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2月5日 温かな窓

 不意に、我に返った。どうやら、部屋の中を、歩き回っていた様だ。昨夜から、その考えが、頭を離れなかった。そこで、エアコンが、効いている事に気付いた。

 絵の具を手に付けた。キャンバスに投げ付ける。頭の中から溢れ出しそうになっている想像を、早く吐き出してしまいたい! 想像に先を越されまいと、必死に手を動かした。

 不意に、手が止まった。黒は、使わなかった筈なのに、目の前のキャンバスにあるのは、真っ黒な渦だ。それは、得体の知れない生命の様に、異様な輝きを放っている。


 カン、カン、カン。 

 鉄階段を、軽快に駆け下りた。

 体が軽い。まるで、全てのものから解放されたかの様だ! 鉄階段の下に止めていた、自転車の鍵を外した。乗れる所まで押す。サドルに跨がる。ペダルを踏み込んだ。

 どんよりした曇り空にも、気が滅入らない! 私は、無敵だ! 

 繁華街に出る。すると、そこは、ショッピング客や学校帰りの学生で賑わっていた。

 駐輪スペースに、自転車を止めた。この間、クローゼットの中を整理したため、殆ど冬服がなかった。ずっと、買い物へ行かなくてはいけないと思っていたが、先延ばしにしていたのだ。

 全面ガラス張りが、都会的で、お洒落だ。「DRY WOOD」と書かれた看板は、わざと、斜めになっているが、それが、自然で、気取りを感じさせない。それだけを確認すると、その下にある、自動ドアを通った。 

「いらっしゃいませ」

言うと、店員の貴ちゃんが、こちらにやって来てくれる。身長180センチほど。前髪ぱっつん、太い眉毛と大きな目が、印象的だと思う。黒のベストに、細身のパンツという、人を選びそうな格好も、その抜群のスタイルで着こなしている。まだ、19歳だが、しっかりしていた。

「久し振りじゃないですかぁ」

「来ようと思っていたんだけど、中々ね」

「来て下さいよぉ。あっ、今日、美里さんにお勧めの物が、入って来たんですよ」

言うと、くるりと体の向きを変えた。

 貴ちゃんが、奧へ消えると、店内を見回した。透け感のある、スカートを手に取る。

「お待たせしました。こちらなんですけどね・・・」

声の方を見る。貴ちゃんが手に持っていたのは、ニットだった。丈が短く、大きめの編み目が、花だか、鳥だかの模様になっている。すると、その言葉が口を吐いて出た。

「可愛い」

「美里さんに似合うと思って」

それは、社交辞令だ。しかし、貴ちゃんも、親切で言ってくれているのだし、私も、彼女と店員と客以上の関係を望んでいる訳ではないのだ。

「あぁ。でも、美里さんは、こっちの色の方が、良いかな」

 その後、所々が破れているニットや、片足ずつグレーと青に別れているパンツなど、勧められるがまま購入を決めた。他人に選んで貰う事は、自分では絶対に選ばない様な物に出会えるから、好きだ。

「○○円、ちょうど、お預かりします」

紙袋に、ビニールが掛かっている。その事に気付くと、窓の外に視線をやる。

 窓ガラスには、中の様子が反射していて、外の様子は分からない。

「○○円のお返しです」


 「気を付けて下さいね」

「ありがとう」と言い、紙袋を受け取った。

 自動ドアを通った瞬間、心許なくなった。明るく、暖かな場所から、暗く、寒い世界へと、一変したからだ。  

 手先の感覚がない。今から30分間、この寒さの中を帰るのだ。次第に、足取りが、重くなり、遂に、立ち止まった。すると、ちょうど、そこは、可愛らしい喫茶店の前だった。

 外壁が水色で、窓枠やドアが、白になっている。ここを通る度、気になっていたのだ。間近で見ると、案外、雑な塗り方だと思う。それだけを確認すると、そのドアを押した。何も、急いで帰る必要はないのだから。

 カラン、カラン、カラン。

 「いらっしゃいませ。1名様ですか?」

「はい」

店内の奧には、暖炉がある。

「お席にご案内致します」

その声で、我に返った。

 棚の上には、絵本やテディベアが,飾ってある。まるで、お伽話の中に入り込んだかの様だ。

「こちらの席にどうぞ」 

この窓にも、中の様子が反射している。 

 メニュー表を捲っていると、急激に、手先に血液が流れる。周りを見回してみる。店内には、私の他に、お喋りに花を咲かせている、40代の女性2人組みと、文庫本を読んでいる、30代前半の女性がいるだけだ。平日の18時過ぎという事を考えると、この閑散とした店内も、頷ける。

 「お待たせしました」

目の前に、カプチーノが用意された。

「ごゆっくりどうぞ」

 カップに口を付ける。ゆっくり啜ると、熱い液体が、胃に染みる。

 カラン、カラン、カラン。

「1名様ですか?」

「はい」

声の方を見た。すると、そこにいたのは、20代前半の黒いコート姿の男性だった。可愛らしい喫茶店と、男性1人客という組み合わせが、違和感だった。


 店内には暖かく、緩慢な時間が、流れている。この場所に永遠と留まっていられたら、どんなに幸せだろう。自由な世界も、良いが、安全な世界も、悪くない・・・。

「雨、止みますかね」

声の方を見る。すると、先程の男性が、1つ空けた席から微笑みを浮かべていた。白い肌に、切れ長の目をしている。

「止むと良いんですけどね」

「やられましたよ」

「フフフ」

「全く酷い日だ」

「そうですね」と言おうとして、口を閉じた。前に向き直ると、また、カップの続きを啜る。

 カップの中身を飲み干した。1度、深呼吸した後、コートを手に取った。これ以上、この暖かな場所にいたら、完全に帰るタイミングを逃してしまう。

「お帰りですか?」

声の方を見る。すると、そこには、先程の男性の笑みがあった。「ええ」と言って、笑い返す。

 コートのボタンの続きを留める。

「亡くなったって、連絡があって」

声の方を振り返る。すると、男性が、パッと顔を上げた。

「すみません。行き成り」

「良ければ、話、聞きましょうか?」

「本当に?」

照明で、男性の目が、輝いた。


 私が、荷物を運んでいる間、男性が、店員を呼び止めてくれた。

 軽くメニュー表に目を通した後、先程と同じ物を注文した。

「畏まりました」

店員が、この場を立ち去った。そこで、男性は、1度、深呼吸した後、話し始めた。

「さっき、地元から電話があって・・・」

 男性の話によると、それは、友人が、交通事故に巻き込まれ、亡くなったという内容だったそうだ。小学校からの帰宅途中、道路に飛び出した、少年を庇ったのだという。

「それ聞いたら、居ても立ってもいられなくて、駅前をうろついていた。そしたら、雨が、降って来たから・・・」

遂に、先程から感じていた、違和感の正体が、分かった。男性には、カフェ巡りが趣味だという人に共通する、可愛らしい雰囲気がなかったのだ。

 その後も、男性と取り留めのない事を話し続けた。

「僕、こう見えて、バンドしていたんだよ。結局、プロにはなれなかったけどね」 

「凄いね」

何でも話せるのは、私達が、お互いの人生に何の影響も及ぼさない、他人同士だからだ。この空間が、そうさせるのか、とても居心地が良く、どんどん時間の感覚を見失っていく。

「すみません。ラストオーダーのお時間になります」

その声で、我に返った。柱時計は、と見ると、20時45分を差している。


 カラン、カラン、カラン。

 外に出ると、雨は、すっかり上がっていた。暗い闇の中に、白い息が浮かぶ。

「ごめんなさい。こんな時間まで、付き合わせちゃって」

声の方を見る。男性は、俯き加減にしていた。

「いいえ。予定は、動かせるので」

男性は、「フフフ」と笑うと、顔を上げた。

「じゃあ、僕は、ファミレスで始発まで待ちますよ」

その発言に、驚いた。すると、その言葉が口を吐いて出た。

「今から?」

「まぁ」

「・・・良かったら、付き合う?」

男性は、「フフフフフ」と笑いながら、下を向く様にした。



 カランカランカラン。

 男性の後に続き、ファミレスの店内へ入る。

「いらっしゃいませ。2名様ですか?」

平日の22時を過ぎているというのに、店内には、子供の声がしている。

「お席にご案内致します」

その声で、我に返った。

 その後も、ドリンクバーのドリンク片手に、男性と取り留めのない事を話し続けた。まるで、この夜だけ、現実から切り離されたかの様だ。目の前の男性には、昔からよく知っているかの様な、既視感がある。もしかしたら、これは、私が見ている、夢なのかもしれない。目を覚ませば、目の前の男性も、子供の声も、この街自体、パッと消えてなくなるのだ。それは、それで、良い。そこで、男性が、席を立った。

「取って来るよ」

「うん」

「あっ」

その声で、男性の視線の先を追った。すると、窓の外に、朝日が昇っていくところだった。


 カランカランカラン。

 外へ出た瞬間、強い風が、吹き付けた。まだ、街は薄暗いが、既に、今日という日を始めている人達がいる。こんな朝、早くから仕事だろうか。そう考えた所で、稔さんが、足を止めた。彼と向き合う。

「本当、ごめんね。こんな時間まで付き合わせちゃって」

稔さんは、足下を見る様にしている。それが、分かると、彼を元気付けたいと思った。そこで、地上から太陽が、すっかり顔を出した。

「気にしないで。もう、明るいし」

言うと、稔さんが、パッと顔を上げた。私の視線を追う。

「フッ」

「元気、出してね」

「ありがとう。落ち着いたら、連絡するよ。・・・連絡先、聞いたっけ?」

 稔さんが、「じゃあ」と言い、ぎこちなく手を振った。私も、「じゃあね」と言って、小さく手を振り返す。回れ右した。

 足早に来た道を戻っていると、冷気が容赦なく体温を奪っていく。不意に、足を止めた。ビルの影から、太陽が、輝いたのだ。息を大きく吸い込む。すると、肺の中が、冷たい空気で、満たされた。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。



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