昔ある所に一瞬で沸騰しちゃう、おじじさまが居ました。ペン投げ瞬間湯沸かし会長のお話
肌寒な秋雨でちょっとくさくさするから、ガス抜き話を書きます。
ボールペン、投げつけられたことがあるのですよ。
だいぶ年季を経た大先輩、いい歳の、大人に。
数年前の出来事だ。
輪番制で2年役の地域役員に就いていて、その2年目が始まるときのこと。
その1-2年はめちゃめちゃ当たり年(~_~;)で、別の役も3つ、いや4つ?位、すでに掛け持ち状態にあった。
もう十分以上にアップアップしてたところに「今年からそうなることに決まったから」って突如、更に舞い込んできた、逃れようのない居住地域の役務。
それは運悪くというか、少し前にできたばかりの新しい組織で、トップ4役(会長1,副会長3)のうちの一人、副会長の椅子だった。
その初会合の席。
役員会合開催の知らせは、なんとビックリの二日前だった。新会長に当たる人から「あさって何時からだから」って、電話が一本。
おいおい!うそだろ?あさって?そんなのありか? 絶句。
初会合に、新年度の4役が行かない訳に行かないじゃん・・・。
他の会合とか、家の事とか、慌てて調整して何とか都合をつけ夜の留守を頼み、当日、出席した。
新年度の会長は、私の斜め前に座った。私の、ボスになる人だ。
60代後半位。ガタイがよくて通りの悪いダミ声の、武骨なおじじさまだった。
まるで要領を得ない議事の進め方にひたすら???の連続だったが、まあ、最初だし・・・んー、がまんがまん・・・。
じっと耐えて、1時間半くらいが経過。漸く終わりが見えてきて「なにか、質問とかありますか」って彼は言った。
自分、恐る恐る手を挙げた。
「他の地域役が今年、幾つか重なっていまして。出席の調整が必要な場合があるので、会合の開催連絡は出来たらもうちょっと早めに伝えて頂けると、ありがたいのですが…」
集まったみんな、同じに思ってる事だろうし、自分も腹に据えかねていたから。
でも、極力、穏やかに穏やかに、述べたつもりだった。
その次の瞬間。
突然、ぱしーっ!つって何かが目の前を飛んでいき、すたーん、と床に転がった。
えっ、なに?
振り返ってみると、落ちていたのはなんと!ボールペン、だった。
私に向かって、手に持っていたボールペンを思い切り投げつけてきたのだ。
おじじは真っ赤な怒りの形相でこちらを睨みつけていた。
何が起こったのか理解できず、一瞬 私は固まった。
「〇×▽◇!!!!」
「コっノヤロー!」っておじじは叫んでたと思う、その瞬間。
会の空気が凍りついた。
ああ、ボールペン投げやがったのか・・・。
慣れない大役。不得手な議事進行。資料の準備も全然間に合わない。みたいな状態で会の開催前からテンパってた所に、私のその一言が導火線に火、どころかライターの火花となって既にあやつの腹に充満してたガスに引火させてしまったらしい。
20人以上いる会合の場で、瞬間湯沸かし器みたいに沸騰して人にボールペン投げつける、ってか?
信じられない。いい歳した大人、若い人たちの手本になる年代。地域役員のトップをこれから、やろうって人が。そんなこと、出来るなんて。やっちゃうなんて。
まあね、こういうおじじ、確かにいるけどさ・・・。
似たような人、身近にも何人か、いる。でも基本平和主義なんで(笑)そういう輩には近づかない、出来る限り深く関わらないようにしてた。
冷静に冷静に。
ドキドキして、胸中は怒りと驚きと恐怖で爆発しそうだったけど、グッとこらえボールペン拾って、黙って返した。
凍った空気を溶かそうと、おじじの隣に座るもう一人の新・副会長が、助け舟を出してきた。
「そうですよね、色々準備とか間に合わなくってねー。
ほんと、すみませんでした。皆さん忙しい中を集まってもらうんだから、これから会合の計画も早めに立てて、周知してかないといけませんね。」
と、話を締めくくった。
一方私の頭の中は「いやはや、このおじじとこれから1年間付き合うの?サブでこの我が儘ジャイアンみたいな幼稚なボスを支えるの?まじか・・・。
もはや拷問じゃん。これは何のバツなの。いやこれはきっと、修行だ。神様が与えたもうた、試練だ。やるしかないのか・・・。」
ただただ絶望感で、一杯だった。
そう思いつつも、始まったばかりの新年度だ。この先を考えたらこのままじゃ余計にマズいことになる。止むを得ん。
会の終了後「先ほどは言葉が足りず申し訳ございませんでした」と私から彼に謝罪した。
先手必勝。私に非がなかったことは、あの場の全員が知っている。
でもこういう時は、先に謝った方が、勝ちだ。
おじじはメッチャばつが悪そうに、無言でその場をたち去っていった。
私は正直、勝ったな、と思った(笑)。
4役の残り二人の副会長がその後、玄関で駆け寄ってきた。おじじとは旧知の間柄で、幼馴染みでもある二人だった。
感情のコントロールが今もってうまく出来ない、おじじの我が儘短気で幼稚な性格を、良くも悪くもよく知っているらしかった。その二人が、慌てた様子で平謝りしてきた。
「ごめんなさいねー、ちょっと短気でねー、すぐカッとなっちゃうんだよね。根はそんなにはね、悪くないんだけどねー」
いや、わるいだろ。十分。
でもその常識あるお二人に免じて。作り笑顔で「はは。なんか勝手がわからないことだらけで。スミマセン。1年間、よろしくお願いします」と告げて、会場を後にした。
でも、あの親父は一生許さないな、って思いながら(笑)。
ああいう態度で生きて来れたことは、周りがそれを許してるんだな。
個人スーパーの商店主なだけあって、ずーっと、お山の上の大将で来ちゃったんだ。
やりたい放題、いいたい放題。自分の感情に任せ、怒りを周りにぶちまけてでも自分の意思を通そうとする。ある意味、幸せな人だ。でも周りからは、実は結構疎まれている。
多くの人は、めんどくさいから適当にあしらう。自分からは近寄って行かない。
本人は気付いていないか、気付いてても今更、どうも出来ないのだろう。
いい歳して、晩年はきっと寂しいだろうな。大層、可哀想な人かもなって正直、思ったりする。
その後の滅私奉公は、なんとその1年では終わらず。
組織図がまた変更され、相談役って形でその組織にもう2年、残らざるを得なくなり。
結局都合4年間、その組織から足を洗えず奉公は続いたのだった。
てなわけで、その間に積んだ修業は当初思った以上に厳しいのものとなった。
ただ、普通に生活してたら決してできなかっただろう経験が沢山できたことや、地域に根差した活動の中で知り合いも凄く増えた。
そんな中で沢山の人間ウォッチングも出来たのは確かに、大きな収穫ではあったな。
と、苦難の日々(笑)が終わった今は、ようやく思えるようになった。
この話をここで語ることにより、あの時不当に味わわされた衝撃と恐怖、絶望感を、成仏させてやりたいと思います(笑)。