召喚主の事情
「アル! アルトーン・インブルヒ!」
大神殿の奥の奥、秘神殿に少女の金切り声が響いた。
「お呼びですか、大法師様」
「遅いっ! 呼ばれる前に察知して来なさいよっ」
呼び声から数秒で現れた男に、少女は筆を投げつける。
はっしと受け止める男は、平位の神官服に鳥を模した面をつけている。
アルトーン・インブルヒーー当代大法師ただ一人の側仕えであった。
ゆえに少女の言葉は無理難題ではない。法術師なら誰でも持ち合わせる予知の力を大法師の側仕えたる彼が持っていないわけがないのだから。
同時に、それが叶わないほどに忙しい、ということでもあった。
「予知が下りました。間もなく我らの最後の希望、勇者リサ・タチバナ様が魔王のもとへたどり着かれます。ーーアルトーン、空玉をもて」
殷々と響く威厳ある声は大法師のもの。とても金切り声の主とは思えない。
この少女こそが歴代最悪にして最高と呼ばれる大法師ルトラーラーー年若い少女の形ながら、すべての法術師の上に立つ人物である。
歴代最悪にして最高の所以は魔界の侵攻にある。
五年前、突如として世界の運行が乱れ、人界と魔界は衝突した。
世界の持つ力の総量として、あるいは世界の格として、人界と魔界では桁が違う。
人界はあえなく消滅するところだったーー大法師ルトラーラをはじめとする法術師たちの尽力がなければ。その働きによって人界は魔界に癒着する形でなんとか継続したが、本来は交わらないはずのものが交わった代償は大きかった。魔界の大気が人界に混じり込んで汚染し、かつて豊かな実りをつけた大地はやせ衰え、いくつもの湖や川が干上がった。
世界の衝突を逃れ得なかったことから最悪の、しかし大法師ルトラーラでなければ人界の存続は不可能だったと言われることから最高の、と称されるのだ。
世界が癒着するということは地続きに行き来が可能になるということだ。
人界の人に比べると、魔界の人ーー魔人ーーは数が少なく、そして圧倒的な力をもっている。人界と魔界での術の方向性の差を差し引いてさえ。
それは魔界に接する北の国がたった一人の魔人に一夜にして滅ぼされた、という事実が何よりも物語っている。
現在も魔界との境では日々兵士たちが戦っているが、戦況は芳しくない。
その魔界に対抗するために大法師ルトラーラが取ったのは異界から勇者を召喚するという方法だった。
しかし召喚した勇者はことごとく失敗してしまう。ただの失敗ではない。なぜか魔王側に寝返ってしまうのだ。
ルトラーラはそのたびに新しい勇者を召喚し続けたが、今回の勇者リサ・タチバナが最後の勇者となるだろう。
「この度の勇者様が魔王を討ち果たしてくださると良いのですが……」
慎重に空玉を運び込みながら、アルトーンは祈るように言った。
「彼女は期待できると思うわ」
ルトラーラは指を口に当てて考え込む仕草だ。
「覚えている? ペルレアとデルベックで彼女を助けた男のこと」
「ああ、彼ですか」
これまでの旅で勝利をおさめつづけてきた勇者だが、すべて順調だったわけではない。ペルレアとデルベックでは特に危うかったが、そこを間一髪で助けた謎の男がいたのだ。おまけにけっこうな美男である。
「わたしの勘だと、彼女はあの男に恋してると思うの」
「まあ恋をしても不思議ではないですがねえ。しかしあれほどの力をもつ法術師が在野にいたとは、世界は広いですねえ」
「そうね、しかも素晴らしく勇敢だわ」
というのは、魔界へ旅する勇者を陰ながら助けることだけを指すのではない。
そもそも勇者に間近に接することができるというのが、すでに勇敢なのだ。
人界と魔界の術の方向性の違いにも繋がる話で、魔人が破壊に特化しているのに比べ、人界の人は観察すること、真理を探ることに長けている。
それは人に接するときにも影響して、外見で印象が左右されるように、大きな力を自然と察知して畏怖してしまう。
ルトラーラが秘神殿に一人住み、アルトーンしか出入りできないのもこのためだ。
ルトラーラを遥かに凌ぐ力をもつ勇者であればなおさらのこと。それゆえに人界の人はたやすく勇者に近づけない。
ーー人界の人々に避けられる勇者が魔界に寝返るのは考えてみれば当然な成り行きかもしれない。
「恋、ゆえに。彼女はきっと人界を救おうとしてくれるのではないかしら?」
「そう願いますがねえ」
ルトラーラが運ばれた空玉を捧げ持つと、真っ白い玉は霧が晴れるように遠くの風景を映し出し始めた。
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緑に囲まれた白亜の城、その一室。
華やかな王座が奥にしつらえられた謁見室に、宝剣を持った勇者がのりこんでいく。
『人界を闇に陥れる魔王よ、今こそ討ち果たしてくれる! 覚悟!』
王座に座るのは金の縁取りがある黒いマントを羽織り、顔を隠す仮面をつけた青年だった。彼が魔王だろう。
『よくここまでたどり着いたな、勇者よ。歓迎しよう』
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ルトラーラはふと空玉から目を上げてアルトーンをみた。
「なんか同じ様なのをつけてるわね?」
「わたしのはあんなにキラキラしてませんがねえ……」
アルトーンは魔王の蝶をかたどった仮面を複雑そうに見ている。
彼の鳥の面は代々受け継がれてきた白い素朴なものだ。
「キラキラしたいの? 塗ってあげようか?」
「いえ、結構ですねえ」
「そ、遠慮しなくていいのに。
……それにしても宝剣で打ち合う気かしら?」
ルトラーラは魔王の腰に下がった剣を見て心配する。
「そりゃ、他の剣は持ってませんからねえ」
「失敗したなあ、宝剣はトドメ用にして他の剣も持たせるべきだったわ。今回は宝剣を遠見の媒体にしているから、無理したら折れかねないのよね」
本来的に、魔界では法術を使えない。そこを曲げて遠見の術を使うために宝剣を媒体にしているが、それはそれで宝剣に負荷がかかる。使い捨てにする覚悟でやっているのだ。ーー最後の勇者だから。もう宝剣をとっておく必要はない。
だが、そうすぐに戦闘がはじまるわけではないようだった。
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勇者は宝剣を構えてジリジリと隙をうかがう。
だが魔王はのんびり立ち上がったかと思うと横の小机で茶をいれはじめた。
勇者は唖然と問う。
『な、なにをしている!?』
『歓迎すると言ったろう。古来、客人には茶を出すものだぞ。……ああ、茶請けもいるか?』
『私は貴様を討伐しにきたんだ! 魔王がしゃあしゃあとなんのつもりだ、毒殺か? それとも油断させて奇襲するつもりか?』
『心外だな、余はそれほど弱くない。うら若い女性がやってきたからと言ってすぐに襲いかかるほど血に飢えてもいないんでな、これでも平和好きで名が通っているんだ。まあ、座りたまえ』
魔王は王座の隣の椅子を示した。
『そこは普通王妃の椅子なんじゃないのかっ!?』
『だからリサに勧めている』
魔王は茶杯を手に取ると、ゆっくり仮面を外す。
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「あーーーーーーーっ!?」
ルトラーラは思わず空玉を取り落とした。床に落ちる寸前、アルトーンが受け止める。
「まお、まお、まおうがっ…………勇者を助けていた謎の男の顔してるわよっ!?」
「ふー、危なかった……。おやおや、本当ですねえ」
アルトーンは空玉をしげしげと見つめている。ルトラーラはその肩をつかんで思いっきりゆさぶった。
「あ・の・ねえ!? おやおやって何よもっと驚きなさいよこんなにビックリしたわたしが馬鹿みたいじゃないのだいたい何で魔王が勇者助けるのよこっそり勇者を助ける騎士だと思ってときめいちゃったじゃないのもう魔王とか何なのよ王妃の椅子を勧めるって結婚の申し込みなわけ敵同士で恋におちちゃうとかもっとときめくじゃないのよ名前呼び捨ていいわー!」
「ルトラーラ様は恋物語がお好きですからなあ」
息継ぎなしに言い切ったルトラーラはハアハアと肩で息を継ぐ。アルトーンはグルグル目を回しながら空玉を差し出した。
「しかしこれではこの度の勇者様も絶望的ですなあ」
「あら、そうとも言い切れないみたい?」
ルトラーラは空玉を受け取り、覗き込んだ。
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勇者の瞳は驚愕をうつして大きく見開かれていたが、その宝剣の切っ先は魔王を向いて動かない。魔王は微苦笑した。
『余はリサと争うつもりはないのだが』
『白々しいことをっ……私は見てきたんだ! あんたが北の国に何をしたのか、忘れたとは言わせない。……なのに、なんで私を助けたんだ……』
『それは誤解だ』
魔王は真顔になった。争うつもりはないと両の手の平を勇者に向ける。
『余は北の国に遊びに行っただけだ。……それを誤解して周辺の国が彼の国を滅ぼしたのだよ。魔人に汚された国だと。そんなことになるとわかっていたら行かなかった……』
魔王の顔には深い悔恨が現れていた。
『う、うそだ!』
勇者は叫ぶ。だがその声音の真剣さは否定しきれないのだろう、剣の切っ先がゆらゆらと揺れ始めた。
『嘘なものか。見るがいい』
魔王が言って手をおろした、その刹那。轟音が響く。謁見室の部屋の壁が崩れる音。魔王の仕業だ。
勇者はサッと目を緊張を走らせる。
『余の腕で殴れば人は肉片になって弾け飛ぶ。余の炎で襲えば人は灰も残らない。だがそんな破壊の跡があったか?』
『倒れていた人たちの、背中には、太刀傷が、あって……矢も……火に巻かれた人の遺体も……残っていた……』
勇者の声は呆然としている。
『それが証拠だ』
『でも! ならばなぜ魔獣をつかって人界をおそう!』
『そこも勘違いがあるようだが、そもそも魔獣と人界の人々が呼んでいるのは魔界に住むただの野の獣だ。こちらが操っているわけでもけしかけているわけでもない。止めるとしてもいたずらに余が人界に介入してはまた誤解を招きかねん。どうしろと言うのだ?』
『まさか、そんな! ルトラーラが嘘をついていたということか……? いや、でもそんなことをしても何の意味があるっていうんだ。わざわざ私を呼び出して!』
『さあな。人界側が魔獣をこちらの手先と思っているのか、敵対する口実なのかはわからない。だがそもそもこちらが人界に手を出す理由はないぞ? あんな痩せた土地をもらっても旨味はないからな。人界側はこちらの豊かな土地を欲しがっているのかもしれんが』
カタリと、とうとう宝剣の切っ先は地に着いた。
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ふう、とルトラーラはため息をついた。
「魔王も思ったよりは賢いわね。ってアル!? なに、何泣いてるの!?」
「うおおおおっ、わたしは、わたしは勇者様のお心に感動しましたっ」
「あー、ね。本当に……お人好しよね。いきなり召喚なんてした人たちのために、しかもほとんど人界の人は見たことがないはずなのに、あんなに心を砕いてくれて、熱くなってくれて。一人で辛い旅をして、それでも。
わたしも好きよ、リサのこと。だからこそ、魔王を討ってくれるといいんだけど……。むずかしいかしらね」
魔王も勇者も勘違いをしている。けれど魔王に勘違いを気づかれることは人界にとって死を意味していて、これまでの経験上魔王に寝返る可能性の高い勇者にも真実を教えるわけにはいかなかった。
おいおいと感涙にむせぶアルトーンの頭を片手で雑に撫でつつ、ルトラーラは空玉に意識を集中した。
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『リサ。リサ・タチバナ』
魔王の声は低く甘くとろけるような誘惑に満ちている。
『リサは美しく気高い。強く勇ましい。リサ。どうか余の手を取ってほしい。余の隣の椅子を勧めたのはけして冗談などではない。リサを助けたのは、ただ、余がそうしたかったからだ』
『は……はあっ? あんた、勇者にみんなそんなことを言っているのか』
勇者は毒気を抜かれたようだ。
『余はそのような浮気者ではない! 勇者たちは皆、人界に義がないと悟って剣を下ろしてくれたのだ』
『そう、そうか……。たしかにあんたの言うとおりかもしれない。筋は通っているようだし、あんたは悪い人ではなさそうだ。かなり変だけどな』
勇者の顔はだんだん悲壮にひきつっていく。
『それでも、私は剣を下ろせない。あんたを倒さないと元の世界に戻れないんだ!』
魔王の顔が暗くかげる。
『それこそ余が人界のものどもを最も許し難く思う点だ。リサ、召喚した人を返す術は……存在しないんだ』
『なっ!? なんだと、出鱈目を言うな!』
『本当のことだ。こちらの術は人界の術よりもだいぶ進んでいる。それでも召喚はできても返すことはできないんだ』
*************
「嘘つけーーーー!!」
ルトラーラは絶叫していた。
「ふざけんな、この脳筋魔人が、ふざけんなあ! なーにーがー、術が進んでいるだ、予知一つできないくせして! 得意なのは破壊の術だけじゃないの!」
「これを信じたから勇者様方は寝返られたのですねえ。おかしいとは思っておりましたが」
ルトラーラは憤懣やるかたなく地団駄を踏む。
人界と魔界の術の方向性の差。それは人界では真理の探求、時や世界といった見えないものの解明に特化し、魔界では力を増し火や風をあやつり、破壊する力に特化した差だ。
確かにある分野で人界は魔界に劣っている。しかし、召喚という分野に関して魔界は人界のはるか後塵を拝している。
ルトラーラと勇者の契約では、勇者が宝剣で魔王の息の根を止めることを契約の成就として、それと同時に元の世界へ召喚された時と姿と記憶のまま戻すことになっている。
だがこれまでの勇者は皆魔王を倒す意志を失った。その瞬間に契約は破棄され、勇者と元の世界の繋がりは断ち切られる。
今回の勇者リサ・タチバナはどうだろうか、もうだいぶ絶望的のようだがーーそうルトラーラが考えた瞬間、彼女の左手の甲からシュウシュウと煙が立ち上り始めた。
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『そんな』
光のない目。絶望という言葉のふさわしい目は、すぐにまぶたに覆われた。
『そんな』
繰り返された言葉は聞き取れないほど小さい。
魔王は王座を降りて勇者に歩み寄り、ゆっくりとその体を抱きしめた。
『すまなかった。……いきなり伝えるべきではなかった……リサ……』
勇者の手から宝剣がこぼれ落ちる。
*************
「残念ね」
ルトラーラの左手の甲にあった契約の印は煙を上げながら消えていった。残ったのはすべらかな白い肌。
無意識に手の甲を撫でながら、ルトラーラはそっと空玉を置き、神官服の裾を払ってすっくと立った。
「アルトーン・インブルヒ。大法師として命じます。ただちに法術院の召集を。勇者計画は失敗しました。人界の存続をかけ、異界への侵略計画を開始します」
魔王は勘違いしていた。
これは人界の人と魔人との戦争ではない。
人界と魔界の、世界そのものの生存戦争なのだ。
何が原因かはわからない。だが五年前、突如魔界は世界の運行から外れて人界へ衝突した。
その衝撃で人界は消滅するはずだったが、法術師の尽力で魔界に癒着する形で存続した。ーー寄生と言い換えてもいい。
その時点で人界は一つの世界として成立できないほど損なわれていたのだ。
だが魔界にとって人界は異物である。人界とそこに生きるものにとっては魔界の空気の一かけですら毒だった。ーーとくに、魔界の生き物。魔獣であれ魔人であれ、彼等は存在するだけで人界を魔界へ染め変えてしまう。
ゆえに北の国は滅ぼすしかなかった。魔王と呼ばれるほどの魔人の来訪をうけたその国は夜を待たずして狂い、人々は生きながら屍となったのだ。
圧倒的に不利な、負けが見えている生存戦争で、勝ち目があるとすれば、相手が生存戦争に気づいてすらいないこと、この一点だった。
魔人は破壊の術に特化しているため人界の人々から見れば信じられないぐらいに鈍感である。おそらく世界間の衝突にも気づいていないし、人界が地続きに繋がったことも『なんか出てきた』程度に考えている節があった。
相手が気づいていない間に、魔王に宝剣でとどめを刺すことによって、その力を人界側に取り込むことーーそれがルトラーラたちの狙いだった。魔王の力があれば、人界を再び独立した世界へ回復させられる。
しかし人界の人は魔界へは行けない。毒の沼に浸かりにいくようなものだ。
そのための異界からの勇者召喚だった。正規の手順をふんだ召喚であれば世界から異物として排除されることはない。
だが勇者たちは何度呼び出しても魔界側に寝返ってしまう。
そこで予備の計画として考えられたのが異界への侵略計画。
異界、とは現在人界に最も近く位置している世界のことだが、この世界には奇妙な特徴があった。
やけに力の分布が偏っているうえに、世界の力を認識していないのだ。ほとんどの世界では世界の力を術ーー人界では法術、魔界では魔術というようにーーとして活用しているにも関わらず。ほんの数十人程度に世界の力のほとんどが注ぎ込まれ、しかも自覚はない。
この数十人を勇者として召喚してしまえば? そして、彼等が契約を破棄すれば?
彼等と異界の繋がりは絶たれ、異界はその分の力ーーすなわち大部分の力を失う。
その力を失った状態であれば。ーー今の寄生するしかない人界でも、融合し、主導権を握ることができる。
ルトラーラはふと台に置いた空玉へと目をやった。魔王が懸命にリサを宥めて口説いているようだ。
遠見の術を使ったのは勇者の寝返りの理由を知るため、ひいては魔王の様子を探るためだ。ーーもし気づかれていたなら、阻止する気があるのなら、魔界側に取り込んだ勇者を異界へ返すだけで事足りる。もっとも返す術がないとは予想外だったが。
異界への侵略計画は人界と魔界を切り離すところから始まる。時機を見計らえば、人界と異界が接触するように計算するのはそう難しくないだろう。
「そうすれば、もうリサに会うことはない……か」
ルトラーラは一人になった部屋でそうつぶやいた。
彼女を過酷な旅に送り出し、その手を血にまみれさせ、いまその故郷に攻め込もうとしている自分が何を言っているのだろうと思う。
でも、彼女ははじめて話した同年代の少女だった。はじめて夜通し喋った少女だった。はじめて、はじめて、はじめてーー。
はじめての友達だった。
「さようなら、わたしの友達だった人」
読了ありがとうございました。
続き(ダイジェスト風)みたいなおまけを活動報告に上げています。
ルトラーラ救済話かな。ご都合主義的です。
よければご覧くださいませ。