疑心暗鬼
怖い……。
怖い……。
うぅっ……。
みんなが……。
みんなが私の噂をしている。
みんなが私を傷つける……。
みんなが私を殺そうとしている。
みんなが――。
みんなが――。
疑心暗鬼
「うぅっ……」
駅のプラットホーム。
女が一人、小さなうめき声を上げ、蹲る。
「どうしたの? お嬢さん?」
老女が優しげに女に声をかけた。
「私を――」
「えっ?」
「私を殺さないでぇ!」
シュっ――ドバっ――
一瞬だけ、静まり返るホーム。
「殺してやる……殺られる前に殺してやる……」
ぼそぼそと発せられる女の声。
女の手には刃物。その傍らには倒れた老女。
その場に広がる不自然な赤を見て、人々は騒然となった。
「あんたらが悪いのよ。
あんたらが私をいじめるから。
あんたらが私を殺そうとするから」
血――血――血――
駅が逃げ惑う人々の悲鳴と怒号でいっぱいになる。
「あんたらがっ! あんたらがっ!」
死――死――死――
無常に散っていく赤い命たち。
「止まれ! 刃物を置いて伏せろ!」
駆けつけた警官数名が女に拳銃を突きつける。
「ほら、やっぱり」
女は薄ら笑いを浮かべながら、肉に付き立てた刃物を抜き放ち構えた。
「みんなが私を殺そうとしてる。
みんなが私を傷つける。
みんながわたしをいじめる」
広がる赤。
「みんなが……。みんなが……」
また一つ、命が地に落ちた。
「そうよ、みんなが悪い。
みんなが悪い。
みんな……みんな悪魔なのよ」
女は手を広げ、命の残骸に向かって言い放つ。
「私は悪くない。
私は悪くない。
私はただ、この悪魔たちを葬っただけ。
そうよ! この世界を汚している悪魔たちを粛清して、世界を浄化してるだけなんだわ」
「…………」
狂気がそこにあった。
「あはははははははは」
笑う狂気が。
「ほぅ、その人たちが悪魔ねぇ」
悪夢のような光景に凝然となる警官たちの間を、黒いスーツの男が割って入ってくる。
「ならさしずめ、てめぇは鬼ってとこか?」
「なんですっ――」
バン
自然な動作で懐から取り出された男の拳銃が火を噴く。
カラン
コンクリートの床に落ちる刃物。
「…………」
女は音もなく崩れ落ちた。
自身が奪った命の色――赤色に塗れて……。
「あんた、いったい……」
動揺しきり、声を震わせながら警官の一人が男に問う。
「通りすがりの正義の味方」
そうおどけながら男は警察手帳を提示した。
「警視庁公安特治課?」
警官は男の警察手帳に書かれた配属部署を口に出して読む。
聞いた事のない部署であった。
「射殺権限はあるから心配しなくていいよ」
「ちょっと、待ってください!」
立ち去ろうとする男を慌てて警官は引きとめる。
「そこの喫煙所で一服するだけだって」
男はそう言って、喫煙所のベンチに腰を下ろし煙草に火をつけた。
「ふ〜。おっ! もう桜が咲いてんじゃん」
ホームのフェンスの向こう側、近くの校庭に植えられた桜がちらほら花をつけているのを見つけ、男は嬉しそうに微笑む。
現場の整理をしていた警官の一人が、
「犯罪者とはいえ人一人射殺しておいて……」
笑みを浮かべ煙草を吸う男と血走った目を開けたまま絶命している女を交互に見て呟いた。
「あいつもこいつと変わらない化け物なんじゃ……」
ドクン
心臓の高鳴り。
「あいつは化け物だ……あいつは化け物だ……」
「えっ?」
突如、震えながらぼそぼそ呟き始めた警官。
同僚警官が心配そうに声をかける。
「どうした?」
「あんな化け物生かしちゃいけない!
あんな化け物生きてたら、警察のために――、
あんな化け物生きてたら、日本のために――、
あんな化け物生きてたら、人類のために――」
「おい!」
「ならぬぅぅぅぅぅぅっ!!」
警官は雄たけびを上げながら男に拳銃を向ける。
バン
「春かぁ。そういう季節なのかねぇ」
男は苦笑いを浮かべ青い空に向かって紫煙を吐き捨てた。