宴の終わりと新たな鼓動
「陽菜乃ちゃん......陽菜乃ちゃん! すごく眠たそうな顔しているけど、午後初っぱなの国語総合、今回は古典の授業だけど大丈夫?」
遠く微かに聞こえてきた心に響く優しい呼び掛けと、目の前で蝶が舞うかのように手をヒラヒラ揺らされて、俺は閉じかけていた目蓋を無理やりこじ開ける。
――目の前にふわふわした天使が現れ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべているものの心の奥まで見透かされていると感じるのは気のせい?
「ふえっ!? な、何もよこしまな事など......お、思っても考えてもいませんよ! それはとてつもなく良いもの見せて頂き、幸せ噛み締めているってこともないのです......はわっ わわわっ」
「あははっ 陽菜乃ちゃん、寝惚けてると先生に怒られちゃうよ。あっ でも古典の鈴木先生だったらきつく言わないかな......いで、御消息聞こえむかな。なんて小声で注意されても、ねえ?」
口に手を当て先生の物真似をして楽しそうに笑う心々菜ちゃん......見ているだけで本当に癒されるのです。
お弁当も食べ終わり席に戻ってぼおっとしているうちに、昼休みもそろそろ予鈴が鳴りそうな時間となっていた。
俺は席に戻る心々菜ちゃんを見送ると突っ伏して爆睡モードに入ってしまっているいおりんを起こそうと立ち上がる。
肩を叩こうと背中を見ると、よじれるのが嫌だったのかブレザーを椅子に掛けているため、今朝みんなで着替えた時に見るとはなしに見てしまったシンプルだけれどもセンスが光る淡いピンクのブラジャーのシルエットが白いブラウスから透けて見え、思わず叩く手が止まってしまった。
ふいに今朝までの出来事を思い出し、席に戻った心々菜ちゃんの後ろに座る都ちゃんの姿をつい目で追っていた。
――昨日......お風呂場での度重なるスキンシップに、限界一杯まで興奮した後で都ちゃんの一糸まとわぬ姿に止めを刺され、大量の鼻血を噴き出しリミットブレイクを起こした俺といおりんは、次に気が付いた時は二階の客間に敷いた布団に並んで寝かされていた。
「枕投げは、次回開催時の楽しみにとっておくよ」
紫月先輩は優しく微笑む。
今日の買い物で購入した物なのか白地に紫のシルキーストライプ柄パジャマの半袖から、色白ながら健康的な手足を覗かせている。長い髪をヘアバンドで留めた姿も女性らしさを殊更アピールしていて、何を着ても様になる人はなるんだと感心してしまう。
「ちょっと浮かれ過ぎたようだね......明日は月曜日、学校にも行かなきゃだし、名残惜しいけど今日は大人しく眠るとしようか」
「すんませんっす......今日は、らしくないというかケアレスミス多すぎっすわ......パジャマも着せてもらったみたいで、ありがとうございまっす」
それを聞き慌てて自分の恰好を確認してみる。どうやら持ってきていた、いつものパジャマを着ていてホッと胸を撫で下す。
とはいえ真っ裸で気を失ったんだった......洗面室も鼻血が零れて汚しちゃっただろうし、体も濡れていたから誰かが拭いて着替えさせてくれたんだよな。
「陽菜乃ちゃん......私が着せた」
「ひゃはっ!?」
急に後ろから声を掛けられ、思わず仰天してしまう。
「都ちゃんが着せてくれたんだ......それはそうと、さっきは裸の姿をじっくり見ちゃったね......意識的でなかったとしても本当にゴメンなさい! 床も汚しちゃってすみませんでした」
都ちゃんの方に向き直る。顔が自然とほててくるのを抑えることが出来ずに謝っていた。
しばらく俺をじぃと見てから、ふるふると首を振り
「私も......見たし......拭いたり着替えさせた時に触っちゃったよ」
おあいこだね。そう言うと柔和な微笑みを浮かべ見つめ返してくる。
ドキッと心臓が高鳴り、俺は座ったままだと誠意が足らないとあたふたと立ち上がり何度も頭を下げていた。
「陽菜乃ちゃん......気にしない」
どうせ一緒にお風呂に入る予定だったんだから、見られたことは気にしてないよ。
都ちゃんは「問題......ない」と言葉を締める。
腰を180度近く折り曲げた姿勢を維持する。顔を下に向けたことでサラサラと髪の毛が顔や首を流れていく。髪も丁寧に乾かしてくれたのが感触で判り、いっそう申し訳ない気持ちが強くなってしまった。
都ちゃんは布団の上に横座りの姿勢のまま、そんな俺を見上げる。
頭をもたげて仰ぎ見られているせいか、白くすべすべした肩甲骨がどうしても目に飛び込んでくる。
おまけにサイズが大きめの牛模様パジャマを着ているものだから、その類い稀なる双丘の谷間がくっきり、はっきり、しっかりと目に焼き付きハートを撃ち抜く。
下を向いたまま黙り込んでしまった俺の顔が見る間に赤く染まってゆくのに、都ちゃんはすぐさま気が付くと襟元をサッと掻き寄せる。
「もう......言ったそばから......えっち」
ありがとうございました! 心からの叫びを上げる俺を部屋に居る皆は苦笑交じりに冷やかしていく。
ひとしきりの笑い声もいつしか静まり
「それでは、おやすみ......良い夢を」
先輩の一言で電気は消され、部屋の中には静寂が訪れる。
とはいえ同じ部屋に五人が揃っていることや今日一日でたくさんの経験や興奮するような出来事が連続してあったため、心が昂ってすぐには寝付けずにいた。
結局、誰もが同じ気持ちだったのか、一人が喋り出すとあっという間に伝染してしまい、次から次へと話しが尽きなくなってしまう。
アミューズメント施設での買い物や『Diapason』でのひと幕では大いに盛り上がったものの話が一転、これからの紫月先輩や白露の身の振り方、皆が抱える恋心の行方といった真剣な話しになってくると、いつの間にか全員が布団を被ったまま円陣となり、顔が引っ付き合うほどの距離で語り尽くしていた。
なんだか不思議な気分だ。ちょっと前まで全く知らなかったもの同士だというのに、こんなにもお互いの気持ちが分かり合えるなんて......。
心々菜ちゃんや彩帆ちゃん、フィーリングが面白いように重なり、互いが惹かれあってしまう何ものにも代えがたい存在。
だけど......芯から女性らしい二人に俺のこの特殊な状況を説き明かし、仮に信じてもらえたとして、今までと同じ女同士としての関係が続けられるのだろうか。
もとより先輩や白露は男としての感情を理解し合える特別な存在だ。
いおりんは女性としては特別なんだろう、器が大きいのか男だから女だからといったカテゴリ度外視で人の本質を見抜き、好意を寄せているように思う。
都ちゃんもMMOの廃プレイヤーなだけはあり、性別を越えてキャラクターとしての俺を認め、今を肯定しているんじゃないかと感じる。
女であることで、何ごとも気兼ねなく相談できる大事な友達の彩帆ちゃん。
女であるからこそ片翼とまで明言することが叶った憧れのあの人の妹、今は大切な友達......心々菜ちゃん。
二人には絶対に秘密にしておくべきなのか、いおりんと同じく勇気を持って告白するべきなのか......。
「朝ご飯だよ」
肩を揺すられ起こされる。
――どうやら考え事をしているうちに、いつの間にか寝てしまっていたようだ。
都ちゃんが作ってくれた和食テイストの中でも、とりわけ絶品の味噌汁を味わう。
俺が眠り込んでしまった後も、朝方近くまで話が弾んで起きていたみたいで皆が同じように目の下に隈を作ってしまっていた。
そりゃ眠たいわけだよね。
午後の授業も間近に迫ったことで思い出から現実に戻る。
とはいえ俺も十分に寝たわけでもなく、あくびを噛み殺して、ボチボチ起こすとしますかと、いおりんの背中をツンツン突いてみた。
「ふにゃ......もうこれ以上は食べれないっす」
ムニャムニャと寝言を呟き起きる気配がない。何度か呼び掛けるが一向に目を覚まさない。そんな事をしている俺に気が付いたのか彩帆ちゃんが席にやってきた。
「昨日は遅くまで話し込んでいたみたいだし、いおりん爆睡だね。でも良いな、私も都ちゃん家にお泊りしたかったよ」
「本当に薄情なことで......私なんてそんな楽しいイベントがあったことすら教えてもらってないというのに......紫月先輩とイチャイチャ?......はうっ!」
振り向きながら指をくわえ、ぼやくいーちゃんに気まずそうに見てきた都ちゃん共々、ごめんねと詫びをいれる。
「まあ、このメンバーの中じゃ心々菜も知らなかったって事だし......次は絶対に誘ってよ」
チラリとこちらに振り向き俺と視線が絡むと心々菜ちゃんは慌てて前に向き直った。
あっ やっぱり......気にしてないふりしてたけど、昼食の時に昨日のことをいおりんが楽しそうに喋っているの聞きながら、僅かだけど頬がヒクってしてたよな。
ごめんね。いつになるか分からないけど、俺のありのままの姿を余すことなく心々菜ちゃんには話すよ。
「いおりん! いい加減、起きろおおおっ!」
いつか、きっと訪れるその日に想いを巡らせ、いおりんを起こしがてら気合いを込めて叫んでいた。




