山の香草摘み
活動報告にも書きましたが
『神殿』⇒『祭殿』に変更しました。
空からキラキラと、金と黒の『精の粉』が降ってきた。一瞬だけ降ってきたそれは、空中に溶け込むように儚く消える。
「お、先触れだ。こりゃあ運が良いや。嬢ちゃん、祝いに何でも安くするぞ?」
私と一緒に空を見上げていた果物屋台の男店主は、にこにこと上機嫌。
そりゃそうだ。当日の『祝聖』と違って『先触れ』は精霊からの知らせだから、一瞬で終わってしまう。朝昼夕と大まかには決まってるけど、いつ降るかは精霊の気分次第なので、細かな時は解らない。
だから、気紛れに訪れる精霊の知らせに偶然巡り遇えたなら、それはとっても幸運な事。男店主のように屋台でいつも外にいる仕事をしていても、一瞬なので見逃すことだってある。だもんで商売人にとって、特に最初の先触れは幸運の証として重宝がられている。
「ホント?じゃ、プルーアとベリンを二つずつ頂戴」
「あいよ」
私がジュトで編まれた袋を渡すと、男店主はそれを受け取って、果物をジュト袋に入れていく。
やったね!今日はついてる。
屋台通りに来てみたら、新しい屋台があるのに気づいて、ちょっと覗いてみたら、先触れのおかげでお得に果物を手に入れることができた。
男店主に返されたジュト袋を手籠に入れて、私は代金百八十ルドー、大銅貨一枚と小銅貨八枚を支払った。
「また来てくれよ。嬢ちゃんは幸運の女神だからな」
「またおまけしてくれるならね」
男店主に手を振って、そこを離れた。
今日は夏の訪来日から三週間経った最初の陽の日。予想通り先触れが遇った。
あと十一日。精霊祭の三日前。
その日がととさんと私の『生まれ変わりの日』
秋の訪来日がくれば、私も十二歳になる。最初の頃のことはよく憶えてないけど、あっという間に六年が過ぎた。まぁ、あっという間の中には、いろんなことがいっぱい詰まってるけどね。
『ととさん、パンツまる出し事件』を憶い出して、思わず吹き出しそうになる。まずいまずい。道の真ん中で大笑いしちゃったら、危ない人に認定されちゃう。
懸命に笑いを噛み殺して、私は急いでうちに帰った。
家に帰ってすぐ、買ってきた物を手籠から出して、野菜や果物を木箱にしまう。ラビルの肉は悪くならないように、冬の魔具の木箱に入れる。
冬の魔具は、ひと塊の肉を入れただけでいっぱいになるぐらいの小さな木箱で、蓋を被せ閉めると魔法陣がうっすらと光り、木箱の中を冷やしてくれる、肉を腐らせない便利魔具だ。
四季精霊の力は、水や風とかの五大精霊よりも借りやすいから、鐘の音一つ分ぐらいその力を借りても魔具の消耗は遅い。
でもだからといって、一日中その力を借りたり、より強力な力、例えば『冷やす』じゃなく『凍らす』とかだったりしたら、駄目になるのは早くなっちゃうけどね。
うちでは、買ってから夕食を作るまでだし、週に一、二度しかお肉を食べないから、使用頻度も少ないので、この魔具はまだまだ大丈夫。
さてと、本日の仕事はお〜わりっと。
ぐるりと家の中を見回して、やり忘れがないか確認する。
よし!大丈夫。香草摘みに行こっと。
小ぶりの手籠を持って、私は山へと向かった。
山は家から北に鐘の音半分ぐらいの所にあって、その山の入口付近をウロウロして、いつも香草を探している。
ミミンの香草発見!もうすぐ無くなりそうだったんだよね。あ、グロースモンレだ。ん〜、モンレのいい香り。……あれ?
木の根本に、白と黄色の花が咲いてるのに気づいた。花からは仄かにプルーアの香りがする。
新種発見!
手籠から手のてらぐらいの大きさの木板を取り出す。そこには木の魔法陣が描かれていて、その上に花を摘んで置くと、魔法陣がうっすらと光ってすぐに消えた。
もし毒があれば木板にそのまま『毒』の文字が浮かぶけれど、今はなんの変化もない。ということは、この香草は毒花じゃない。
問題なし、と。
ととさん土産の香草事典の内容を憶い出す。
う〜ん、あったかなぁ。憶えないなぁ……前に似たような香草が咳に効いたから、これも同じかも。
せっせと花を摘んで、地面に広げた布に置いていく。他の香草もある程度摘んだら、次は種づくり。
手籠から木の魔法陣が描かれた蓋の付いた筒を取り出す。蓋を外すと筒の先は斜めに切られてて、その先を香草の根元に刺して、土ごと掘り起こす。土付きの香草が入った筒の蓋を閉めると、魔法陣がうっすらと光ってしばらくして消える。蓋を開けると、あ〜ら不思議、土付き香草が種に、だいへ〜んし〜ん!
それを小さな紙の上に出して包んでいく。最近うちでも香草を育て始めたから、色々と種を集めてる。香草は多少環境が変わってもすぐに芽を出すから、育てやすくて助かるけれど、何故か毎回野草も一緒に生えてくる。おかしいなぁ、野草の種、無いはずなんだけれど。
さてと……別の場所に行こうと立ち上がったら、ガザザッと少し向こうにある背の高い茂みが揺れ動いた。
あの高さの茂みが揺れるってことはバビノ?……まさかアーベ?!こんな所まで下りてきたの!?
アーベならまずい。命の危機だ。立ち上がってのあの強烈な一撃を食らわしてきたら、私なんてイチコロ……まずい!逃げなきゃ!
「……お前、こんな所で何してんだ?」
恐怖で固まってしまった体を懸命に動かそうとしていた私に、訝しんだ声が降ってきた。はっと顔をあげると、そこには背中に弓、腰には短刀を装備した猟人見習いのギッシュが、険しい顔をしてこちらを見ていた。
「ギッシュ!もう!脅かさないでよ!」
「…ギッシュさん、だ」
ほっとしたと同時に湧いた怒りに、思わず叫んだ私に、ギッシュはどうでもいい訂正をしてくる。
確かにギッシュはミンディと同い年で、私より二つ年上だ。でも、昔の『あんた何やってんの』時代を知ってる私としては到底敬称を付ける気にはなれない。
「ギッシュこそ何してるの?」
ギッシュの言葉を無視して、私は訊ねた。
「何って、猟に決まってるだろ」
猟人見習いなんだから、という言葉を含んで、ギッシュは答える。そりゃそうだ。ちょっとバカな事を訊いちゃった。
「お前こそ何やってんだ?」
「私は香草摘みだよ」
「香草?」
初めて聴く言葉なんだろうな。私は地面に置いてある手籠からミミンの香草を取り出して、眉をひそめるギッシュの眼の前に差し出した。出されたからには、と怪訝そうにしながらも、ギッシュは受け取る。
「匂いを嗅いでみて。スッキリするような良い匂いするでしょ?」
促されて恐る恐るミミンの匂いを嗅いだギッシュは、途端ばっとミミンから顔をそむけた。
あ、しまった…ミミンは嗅ぐと鼻がスースーと冷えるような感じがするから、初めて嗅ぐ人はビックリしちゃうかも。
「えっと、それをすり潰してペースト状にした物で歯を磨くと、スッキリして気持ちいいの」
「……ふ〜ん」
もう一度遠巻きに匂いを嗅いだギッシュは、興味なさそうにミミンを返してきた。
「相変わらず変わったことしてんな」
「変わったことって……じゃ、ギッシュはどうなのよ」
「どうって……猟をしてるよ」
当たり前の事を訊くな、とギッシュは呆れた顔をする。なんだかムカつく。
「まぁ、これからニ、三日は忙しくなりそうだけどな」
「どうして?」
「ブケンリッジ子爵様の屋敷に客が来るんだと」
「お客が来るのは、別に珍しいことじゃないじゃない」
ブケンリッジ子爵は領主なんだから、週に一回は必ず誰かが来てる。珍しいことじゃない。
「客が来ることぐらい、俺だって知ってる」
それぐらい解ってる、と顔をしかめながら、ギッシュは続ける。
「なんか特別な客が来るらしい」
「特別?」
「あぁ、すっげぇ上位のお貴族様らしいぜ」
「あ〜、なるほど、つまり失礼のないようにもてなしたいと――」
「そんな訳ないだろ、あのブケンリッジ子爵様だせ?」
私の言葉にかぶせて、ギッシュはまた呆れた顔をする。
このユニタホ領地では十三歳になると十五歳まで、祭殿での祭事の手伝いをしなくちゃいけない。なんでも十六歳の成人前であり、でも十三歳過ぎと子供でもない、そんな大人と子供の間の子が祭事に最適なんだとか。
精霊の祭事にそんなことがあるとは、私は未だ本で読んだことがないんだけど……まぁ、そんな理由で、ミンディもギッシュも祭事の手伝いに駆り出されて、その時に領主のブケンリッジ子爵と会ったらしいんだけど……
私は会ったことないんだから、あのブケンリッジ子爵もそのブケンリッジ子爵も、どのブケンリッジ子爵も知らないよ。
不機嫌に頬を膨らました私に、ギッシュは急に優しげな声を出し始めた。ご機嫌取り?
「ブケンリッジ子爵様ってのはさ、ちょっと嫌な性格してるんだよ。自分よりも高い位の貴族のことが大嫌いでさ、ミンディがなんか難しいこと言ってたなぁ……ジコ…ジコケケヤウ?」
「…自己顕示欲?」
「そう、それ!それが強いらしい。それって『見栄っ張り』てことだろ?」
「うん、まぁ」
「だから、その見栄っ張りで自分の裕福さを見せつけたいんだと」
つまり「俺、金持ってんだぞ!なんでも買えるんだぞ!いっぱい買えるんだぞ!見てみろ、この沢山の肉料理を!肉すっげぇいっぱいだぞ!俺って凄いだろ?」てことを披露したいんだ。
「そっか、じゃ、いっぱい仕留めなきゃいけないから大変だね」
「ん〜、まぁ、その分給金も良くなるし」
猟人見習いは出来高制だから、ある意味一番頑張りがいがある仕事かも。
「そうなんだ、じゃあ、頑張ってね」
にっこり笑顔と声援で送り出そうとした私の顔を、ちょっと眉をひそめて、ギッシュが見てくる。
「あのさ、レミー……あの…あのな?…その…な?」
ん?なんだ?
疑問符を浮かべる私に、ギッシュは言いたくなさそうに言い淀む。
「あの……モーロのことなんだけど」
モーロ?確かモーロもミンディと同い年で、確か魔具の店ジクグマの店員をしてたはず。
ジクグマはある程度識字力とか計算力とかの知識がないと働き手になれない。給金はツゼロン並に良くて、みんな働きたがるけど、知識の壁に阻まれて諦めている。
知識に自信がある私は、密かに働き場所として考えてるんだけど、その店でモーロは働き手になっている。将来有望だ。
「モーロがどうしたの?」
首を傾げた私に、ギッシュはついっと視線を外す。
「いや、あの、ミンディ……」
そこで私はピンときた。
ギッシュはミンディのことが好きで、だからある日突然私に対して『悪戯小僧』から『柔和な兄様』になったんだけど、実はモーロもミンディのことが好きなんだよね。二人が好きになるのも解る。だってミンディって素敵なんだもの。
そのミンディはこの間魔具を買いにジクグマに行っている。きっとその時モーロとなんかあったんだ。
なんか……あれ?なんかあった?ミンディから話は聴いたけど、なんもなかったような……?
「いや、あのさ……モーロが言ったんだよ…ミンディといい感じだって…」
いい感じ……え、そんなの私も聴いてないけど、そうなの?……そんな……ミンディが私に隠し事してるなんて……
ギッシュの言葉に、私がショックを受けてしまった。
「その…店に来たミンディが、すっげぇ優しく笑ってくれたって……」
ん?優しく笑いかけた?
確かにミンディは男性に対して、あまり気安く笑いかけたりしない。私と一緒に色々危険な目に遭ってきてるから、警戒心が半端ない。
でも、その中で気安く笑いかけることがある。それはお金が絡む時。
ツゼロンには、他にはない『ルドー制度』がある。店員の接客態度に満足した客から『ルドー』が貰える。それは給金とは関係ない、客からのお小遣いみたいなもの。
接客応対向上のために導入した制度らしいけど、お客負担で店員の質を上げることができるし、金を払わす客には高級店ならではの制度『お金持ってないと出来ない』事で金持ち心をくすぐる。
この地域一の高級店にまでのし上がったツゼロンの店主は流石商才がある――とミンディが言っていた。
その制度の恩恵を一番受けてるのがミンディだ。如才ない対応に柔らかな微笑み――男性どころか女性客にだって好評価。例え腹の中で何を考えてようとも。
ミンディの笑顔の裏を知っているのは、ツゼロンではあの過激な間柄の女性料理人達ぐらいだと思う。
そのミンディが笑った、優しく笑いかけた……確かミンディ、お得に魔具を買えたって言ってたけど……そのこと?
男性にとっては貴重なミンディの笑顔に、無邪気に喜んでるモーロにも、勘違いで動揺してるギッシュにも、思わず同情しちゃう。なんて罪作りなミンディ……流石ミンディ、男を手玉に取るなんて。
私はミンディの凄さにうんうん心で頷いて、とりあえずギッシュを救うことにした。私には優しい兄様だからね。
「そりゃお得な買い物ができれば、誰だって嬉しくて笑っちゃわない?」
「お得な買い物?」
そんな情報初めて聴いた、とギッシュは眉をひそめる。
「そ、『旧品だからって安くしてもらえた』て、嬉しそうに話してくれたよ」
「安くしたって…あいつ、そんなことを……」
ギッシュは自分には出来ない敵の作戦に歯噛みしつつも、だから笑ったのであって『笑いかけた』訳じゃない事実に、安堵もしていた。
モーロもホントは解ってるけど、あえてライバルのギッシュには言葉を抜かして話したんだろうね。……解ってる…よね?……あれ?
考え始めた私の頭を、ぽんっと軽くギッシュは叩いた。色々と思うことはあるものの、とりあえず憂いがなくなって、スッキリした顔をしている。
「まぁ、この辺はラビルしか出ないし、出てもワピグぐらいだけど、一応気をつけるんだぞ」
「解ってるよ」
どうしてみんな同じようなことばっかり言うんだろ。私はもうすぐ十二歳になるっていうのに。
ちょっと不満げな私に笑いかけ、ギッシュはまた山へと入っていった。
その背中を見送った後も、せっせと香草摘みと種づくりをしていた私の耳に、遠くから暮れ一つの鐘が聴こえた。
もうそんな時間なんだ。早く帰って、夕ご飯の準備をしなくちゃ。
私は手早く片付けると、手籠を掴んでその場を離れた。
ミンディは凄いです。
綺麗で魅力的なだけじゃないです。
したたかです。魔性の女?
いえいえ、ギッシュやモーロ、近所の男の子達のマドンナです。