」


と言って、眠ってしまった。



「…貴方を守りたい」

男の呟きは暗い部屋に溶けていった。


-----



あれから2年が経った。

王宮では、王妃となった聖女に第二子懐妊の兆しが見えないことから、側妃を迎えようとしていた。


新たな王は始めこそ拒んでいたが、周りからのプレッシャーに耐え切れなくなった王妃が、側妃を迎えるよう進言したという。


第一王子は7歳になっており、癖毛の男の甥が、第一王子の側に付き、共に学んでいる。


出世街道を直走る癖毛の男は、25歳となり、そろそろ身をかためてはどうかと、各方面からお誘いを受けていた。


しかし、男はそれらを全て断っていた。


それよりも、地方の領の警備隊を強化し、治安を良くする仕事に精を出し、特に親戚の領を頻繁に訪れていた。


親戚の領主は、未婚の無骨な男であり、一部の令嬢たちは、癖毛で細身の見目麗しい男と、無骨で歳上の男との、あれやこれを噂しては、きゃあきゃあと盛り上がっていた。


実際に、癖毛の男は、領主の養子になろうとしているとの噂もあり、一部の令嬢たちは密かに興奮していた。


癖毛の男は、治安警備隊の確認を済ませると、軍服を脱いでから、必ず孤児院に寄って、赤髪の女を探した。


「また来たの」

という彼女に、癖毛の男は答える。


「太陽のような、貴方に会いに」


その後、癖毛の男は、子どもたちを代わる代わる抱っこして、挨拶をする。


治安警備隊ができてから、この数年で治安はだいぶ良くなり、子どもたちの心の傷も徐々に癒えてきたようだが、まだ夜が怖いと言う子どももいる。


癖毛の男は、子どもにせがまれて、子どもたちと一緒に泊まることもあった。


ある夜、子どもたちが寝てから、水を飲んで休憩する赤髪の女のところへ、癖毛の男がやってきた。

暖かい夜だったので、2人で外に出て腰掛けた。


「一度、王宮に来ないか。

王宮魔術師長を知っているだろう。

彼女の孫が鏡を使った魔術を得意としている。

…時に、異世界をうつすことができるそうだ」


男はそう言うと、女の顔を伺った。


赤髪の女は、目を丸くし、驚いた表情をしていた。

まるで、子どものような顔だった。


-----


久しぶりに王宮を訪れた女は、ドレスを着ていた。


これは、かつての婚約者候補だった同志が用意してくれたもので、王都にある彼女の家で身なりを整えた。


「ふふ、また貴方に会えて嬉しいわ。

短い髪は斬新ですけれど、素敵」


かつての同志は王妃の補佐をしており、王妃が精神的に弱り、王妃を癒すことができる、聖なる力を持つ人を探しているのだと言った。


聖なる力は、外傷よりも、精神状態に関与すると言われる。

王妃は、現王が昔、抱えていた、異母弟たちへの劣等感からくる精神不安を解消したことから、寵愛を得たという。


「貴方が当時の王太子たちを張り倒した時のこと、忘れられないわ。

本当に胸がすいたのよ」


しかし、聖なる力の持ち主は、たった1人とされており、例外があるとすれば、異世界から、聖なる力の持ち主を連れてくることらしい。


これから会う予定の王宮魔術師長が、その研究を進めるよう王命を受けているらしいが、進捗はよくないのだという。


「王宮魔術師長様は、表立っては仰らないけれど、

異世界からの召喚は、人道的ではないと考えていらっしゃるそうよ。」



-----


癖毛の男に連れられて、王宮魔術師長と会った。

隣にまだ10歳ほどの子どもが座っている。

彼女が、鏡を使った魔術を得意とする、魔術師長の孫だろうか。

だとしたら、想像していたよりも相当若い。


癖毛の男が、用件を事前に説明してくれていたらしい。

魔術師長は、孫娘を紹介してくれた。


「この子は、鏡を使った魔術であれば、私よりも技術がありますよ。

人の感情に疎いのが玉に瑕ですが」


孫娘は真っ直ぐに切りそろえた重たい前髪のせいで、目が合わないが、ボソボソと挨拶をした。


「貴方に関する、異世界の状況を鏡にうつすことは、私にならできます。

ただし、いくつかの条件があります。

ひとつ、鏡が見えるぎりぎりの暗さにすること。

ひとつ、周りに人がいないこと。

ひとつ、声は聞こえないこと。

ひとつ、あちらからは、基本的に見えないこと。

ただし、あちらもこちらを見たいと望んでいる場合には、あちらからも認識できることがあります。

それから、うつし出される時間は、短いです」


こくこくと頷くことしかできない赤髪の女は、暗い部屋に設置されている鏡台の前に、1人、腰掛けた。


しばらく、鏡に写る自分を眺めた。


これから起こることへの期待と不安を抱えた自分が、真顔でこちらを見つめていた。


自分の顔がぼやっとしたと思ったら、自分よりも少し年上の女性が、赤ん坊を抱いている姿が浮かび上がってきた。


ガタッと立って前のめりになり、鏡を覗くと、鏡の中の女性は、ゆらゆらと動きながら、赤ん坊をあやしているようだった。


この女性は、この子は、あの子だ。


私が世界で一番愛した、我が子に違いない…!


生きていた…!

生きてくれていた…!

ああ!神様!!!


目から涙が溢れ、静かに流れた。

流れ続ける涙に、構う余裕もなく、瞬きも忘れて、鏡に写る親子を見続けた。


親子の影が薄くなって、消える瞬間、一瞬、赤子を抱く母親と目が合った気がした。


涙に濡れた自分がうつった鏡を、しばらく呆然と見続けた。



-----



ぼーっとして、心あらずの私を王宮から連れて帰ったのは、癖毛の男だったらしい。


王都にある、癖毛の男の家の客室で休ませてもらった。

現在、男は生家を離れて、1人で住んでいるらしい。

なかなかに立派な住まいだ。

少ないながらも、家を管理する者も雇っている。


軍の中でも、そこそこの役職に就いていることが伺い知れた。


大きめの、1人がけのソファに座る私に、温かい飲み物を持ってきた男は、私が座っているソファの肘掛けに腰を下ろした。


「ありがとう」

私は心からそう言った。


あの子は無事だった。

そして、母親になっていた。

決して叶わないと思っていた、あの子をひと目見たいという夢が叶っただけでなく、赤子、私の孫まで見られるなんて。


また涙が出そうになって、ふと気がついた。


「なぜ、王宮魔術士長様が、私なんかの願いを叶えてくださったの?」


王宮魔術師長のような人が、元貴族とはいえ、いち平民の願いを叶えるなんて、考えられないことだ。


癖毛の男は頭を掻くような仕草をした。

男が言うには、数年前に起きた他国の奴隷商による、国民の誘拐事件の解決に大きく貢献したこと、

また、各地の治安改善対策を評価されたことで、王宮から褒賞を与えられる機会を得たという。

そこで、男が望んだことが、王宮魔術師長への頼み事だった。


「どうして…」


どうして私のために。

そう言う前に、癖毛の男は私の前に跪き、私の手を取った。


「太陽のような貴方、どうか、貴方を守る権利を私にください」


-----


あれから、10年が経った。

孤児院では、今日も子どもたちの元気な声が響く。


「オババ、見ててね!」


オババと呼ばれた赤髪の女は、はいはい、と言いながら、子どもたちを優しい目で見守る。


オババというには、些か年齢が若いように思えるが、これは本人が言い出したことだ。


ある日、赤髪の女はこう言った。


「孫もできたことだし、私のことは、ばぁば、とお呼び」


いつしか、ばぁばが、オババで定着し、孤児院には、1人のオババと、数人のお母さんで、子どもたちを全力で愛した。


この10年の間に、新たに若く、傷ついた女性を迎え入れた。

この孤児院で、“お母さん”と呼ばれる女たちは、何かに傷つき、ここへやってきた者が多い。

彼女たちは、子どもたちの世話をし、奉仕しているように見えて、実のところ、助けられているのは、大人の方かもしれない。


母親としての役割をもらうことで、自らの存在意義を得ている。


そうやって、この孤児院では、愛し、愛され、身を寄せて、生きている。


そこへ、癖毛の男がやってくる。

オババは決まって言う。


「また来たの」


癖毛の男、前領主に養子入りして、家督を継いだ現領主は、決まって言う。


「太陽のような、貴方に会いに」


それから、2人は孤児院の外にある椅子にかけて話をする。


「昨年、王宮魔術師長が交代したらしい。

前魔術師長の孫娘が、異世界からの聖女召喚を成し遂げた、天才魔術師として、20歳の若さで魔術師長になったのだとか。


異世界からきた聖女は、王妃たっての望みで、第一王子の婚約者になったそうだ。

誰かさんが当時の王太子を張り倒した事件から、多くの婚約者候補を集めて教育する規則は廃止したそうだよ」


クスクスと笑う癖毛の男に、赤髪の女は答えた。


「あら、あなたも私に張り倒されたいのかしら?」


その頃、王宮では、第一王子が、異世界から召喚された聖女に対して、冤罪をかけ、婚約破棄を突きつける事件が勃発していた。


その後、第一王子は王位継承権を剥奪され、第一王子の側に仕えていた、癖毛の男の甥も、王子の暴挙を止められなかったとして、断罪された。


しかし、その後の調べで、全ては異世界から召喚された聖女が、聖なる力を悪用し、仕組んだことだと判明。

聖女は離宮に幽閉された。


加害者と思われていた第一王子は、被害者であったが、騒動を起こしたことは事実として、自ら王位継承権を返上し、臣下に下ることを希望した。


第一王子の側に仕えていた、癖毛の男の甥も、名誉の回復は望まず、叔父である癖毛の男の領の、治安警備隊に所属することになった。


初めて会った、癖毛の男の甥は、やたらとムキムキだった。


-----


数年後、元第一王子が二十歳を迎えた頃、異世界から召喚された聖女と、若き王宮魔術師長である女が忽然と姿を消すという事件が起きた。


聖女が幽閉されていた部屋に、たくさんの手記が残されていたが、異世界の文字のため、解読できないという。


それを聞いた癖毛の男は、もしかしたら彼女であれば解読できるのでは、と考え、赤髪の女を訪ねた。


-----



癖毛の男と、その甥と共に、王宮に招かれ、異世界から召喚した聖女の手記を読んだ赤髪の女は、溜息をついた。


「なんて可哀想なことを…」


久しぶりに会った国王と王妃は、あの日と変わらず、寄り添い合っていた。


あの日から、歳を重ねたのはお互い様だが、特に王妃は強い疲労が見て取れた。


第二子に恵まれず、周りのプレッシャーに傷つき、唯一の我が子は側妃の子の臣下に下り、心労が絶えないのであろう。


王妃を不憫に思う気持ちはある。

しかし、異世界から召喚された聖女の手記を読むに、

目の前の彼らに同情はできない。


「簡潔に申しますと、こちらの手記は、異世界から召喚された聖女様の日記でございます」


赤髪の女は、目の前の国王と王妃に語りかける。


「突然、本人の承諾もなく、この世界へ拉致されたことへの、恨み辛みから始まっています。

そのことを、どうやら魔術師長に詰め寄ったそうです。

天才と呼ばれた魔術師長は、そんな聖女の問いかけに、答えられなかったと。

全く正当性のない、ただの誘拐だと言って泣く彼女に、魔術師長は、そんなつもりはなかった、と言うしかできなかったようです」


「誘拐などと…」と顔を顰める国王に対して、

王妃は異世界からきた聖女の気持ちを知っていたのか、青い顔をしていた。


赤髪の女は続ける。


「しかし、途中から、魔術師長への評価が変わったようです。彼女は天才らしいが、人の感情を量ることが下手な、不器用な人だと。

聖女の思いを理解しようと、頑張る姿は可愛いと。


また、王妃様の治療について…

これは書いてあるままに申し上げますが、


“いや、これ普通に鬱でしょ。

聖なる力とかじゃなくて、一番必要なのは、心の休息でしょ。私いらんでしょ”


つまり、聖なる力に頼らずとも、王妃様を悩ませることから離れて、静養するのが回復への道だと、そう書かれています」


王妃は

「ここを離れて静養…」

と、思いつきもしなかった、名案を得たような顔をした。


そんな、王妃に向けて、赤髪の女は言う。


「王妃様が、息子である第一王子の婚約者に、聖女を選んだことについても書いてあります。

“普通に嫌なんだけど”と」


表情を無くした国王と王妃に、赤髪の女は笑ってしまいそうになった。

異世界にいる私の孫も、こんな話し方をするのかしら、と。


「聖女様は王子が嫌だというより、魔術師長様が好きだ、と、そういうことのようです。

そして、魔術師長様も、同じく、自分に感情を、愛を教えてくれた聖女のために、異世界へ帰る方法を探したと。


しかし、王子がある程度の年齢になったら結婚させられるかもしれない、と焦った聖女は、聖なる力を悪用し、王子と側近の男の精神に関与し、婚約破棄騒動を誘導した、と書かれています。


さらに、幽閉された聖女を常に気にかけ、共に生きたいと願ってくれた魔術師長と共に、異世界へ帰ると。

あちらでは、同性でも結婚できるから、と…」


聞き終わった国王と王妃は、しばらく唖然としていたが、国王よりも先に王妃がハッとした顔をして、国王に向かって言った。


「どうか、私に、ここを離れさせてください」



-----



孤児院に帰ってきた赤髪の女は、すぐに化粧を落とし、着替えて、本来の自分を取り戻した。


愛する子どもたちを抱っこして、くんくんとにおいをかぐ。

子どもたちの、汗ばんだ体温の高い体、あまいにおい、土のにおい。

すーっと心が洗われる。


1週間後、癖毛の男に呼ばれて、孤児院の母の1人である、小柄な女と一緒に、領館へ赴いた。


そこで、癖毛の男は、やたらとムキムキな甥を養子に迎えること、やたらとムキムキな男と、孤児院の母である、小柄な女が結婚して、領主を任せることを聞かされた。


ムキムキな甥と、孤児院の母であった小柄な女は、とても幸せそうで、こちらまで嬉しくなった。


2人が退出した後、癖毛の男は赤髪の女の前に跪く。


「太陽のような貴方、

どうか私と共に生きてください」



-----




「オババ〜!ジジ様〜!早くこっちきて!」


楽しそうな子どもたちの声に、赤髪の女と、癖毛の男が、はいはい、今行くよ、と返事をする。


癖毛の男は、手のひらを差し出し、

赤髪の女は、笑ってその手を取る。


2人は手を繋いで、子どもたちのもとへ向かった。




シリーズで、同じ世界観の話を書いています。


勝手に帰った聖女の話や、

癖毛な男のムキムキの話など。


良かったら是非!

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― 新着の感想 ―
[良い点] すごく好きなお話でした。 苛烈に行動・反論できるお姉様に憧れます。
[気になる点] 無駄な改行が多すぎて読みづらい! せめて間開けるにしても一行までにして!!
[良い点] 話としてはシンプルで描写も少ない気がしますが、それ以上に主人公の行動や周りから見た主人公の評価が苛烈で強烈で刺激的で面白かった
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