6月16日金曜日 校長室 1981年の謎の解明2
大村敦
校長先生は苦笑した。
「古城さん。大まかな所は合ってます。ここからの話は二人ともここ限りでいいですかね?」
俺も古城さんも異論はなくコクリと首を縦に振った。
「私はこの学校が変わるのが嫌だったのですよ。私の母校でもありますからね」
「えっ?中央高新聞にはそんな経歴は出てませんが」
俺も驚いた。そして流石の古城さんでも驚く事はあるのだな。
「まあ、母校と言っても親の仕事の関係で1年で転校していて言わなきゃ気付かれない話ですから。転校先は当時では普通の学校でしたから。いい思い出は中央高1年生の間の事ばかりになってましてね。この学校の自由な気風と伝統は好きだったのですよ。
ところが数年ぶりに教師として戻ってきてみたら学校側は管理教育の強化に動いていた。そして数年後、80年前後の制服の変更の動きがそのピークでした。安達くん、つまり当時の鳴海くんは学校側が管理教育の手段として制服を変えようとした事に主導権争いをして抵抗していた訳です」
「新聞では安達先輩が先に提案したように読めましたが表向きの話なんですね?」
「そうです。告示日前に私が彼にそう言って立候補を唆しました。これ自体は学校の方針として私が手先になって動いた事です。彼はそれを良しとせず、立候補してから制服の変更について学校の軛から外れて別の意味合いを持たせようと動いてました。
そんな中で私が学校側を出し抜きました。自由の気風の象徴として変更する動きがあると全国紙地方支局や地元紙にそれとなく情報をふれて回ったのです。結果として取材が入って前向きな制服の一新という事で結構取り上げられましたよ。そしてその事がこの学校の校風を変える圧力を押しとどめる効果を生みました。
ただ、そのおかげで私はその年度が終わった時に異動になりましたけどね。証拠は捕まれませんでしたがどこかで当時の校長先生か教頭先生に疑われていたようです。それから人口の少ない地域の高校ばかりでしたが、最後の最後にここへ戻れるとは。教育委員会はこんな昔の事はわすれたんでしょうな。
鳴海くんが私の方が操っていたように言うのは、あくまでも私は学校側に立っていて別に彼と話し合ってそうした訳じゃなかったからです。ただ彼は私の指導から察してくれてはいたみたいですね」
あっけにとられた。まさか、そんな話があるとは想像もしてなかった。
「まあ、古城さんの提案は私の中にある中央高の姿に近付く話なので協力しますが、素直に従ったように見えると教頭先生とか教育委員会がうるさいので、私の振り付けには少し付き合って下さい」
僅かな情報から全貌の一端を掴んできた古城ミフユ次期会長は笑顔で答えた。
「もちろんです。校長先生」




