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四章 古都炎上、屍喰いの火車

 その後、真九郎とカーミラは戦闘によって無残な有様とかした車内を見てこのまま目的地に着けば、必ず騒ぎになると確信し、人気のない場所で電車を止めて途中下車することにした。幸い運転手は既に「車内の騒ぎを感知せず、目的地まで運転し続ける」という暗示をかけられていたため、その上に真九郎が重ねて止めるように暗示を加えるだけで済んだ。真九郎は目的地に着けば騒ぎの渦中に置かれるだろう運転手に酷く申し訳なく思ったが、目的地で降りて説明するわけにもいかないのでどうしようもなかった。そして近場の人里に降りて宿をとり、そこで明日の方針を相談することにした。


「とりあえず、明日こそキョートにたどり着きましょう。そして屍の姫君の手がかりを探す、これでよろしいですね? では今日はもう休みましょう」

 カーミラはさっさと話をまとめて切り上げようとする。電車でのいざこざをまだ怒っているのかなんとなしにいつものしかめ面の上から更にとげとげしい雰囲気を発していた。

「……待て、貴様を狙うものについての対策を練らねばならんだろう? 今回はうまく窮地を切り抜けたが得体のしれない敵を相手にし続ければどうなるか分らんぞ」

 話を強引に終わらせようとするカーミラを真九郎が呼び止めた。こちらは言葉は冷静だが彼女に向ける視線にどことなく気まずさが含まれている。

「それに関しては決定的な情報こそ聞き出せませんでしたが、ある程度の予測がついています。そしてその予測が当たっていれば逃げる以外に生き延びる方法はありません」

「ほう、何者だ?」

「あの死神ですよ。子供の姿をしていますし、隠蔽にも気を遣っている。変に仕事熱心で知られる彼なら生き残りをわざわざ人を使ってでも殺すなんてやりそうなものです。そして刺客ではなく彼が直接来たならば二人がかりでも勝ち目はありません。だから早めにやることすませてこの国を出るのが得策です」

 真九郎の言葉にカーミラは心底忌々しそうな顔で答えた。死神はこの世の尋常と異常、どちらか片方が片方を侵食してしまわないように危険度の高い存在を殺して回る存在であり、速水正四郎はその一人である。彼らはそれぞれ一人ずつ各地を担当しており、単体で並みの化け物や術者が束になってかかっても相手にならないほどの戦闘能力を有している。しかし彼らは絶大な力を振るえる代わりに担当している地域から外には出られず、その地域から脱出できれば逃げ切ることは可能なのである。

「正四郎殿か……それはあり得ないでもないが幾分妙な点があるぞ。 何故四人いる吸血鬼のうち一人を対象から外したのか、そしてわざわざ人を雇わずとも本人やその付き人が出向けば今のように突破もされず、仕留められたはずだ」

 真九郎は顎に手を当て、カーミラが先ほど感じた疑問と同じことを並べる。

「それは私も考えましたがそれ以外を想定しても結局情報が足りなさ過ぎて対策の立てようがないんです。情報があるなら手に入れたいですが、ないなら警戒しながら動くしかありません。得体のしれない敵の相手なんていつものことですしね」

 うんざりした顔でカーミラは鼻を鳴らした。

「いつもの…… 先ほどのようなことがいつもか?」

 彼女の言葉に新九郎は少し驚いたように目を見開く。

「ええ、あなたのような正義漢、さっきのような雇われの殺し屋、名上げ目的の狩人まで。得体のしれない連中が、さまざまな目的で、化け物の私を殺しに来ます。あんなに弱った状態で襲われたのは流石に久しぶりですが、あれが私の日常です」

 私が平穏を求める理由、理解できましたか? とほの暗い笑みを浮かべてカーミラは言った。彼をじっと見据える深い海の底のような瞳は普段以上に冷たい。

「そう、か……」

 その暗い瞳に引き込まれそうになりながら真九郎は頷く。

「わかったら早く休みなさい。対策よりなによりあなたが今日の疲れを取り、万全な状態に近づくことが私の生存率を高めてくれます」

 それを見たカーミラはぱっといつものしかめっ面に戻り、ふいと身を翻して自分も眠りにつくため隣の部屋に去っていった。


(あのような窮地がいつも、か……)

 隣の部屋のカーミラが就寝用棺桶を取り出し、閉める音を聞きながら真九郎は思案する。

 人間であり、退魔師の自分は追う立場しか経験したことがない、仕事がない日は家族や友人と平穏に過ごす日もある。追われる立場の気持ちを考えたことはなかった。常時自らの命を脅かすものに怯えながら、孤独に逃げ続ける生活とはどういうものだろうか、そしてそれを数百年続けるのは…… 

 脳裏に廃墟で見た弱弱しい彼女が鮮明に浮かび上がる。夢の中ですら怯え、魘される姿を。彼女が人食いの怪物であることも忘れ、彼は彼女が送ってきた日々を想像し想いを巡らせる。

 ――――それは酷く寂しく、哀しい。

 言いようのない感情を抱えながら真九郎もまた眠りについた。

 

 ああ、腹立たしい。カーミラは棺桶の中で独りごちた。言うこと為すことすべてが気に入らない、人間と化け物以前に全く相いれない正反対の存在なのだと確信する。

 しかし、何故か信頼はできるのだ。現に完全に支配しているとはいえ動きを封じないまま眠りにつこうというのは今までの自分では考えられないことだ。彼はきっと自分が人を食うところを目にすれば容赦なく自分を殺しに来るだろう。支配を振り切り、自分の命を捨ててでも(それがまた腹立たしい)。反対に彼が裏切ることは決してないし、自分が危機にさらされれば助けに来る、ともなんとはなしに思うのだ。そう、さっきのように。敵意でも恐怖でもない感情で触れられたのはいつぶりだろう? その後の出来事で吹き飛んでいた抱きかかえられた感触が鮮明に浮かび上がる。

 ……気色悪い。わけのわからない気持ちが胸を駆け巡っている。

 もう目をつぶってしまおう、やはり自分もまだ心身ともに万全ではない、心だけでも休息しよう。そう結論付けたカーミラは目を閉じ、今度こそ完全に眠りについた。

 その日、彼女は夢を見なかった。


翌日、昼頃に真九郎はカーミラが入った棺桶を背負って宿を出た。そして電車を乗り継ぎ、京都にたどり着いた。すでに夕暮れで冬場なこともあって日は落ちている。

「おい、着いたぞ。もう日は暮れている、出ても無事だ。半日も背負っていると流石に重い」

 京都駅を出た真九郎は誰の目も届かない路地裏に移動すると背から棺桶を下ろし呼びかけた。

「女性に重いとは失礼ですね…… 別にあなたにどう思われても気にしませんけど」

 カーミラはぶつくさ呟きながら蓋を開け、ゆらりと立ち上がった。そして瞬時に棺桶を影にしまうと通りに出る。

「あら、トーキョーとあまり変わり映えしないですね? テラとジンジャがたくさんと聞いたのに」

 辺りを眺めてカーミラはつまらなさそうに言った。

「どんな街を想像していたんだ貴様は…… 京都は千年以上の歴史ある古都であると同時にこの国有数の大都市だ。駅の近くとなればビルもあれば住居もある。それでも少し行けばすぐ傍に本願寺があるがな」

 真九郎は観光客の偏った京都像を語る彼女を呆れた目つきで睨む。

「ふむ、つまり場所によると。追われる身でなければ少し観光してもよかったですが、今はその暇はありませんね……」

「吸血鬼のくせに物見遊山気分か?」

「これも生き延びるための知恵なんですよ。観光客を装った方が怪しまれにくいですし、人込みにもまぎれやすい。まぁ食事同様楽しんでる部分もなくはないですが」

 カーミラは彼の言葉に肩をすくめてため息をついた。異邦人が無数にいる観光地は餌場として何かと都合がいい、というのは胸に留める。彼の神経を逆なでるだけだからだ。

「そんなものか、でどこへ行く。情報を集めるのだろう? まさか古文書あさりに寺社に押し入るとは言わんよな?」

「……あなたこそ偏見が激しいですよ。永い眠りから目覚めた吸血鬼を探すのにそんな面倒なことをする必要はありません。ちょっとした図書館で十分です」

 彼の質問に今度はカーミラが呆れた口調で答える。

「吸血鬼は永い眠りの後、力を取り戻すために大量の血を必要とします。だからここ数年の地方紙を探せば必ず見つかるんですよ。血を全部抜かれた死体が、いくつも見つかる怪事件がね。そしてその事件が起こった地域を調べれば何らかの手がかりがつかめるって寸法です」

 分かったら閉まる前に図書館に向かいましょう、と説明し終えるや早いか彼女は足早に歩き出した。その足取りはどことなく弾んでいる。真九郎もまたそれを追って慌てて足を動かす。


「見つけました」

付近の図書館でここ数年の地方紙を積んで調べていたカーミラがその一つを広げて声を上げた。

「誠か?」

 向かい合って同じように調べていた真九郎が顔を上げ、訝しげに言った。

「ええ、間違いないです。過疎地の村で地元の名家四人が数日内に体から血を抜かれて殺されたとあります。ええと、村の名はフルド――――」

 カーミラは少し興奮気味に目的の記事を読み上げる。そして肝心の村の名を読み終えた瞬間、手に持っていた記事が突然発火した。直後間髪入れず炎の波が押し寄せ、フロア全体を包み込む。

「ぐぅ……、無事か!」

 火の海が円形にはじけ飛び、その中から二人が姿を見せる。伏せて印を結ぶ真九郎の周りを淡く輝く水の膜が包み、それに重なる形でカーミラが覆い被さっていた。

「何とか……あなたこそ」

 身体の下の真九郎の呼びかけにカーミラは冷静に答えた。膜からはみ出た部分が焼け焦げ炭化していたが、瞬時に再生し新しい皮膚と服が身を包む。

「貴様が覆いかぶさってくれたおかげでな、危ういところで結界が間に合った、感謝する」

 少し煤けた顔で真九郎は微笑んだ。

「ふん、あなたよりも私が受けた方がその後の対応力が増すと判断したまでです。それより速く脱出しますよ、火を操る敵に閉所は分が悪い」

 カーミラはそっぽを向いて鼻を鳴らした。

「だがまだ人がいるやも……」

「命令です!」

 火に包まれた辺りを見回す真九郎をカーミラは支配の力を込めて一喝した。かすっただけの自分があの有様になる火力だ、いたとしてすでに……

 二人は手近な窓を蹴破り、通りに飛び出した。一階の扉から火事に気づいた人たちが逃げ出してくるのが見える。



「おうおうおうおう!よーく死ななかった!そうじゃなきゃあ面白くねぇ!」

 いきなり頭上から甲高い声が轟いた。二人が見上げると図書館の上空に燃え上がる炎のような毛並みに包まれたトカゲと哺乳類が混じったような獣が直立して浮かんでいた。裂けた口と目が人間のように歪み、笑っているように見える。

「あのガキの言う通りだ! そっちの嬢ちゃん、よーく呪いが乗って美味そうな死体だぜ! ヒヒヒヒ、さぁこの火車様のご馳走になりなぁ!」

 火車と名乗った獣がそう高らかに吠えた途端、図書館を襲ったより熱量の増した炎が湧き出し二人を包んだ。

 しかし、その炎は瞬く間に弾け飛ぶ。そして中心には無傷の二人が立っていた。いや、真九郎の身体には水で描かれた陣が張り巡らせており、淡い光を放っている。

「火車、死体を盗み喰らうことで有名な妖怪だ…… 聞いたことがある、暴れ好きで時代の節目になると浮かれて都に大火を起こし、手を付けられなかった故に明治ごろに封印されたと。カーミラを殺すためだけに復活させたのか!?」

 真九郎は信じられないという目つきで火車を睨む。

「で、あのけだものは私を食べようとしていると? ぞっとしますね…… 話によるとだいぶ手強そうですが逃げた方がよいのではありませんか?」

 カーミラは気持ち悪そうに身震いする。

「案ずるな、この土地は拙者に馴染む、これなら万全に戦える。加えて拙者らを殺すために関係のない人々を巻き込んだ彼奴を拙者は許せん……!」

 足元から力を吸い出すように水の陣が光を増していき、真九郎は怒りと闘志に身体を震わせる。

「あなたの気持ちは関係ないのですが…… まぁここで片づけておけば後腐れなくて楽なのは確かです」

 相変わらずの真九郎の正義感に呆れて肩をすくめながらもカーミラも戦闘態勢をとった。

「ヒヒヒヒヒ!いいねいいね! 燃えてるねぇ! 俺様も燃えてくるぜえ!」

 その様を見た火車は狂暴な笑みを浮かべ、全身の体毛を燃え上がらせる。

「飯前の腹ごなしだ! たぁのしませてくれよぉ?」 

 こうして古都を巻き込んだ死闘の幕が切って落とされた。


 先に動いたのは真九郎の方だった。火車をしっかと見据え、目を見開く。瞬間不可視の刃――――目に見えぬほどか細く速い水の刃――――が火車の身体を切り刻む。

 しかし切り刻まれた火車の断面は体表と同じように燃え上がり、瞬く間に元のままに繋がっていく。

「多少の再生は想定内です!」

 再生しきる前にすかさずカーミラは手近な自販機を持ち上げ、火車に向かって投げつけた。自販機は火車に直撃するとその高熱で融解、爆発し中身の液体をぶちまける。

「オォ!」

 間髪入れず真九郎は飛び散った液体に力を加え、火車の身体を包む水の渦へと変えた。渦は激しく脈動し火車を蹂躙した末に爆散する。その後には何もない虚空だけが残る。火車は消滅した、かに思えた。

「ヒヒヒヒヒ! 中々やるじゃねぇか!」

 耳障りな笑い声とともに虚空から炎が沸き上がり、その中から無傷の火車が顕現した。

「これでも滅ぼしきれない、だと……!?」

「何と厄介な……」

 二人は驚愕に目をむいた。依り代としての実体を持たない、純粋に人の想念から生まれた妖怪は見た目以上に頑丈で、逸話にある弱点を突かなければ消滅させるのは難しい。しかしそうであっても火を剋する水であれだけの攻撃を受けて何もなかったように再生を果たすのは尋常ではないことだ。

「この土地に馴染んでるのはおめぇだけじゃねーってことよ。今は大分表向き奇麗になっちまってるようだが、土ン中には千年以上の年月で染みついた死の怨念が蠢いている。死を火種に燃え上がる俺様はここじゃ簡単にゃ消せねぇ」

 火車はちっちっちっ、と指を振りながら不敵に笑った。そしておもむろに手を二人に向け、特大の火球を放った。

 それに対し真九郎は瞬時に水の結界を張ることで対応する。京都は本来広大な湿地帯であり、現代にあっても水の気が濃い。土地から力を受けた水の結界は真九郎の実力以上の力を発揮した。

「ぐ、ぬぅ……!」

 しかし恐るべきことにそれでも尚火車の火の方が強く、勢いを衰えさせることなく結界を徐々に押していく。やがて結界は限界を迎え崩壊、何かが割れるような音ともに真九郎を業火が襲った。

「シンクロー!」

 寸前カーミラが動き、真九郎を抱えて飛び退いた。火球は道路に着弾し、辺りを火の海で飲み込む。そして回避に成功したカーミラはそのまま火車に背を向け、全力で逃走を開始した。一連のやり取りでこのまま戦いを続けてもいいことはないと判断したのだ。



「待て! 奴をまだ倒せていない!」

「私が助けなければ死んでいたでしょうが。倒すどころではありません、逃げた方が得策です」

 自分の懐で暴れる真九郎に彼女は冷酷に告げる。

「逃げても無駄だ、奴は貴様の魂を追跡している。屋内にいる貴様を的確に攻撃できたのもそのためだ。どこまで逃げても奴は必ず貴様を見つけ出すだろう。そして何より……」

 真九郎は負けじと反論する。

「拙者らが逃げれば逃げるほど、奴の攻撃で街や人々が傷つく……!」

 背後の惨状を睨み、真九郎は怒りに歯を食いしばる。彼が防ぎ損ね火の海と化した地点を筆頭に、通りにはいくつもの火の手が上がっている。そしてそれは二人を追う火車の攻撃で更に数を増していく。まだ夕暮れを少し過ぎた頃、人通りも車通りも多い時間

だ。多くの人が火に巻かれて逃げ惑っている。

「助けてくれたことは礼を言う。しかしどうしても逃げたいなら、貴様だけで逃げるがいい。これ以上被害を出さないためにも、拙者は命に換えてもここで奴を倒さねばならんのだ!」

 自らが尊いと思うものを傷つけられた怒りと守るべき者を守らねばという使命感から真九郎は叫ぶ。

「いい加減になさい!」

 あくまでも命を捨てて戦おうとする真九郎をカーミラは一喝した。自分の腕の中でもがく真九郎の姿が何度でも自分に立ち向かってきた時の光景に重なる。どれだけ傷ついても立ち上がり、最後には彼女と相打ちになり倒れたあの時に。それとともに胸の内からふつふつと怒りが沸きあがる。

「ええ、あなたが命を賭して戦えば次は勝機があるかもしれません。でも勝てなければ? 逃げ続ける私を追ってもっと沢山の人間が傷つくでしょう。更に、勝てたとして命を失えば私はこれからも容赦なく人間を食べつづけますよ? あなたの下らない自己犠牲でもっと沢山の人間が死ぬんです。あなたにそれが許容できますか!?」

 詭弁だ、こんなものただの言いがかりでしかない。カーミラは自らが怒りのままに放った言葉を心中で嘲笑う。しかしその一方でこの男にはこれが一番効く、とも彼女は確信していた。

「死んで勝つことより勝って生き残ることを考えなさい。逃げられないならなおのこと、確実に勝機を掴める戦い方をするべきです」

 一転穏やかな口ぶりで説き伏せる。本音を言えば背後から迫る火車に向かって投げつけてやりたいところだが、だからこそこの男の思う通りにするのは気に入らない。

「……放せ」

「まだ言いますか!」

 暴れるのをやめ、感情を押し殺した声で真九郎は言った。それに対しカーミラは呆れて叫ぶ。

「いいや、貴様の言葉で頭が冷えた…… あたら突っ込むつもりはもうない」

「……そうですか、では下ろすので自分の足で走ってくださいな」

 深く安堵のため息をつくとともに彼女はぱっと抱えていた真九郎を放した。見事着地した真九郎は少しの間振り返り悔しげに表情を歪めたが、やがて振り切るように前を向きカーミラと並んで駆け出す。


「しかし改めて考えると妙だ。京都には歴史と力ある術師の集団がいるはずだ。これだけの騒ぎになっているというのに全く駆けつける気配がないとは……」

 逃走に転じてからしばらく鴨川付近に通りがかったところで、火車の繰り出す火炎を回避しながら真九郎は訝しげに呟いた。

「来るなら速く来ていただきたいものですが、来ないものを期待しても仕方ありません。今あるものでなんとか切り抜ける方法を考えなければ」

「それはそうだが拙者らには今あるもので奴には届かん。地の利を得ているのは奴も同じ、その上で地力はあちらの方が上だ。倒しきるにはあと一手が足りない。現状それこそ命を懸ける覚悟で挑まねば差は埋まらんだろう――――む」

 思案する真九郎の視界の端にふと小さな鳥居が映る。

(鳥居、社か…… 待て、確かこの先には…… )

 そこまで考えたところで彼は何かに気付いたように目を見開く。

「いや、万が一だが勝てるやもしれん!」

「本当ですか? まさかまた命に換えてもとか言い出すわけでは…… ないようですね」

 急に顔を上げた真九郎をカーミラは疑いのまなざしを向ける。しかし彼の目に宿るのが先ほどのような悲壮な覚悟ではなく、希望の光であることに気付き表情を改めた。

「成功すれば奴をほぼ確実に倒せるだろう。だがそれを行うためにはある程度時間がかかる」

「つまりあれをどうにか足止めしなければならない、と。それもかなり難しそうですが…… ですがこの状況を切り抜けられるのであれば、乗るしかありませんね」

 カーミラは顎に手を当て逡巡したがやがて観念したように頷いた。

「よし、ではひとまずここで迎え撃つぞ。鴨川の力を借りれば奴を足止めする程度はできるはずだ」

 


「どーしたぁ? いきなり立ち止まってよ、もう逃げるのはおしめーか!?」」

 橋の上に並んで立ち自分を睨む二人を見て火車はにんまり笑う。

「そんなはずないでしょう」

「なかろう!」

 即座に答えると同時にカーミラは駆け出し、真九郎は印を結び手を上げた。同時に川から蛇のような水柱が幾筋も立ち上り、火車へと殺到する。

「ヒヒ、そう来なくっちゃ、なぁ!」

 火車もまた業火を吐いてそれに応えた。水と火はぶつかり合い、生まれた蒸気が辺りを飲み込む。

「ちぃ、霧か。めんどくせぇ……!」

 蒸気に視界を奪われた火車は鬱陶しげに体を震わせた。直後、その背後の濃霧からカーミラが飛び出し、火車にしがみついた。

「そっちから近づいてきてくれるとは嬉しいねぇ嬢ちゃん。何する気か知らねえが、目が見えねぇなら不意を突けると思ったかい? いいやいいや、おめえの気配はちゃぁんと手に取るように分かってたさ! 後はこのまま直に焼いて魂を食えば終い、正に飛んで火にいる夏の虫よぉ!」

 しかし火車は振り向きもせず不敵な態度を崩さない。そして毛を逆立たせ、火の粉をまき散らし始める。

「知ってますよ」

 カーミラの淡々とした言葉とともに蒸気の粒が刃となり、炎が燃え上がる暇も与えず火車の身体を切り刻んだ。

「私はただ気を引いただけ。そして、再生する間は炎は出せないようです、ね!」

 言うが早いか彼女は懐から札を取り出し、自らの骨で作り上げた杭とともに火車に突き立てる。札の正体は真九郎が力を込めた魔封じの札。すかさずカーミラは動きを封じられた火車の足を掴んでぶん回し、川に叩き込んだ。その勢いで大きな水柱が立ち、砕けた河床に火車は飲み込まれた。

「やれやれ、これで死んでくれればいいんですが、そうもいかないんでしょうね……」

 着地したカーミラは濁った水面を一瞥し肩をすくめると真九郎とともにその場を去った。


「ああああああああ!」

 大きなうなり声と共に巨大な火柱が川の水を蒸発させ、河床から礫をまき散らしながら火車が浮かび上がってきた。

「あー、さっきのは中々効いたぜぇ……」

 湿ってすらいない頭を掻きながら深く息を吐いた。そして蒸気が晴れ、誰もいなくなった橋を見下ろし目を細める。

「まーた逃げやがったか。無駄だって分かってんのによぉ……」

 少しうんざりとした調子で火車は二人の跡を追い始めた。


「さぁ今度は何をしてくれるんだ? そろそろ鬼ごっこは飽きたぜ」

 八坂神社の鳥居の前で追いついた火車は鼻白んだ目つきで真九郎を睥睨した。

「あん? 死体の嬢ちゃんはどこに隠れた? 気配はしてんがはっきりしねぇ…… まぁこいつを殺してこの辺りぜぇんぶ燃やしゃ出てくるか」

 そしてふと彼が一人であることに気付き、淡々と空恐ろしいことを呟く。そこにもはや喜色はなく、純粋な破壊への衝動だけがぎらついていた。

「そのようなことはさせぬ。貴様はここで倒す……!」

 対する真九郎は静かな闘志をともした眼差しで火車を睨みつける。


「ああそうかよ、そんじゃあ、やってみろよォ!」

 火車の咆哮と共に火柱が真九郎を襲った。彼はそれを大きく後方に跳躍することで回避する。しかし同時に火車もまた真九郎の目の前に迫り、鋭い鉤爪を振るった。鎧袖一触、危うく逃れたが振るう軌跡がそのまま炎となり、彼の身を焦がす。肉を焼かれる痛みで表情が歪む。しかし息つく暇もなく、次々と火車の鉤爪と炎が畳みかけられる。真九郎は回避することしか許されず、徐々に後退し戦いの場は鳥居を越え、境内へと移っていく。

「そらそら! ここで俺様を殺すんじゃなかったかぁ!? ええ、避けてるだけじゃどうにもならねぇぜ!」

 勢いづいた火車は獰猛な笑みを浮かべ、とどめを刺そうと腕を大きく振るう。しかしその隙を真九郎は逃さなかった。即座に放たれた水の刃は振るわれるはずだった火車の腕を切断し、後に続く炎の発生をも止めた。そして再生する間に大きく後ろに跳び、距離を空ける。

「貴様は拙者らを追い詰めたと思っているだろうな。しかし逆だ、拙者らがここに貴様を誘い込んだのだ……!」

 舞殿を背に真九郎は傷ついた身体でなおしっかと立ち、不敵に笑った。そして瞬時に印が結ばれ、彼を中心に淡く光る陣が社全体を包み込む。

「――――――――掛けまくも畏き八坂神社やさかのかみのやしろの大前に速水真九郎恐しこみ恐しこみまをさく!」

 輝く陣の上で彼はただ、朗々と唄った。それとともに辺りの大気から、はたまた大地から、清浄な気配が集まり、陣の内を満たしていく。

 彼が紡いでいるのは祝詞。神道において神をこの世に呼ばい、その意志を動かすために生み出された言葉である。それは速水の家にも時として己の力だけでは太刀打ちできない魔を祓うための術の一つとして受け継がれていた。

「あん? 自分じゃ勝てねぇからって神頼みか? やめとけ、こんなでかい社に祀られてるような奴らが神職でもねぇ人一人死体一つのために重い腰を上げるわけが―――― いや待て、この気配は!」

 響く祝詞に冷めた口調で肩をすくめる火車だったが、徐々に濃くなる気配から真九郎が何を呼ぼうとしているのかを理解し血相を変えた。

「貴様の思っている通りだ。拙者が呼ばうのは元よりこの地に住まうもの、八坂の龍穴の主! 水脈に溶け大地に浸透した彼の龍の存在をかき集め、今ここに顕現させる!」

 陰陽道や風水では地中には気が流れる道、龍脈が存在するとされ、それが集まる地を龍穴と呼んだ。その一つが八坂神社の本殿の下にある底なし池であり、古来そこには龍が住むと伝えられている。京都がまだ広大な湿地だった頃より存在するその龍は荒れ狂い全てを飲み込む水そのもの。真九郎はその力で火車を倒すつもりなのだ。

「ちぃ、させるかよ!」

 阻止しようと火車が炎を纏って飛び掛かる。

「もう遅い! ――――祓い給へと恐しこみ恐しこみまをさく! 顕現せよ、八坂の龍神!」

 唱え終えると同時に気配が一気に凝縮、唸るように大地が鳴動する。そして火車の足元から水とも生き物ともつかぬ巨大な何か、龍神が立ち上り、彼を飲み込み天まで駆け上った。

 すでに先が見えないほど高く天に上った龍神はただ見るだけで身がすくむほどの存在感を放ち、半透明の鱗に覆われた身体は向こうの景色まで見えるほど透き通っている。正しく大自然の化身と呼ぶべき威容。

「ゔ、ゔぁぁ……ぁ……ぁ」

 その内部に飲み込まれた激しい水の奔流を一身に受けた火車は断末魔の声を上げることも叶わず、龍の腹の中で燃え尽きるように消滅した。

 やがて龍もまた大空へと姿を消す。そして火車が起こした惨状を洗い流すように激しい雨が京都に降り注いだ。境内は静まり返りすべて終わった、そう思われた。

「ヒヒヒヒヒ……」

 か細い笑い声と共に真九郎の目の前にぼう、と鬼火が現れ、次第にそれは直立二足歩行の獣の姿を形作る。

「ヒィャ――――ハハハハハ、やるなぁおめぇ! 今度ばかしは危ねぇかと思ったよ! だけどなぁ俺様はただの炎じゃあねぇ、屍を火種に燃え続ける生命いのちの炎だ! 大水ごときで生命が止められるか!? この土地を見れば分かんだろ、消せねぇのよ俺様は! 反対におめぇはどうだ? 龍なんぞ呼び出したせいで力がすっからかんじゃねぇか。土地から力借りんのも限界だろぉ?」

 ゆるりゆるりと身体を再構成しながら火車は勝ち誇り、哄笑する。

「ええ、だから消すつもりはないのです」

 しかしその笑いは背後から突如湧いた声によって止められた。火車の影からゆらりと浮かび上がったカーミラが髪を伸ばし、火車の四肢と首に巻き付け拘束したからだ。

「やはり即座に炎を出せないほど弱体化していますね。この時を待っていました」

「ぐぎぎぎ、だがすぐ出せるように…… ち、力が戻らねぇ! そうか、女の髪か!」

 火車はすぐさま巻き付いた髪を焼き切ろうとするが、ただもがくのみで全く炎が出る気配がない。自らを縛っている髪に目をやるとその表面に淡く輝く文様が刻まれており、それが自分の力を奪っているのだと気づく。

「その通りだ、女性の髪には力が宿る。長い年月を経て呪いをため込んだ死体の髪なら尚更、な。貴様は今の拙者らではどうしても滅ぼせぬ、故に今までと同じように力を奪い、封印させてもらう……!」

 真九郎が印を結び力を込めると同時に首に掛けられた髪の紋様の輝きが増す。火車の身体から力が髪の輪に流れていき、徐々に存在も希薄化していく。

「畜生、まだ起きたばっかだってのによォ……! またずぅっとつまらねぇ思いを……!」

 火車は悔しげに顔を歪めるがどうすることもできず、輪に吸い込まれるようにして消滅した。そして腕輪ほどの大きさまで縮まった髪の輪だけがぽとりと落ち、その場に残された。

「貴様の楽しみのためにどれだけの人々が傷ついたと思う? 省みるその時までその中に封じられるがいい!」

 その様を見届けると真九郎は手を下ろし、髪の輪に向かってそう言い捨てた。


「やれやれ、やっと倒せましたね。今までになく厄介な相手でした」

 戦いが終わったことに安堵のため息をつき、カーミラは真九郎へと歩み寄る。

「ああ、全くだ」

 真九郎も流石に疲れた様子でその場に座り込んだ。全身火傷と切り傷にまみれているが深いものはなく、命に別状はない。

「……貴様には礼を言わねばならんな。目覚めたときから今まで、無力感を感じることが多くてな、あの時の拙者は使命を果たそうと完全に頭に血が上っていた。やけになることと命を懸けることは全くの別物、貴様はそれを気付かせてくれた。感謝する」

 そう言ってカーミラを見上げると優しく微笑んだ。ここ数日背負っていた肩の荷を下ろしたような柔らかい表情。

「む…… ふん、あなたは私の従僕です。利用価値があるうちはあなたの勝手で死ぬことは許さない、それだけのこと」

 彼が今まで見せなかった穏やかな笑顔を目にしたカーミラは不意を突かれ目を丸くする。しかしすぐに気を取り直すと努めて冷淡に応えた。

「構わんさ、理由はどうあれ、今回拙者は貴様に幾度も命を助けられた。礼を言わねば義を損なう」

 真九郎はそっけない彼女の言葉に鷹揚に返す。

「……ああ、しかしひどい有様だ。己の力不足とはいえ、心が痛む」

 ふとその目が街の惨状、そして火車によって傷つけられた人々に向けられ、表情を曇らせた。龍が降らせた豪雨により大分鎮静化したが、それでもなお遠目から見ても赤々とした光が見えるほど、火車が撒き散らした炎による被害は大きかった。

「誠にこれは正四郎殿が仕組んだことなのか……? カーミラ一人のためにこれだけのことが起こるのを許容したというのか?」

 自ずと声が震え、この場にはいない、この惨状を仕組んだと思われる人物に問いかける。

「正四郎? んなわけねーだろ。あいつは俺様を封印した張本人だぞ? わざわざ封印を解いたりするかよ」

 その問いに甲高く騒々しい声が口を挟んだ。二人がぎょっとして声のした方を見やると、そこには小動物サイズにまで縮まった火車が腕を組んで浮かんでいる。その首にはカーミラの髪の輪ががっちりとかけられ、身体は半透明で存在感が薄い。

「まだ動くというのか!?」

 二人はすぐさま臨戦態勢に入り、半透明の火車に攻撃を加えようとする。

「待てよ、この俺様はただの写し見、ほとんど力が使えねぇ。ただ兄ちゃんおめぇ相当限界だったみてぇだな、ほんの少し封印に綻びがあった。なんでなんとかこれだけは外に出せたってわけよ」

 火車は指を立てにやにや笑った。

「拙者の力不足というわけか…… しかし貴様、封印を解いたのが正四郎殿ではないと言ったな? では貴様を目覚めさせたのは何者だ?」

 真九郎は憎々しげな目つきで火車を睨んだが、逸らず先ほど火車が先ほど発した言葉について問いただす。

「名前は知らねぇ、見た目はあいつと同じガキだったが女だったぜ。紙に字ぃ書いて一言も喋らねぇ、恩人にこう言うのはなんだが今考えると薄気味わりー魂持った奴だったよ」

 火車は顎に手を当て、自分の封印を解き二人を襲うように唆したものについて語った。

「字を書いて一言も話さない……?」

 彼が語る何者かの特徴の一つにカーミラが反応する。

「心当たりがあるのか?」

「それはあの子の、あなたたちが魔弾の射手という吸血鬼の特徴です……」

 尋ねる真九郎に彼女は困惑に表情を強張らせながら答えた。

「魔弾の、仲間である吸血鬼がなぜ貴様を狙う」

「私たちは同類ですが、仲間などではありません。今回も偶然鉢合わせ、私の隠れ家に押し掛けただけで、他の三人とは目的も含めなにもかも異にしています。ですが敵になる理由もあの子と私の間にはない…… 何故?」

 彼女は眉を顰め、首を傾げる。その様は彼女に全く心当たりがないことを物語っていた。

「なーんかきな臭くなってきたなぁ」

 その様を眺め火車は他人事のように呟き、肩をすくめる。

「黙れ貴様も利用されたのだろうが。どうするカーミラ、貴様を狙うものの正体ははっきりしたが、こちらから出向くか?」

「いいえ、少し驚きましたがこれもいつものこと。あの子自身が向かってきたなら迎え撃ちますが、こちらから戦いにいくような無駄なことをする気はないです。幸い、手掛かり自体は燃やされましたが目的地の名は記憶しているので、目的を達成することを優先しましょう。そうすればこの国を出て隠れる余裕もできますからね」

 敵意を燃やす真九郎に対し、カーミラはすでに落ち着いた調子で言った。

「次の目的地はフルドムラ、この付近にある山村です。さぁ早く出ましょうシンクロー」

 そうつぶやくと彼女はきびすを返し、出口に向かった。明確な手掛かりを見つけ気が逸っているのか、その足取りは軽い。

「……そうか、貴様がそう決めたなら従わざるおえまい」

 真九郎は釈然としない表情だったが、それ以上何も言わず火車を縛る首輪を掴み後に続く。しかし、その胸中には拭い難い疑念が渦巻いていた。

 仲間ではなく偶然集まった四人の吸血鬼―――― いやそもそも専門家ではない自分が吸血鬼退治に呼ばれた理由も世界中で同時多発的に吸血鬼が暴れだしたからではなかったか? その件とあの街での出来事は同質のもので、カーミラたちは何者かに作為的に集められたのではないか? 

(何かが起ころうとしているのやもしれぬ。世界を巻き込むほどの何かが……)

 それに積極的に立ち向かえない今の自分への歯がゆさを感じながら、真九郎は目の前の夜闇に向かって歩き出す。

 

 

 


 

 

 

  

 

 

  




 

 





 

 

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