第一話:古宮ひかり
私は小さい頃から自分に正直であれと育てられてきた。
私の家は古くから続く家で、周りからお嬢様と呼ばれて大きくなった。
私の母親は中流階級と言うべき家庭で生まれ育ち、父に見初められて古宮家へと嫁いで来た。母方の祖父が経営する会社の取引先だったのが古宮家の会社だったそうだ。
そんな私の母は、私が小さい頃から事あるごとに自分に正直であれと言い聞かせた。
「あなたの教育担当がどう言おうが、あなたがそう思ったのならそうなさい」、と自分の事を自分で決める権利と義務を与えてくれた。
2つ上のお兄様は、やっぱり娘だと子育ての方針も違うんだなと感心していた。
ある日、母がポロっと口にした言葉を私は聞き逃さなかった。空手を習っていれば良かった、と。私が5歳の頃の話だ。
すぐに父に空手を習いたいとお願いした。何故かしなければならないと思ったのだ。古宮家のご令嬢が空手など!と否定されたが、母の賛成と後押しのお陰で聞き入れてもらう事が出来た。
ただ、私の遊び相手として一緒に過ごして来た比呂を巻き込んでしまったのは申し訳なく思っている。彼は古宮家を代々支えてくれている瀬戸家の長男で、同い年だからと一緒に大きくなった仲、いわゆる幼馴染だ。
彼はとても優しく、そして強い心の持ち主だ。とても誠実な人。そんな幼馴染と一緒に空手を習う。とても心強い。
母が探してくれた道場で、私達2人のお稽古が始まった。大勢の門下生の方と一緒に練習をする。
最初は良く分からない義務感から通っていたように思うが、そのうち身体を動かす喜びと、母に褒めてもらえる嬉しさから、楽しくて仕方ないと感じるようになった。
試合や大会にも出場し、そのたびに母が大きな声援を送ってくれる。父はお仕事の関係でたまにしか来られなかったけど、それでも来てくれた際には母と一緒になって応援してくれた。
最初は反対していた父だが、やるならばとことんやれ、と今では私を叱咤激励してくれる。
兄も両親に何か格闘技を習うかと聞かれていたが、無理無理と手を振って断っていた。楽しいのに。
小学校3年の時、大会が終わり車で帰る途中に、ふいに母が私に言った言葉が耳から離れない。
「私はね、ひかり。空手をしている男の子の事が好きだったの。仲良くはなれたんだけれど、家柄が違うからと引き離されてしまったのよ。あなたにはそんな思いをさせたくないわ……。自分に正直でありなさい。お母様はあなたの味方よ」
その横顔をとても寂しそうで、私まで切ない気持ちになったのを覚えている。思わずぎゅっと抱き着いて、そのまま眠ってしまった。
中学2年に上がり、通っていた空手道場の師範が海外へ行かれるとお聞きした。外国で空手を教えながら旅をするのが夢だったそうだ。師範のご子息がご自分の道場を人に任せ、実家に戻ってお父上の道場を継ぐというようなお話だった。
その頃から母が毎日空手道場の送り迎えに付いて来てくれるようになった。運転してくれるのはじいやなので、一緒に車に乗っているだけなのだけれど、何かとお忙しい母が私と過ごす時間を作ってくれているのが嬉しかった。
「新しく道場主となった、阿久川英一だ。こっちは息子の英雄だ。息子だからと贔屓したりはしない。皆に万遍なく厳しく指導するつもりだ。門下生として思うところがあれば遠慮なく言ってくれ。聞くだけ聞こう」
「よろしくお願いします」
師範の隣で頭を下げる彼を見た時、今この瞬間に私の運命が動き出したのだと確信した。この出会いの為に私は空手を習い、この道場に通っていたのだと。
その日はたまたま母が外せない用事があるとかで、道場への送り迎えが出来ない日だった。家に着いてからすぐに母へとその日の出来事を報告した。
「道場の先生が変わったよ、前の先生の息子さんだって。お孫さんと一緒に挨拶して下さったの。そのお孫さん、私達と同い年ですっごくカッコ良かった!それにとっても強いの、高校生の組み手のお相手を務めてらしたわ」
母にいかに英雄様がすごいか、強いか、カッコ良いかをマシンガンのように話してしまった。途中から会話に入って来た父が「少し落ち着きなさい、はしたないぞ」と窘めるほどだった。
ジロリと父を睨んだ母が、私の手を取って「お風呂で続きを聞きかせて」と、珍しく一緒にお風呂に入ろうと誘われた。いつ以来だろうか、お母様と一緒にお風呂に入るなんて。
「ひかり、昔あなたに話した事を覚えている?」
湯船に2人で浸かりながら、母はそんな事を言い出した。昔聞いたお話と言えば……。
「空手を習っていた男の子が好きだったって言っていた話?」
どうやら正解だったみたいだ。母が大きく頷いている。
「あなたには政略結婚なんてさせませんから、自分に正直であるのよ。今日来られたという空手の先生の息子さんの話。その方の話をしている時のあなたの顔、すっかり恋する乙女の顔だったわよ。お父様が嫉妬なさるのも無理ないわ。自覚しているかしら?」
えっ!?私ったらそんな顔をしていたの……?でも改めて考えてみると、私は彼に一目惚れをしてしまったのかも知れない。これが恋か、そう自覚してからというもの、胸の鼓動が高鳴って苦しくてたまらなくなってしまった。
「お母様、これが恋なんですね。すごく胸が苦しくなって来たわ……」
母は私を愛おしそうな表情で見つめ、「誰にも邪魔はさせないわ」と約束してくれた。
英雄様とは通う学校が違うので、空手の道場でしかお会い出来ない。母に相談して、週に1回のペースで通っていたお稽古を週に2回へと増やしてもらった。一緒に通ってもらっている比呂には申し訳ないと思ったが、比呂は大丈夫だと言ってくれた。
「俺は構わないけどさ、急にどうした?誰かにいじめられてるから見返してやりたいとかか?」
幼馴染の比呂には隠し事をしたくなかった。それに、比呂にはすでに彼女がいる。相談しやすい相手だったので、全部聞いてもらう事にした。
「実は……、英雄様とお近付きになりたくって」
「それって、好きって事か?」
コクリと頷いて答えると、比呂が面白そうに笑った。
「そうか、ついにひかりにも好きな奴が出来たか!よし任せろ、何とかして2人をくっ付けてやるからな!!」
私はいい幼馴染を持った、本当にそう思う。
次の日、道場に行くと驚く事に英雄様からお声を掛けてもらった!あまりにも嬉しくて舞い上がってしまい、最初の方の言葉が耳に入って来なかったけれど、それ以上に後から聞こえて来た言葉が印象的過ぎて頭が真っ白になってしまった。
「……、付き合ってくれない?」
そんな!皆さんがおられる前で堂々と!!何て男らしい方なんでしょうか!!!
「は、はい!英雄様、私、英雄様とお付き合いさせて頂きます!」
すぐに比呂が飛んで来てくれた。
「良かったなひかり!おう英雄、ひかりを泣かせたらタダじゃすまねぇからな!!」
あぁ、何と言う事なんでしょう!私の恋は、お相手から告白して下さるという形で叶ってしまった!!
顔が真っ赤で、目から涙が零れそうで、嬉しいのに泣いている顔を見られるのが嫌で、両手で顔を覆ってしまった。
比呂が英雄様と肩を組んで楽しそうにお話ししている。あぁ、幼馴染にも祝福され、こんな素敵な方が私を恋人に選んで下さった。
私はきっと世界一の幸せ者だわ……。
新作の投稿し始めという事で、2日連続での投稿にしました。
次話は来週末に投稿するつもりです。詳しくは活動報告を見て頂けるとありがたいです。
本作とお断り屋、合わせてよろしくお願い致します。