プロローグ
「我が父ドミフェン国皇陛下にお頼み申す。我が父ビフェルゴング・ドミフェンの名において、フェルミナ・サロモンド侯爵令嬢の断罪の義を執り行いたいと思います」
無駄によく通る声で高々と、第三皇子ルーデンレゴー・ドミフェンが言い放った。舞台役者かと思うほどの大袈裟な仕草で両手を国皇に向け広げ、何故かにっこりと微笑みを浮かべる。金色の髪をさらりとなびかせ、緑がかった蒼い瞳に無駄にキラキラを浮かばせて、ついでに自分の周囲にもキラキラを振りまいて、何故かにっこりと微笑んでいる。
いや、何故?
相変わらず、皇子の行動は理解不能だ。いや、それよりも何よりも、その『断罪の義」てのは何?
私は今、講堂にいる。二階席には本日卒業する生徒の親達が座っている。侯爵から始まり、伯爵、子爵、男爵まで。その中の中心のさらに一段高くなった場所に、ドミフェン国皇と皇妃が座っておられる。本日はなんと、滅多にその姿を見られないとされる第一皇子までやって来られている。
そんな凄い面々に見守られる中で、私達は講堂の中央にいた。
いや、本来ならば中央にいるのは、本日卒業の生徒達だ。十六歳の成人を迎え、めでたき栄えある主役の卒業生達だ。
しかし、今いるのは私達。それは、皇子ならびにその仲間達が巧みにみんなを誘導し、中央にスペースを確保し、その場に居座ったからに他ならない。そして、舞台が始まったのだ。
二階席にいる親達も、周囲にいる生徒達も、始まった舞台に呆気にとられて、ぽかんと口を開けたりしている。そりゃそうだ、私達は全く卒業生に関係のない人達なんだから。
今いる卒業生は三年生。私達は一年生。卒業なんて後二年も先の話であって、今現在卒業なんて、全然関係のない立ち位置なのだ。
皇子やその仲間達は有名どころなので、みんな顔も名前も身分もしっかりと把握しているだろうけれど、これといって目立つところも取り柄もない私なんかは、きっと誰も知らないだろう。
いや、知っている、知ってないじゃない。卒業生に全く関係のない私達が乱入し、あまつさえ舞台まで始めてしまっている。そりゃ、唖然とするのも当然だろう。
しかし、皇子はさほども気にも止めていない。むしろ全力で舞台に挑んでいやがる。にこやかに笑っていた顔を険しく引き締め、その場でくるりと反転し後ろを振り返ると、鋭い眼付きでこちらの方を睨みつけ、力強く指差した。指差した先には、騎士見習いのナツグオ・ヘルーベング侯爵令息に腕を取られ立ちすくむフェルミナ・サロモンド侯爵令嬢がいた。青白い顔をしたフェルミナは、しかしいつもの凛とした瞳を、決して逸らすことなく皇子へと向けてくる。
「フェルミナ・サロモンド公爵令嬢……貴女の卑劣な行いは全て私の耳に入ってきております。全くもって残念な話です。婚約者である貴女が…皇妃候補であった貴女が…私は本当に残念でなりません」
わざと言葉を詰まらせるように、妙に芝居がかった科白を吐きつつ、皇子は苦悩するように眉間に皺寄せ、フェルミナを見やる。
卑劣な行い?一体どんなことがあったっていうのよ。いや、ある訳ないじゃない。彼女はフェルミナ様なのよ?公明正大をそのままにした、清廉潔白なあのフェルミナ様なのよ。
怪訝な顔をする私を無視して、舞台はどんどん進んでいく。
皇子の言葉を受け、皇子の右隣にいた宰相見習いのトレーシャ・ミドーカム伯爵令息が呆れたように首を振り、ため息混じりに言葉を吐く。
「本当に嘆かわしいことです」
それを合図かのように、皇子の左隣にいた魔師見習いのロームンズ・デキストリン子爵令息が、無表情のままぼそりと呟く。
「だから、女は嫌いなんだ」
「ったく、だから貴族は嫌いなんだ」
ロームンズの言葉に続けて、顔をあからさまにしかめ、吐き捨てるように言ったのは、フェルミナの後ろにいるバルナガフ男爵。いや、バルナガフ講師と言った方が今は正しいのかもしれない。
そんなみんなの、さらに後ろに、私は立っていた。事態がさっぱり掴めない。一体何なんだ、この茶番は。いや、それよりも、この位置。なんだかこの位置って、凄く嫌な予感しかしてこない立ち位置なんだけど。
その場から逃げ出したい感覚に襲われた矢先、皇子はフェルミナに向けていた指を私へと向けてきた。指差すというよりは、その手で私を掴みたいと求めるみたいな感じで手を差し向けて、切なそうな顔をして見せてくる。
「愛しのレミエル、君が受けた数々の屈辱の仕打ち、今この場で君のために、君が求めた通り、彼女の卑劣な悪行を白日の元にさらけ出し、その罪全てを私が直々に断罪しようではないか!」
皇子は迫力ある物言いで言い切った後、ぐっと拳を握りしめ、天へと向かって突き上げた。皇子のあまりの科白と行動に、私は頭が真っ白になり、固まってしまった。
ななな、なんですか、それは!私そんなこと、一切頼んでないんですけど?!というよりも、彼女ってまさかフェルミナ様じゃないよね。もしそうだとしたら、それってフェルミナ様の冤罪なんですけど!!?
にっこりと微笑みを浮かべた皇子に私は、やっと動き出した頭の中で怒声を吐いた。
だいだい『愛しのレミエル』てなんなのよ。一体私がいつあんたの『愛しの』になったのよ。なった憶えはないっていうの。またいつもの『人の話を聴かない病』なのね。信じられない――そう、信じられないわ。ちょっと待って、ちょっと待って。今のこの舞台、私のために用意したって言った?今その口で、私が用意したかのように言ったわね!?またなの?また私を巻き込んでくれちゃってるのね!?
爽やか笑顔の皇子に向かって、怒鳴りつけようとした私の言葉は、先に発されたナツグオの言葉に遮られてしまった。
「皇子へと進言したのは我々です。我々の言が証拠となりましょう。何故なら我々は全てその卑劣な仕打ちの現場に、ことごとく居合わせたからでございます」
「そうです。では、順番にお話致しましょう」
ナツグオの言葉を継いで、トレーシャがつらつらと言葉を紡いでいく。トレーシャの口から出てくるのは、いわゆる『私が受けた数々の屈辱の仕打ち』の出来事らしい。確かに憶えのある出来事もあるが、いや、ちょっと待て、それってかなり脚色されてないか?
トレーシャの言葉の合間にも、無愛想にぼそぼそとロームンズが発言し、いつもの何倍も眉間に皺寄せ、嫌悪の表情とともにバルナガフが言葉を吐き捨てる。
いやいや、確かにそれも憶えがなくはないけれど、確かにあったような気もするけれど、それってみんな凄く脚色されまくってない!?いえいえ、それよりなにより、どんなことよりも、一番大事なのはその出来事が何でフェルミナ様に繋がっていくっていうのよ。
私の言葉を挟む間もなく舞台を進める皇子は、フェルミナに鋭い眼を向け静かに、だが威圧的に言葉を告げる。
「フェルミナ侯爵令嬢、以上の事柄を全て聴き、何かしらの申し開きができるものかな」
皇子の言葉を受けて、フェルミナは凛とした瞳を緩めることも逸らすこともなく、はっきりと言い放った。
「わたくしには、全く身の憶えのない話でございます」
「この期に及んでまだそのような申し開きができるのか!」
言葉尻を強めたナツグオはフェルミナを掴む手の力も強めて、無理やりその場に跪かせた。
ひぃ!ナツグオ、なんて無礼なことをしているの!その方はフェルミナ様なのよ!いや、あんた、何『正義は勝つんだ』みたいな顔して勝ち誇ってるの。あんた、仮にも騎士見習いなのよ、騎士様が女性に対してそんなことして許されるとでも思っているの?許さる筈ないじゃない。
私は視線をそのまま横へ向けた。
それにバルナガフ講師。貴方は仮にも講師でしょ?その姿を見て、なんとも思わないなんておかしいじゃない。いくら貴族嫌いだとしても、生徒はすべからく平等に接するべきなんじゃないの?乱暴を働かれている女生徒を眼の前にして、どうしてそんなに平静でいられるのよ。講師として失格よ。
視線を皇子の横へと向ける。
ロームンズ、あんた、無表情でも私には分かっているのよ。女嫌いは元より人間嫌いでもあるあんたは、誰がどうなろうと一切興味がない。みんなの前でしっかりと自分の意見を発言しただけで満足して、現状を見ようとしないなんて、問題だらけじゃない。
更に視線を皇子の反対に向ける。
分かってるのよ、トレーシャ。うっすらと浮かべるその笑みの向こう側に、腹黒いあんたの思惑がしっかり透けて見えているのよ。どうせ、最も効果的な断罪の場を設けたとか思ってるんでしょ。『俺ってやっぱり優秀じゃん』て顔にくっきり書いてあるんだからね。
なんなの、なんなのよ、本当この残念令息達は。フェルミナ様に冤罪と侮辱を与えて、なんで平気でいられるのよ。信じられないわ。こんなこと許されない。絶対に許されないんだから。
誰も止めないなら、私は断固止めてやるんだから。
私は鋭く皇子を睨めつけ、怒声を吐いた。
「ルーデンレゴー皇子、この残念皇子は本当に――」
「あぁ、なんて嘆かわしいんだぁ」
やっと頑張ってようやく吐いた私の言葉は、またしても残念皇子に邪魔されてしまった。皇子は、まるでこの世の終わりのように苦悩の表情を浮かべ、額に手を当てていた。
「フェルミナ侯爵令嬢、貴女の気持ちはよく分かる。元婚約者である貴女の気持ちは本当によく分かる。婚約者を取られまいと焦るあまり、ついつい仕出かしてしまった行いであることは、本当によく分かっているよ」
え?今さらっと『元』を付けなかった?さらっとフェルミナ様との婚約していた事実を過去の物にしちゃってなかった?
というか、そんな理由でフェルミナ様がみんなを指示して、私に嫌がらせしたって言ってるの?え?そんなことある訳ないじゃない。
「でも、でも……許してくれ」
皇子は苦しそうに胸を掴み、悲痛な叫びをあげる。
「私は心奪われてしまったのだよ、フェルミナ。レミエルを愛してしまったんだ!!」
え?え?今さらっと、さらっとフェルミナ様を呼び捨てにした?え?もう他人みたいになってる?
というか、さっきさらっと、さらっと不吉なことも吐き出さなかった?え?なんて言った?なんて言ったの?ねぇ、言ってないよね?本当に言ってないよね!?
皇子は勢い良く顔を上げると、盛大に顔を引きつらせている私の元へと、つかつかと歩み寄ってきた。
え、いや、来ないでくれる!?
思わず後ろに一、二歩下がってしまった私の前へとやってくると、皇子は優雅な動作で膝をついた。
「愛しのレミエル。君を愛する気持ちは誰よりも強くて深い。私の愛を受けて、どうか皇妃になって、私の隣で、私を支えて欲しい」
一字一句噛みしめるように皇子は言葉を並べ、再び私をその手で掴みたいかの如く手を伸ばしてきた。
「レミエル、愛している…結婚してくれ!」
「うひぃっ」
多大なる恐怖と嫌悪で思わず喉の奥から変な音が漏れだした。
これは幻、そう悪夢。そうよ、悪夢、悪夢なのよ。眼を閉じて開いたら醒めてるであろう悪夢なの。そう、醒めてるの。ねぇ、お願い醒めていてよ。
顔面蒼白にして動かなくなった私に、周りの残念令息達が言葉を繋いでいく。
「騎士の嫁と皇妃……比べるまでもないよな、悔しいけど完敗だ」
ナツグオは軽く唇を噛み締めた後、吹っ切れたような爽やか笑顔を浮かべた。
いや、いつあんたと結婚することになってるのよ。っていうか、完敗って何に対してよ。誰に対してよ。
「元平民からの地位上昇……これが良いかどうかは解らないが、皇妃になるということはきっと不幸ではないのだろうな」
バルナガフは巣立つ子供を見るような慈愛の表情を浮かべ、瞳に少しだけ淋しさを滲ませた。
いや、皇妃とかそんなもんこっちに置いておいて、あの残念皇子の連れ添いになるなんて、不幸以外の何物でもないじゃない。
「皇妃……そうか、私はもうそなたと話すことはできないんだな」
ロームンズは万年無表情には珍しく感情を表に出し、あからさまに悲しさと淋しさを滲ませ、こちらを見やる。
いや、決まったみたいに言わないで。いくらでも話せるから、いや、決まってないから。
「君が皇妃となり皇子を横で支えるならば、私は宰相として君の傍らに立ち、君を支えることにしよう」
トレーシャは薄く笑いを浮かべ、熱い眼差しを私に向けた。
いや、その発言とその瞳は問題だらけなんじゃないの。え、いや、ちょっと待って。何この流れ。あれ?え?なにこれ。皇妃決定?皇妃決定なの?決定しちゃってるの?!
みんなの言葉を受け、何故か勝ち誇った顔をした皇子が膝を伸ばし、その場に立ち上がった。
「レミエル、突然のことで戸惑っているのはよく分かる。よく分かっているよ。思わず固まってしまったその気持ち、本当によく分かっているよ」
皇子はこれ以上ない最大限の微笑みを、瞳にキラキラ、周りにもキラキラをばらまいて、それはそれは優美に微笑んだ。
「すぐに返事ができないのは分かっているよ。あぁ、分かっているとも。私は待つよ。この場が落ち着くまでね。あぁ、分かってる、分かっているとも。返事を訊かなくとも、君の答えが一つであることぐらいはね」
至極自然な動作で私の手を取った皇子は、私の手の甲にそっと口づけを落とした。
「うひぃぃっ」
私の喉の奥から悲鳴が絞り出された。真っ青な色から白色へと変わりつつある私の顔に向けて、優雅に微笑んだ皇子は、華麗なる回転を見せて、後ろを振り返った。
「さぁ、国皇陛下!お言葉を!」
嘘でしょ、嘘でしょ、嘘でしょ。こんな状況で、こんな状態で、国皇陛下に丸投げ!?嘘でしょ。有り得ないでしょ。どんな脳みそしているのよ。脳みそあるの?存在しているの?それとも別の物が入っているの?その頭には一体何が詰まっているのよ!
顔も頭も真っ白になった私の瞳に、怪訝な顔をしつつも、ゆっくりと腰を上げる国皇陛下が映った。
え?ちょっと待って?まずいよ、まずい。これはまずすぎるよ。
国皇は当然のことながら、国の頂点、この国で一番偉い方なのだ。そんな人の発言は絶対で、例え本人であってもそう簡単に覆すことができない。そんな人が今、こんな酷い状況で最悪の状態で、発言しようとしている。取り返しがつかない言葉を。
それは駄目でしょ。駄目ですよ。絶対に駄目だよ。でも、どうすればいいの。どうやって止めればいいの。私じゃ残念令息達を止めることなんてできないよ。
国皇陛下は顎に拳を当てて、どのような発言をしようかと思案しているようだった。
ちょっと待って、待ってよ、待って。有り得ないことだけど、万が一有り得ないことだけど、残念令息達の言葉を信じて、万が一陛下がフェルミナ様を断罪なさる発言をされてしまったら、一体どうなるの!?
国皇陛下は発される言葉を決めたようで、顎から手を話すと、ゆっくりと前を見据えた。
ちょっと待ってよ、待ってってば。ずっと私は『待って』て言ってるのに、どうして待ってもらえないの。止めたいのに、発言も動作も残念令息達に邪魔されて、どうやっても止めることができないのよ。
国皇陛下はおもむろに口を開いた。
あぁ、このままじゃ陛下がお言葉を賜ってしまう。フェルミナ様が冤罪で断罪されちゃうかもしれない。あぁ、誰か…誰か助けて。私じゃなくてフェルミナ様を助けて。お願い誰か、誰か助けて。
国皇陛下の息とも言葉とも取れるような微かな声が発せられそうになった直後、それにかぶさるように講堂中に声が響き渡った。
「お待ちになって下さい。異議があります」
残念美男子勢揃い!
最後に叫んだのは誰なのか……解るのは遥か先になります。辿り着けるように頑張ります。
次回から時間軸が変わります。文の感じも変わるかも。
よろしくです。