8月21日 黄金の皿
鉄階段の下に自転車を止めた。手の甲で、汗を拭う。白い建物の影を出た瞬間、強烈な太陽が、照り付けた。
花屋「HUNAKI」の横にある、「コンキリエ」という白いペンキで描かれた、看板を確認した。その下にある、木製の、分厚いドアを押す。
カラン、カラン、カラン。
冷気に、生き返る。そこで、瑞恵さんの笑みに気付いた。店内を奥へ進む。
「今、着替えている所」
「そうなんだ」
「今日は、ごめんね」
眉が下がっているが、口元には、笑みが浮かんでいる。
「いいえ」
午前中、瑞恵さんに用があったため、莉奈ちゃんが、代わったのだ。
ずっと、瑞恵さんのプライベートが、謎だと思っていた。しかし、最近、漸くその結論に思い至った。私の方が、彼女に興味がないのだ、と。
「お待たせしました」
声の方を見る。そこには、莉奈ちゃんがいた。黒のカーディガンに、赤のドレス姿だ。フレアスカートが可愛らしいと思う。すると、瑞恵さんが、「可愛い」と言った。
客席を抜ける時、マスターに小さく声を掛けた。
「行って来るね」
「あぁ。行ってらっしゃい」
言って、笑みを浮かべる。
店を出た瞬間「うわぁ」と叫んだ。
隣の花屋「HUNAKI」のガラスのドアを押した。草花が、所狭しに犇めく中、店内を奧へ進む。店の前は、何度も通っているが、中へ入るのは、2階の部屋を借りる際、挨拶に来て以来だ。不意に、作業台にいた、誠二さんが、顔を上げた。
「2人が、来るなんて、珍しいね」
身長190センチほどある上、横にも大きい。茶色のおかっぱ頭に、目は、糸の様に細い。38か9歳だ
「今から展示会なの。それで、花束を見繕って貰おうと思って」
誠二さんは、私達の格好を、暫くの間、眺めていた後、「あぁ」と呟いた。
「適当で、良い?」
言いながらも、既に、席を立ち上がり始めている。
「うん」
誠二さんの花の選び方が、大雑把で、驚いた。近くにあった、バケツの中から、適当に数本、引っ掴むという感じだったのだ。
その作業を何回か繰り返すと、作業台へ戻って来た。
包装紙を切り離したが、これも、台形の様な形で、端が縮れている。花が傷つかないかと、心配だ。しかし、私の心配を余所に、それは、綺麗な花束へと仕上がった。
「これで、良いかな」
花は、束になると、単体の時よりも、10倍は魅力的だ。すると、花束の意味が、漸く分かった気がした。
駅内は、土曜日という事もあり、人でごった返していた。意思を持って歩かないと、人の波に呑まれ、行来たい方へ行けない。
案内状とホテル名を照らし合わせた。ピカピカに輝く、金色のロゴに、緊張感が高まる。「GOLD RUSH」という安直なネーミングセンスが、自信の現われの様だ。1度、息を吸い込むと、意を決した。その下にある自動ドアを通る。
1階は、イベントスペースになっている様だ。
暫くすると、「家城元也個展会場」という立て看板があった。
人の多さに圧倒されながらも、受付へ辿り着いた。案内状を見せる。
「えぇっと、これも」
言って、花束を手渡した。
「お預かり致します。では、こちら」
案内状を鞄の中に片付けた。
「あそこからですかね」
その声で、莉奈ちゃんの指の先を追う。すると、そこには、「順路」という張り紙があった。こういう時、しっかりした人がいてくれると、心強いと思う。
先生は、見付かりそうもないため、先に、「順路」を回る事にした。
「順路」に入って、すぐに、その世界観の虜になった。1つの絵を前に、言葉を失ったのだ。そこには、男性が、鏡に向かい、口紅を引く姿が描かれていた。黒っぽい絵に、目を凝らす。背中の肉が、腐り、ずり落ちているが、目は輝き、口元からは、涎が垂れていた! それは、恍惚としている様にも見える! その瞬間、私の中で、何かが弾けた。
会場を周り終える頃には、恍惚としていた。まるで、森の中で、虎か何かと遭遇して来たかのようだ。
莉奈ちゃんと喚き合う様に話していると、不意に、黄色いスーツが、視界の端を捉えた。思わず目を見合わせる。
身長150センチないほどの小柄な男性は、身振り手振りを使って、夢中で相手の男性に話していた。白髪で、眼鏡を掛けている。パンフレットによると、今年で70歳だ。会話が途切れた様だ。そこで、思い切って切り出した。
「本日は、お招き頂き、ありがとうございます」
言うと、先生が、こちらを振り返った。先生と向き合いながらも、40代のスーツ姿の男性が、この場を立ち去るのを目の端に捉えていた。
「あぁ。来てくれたんだね」
笑った口元には、ほうれい線が、くっきり刻まれている。
「招待状、ありがとうございました」
先生は、斜め上の方を見る様にすると、突然、何かを閃いたかの様だった。急に、表情を緩めたのだ。
「こちらこそ、ご来場、ありがとうね。えーっと、彼女は・・・」
莉奈ちゃんの紹介をする。
「彼女と一緒に会場を回らせて、頂きました。彼女は、木頭莉奈ちゃんと言い、美大で抽象画を専攻していま」
「初めまして。作品、感動しました。特に、・・・」
先生は、終始、笑顔を崩さない。先程までの作品との落差に、思わず見入っていた。
「ありがとう。良かったら、この後の食事会に来ない?」
「信じられない!」
「感動ですよ!!」
席が余っているため、食事会に誘われたのだ。途中から、莉奈ちゃんの話が入って来なくなり、自分自身も、何を話しているのか、分からなかった。しかし、興奮を抑え切れず、喚き合い続けていた。
「お待たせ、お待たせ」
その声で、我に返った。どれくらいの時間、ここで、こうしていたのか。
ぞろぞろとホテル内を抜けた。今から向かうのは、先生の幼馴染みの店だそうだ。
「小さい頃、近所に住んでいてね」
デパートへ入る。
辿り着いたのは、飲食フロアにある、いわゆる定食屋だ。見慣れた外観に、ホッと胸を撫で下ろす。前の人に続き、紺色の暖簾を潜った。
「いらっしゃいませ」
現われたのは、アラブ系の男性だった。てっきり日本人だと思っていたのに。
「ありがとう。今、終わった所でね」
店内は、カウンターと、20席くらいのテーブル席がある、こじんまりとした造りになっている。
「この間、言っていた・・・」
先生と男性は、楽しそうに話し込んでいる。その様子に、いつまでも変わらない、関係が微笑ましいと思う。
「乾杯」
その掛け声で、隣の席の莉奈ちゃんとグラスを合わせた。そこで、反対隣の男性が、グラスを傾けてくれている事に気付いた。茶色い髪に、緩いパーマを掛けている。20代前半だ。先生の付き人か何かだろうか。一瞬、そんな事を考えた後、グラスを合わせた。
グイッと飲むと、空きっ腹に、酔いが回った。と同時に、緊張が和らぐ。
「お待たせしました」
目の前のお皿からは、出来立てハンバーグの芳ばしい匂いがしている。
ナイフとフォークを手に取った。
「美味しい」
声の方を見る。莉奈ちゃんも、同じ物を頼んだのだ。それが、分かると、妙な連帯感を覚えた。
お酒が入ると、先生は、益々、饒舌になった。もう、誰も、彼を止められる人は、いないだろう。
「そこで、僕は、言ったんだよ・・・」
食事中、ずっと、笑い転げていた。目の前の人物から、あの尖った、残酷な作品の数々は、想像出来ない。先生の魅力に、すっかり魅せられていた。
「そう言えば、君も、絵を描いているんだよね?」
どうやら、君というのは、私の事の様だ。しかし、目が合う訳ではない。
「折角だから、名刺交換でも、したら?」
その言葉に躊躇っていると、隣の席の男性が、背広ポケットをごそごそし始めた。
「宜しくお願い致します」
「ありがとうございます」
受け取った名刺には、「水木透」と書かれていた。
店の外で、先生は、水木さんと話していた。それが、分かると、歩き出していた。すると、気配を感じたのか、水木さんが、こちらを振り返った。目が、大きく見開いている。それでも、構わずに、近付くと、その言葉が口を吐いて出た。
「今日は、ありがとうございました」
すると、先生も、こちらを振り返った。
「とても貴重な時間を共有させて、頂いて・・・」
言葉が、どんどん出て来た。そこには、話している自分と、それを客観的に見ている自分がいた。
最後まで話し終えると、漸く自分が1つに重なった。すると、急に、周りの静けさを感じた。恐る恐る先生の表情を窺う。すると、そこには、笑みが浮かんでいた。それが、分かると、ホッと安堵する。
「僕も、楽しかったよ。頑張って」
その言葉で、一旦、頭が停止した。不意に、我に返った。先生は、何やら夢中で水木さんに話している。そのまま体の向きを変えたかと思うと、この場を去って行った。
感動を噛み締めていると、不意に、水木さんが、こちらを振り返り、会釈した。慌ててお辞儀を返す。
駅内を抜けた。すると、繁華街は、すっかり居酒屋やカラオケ店が、存在を濃くしていた。その中を1本の道へ入る。
静寂な道に、ワー、ワー声を響かせた。すると、暫くして、「Benthos」という、青の電飾が見えた。その横に設置された、地下へと続く、木製の階段を降りる。木が歪む度に、笑い転げた。
ノックの付いた、木製のドアを押した。その瞬間、青と緑の光に包まれた。
至る所に、藻の形をした、透明の置物のある。テーブル席を抜けた。すると、カウンターで、店長が、グラスを磨いていた。
「いらっしゃい」
身長180センチほど、ドレッドヘアに、浅黒い肌をしている。その強面な見た目とは、裏腹に、笑みが優しく、口調は柔和だ。30代前半だ。
「楽しそうだね」
「今、個展に行って来たんだ。凄く良かった」
「へぇー」
その低く、単調な声色から、興味のなさが伝わって来る。しかし、それは、不快ではない。寧ろ、高ぶった神経を落ち着かせてくれるため、心地良い。
「乾杯」
言って、莉奈ちゃんとグラスを合わせた。
一気に、半分ほど飲み干した。醒めていた酔いが、また、回る。
2杯目に入った頃から、莉奈ちゃんが、近くの大学だという、店員と話し込み始めた。私は、その横で、1人飲みながら、胸に熱いものを感じていた。
「芸術家とかは、無理だけど」
その声で、隣の席を見る。すると、莉奈ちゃんは、グラスに視線を落とす様にしていた。
「子共達に、描く事の楽しさを、教えられたらなって」
照明で、莉奈ちゃんの瞳が、輝いた。すると、胸の奥底から熱いものが、込み上げて来た。前に向き直る。
「いつか個展、開きたいな」
「出来るよ。美里さんなら」
その言葉で、胸が熱くなった。
「莉奈ちゃんも、絶対、良い先生になるよ」
「ありがとう!!」
強く手を握り合った。そこには、熱い空気が流れていた。
席を立つと、思わずよろけた。カウンターに手を着き、体勢を整える。
「大丈夫?」
その声で、店長の優しい笑みが、目に浮かぶ。青春時代は、やんちゃに過ごしていたのかもしれないが、やはり、根の部分は、優しい人なのだろう。それは、全て、私の思い込みだ。学生時代の事は、聞いた事がないため、分からない。
「大丈夫ですか?」
「歩いているうちに、醒めると思う」
「あぁ。電池が切れた」
「ハハハハハ・・・」
なぜ、笑っているのだろう。そう思うと、さらに、笑いが込み上げて来た。
一旦、笑いが収まっても、莉奈ちゃんの笑い声に釣られ、また、笑う。莉奈ちゃんは莉奈ちゃんで、私の笑い声に釣られる様だった。そんな事を永遠と繰り返していた。
いつもの分かれ道になると、「ありがとう」と言い、莉奈ちゃんの肩から手を離した。
「気を付けて下さいね」
「うん。今日は、ありがとうねー」
「こちらこそ、一緒に行けて、良かった。頑張りましょうねー」
莉奈ちゃんは、全身を使って、手を振っている。それが、可笑しくて、私も、真似た。「じゃあねー」と言って、大きく手を振り返す。
回れ右した。
胸の熱いものに突き動かされるかの様に、来た道をずんずん戻っていた。カラオケ店の前では、サラリーマン達が、はしゃいでいる。それが、分かると、肩の力が抜けた。夜は、誰しもが自由になれる所が、良い。
タクシーの1つに近付いた。開いたドアから乗り込む。
「○○までお願いします」
「はい」
座席シートに凭れ掛かった。
窓の外には、街のネオンが、煌々と輝いている。それをぼんやり見ていると、「フッ」と笑みが零れた。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。




