リチャード・Cの雛<こども>
『鮮やかな世界で、微睡む時間は終わりだと彼は言う。』より
#私の一文からフォロワーさんが書いてくれる
鮮やかな世界で、微睡む時間は終わりだと彼は言う。
浮上していく。揺らいでいる。床は遠く、足が宙をかく。リチャード・Cのゴールドの髪が、朝日よりも眩しく目を焼く。腹に回る腕の主は重ねて「いい加減に諦めて、目を覚ますこと。今朝のことだけでなく、あらゆる意味でね」と私を責めた。
「責めてない。そろそろ独り立ちしてもいい頃じゃないかと言ってるだけで」
責めているじゃない。
「さ、早く着替えを。時間がないからね。……違うよ。提案だ。第一僕には権限がない。ベビーを任された保護者として、君の限られた学習の権利を守ってるだけだ。……髪が跳ねている。道中自分で直すこと。――ほら、よくご覧。17年間も生きてきてだね、親機の雛鳥でいたがるのは君くらいのものだ」
リチャード・Cは小言をくれながら、覚醒もそこそこの私の服装を整え、ひょいと肩に担ぎ上げると、止めるのも待たずに廊下へ続く扉を開けた。動けば動くほど痛くなるとわかっているので(何せ生まれて17年間、毎日こうされているのだから)そこそこに抵抗を諦めた私に、担ぎ手は周囲の視認を促した。
長い廊下には今私たちの出てきたのと同じ作りのドアが等間隔に続き、性別ごとのユニフォームをそれぞれ好き勝手に着崩した同年代の少年少女がぱらぱらと、おおよそ急ぎ足で講堂へ向かっていく姿があった。
AM8:55の予鈴が響く、見飽きたいつもの光景だった。
「いつもの光景だった、じゃないよ。君みたいにサポートの親機<リチャード・パネル>を連れてる人間が、他にいたかい? Miss、いつまでリチャード・ベビーでいるつもり?」
権限がないと言う割にこうるさく諭すものだ。
「そりゃあね、君の望まなくなるまで、それが僕の期限だよ。僕の型番で最新の更新プログラムを搭載してる親機なんてそうそうない。今の主流は<ブライアン>だし……」
リチャード・オーパーツ。
「それ、どこで聞いたんだい」
どこだったか。過去の遺産。古き良き文明である。褒め言葉だ。このままぜひ本当のオーパーツになってほしい。
「君ねぇ……」
リチャード・Cは呆れた声を出す。「だいたいが僕の製造技術は地続きで次の世代に生かされているんだからオーパーツという呼称は…」などと細かく言いながらも、持ち前の長いコンパスで私を移送するべく廊下を進む。最小の振動で。見た目こそダイナミックだが、私に与えるダメージはほとんどない(体重を受け止めるお腹は多少苦しいものの)。視線の高さが彼の身長と同じになって、周囲の視線がよく見えるくらいで。といっても毎朝のことなので、この区画の中鳥たちはわざわざ驚いたりしない。そもそもこんな時間に居住区域をうろついている人間に、私のことをとやかく言う権利はないのだ。リチャードはきっと「それは違うよ」と説教するだろうから、口には出さないけれど。
一日の講義が終わると、廊下に待たせていたリチャード・Cがニーナ・ハルンセンと会話していた。途中で具合が悪いからと抜け出しておいて、うちのリチャードを引っ掛けていたのだ。
「あら、リッチ。ベべのお出ましよ。お守りも大変ねえ」
オレンジゴールドに染色した波打つ髪をかきあげ、これ見よがしに体のラインを強調してみせる。何、リッチって!
いくら今は異性交遊に励む優等遺伝生<フロイライン>だからって、去年まで地味な雛鳥<ベビー>だったくせに!
「ええ、ニーナ・ハルンセン。だけども、これが私の役目ですから」
そう言ってニーナに会釈し、リチャードは私の目の前まで来ると「何をぶすくれているの」とニヤッとした。やめて、鳥肌が立つ。ハルンセンが移ったんじゃないだろうか。
「まさか、彼女は健康体だし、僕は人間の病気にはかからないよ」
否定するのも面倒なので黙っていると、
「……まさか手続きが面倒だから、いまだに僕を稼働させてるわけじゃないよね」
勝手に想像させておこう。
雛鳥が自由意志でもって巣立ちを迎えた後、それまで保護を担った機体を手放すか、新たな役割を与えて側に置きつづけるかどうかは所有者である元・ベビーに委ねられる。
隣室のニーナ・ハルンセン、あの派手なハルンセンが防音壁の向こうで彼女のリチャードと夜中にナニをしているのか、うちの同機体はわかっていないのだ。赤毛の彼女が、どうして髪色をあんなにして染めたのか、想像もしていないんだろう。
――でも、わかってて言ってるとしたら?
夕暮れ、セントラル・シティの窓は蓄光熱を燃やして赤く染まる。居住区域のセルフブースも例外ではない。赤から薄闇の青、そして夜へと寸断なく移りかわるベランダの光景を横目に、私はリチャードの眠りを守る。最新式はどうか知らないが、うちのオーパーツ・Cは毎晩こうして眠りにつく。……隣室のオーパーツはどうか知らないが、とにかくうちのリチャードは、そうなのである。
旧式の充電ポッドに微睡む最新の脳に手を伸ばし、触れるか触れないかのところで私の手は止まる。目が開いた。オレンジ・カラー。いまだ彼はエレキの世界で夢を見ているにも関わらず。ベビーが一言起動と促せば、瞳の色をいつものブルーに差し替える。やかましく小言をさえずり、なんのかんのと世話をやく、私の一番の理解者に。親のない私たちに与えられた、たったひとりの頼れる保護機体に戻ってしまう。
「なんでもない。眠っていていい」
こくん。と小さく頷いて、あるいはうなだれて。偶然にも、意図するところなく、リチャードの頭は私の肩に寄りかかる。黄金を煮溶かしたような、金属めいた髪がとろりと私の首に触れた。次世代のブライアンのように男性的な骨格表現が強くはないとはいえ、リチャード・Cは青年モデルである。ズシリとした重みを受け止めるために、近くのチェアを引き寄せてもたれた。悲鳴をあげれば彼は目覚める。なんでもないの、と自分に言い聞かせるためにこそ繰り返して、乱れかけた心拍と呼吸を整え、私の首筋に潜む、彼の髪を撫でた。柔らかく、あたたかく、まるで人のような。決して人でない、彼の。
「おやすみ、私の、リチャード・C」
鮮烈な目覚めは、私たちにはまだ早すぎる。