65:絶望の令嬢と仕組まれた計画(リリアンヌ視点)
リリアンヌは息を切らし、でこぼこな坂道を走り続けていた。
魔法を解いて、無造作に広がった髪を振り乱し、万が一の事態が起こったときの集合場所へ。
「どうしましょう、失敗してしまった……あれほどロビンに頼まれたのに」
キギョンヌ男爵家はロビンを支持する貴族の一員で、ロビンの実家とは親しい仲だ。
だから、辺境スートレナにありながら、領主に反抗的な態度を示していた。
……彼の娘たちは今回の件を何も聞かされていないようだが。
男爵に大事に甘やかされた、無知な彼女たちが羨ましい。
今回の事件に関わったリリアンヌは知っている。この町の秘密を――
カッテーナの町には、魔獣が他とは比べものにならないほど出没する。
それには理由があった。
原因はキギョンヌ男爵と、ザザメ領主のアポー伯爵の密約だ。
仲介者はロビンの父であるレヴビシオン男爵。
二つの領地は魔獣の出る森に隣接しており、もともと被害は同等だった。
しかし、数年前にキギョンヌ男爵家がアポー伯爵の依頼を受けてからは、スートレナ側の被害が一段と大きくなった。
アポー伯爵は金と引き換えに、キギョンヌ男爵に魔獣関連の面倒ごとを押しつけたのだ。
それ以来、キギョンヌ男爵はザザメ領の魔獣を、スートレナ領側であるカッテーナの町へ意図的におびき寄せている。魔獣の好物である、ジャガイモをばらまいて。
だから、町は食糧不足でも、男爵の家や食料庫には大量の食材が常に置かれている。
味を占めた魔獣たちは毎晩スートレナ側の町中に出没した。
とはいえ、被害に遭うのは町の人たちで、男爵は頑丈な建物の中で贅沢な暮らしをしている。
そのおかげでザザメ領の被害はかなり少ない。
アポー伯爵から得た資金の一部は、紹介者であるロビンの実家にも流れた。
見返りは、ロビンが王配になったとき、キギョンヌ男爵家を優遇すること。
ズキズキとリリアンヌの胸が痛む。
「ロビンは王配、王女の婚約者。そんなのはわかっているわ」
どうあっても、彼が自分の手に入らないという現実など。
リリアンヌなんて、その他大勢の令嬢の一人だ。
自分に地位以外の価値がないのは、自分が一番知っている。今は地位すら取り上げられてしまった。
これ以上、失うものなんて何もない。
それでも、ロビンに嫌われたくないという気持ちに全身を支配される。
毒のようにしみこんだロビンの優しさが、彼の共感が……今まで誰にも顧みられることのなかったリリアンヌには嬉しかったのだ。
「捕まるわけにはいかない」
痛む足や苦しい肺を無視し、リリアンヌは集合地点まで全力で駆けた。
そうして、ようやく先に到着していたキギョンヌ男爵に合流する。同じく屋敷に招待されていた、協力者のアポー伯爵も立っていた。
今回の事件は自分たちの計画を邪魔する現領主、ナゼルバートを排除するために、伯爵と男爵が一緒に仕組んだことなのだ。
リリアンヌは実行犯。
ナゼルバートを貫いたあとは、逃走して味方に保護される予定だった。
そうして、名を変え、ロビンに助けてもらいながらひっそり生きる……そういう約束。
「遅いぞ、リリアンヌ。ようやく来たか」
「申し訳ございません。任務に失敗してしまいました」
息を途切れさせながら、リリアンヌは伯爵と男爵を見上げた。
二人の男性は、顔を見合わせながら頷く。
「あの、何か……?」
問いかけるリリアンヌに対し、二人は非情な言葉を告げた。
「大丈夫だ。失敗した際の行動も、きちんとロビン殿から指示されている」
「そうでしたか。それで、行動というのは?」
答えつつ、リリアンヌは伯爵と男爵から漂う違和感を察知した。
二人から自分を害するような……良くない気配が感じられる。
まるで、屋敷にいた両親や使用人たちのように、リリアンヌを軽んじ傷つけようとする気配が。
「ロビン殿は我々に話された。失敗した場合は、全ての罪をリリアンヌになすりつけて切り捨てろと」
伯爵の言葉に、男爵も大きく頷く。
リリアンヌは頭が真っ白になった。
「嘘よ、ロビンが、あの優しいロビンがそんなことを口にするはずがないわ!」
後ずさりながら反論するリリアンヌに、男爵が追い打ちをかける。
「まあ、成功してもあなたを殺人犯に仕立て上げ、始末しておけと言われたけどな」
ガンッ……と、リリアンヌの心に再び衝撃が走る。
「嘘! 信じませんわ!」
「それはお嬢様の勝手だが、我々もこのままナゼルバートに罪を暴かれるわけにはいかない」
「ですが、今回の事件を、令嬢一人の独断にするのは無理ではなくて?」
「そのあたりは、ロビン殿が上手くやってくれる。彼の後ろには王女殿下や王妃殿下がいるんだ、多少の問題はうやむやにできるだろう」
アポー伯爵はもちろん、キギョンヌ男爵も、『二人で領主歓迎の宴を開いただけだ』と訴え、リリアンヌとは無関係の人間を装うのだろう。
「ロビンが、そんな酷いことを指示するはずがありません!」
「可哀想に、現実を見ろよ。アンタは最初から使い捨ての駒なんだ。そして、ここで死んで魔獣の餌になり、事件の証拠は消える」
キギョンヌ男爵がそう言うと、二人の後ろから覆面の集団が現れた。
彼らが雇った、汚れ仕事を請け負う者たちだろう。
「……っ!」
リリアンヌは集団と反対方向に逃げる。
けれど、疲れた足はもつれ、ヒールが石に当たり体勢を崩した。
「きゃあっ」
地面に倒れたリリアンヌに迫る覆面たちは、無言で懐からナイフを取り出す。
もはやこれまでと、リリアンヌが目を閉じた瞬間……
森の木がバキバキと折れる音や、驚いた鴉の叫び、そして聞き知った声が響いた。
「リリアーーンヌウゥゥッ!!!!」