間章 始動
どことも知れない暗闇の中、幾人もの得体のしれぬ影が並び立っていた。それらは輪郭がぼんやりと歪み、どんな姿形なのかはっきりと判別できないが暗闇の中でもらんらんと光る眼光が各々が確固たる意志持つ存在であると主張している。
「魔弾のかく乱は成功しているようだな、死神も人間たちも奴の起こした騒動にかかりきりでどこの拠点も手薄だ」
その中の一人、帽子を被った刃物のように鋭い目つきの影が重々しい声で口を開く。
「それだけではありません、我が眼で見たところ我々が唆した騒ぎが世界各地で花開き表も裏もてんやわんやでございます」
人の姿どころか整った形すらなく流体のように変形を繰り返す影が無数の複眼を光らせ嗤った。
「だがみぃんなまだそれは化け物どもが覇権争いやらそれぞれの目的やらの為に勝手に始めたものだと思ってる。その間にヨーロッパでは双怪魔、アジアでは吸血鬼の領主殿、そして日本でオレたちが下準備を悠々と進められるってわけだ。ああ、やっと、やっとだ…… これも数千年かけて化け物どもの情報網に根付いたのとお前の扇動の賜物だなぁ蛇よ」
暗闇の中空に金色に輝く巨大な眼が浮かび上がり、凶暴な目つきに反し穏やかな声と口調でしみじみと語った。
「あら、あたしはただ皆の背中を少し押しただけよ? 今の騒ぎは全てあの子たちの内に元からあったもの。それに安心するのはまだ早いわ、陰謀が大変なのはここからだもの」
蛇と呼ばれた女性らしい影が艶やかな声でやんわりと金色眼を窘める。
「その通りだ、黒竜。彼らも馬鹿ではない、一度、二度本格的に動けば我らの存在は感づかれるだろう。大儀遂行のためにはこちらが優位に動けるうちに迅速に行動する必要がある。油断による失敗は許されん」
大きな編み笠を被った影がその下から猛禽のような厳しい目付きを覗かせながら念押しするように言った。
「ああそうだ、まだ浸るのは早かったな。悪いな皆、特に騎士殿お前は領主殿についていきたかっただろうに、年寄りの感慨に付き合わせちまって」
黒竜と呼ばれた金色眼は硬軟合わせた指摘を受け、バツが悪そうに眼を細める。
「気遣い感謝する、しかし無用である。貴公らに助力するが主君からの命故に、吾輩はそこに何の不満も抱きはしない」
名指しされた鎧を纏った影が陰鬱な声で黒竜の謝意に答えた。
「おうさ、始められる喜びはこの場にいる誰もが同じ、そなたは代弁したにすぎぬ。それに、年寄りというなら儂の方がずぅっと年寄りじゃよ、ほ、ほ、ほ、ほ、ほ」
感情を感じさせないまん丸の目玉をきろきろと動かしながら豪奢な服を纏った老人のように見える影が優しく笑った。のんびりした口調に反し、その声は遠雷のように轟き、辺りの空気を震わせる。
「話は終わったか? では早く征こう、貴様たちに恩を返すのも大事だが、俺には俺のやらねばならんことがある!」
その辺りで今まで黙っていた銀の眼をした影がしびれを切らしたように唸り声を上げて一同を急し始めた。その言葉に帽子を被った影もまた頷き、 高らかに宣言した。
「では始めよう、我らが宿願を果たす最後の旅路その第一歩を!」
紳士淑女珍道中2に続きます