うそつきカレン
「さようなら」
カレンはその一言を残して去って行った。僕はなにも言えず、引き留めることもできず、ただうしろ姿を見送るだけだった。僕にとっては唐突な別れの言葉である。なぜ、突然の別れなのか。
一つ気になることがあった。「さよなら」ではなく「さようなら」だったことだ。普段のカレンなら「さよなら」と言うはずだ。しかし、カレンは「さようなら」と丁寧な言葉遣いをした。
そのカレンがチャペルから幸せそうな顔をして出てきた。新郎と腕を組み、笑顔を振りまき、はにかみながら階段を下りてくる。周りを取り囲む仲間から祝福され、人生の絶頂を迎えているような笑顔を見せていた。
僕の名前は小田正志。自分で言うのもなんだが、お金持ちのボンボンだ。父親は代々続く不動産業を営んでおり、僕もそのあとを継ぐことになっていた。おそらく余程のことがない限り、没落することはないはずだ。僕の将来も安定していると思っている。
お金持ちの家庭によくあるパターンだが、僕も小学校から私立の名門と言われる学校に通っていた。そのまま大学までエレベーター方式で進学できるのがメリットだ。受験勉強に苦労することもなく有名大学卒業というブランドを手に入れることができる。
こんな僕がカレンと出会ったのは大学2年の春だ。僕が出会ったときカレンはモデルとして働いていた。僕が二十歳、カレンが二十三歳だった。大学2年生ともなると大学生活にもすっかり慣れ、ほとんど授業にも出なくなっていた。授業に出なくとも単位を取るコツがわかっていたからだ。なのでそのころから僕の大学生活は「気まま生活」と同義語となっていた。
これも金持ちのボンボンによくあるパターンだが、僕は一応いろいろな楽器を一通り演奏できる。小さい頃からピアノとバイオリンを習っていたことも理由だが、中学に入るとギターに興味を持ち、高校ではドラムも叩けるようになっていた。これらの楽器を練習するのは普通の家庭ではちょっとハードルが高い。楽器そのものの値段が高いこともあるが、練習場所の確保が難しいからだ。
このような事情からお金持ちの家庭の子供は自然と楽器を操れるようになる。周りをちょっと見まわしてみるとわかるが、楽器を演奏できる子供はほとんどがお金持ちの子供のはずである。僕はその条件を満たしていた。
その流れで高校時代にバンド活動を始め、大学でもバンドサークルに入った。しかし、大学のサークルに入ると自分の演奏テクニックが並みでしかないことを自覚するようになった。やはり上には上がいるもので高校時代と違い、大学では腕に自信がある人が集まってくる。僕にとって、大学は自分の音楽に対する限界を知るための場所だった。
だからと言って、バンド活動をやめたわけではない。ほかにやることもなかったし、ライブハウスで演奏することは楽しかった。大学生活を楽しむためのバンド活動だった。元々卒業後は親のあとを継ぐ人生レールが敷かれていたので、そうした大学生活を送ることに抵抗感もなかった。両親にしてみても好都合だったはずだ。
そんなときカレンに出会った。
カレンは本名ではない。若者の間で人気があるマンガの主人公に似ていたことからカレンと呼ばれていた。本名は吉崎雅代だ。モデルをやっているだけあって容姿はハーフっぽい感じがしていた。しかし、れっきとした純日本人である。遺伝子は日本人でも外見からすると、雅代よりはカレンのほうが似合っていた。本人は雅代も気に入っていたようだが、周りからカレンと呼ばれることにも抵抗感を感じていないようだった。誰もが「雅代」はあまりに地味で容姿と釣り合わないと思っていた。
これまで僕は一目惚れというのを信じていなかった。したことがないからだ。そもそも一目見ただけで人を好きになるという感覚が理解できなかった。一目ではなにもわからないではないか。別に「容姿はどうでもいい」などといい子ぶった意見を言うつもりはない。やはりつき合う女性はきれいに越したことはない。きれいな女性のほうが気持ちも昂るというものだ。しかし、一目見ただけで気持ちが昂ることはあり得ない。繰り返すが、一目ではなにもわからないからだ。
しかし、僕は一目惚れをした。カレンに一目惚れ!だ。これまでの僕の主義主張をぶち壊すような衝撃をカレンから受けた。一目惚れ!だ。
カレンはライブのあとの打ち上げに途中からやってきた。誰の知り合いかは忘れたが、見た瞬間に恋に落ちた。それまで僕には理想の女性などという人はいなかったが、カレンが理想の女性だと思った。人間の主義主張なんてあてにならないものだ。こんなことを言うと、僕は移り気で確固たる信念など持っていない優柔不断な人間のように思うかもしれない。本当はそんなことはないのだが、結果的にそうなってしまった。人になんと言われようと思われようと構わない。僕はカレンに落ちた。
僕はただただひたすらアタックをした。隣の席に陣取り話をし、必死に語りかけた。そして、デートをすることに成功した。
「マサシは変わってるね。バンドマンらしくないよ」
カレンは僕がバンドマンらしくないところが気に入ったらしい。基本的にバンドマンというのはカッコつける奴が多いのが普通だ。ライブをやっていると固定ファンがつく。そうしたファンの目を意識してしまうので、自然とカッコつけるようになってしまう。しかし、僕の場合はバンド活動は学生時代までと決めているのでカッコつける必要もない。そこが普通のバンドマンと違うところだ。
「マサシはボンボンのにおいがするね」
カレンは普通のサラリーマンの家庭に育ったらしい。モデルの仕事をやってはいるが、有名というわけでもない。どこか冷めたところがあってモデルの仕事は若い間だけと決めていた。30才を迎える前にほかの道に進むつもりだと話していた。
僕とカレンの共通点は現実的な考えを持っているところだ。カレンは普通の家庭で育っているので社会で生きることの厳しさをわかっていた。僕にしても親のあとを継ぐ運命が決まっていたので現実的な考えにならざるを得なかった。
僕はカレンに夢中になっていた。カレンとの初めての夜、カレンはからかうように聞いてきた。
「カレンは何人目?」
そんな質問をされるとは思っていなかったので一瞬戸惑った。男にとって人数は微妙だ。少なければ真面目というよりも「ダサい」と思われそうだし、多すぎれば「遊び人」と思われてしまう。2秒間考えて出した答は
「4人目」。
この答えが正解なのかどうかは女性の側の経験にもよるだろう。僕の察するところその後のカレンとの展開からしてみると、正解かはわからないが悪い回答ではなかったと思う。ここで女性の扱いに慣れている男なら人数を聞き返すのかもしれない。しかし、僕は聞き返すことはしなかった。それよりも、これから起こることを想像するだけで興奮してそれどころではなかったのだ。だって、裸のカレンが目の前にいるのだから。
僕はいつの間にか大学に行く時間よりもカレンと会っているほうが長くなっていた。将来カレンは仕事を変えるとはいえ、モデルの仕事を一生懸命やっていた。そのカレンの働いている姿を見ることは僕にとってはモデルの世界を知ることであり、それも楽しかった。いろいろな世界を知ることは親のあとを継いで経営者になる僕には悪いことではない。
まだ学生だったが、僕はカレンと結婚することも考えていた。それを意識していたので親にも紹介した。両親ともカレンがきれいなことも含めて気に入ってくれたようだ。特に、父親は嫁がきれいなことは経営者の集まりで役に立つと思ったようだ。経営者にはほんの些細なことでも経営にプラスになることは利用しようとする抜け目のなさが備わっている。
母親はカレンの家族についてしきりに質問をしていた。普通のサラリーマンの家庭ということに安心したようだ。極端な話、一般常識とかけ離れた考えの家族がうしろに控えている娘さんでは社長の妻として不適格である。母は、カレンが普通の家庭に育ったことに至極安心していた。
僕は両親に紹介し、一応認めてもらったことに安堵した。次は僕がカレンの親に紹介される番だ。けれど、カレンは「そんな必要なない」と言った。自分の人生は自分のものなのだから「いちいち親の了解など取る必要がない」と考えていたからだ。カレンがこのような考えを持つようになったのも親の影響が大きいと思うが、結婚を申し込む側の僕としては歓迎すべきことだ。やはり相手の親に会うのは緊張する。
カレンには2才違いの妹さんがいた。妹さんには一度会ったことがある。デートをしている途中に忘れ物を届けてくれたときだ。カレンより少し身長が低く目元だけ似ていたが、それ以外は姉妹には見えなかった。しかし、話し方やちょっとした仕草が似ていて仲のよさが伝わってきた。
実は、同性の兄弟姉妹で仲がいいのは珍しいのだ。僕には姉が一人いて男は僕だけなので嫌な思いをしたことはない。しかし、周りの友人を見ていると男にしても女にしても兄弟姉妹で心の底から仲がいいケースは稀だった。同性だと無意識のうちに親に対して競争心が働いてしまうようだ。年齢が近ければその傾向はなおさら強くなる。ありていに言うならライバル関係ということだ。カレンと妹さんのように心の底から仲がよいのは本当に珍しい。おそらくご両親の子供たちへの接し方がうまかったのだろう。
ある日、カレンと通りを歩いていると花屋の前に差し掛かった。
「わたし、モデルやるまで花屋さんでバイトしてたの」
急にそんなことを言い出して、店先に出ている赤い花を指さした。
「これね、サルビアって言うんだけど、一番好きな花」
初めて聞く名前だった。僕は花にはほとんど興味がなかったので有名な花の名前しか知らない。僕の中ではサルビアは有名ではない花だった。ただ真っ赤な色が印象的だった。
「わたし、今まで花屋さんでバイトしてたこと誰にも話したことがないの。モデル仲間にはちょっと恥ずかしくて話せないし。だからこの話をしたのマサシが初めて」
突然の告白にちょっと驚いたが、秘密を教えてくれたことがうれしかった。
「全然、恥ずかしいこととは思わないけど…」
「まぁね、人によりいろいろだから」
僕はアルバイトをしたことがないのでよくわからないが、華やかな世界で働いているカレンにとっては花屋のバイトは知られたくない過去なのかもしれない。それはともかくカレンが秘密を話してくれたことは、僕を特別な存在に昇格させてくれたようでうれしかった。
僕とカレンのつき合いは順調にその後もずっと続いていた。普通、恋人同士になって半年も過ぎるとお互いのエゴがぶつかり、言い争いや喧嘩になることがある。けれど、僕もカレンも生来の穏やかな性格と相手を気遣う気質を持っていたので喧嘩はおろか言い争いもしたこともなかった。ありふれた言葉だが、カレンは優しい女性だった。外見に似つかわず昔の日本女性のように男性を立てることも知っていたし、気配りもできる女性だった。
こうして僕はカレンと幸せな時間を過ごしていたが、卒業を半年後に控えた夏のおわり頃からカレンのようすが変わってきた。電話をかけてもすぐに出ないことが多くなり、メールへの返信も遅れるようになっていた。
デートをしていてもどこかよそよそしい感じがしたし、距離を置こうとしているようにも感じた。僕は自分がなにかカレンを傷つけることをしたのか、と考えてもみたが思い当たるところはなかった。
ある日、直接聞いてみた。
「なんか最近、前と違うような気がするんだけど…」
「えっ、そんなことないよ。気のせいよ」
「そうかなぁ…」
「そうよぉ。大丈夫、マサシは絶対幸せになるから心配しないで」
「僕は、カレンといるときが一番幸せだから」
「あ・り・が・と」
カレンはとてもうれしそうな顔をした。
母親というのは息子の微妙な変化に敏感だ。僕が元気がないのを感じ取ったようだった。
「最近、あのお嬢さんとどうなの?」
「うん。まぁ。でもあんまりうまくいってないかな」
「まぁ、若いんだからなにごとも経験よ」
母親というのは息子の彼女には冷たい態度をとるのが一般的である。カレンを彼女のひとりくらいにしか考えていないようだった。
僕は無事に大学を卒業した。バンド活動も終了した。そして、父の会社に新入社員として働きだした。新社会人の楽しみは4月の終わりから始まるゴールデンウイークだ。僕はカレンと旅行に行きたかったが、カレンはモデルの仕事があると言っていた。僕は学生時代の仲間と過ごした。
ゴールデンウィークが終わって数日後、カレンから連絡があった。大事な話がある、と。
「マサシ、元気だった?」
久しぶりに聞くカレンの声だった。カレンは相変わらずきれいだった。
「カレン、連休中も仕事大変だったね。僕は友だちと遊び三昧で申し訳ない」
「そんなことないよ。連休中くらいのんびりしないと」
なんか嫌な予感がした。まるで世間話ではないか。よく見ると、カレンが硬い表情をしているように見えた。
僕は不安な気持ちをかき消すかのように切り出した
「大事な話って…」
「うん…」
カレンはそう言うとうつむいた。
「どうしたの?」
僕の質問にカレン顔を上げた。
「あのね。わたしうそをつくの嫌だから正直に言うね」
僕は正直に言ってほしくなかった。
「わたし、今つき合っている人がいるの。結婚を前提として」
「えっ? でも、僕たちもつき合ってるよね」
「確かに、これまではマサシとつき合っていた。わたしズルい人間になりたくないから、こうやってお話してるの。だから二股はしてない。そんな倫理観のない生き方は自分でも許せないから」
「じゃぁ、まだ、その人とはつき合ってはいないわけだよね」
「うん。正確に言ったら『つき合おうと思っている人がいる』ということになる」
「よかったぁ。じゃぁ、まだ僕にもチャンスがあるんだ」
僕は自然と笑みが出た。僕の笑顔を見てカレンはいつもの柔和な表情になった。
「マサシ、、、。もう」
そう言いながらカレンも笑みを浮かべた。けれど、自らの気持ちを切り替えるように表情を引き締めて話しはじめた。
「マサシ。全然変わらないね。そういうところ好きよ。大好きよ! でも、お別れするね」
僕にはややこしい言葉だった。だって、「好きよ。大好きよ」と言いながら別れるなんて。僕は一生懸命に説得にかかった。
「ねぇねぇ、そんなこと言わないで。これからもつき合おうよ。僕、カレンのことが大好きだからさぁ」
とにかく僕は必死だった。このタイミングを逃したら二度と説得するチャンスがこないと思えたからだ。
「あ、そうだ。あの花、なんて言ったっけ? あの赤い花」
カレンは笑顔になるのを我慢するような表情で答えた。
「サルビアでしょ」
「そうそう、サルビア。僕、サルビアの花をたくさんカレンにあげるから」
カレンは笑うのを我慢できないふうに
「たくさんもらって、わたしどうすればいいの?」
「えーっと、身体中に飾ればいいじゃない」
「マサシ、普通は身体中に飾るんじゃなくて、部屋中に飾るんでしょ」
「そんなことどうでもいいよ。とにかく僕はカレンと別れたくない」
カレンは黙り込んだ。僕も黙り込んだ。
どのくらい沈黙が続いただろうか。店員さんが幾度も僕たちの席の前を行ったり来たりしていた。僕はこれまでのカレンとデートしたときのことを思い出していた。そんなとき、カレンが口を開いた。
「マサシ、世の中には自分の思いどおりにならないこともたくさんあるのよ。今回のことはそのうちの一つ」
「カレン。僕のこと嫌いになったの?」
「嫌いになったわけじゃないけど、冷めたかな…」
「さっき、好きって言ってくれたじゃない」
「あれは彼氏としては好きっていう意味。彼氏と結婚相手は別ということかな」
「その人と結婚するの?」
「たぶん…」
「その人、何才?」
「38才」
「大人だね」
「うん」
「カレンと年の差ありすぎない?」
「大丈夫」
「そうか。大丈夫か。でも、僕、カレンのこと好きなんだ。どうしよう」
「マサシ、男なら辛抱しなさい。耐えなさい」
僕はまるで師匠と話しているみたいだと思った。なんの師匠か思いつかなったけれど。
結局、カレンは「さようなら」と言って去って行った。「さよなら」ではなく「さようなら」だ。他人行儀を強調するような丁寧な言い回しだった。あんなに僕のことを「好きだ」と言ってくれたカレン。僕は心の中でつぶやいた。
…うそつきカレン…。
カレンとの別れはやはりこたえた。気持ちが落ち込みなにもする気になれなかった。会社では一応「五月病」とジョークを飛ばしていたが、失恋は病気よりもダメージが大きい。
それでもなんとか気持ちを取り直し、少しずつ元気になりつつあった7月の終わり頃、カレンから結婚式の招待状が届いた。悩んだ末に出席を〇でかこんだ。どんな旦那なのか見てやろうと思ったのと、あと一つ、カレンに仕返しをしようと考えたからだ。男として情けない部分もあるが、神様も少しくらいは許してくれるだろう。
サルビアの花を降らせてやるんだ。
結婚式当日は快晴だった。僕の気持ちは曇っていたが、世の中は気持ちいい晴天だった。チャペルから出てくる二人を待ちかねるようにバージンロードの周りには仲間たちが集まっていた。僕はその列のうしろのほうに並んだ。全員がフラワーシャワーを降らせようとバラの花を手にしていた。しかし、僕が手にしていたのはサルビアだ。
いよいよ二人がチャペルから出てきた。みんなの歓声があがった。やっぱりカレンはきれいだ。世界で一番きれいなウェディング姿だった。みんなに祝福されながらカレンが歩いてくる。僕は見とれていた。カレンが近くに来たときにあわててサルビアを降らせた。
カレンが僕に気がついた。カレンは僕をまっすぐに見つめながら声は出さずに口を「ありがと」と動かした。僕の最初の計画では恨みがましい表情をするはずだった。しかし、カレンを目の前にするとそんな気持ちは吹き飛んだ。僕は、ウエディング姿のカレンを見つめた。目の前からいなくなるまで僕はずっとカレンの瞳を見つめていた。
…カレンのうしろ姿もきれいだった。
式のあと二人は車に乗って新婚旅行に行くそうだ。周りの人が話していた。
僕が駅に向かって歩いていると、背中越しに僕を呼ぶ声がした。
「マサシさん」
振り返るとカレンの妹さんが立っていた。
「今日は出席いただきましてありがとうございます。姉もすごく喜んでいました」
言葉遣いが大人びているのに少し驚いた。
「ああ、それはどうも」
僕はできるだけそっけなく振舞おうと思った。“姉の恨みを妹で晴らす”といったところだ。けれど、僕の思惑とは裏腹に妹さんは「駅まで一緒にいいですか」と言ってきた。仕方なく並んで歩くことになった。
「マサシさんのお花、サルビアでしたね」
僕は心の中を見透かされたようで、少し身構えた。
「ええ、前にお姉さんからサルビアの花が好きだって聞いたことがあったので」
敢えて“お姉さん”と言ってやった。他人行儀を演出したのだ。
「そうですか」
「お姉さんは昔お花屋さんでアルバイトをしていたそうで、そのときに『好きになった』って話していました」
僕の言葉に妹さんは笑みを浮かべた。
「姉は花屋さんでバイトしたことなんてありません。サルビアは私が教えたんです」
僕は思わず、妹さんの顔を見た。
「えっ、でもお姉さんは花屋さんでアルバ…」
それ以上言葉が続かなかった。妹さんの笑みが大きくなったように思えたからだ。妹さんもそれ以上、なにも言わなかった。
しばらく沈黙が続いたあと、妹さんは僕を値踏みでもするかのような口ぶりで聞いてきた。
「姉の招待状を見たとき、驚きました?」
なんとも強烈な直球だ。
「ええ、ちょっと」
「そうですよね。妹の私も驚きましたから。わたし、姉はマサシさんと結婚するって思ってましたから」
僕は思わず、立ち止まってしまった。青天の霹靂とはこのことだ。僕は狐につままれた気持ちになった。立ち止まった僕を振り返り妹さんは続けた。
「姉は、なんて言ってたんですか?」
「なんてって、言うか。つき合いたい人がいるって」
妹さんはまた沈黙になった。なにかを考えているようだった。
「マサシさんたちはどうして別れたんですか?」
これもまた直球だ。
「どうしてって、お姉さんが『つき合いたい人がいる』って言うから」
「そうですか。ちなみになんですけど、別れたのはいつですか?」
質問ばかりをされるので僕は尋問を受けている気分になった。
「ゴールデンウィークのあとだから、5月のはじめ頃かな」
妹さんは少し納得したような表情を浮かべた。
「マサシさんは姉と新郎のなれそめ、知ってます?」
僕は少し不快な気持ちになった。
「知るわけないじゃないですか」
「そうですよね。…あの二人、今流行りの婚活パーティーなんです」
「婚活パーティー…」
「そう。しかも二人が出会ったのは5月の終わりころです。だから、マサシさんと別れたあとなんです」
直球でツーストライクを取られたあとに、さらにど真ん中に剛速球を投げられた気分だった。
「えっ、じゃぁ、『つき合いたい人がいる』って言うのは…うそ…」
「そうなりますね」
僕の頭の中を、カレンとのやり取りが走馬灯のように駆け巡った。
僕は心の中でつぶやいた。
…うそつきカレン…。
僕はまたゆっくりと歩きはじめた。僕に合わせて妹さんも歩きはじめた。しばらくどちらも黙っていたが、妹さんが我慢できないといったふうで話し始めた。
「あのぉ、言おうかどうしようか迷ってたんですけど…」
「そこまで言って言わないのはマナー違反でしょう」
「そうですよね。じゃぁ、言います。姉はマサシさんのお母様から手紙をもらってます」
またしても直球だ。しかも今度は並みの剛速球じゃない。左右にブレながら手元でズドンと落ちるフォークボールだ。
「どうして僕の母が…」
「お母さんの悪口を言うようで、ちょっと気が引けるんですけど。『別れてほしい』って」
「まさか」
「もちろん直接的な書き方じゃなかったんですけど、あきらかにそう読み取れる内容でした」
僕はそれ以上言葉が出てこなかった。“うそつきカレン”にさせていたのは僕のほうだったのだ。あまりの僕のショックぶりに妹さんは慌てたようだった。
「でも、姉はお母さんを恨んでなんていません。これも運命だと思ったみたいですよ。その証拠に今日の幸せそうな笑顔、見ましたか。ウェディングドレスをまとったあの笑顔は作り物ではなく本物でした。心の底からうれしそうでした。それになんと言っても今の旦那さんとてもいい人だから。だから、マサシさんもお母さんを怒ったりしないでくださいね。そんなことしたら姉が悲しみます」
僕はなんと返答してよいかわからなかった。ただただ小さくうなづいていた。
僕はカレンに感謝する気持ちしかなかった。母の常識外れの行動を怒るでもなく受け入れてしかも恩着せがましくせず、自分の人生も大切にしているように思えた。僕はそんなカレンと出会ったことに感謝していた。
僕が晴れ晴れとした気持ちで歩いていると、うしろから車のクラクションを鳴らす音が聞こえた。振り返るとハンドルを握る新郎と助手席に座るカレンが見えた。僕たちの前を通り過ぎ30メートルくらい行った先で車が止まった。そして、カレンが窓から上半身を乗り出して大きな声で叫んだ。
「マサシィー! あ・た・し・ねぇー」
そう言うとカレンは両手を拡声器になるように口の周りにあてて続けた
「あ・た・しぃーい、、、」
僕は耳を澄ました。
「う・そ・つ・き・カレーン! バイバ~イ」
両手を大きく振っているカレンを乗せて、車は颯爽と走り去って行った。
僕は空を見上げた。
今日は、これまで生きてきた中で最高に晴れやかなお天気だった。
終わり。
♪BGM
物語のはじまり もとまろ「サルビアの花」
物語のおわり ビリー・ジョエル「マイ ライフ」