6月15日木曜日 残されたミステリー
古城ミフユ
夜、家に帰ると家族みんなが当選を祝福してくれた。結果は生徒自治会の会議室での結果発表後の合間にメッセで送っていたので票数など含めてどんな選挙戦だったか説明した。
「これから大変だと思うけど気を引き締めて頑張りなさい」
とお父さん。こういう時はシンプルに言ってくれる。
お母さんは史学研究者として政治批評視点がある人なので現実を突き付けつつ声援を送ってくれる。
「僅差だったのね。制服の件は対抗馬の子も支持してくれたの?高度な選挙戦してるわねえ。でも、勝ち抜けたんだから自信を持って公約した事の調整役として頑張っていきなさい」
そして妹のミアキは小学2年生らしく、
「お姉ちゃん、良かったね」
とニカッと笑顔で祝福してくれた。
夕食後、片付けを手伝って自室に戻った。タブレットPCで日曜日に作ったメモを呼び出して安達先輩から聞いた内容を追加した。
・学校側で安達先輩と組んで動いた人がいた。
その人の思惑で物事が動いた。
・安達先輩はその人を操ろうとしたか操ったつもりだったが、
結果としては操られていただけだった。
・ヒントは「せいけい」
鳴海(現安達)会長が当選したのは1981年6月。この時も学校の制服変更を求める事が公約されていた。学校側に人形遣いがいたとすれば鳴海先輩に立候補を決めた所から介入していないと無理がある。
そして安達先輩はそれに乗った。逆に「人形遣い」を操ろうとしたけど、結局、掌で踊る孫悟空、そんな役割しか安達先輩は果たせなかったらしい。彼が直接手を出したのは制服のリサイクル事業ぐらいなのではないか、そんな事が私の頭を過ぎった。
中央高新聞のコピーをタブレットPCで見直した。
1981年6月の会長選挙の写真が出ている。詰襟服にセーラー服。着崩しが激しかったようで、新聞写真からも見て取れる。制服を変えるという事でそういう事を無くそうとしたのだろうか。だとしたら安達先輩は小夜子ちゃんの風紀に対する生真面目さがある人だったのだろうか……と思ったけど安達先輩の写真を見たら、詰襟服のカラーは締めてないどころか、第2ボタンまで開けたままで写真に写っている。安達先輩もこの頃は傾いていたらしい。
そして新執行部の写真の中には若い頃の校長先生も写っていた。そういえば70年代にこの学校が初任地で赴任されてきたっていう記事もあった。。
翌日、次期筆頭副会長(11月文化祭まで)・新会長(11月文化祭終了後より1年間)として学校側に挨拶に行くという儀礼的式典があった。
大村先輩と一緒に回る事になっていた。この時に聞くのがいいだろう。