ひとつひとつの欠片
「ふうー、やっと到着したッスよ」
陽一はやれやれといった感じで盛大に息を吐き、俺としぃちゃんが暮らしているマンションの前に車を停めた。
乗り慣れない車で知らない道をひたすら走り、なおかつ四人も乗せて気疲れもしたのだろう。ぐったりしている陽一を俺は横目で窺いながら気持ちを改める。
たぶん今の俺だと皆を乗せて、こう長時間も運転なんて出来なかったと思う。
そんな一件だけみても陽一は俺が考えている以上に男らしく変化している事が感じとれた。
――今の陽一は、孝からみて俺よりよっぽど気の置けない親友のポジションにいるように思う。
さっきの一件といい、孝は俺に対しては気遣ってしまい昔みたいに遠慮なく接する事が出来なくなってしまっているのかも知れない。
男女の間では純然たる友情を築くことは難しい、そこにはどうしても性別の違いによる考え方や好みの違いなどが関わってきて、お互い単なるYesかNoかだけでは答えられない諸々な事情も起こり得る。
『陽一と陽菜乃が融合した時の状態』としての記憶を持つ、今は女としての俺、対して同じ記憶を残しているものの女らしさがすっかり抜けた陽一。
男と女......異性となり袂を別れた二人が孝に与える影響は、おのずと違って当たり前のこと、深刻に悩まずに今の自分の気持ちを正直に現そう。
単刀直入な今の心のあり様を......。
俺は物思いにとらわれながらも陽一にねぎらいの言葉を掛け、すぐに助手席から出ると顔馴染みの管理人さんにお願いし、来客用の駐車ゲートのカードを借りると専用スペースに車を誘導する。
「ホエエッ!? なんじゃこりゃー! これはまた......ヒナはどれだけゴージャスな一等地に住んでいるんだい......キミは正真正銘のお嬢様だったんだね」
紫月先輩が眩しそうにマンションを見上げ呆気にとられている。
都ちゃんと白露もぽっとしながら言葉なく頭上を仰向いていた。
――この様子じゃ皆には、このマンション自体がしぃちゃんの持ち物なんだってことは黙っていたほうが良さそうだな......。
俺がこれといった理由もなく決意している横手から、それは荒ぶる鼻息が聞こえてきた。
「みんな! 心して聞くッスよ! 実は、このマンションのオーナーが一ノ宮 静華その人なんッス!」
陽一!? お前は何を自分の手柄のように自慢してるんだよ!男ならそこは黙っているところだろう......なんかさっきまで見直していた気持ちが薄れてしまったじゃないか。
今度こそ皆から驚嘆の声が漏れ、続いてどよめきが起こる......といっても聞こえるのは主に、ヒャハやハオウといった先輩の声がメインなんだけど。
少しの間、一人騒がしくしていたがマンションの外観から中のインテリアに興味が移ったのか
「それではっ! 一同揃ってヒナの棲みかに突撃!......ってなんかみんなテンション低くない?」
いえ、そこは先輩のモチベーションが突出してるだけですから。
※※※
「いらっしゃいませ。皆さま今日はようこそお越しくださいまして、またいつも私の娘と仲良くして頂きありがとうございます」
丁寧に挨拶をするしぃちゃんに流石の先輩も、それまでのハイテンションが無かったかのように大人しくなり、至って真面目な顔をみせる。
俺は皆を応接間のソファに案内すると、しぃちゃんを手伝って何種類かの洋菓子をカゴに盛ったり、淹れたてのコーヒーをテーブルに運ぶ。
俺としぃちゃん、陽一が同じ並びでソファに落ち着くと、先輩は姿勢を改め
「一ノ宮理事長......その節は誠にお世話になりました。本日こうしてお邪魔させていただき喜ばしい限りです」
折り目正しく一礼する先輩をしぃちゃんは、目を細めて眺めていたが、少しすると不思議なものを見たといったように首を傾げた。
「貴女、本当に桐原......紫月さんよね? 冴依さんではなくて......」
目を見開き、思いもよらなかった事に遭遇したとばかりに言葉を途切れさせる。
それに対して先輩は誠の心を持って応える。
「この度は、貴女の娘である陽菜乃さんの尽力と格別の想いが籠められた依代、二つのインパクトにより......私の思いは現実のものと成就しました」
再び乱れのない見事な佇まいにて心を込めたお辞儀を行う。
しぃちゃんは先輩を何も言わずにしばし見詰めていたが、感極まったのか呟きを漏らす。
「そう......想いは力となり証しと成る。現実に起こり得る事がこうして立証された......思えば私のただ一人の愛する娘が陽菜乃であること。そしてあの人の忘れ形見がここに顕在していたこと」
目を瞑りつかの間、想いを馳せる。
「貴女の願いは、パズルの最後のピースが綺麗に納まるかのよう現実をも改める存在へと成就した。私たち親子はその踏破の力添えをしたにすぎない......貴女は真に想い描いた存在へと成れたのだから」
紫月先輩はそれに力強く頷く。
「ボクの存在理由『ここにいる自分』というものは足掻こうと、もがき苦しもうと少しも見えることはなかった......紛れもなく今を生きている自分というものがありながら、どうしてもその姿を捉えることができない......自分とはいってしまえばひとつの生き方。しかし今日からは自分自身とは何かという問に己れがどのような生き方をしていけるのか、という問に形をかえることが叶った......何者なのか、どこにでもいる普通の女です......そう断言することが出来るって何をおいても素敵なことだと思う」
言葉に活力を込め独白を終わらせると、全身を歓喜で染め浮き立つ表情を湛える。
俺は巾着袋から水晶玉を取り出すと、しぃちゃんの手の平へとそっと託す。
――俺の母親であり、父の妻であった彼女は今は亡くなって随分と経つとはいえ、愛してやまなかった夫の忘れ形見......今朝、家を出るまでは神秘的なエナジーに溢れていた、今はただの透き通る綺麗な水晶に成り果てた球を瞬きもせずに見据える。
「残留していた思念を遣い果たしてでも貴方は見事に成し遂げた......それは陽菜乃が事が成すよう一途に願ったからなの......それとも幾つもの運命が交差することで奇蹟が訪れた因果関係なのかしら」
「僕も......このとても不思議な御守りのお陰で成りたくても絶対に成ることが叶わないと諦めていた自分自身を手に入れることが出来ました。本当にありがとうございます」
白露はテーブルに額がつくのも構わず深々と頭を下げる。それをしぃちゃんは思いがけないことを聞いたといった風に眉を上げ、二人の双子を交互に見詰める。
俺は白露が都ちゃんの双子の兄であったこと、また先輩と同じ悩みを抱え、今日ここに到り成りたい自分に成れた事を伝えた。
しぃちゃんは、それは真剣な面持ちで俺が語り終わるまで言葉を発せずに聞く。
「紫月さんだけでなく、白露さんでしたか......貴女も自分の性別違和症候群に思い悩んでいたのね......二人がともすれば限りなくレアケースである異性の一卵性双生児であるということ、もしかすると生まれ落ちた際は女の子と認知されていたのでは?」
紫月先輩と白露はその言葉に胸を衝かれたようにびくっとなった。
そういえば夏江さんも異性の双子が生まれることは大変珍しいケースだって言ってたよな。
「つい最近に兄さんから聞かされた話しなんですけど、誕生した時は女の双子だと確かに言われたらしいです......それが母がボクたちを産んだ時......帰らぬ人となってしまって......気が付けば出生届の提出期限ギリギリになって、ボクが実は男の子だったことが判明したんだって、そんな状態だったから詳しく検査する時間も無く退院したって言ってました」
先輩はポツリポツリと心苦しそうに口籠る。
その話しを聞くとしぃちゃんは、しばし熟慮し
「そう、そんな事実があったのね......白露さん貴女は?」
白露は都ちゃんと目を交わし、首を横に振ると生まれた時の事は何も聞かされていないと語った。
「仮定の話しになるけど、外国では思春期を迎えた時期に性別が変わる不思議な村があるそうね。原因はハッキリと判っていないらしいけど、妊娠中の母親がホルモン分泌のバランスを崩した事が影響しているのではないかと噂されているわ」
二人はこれ以上なく真剣に聞き入る。
「もしかすると二人とも本来は、女としての性として生まれるはずだったのかも知れないわね......それが運命の気まぐれによって違う性としてこの世に現れることになってしまった......この水晶球はあるべき姿を回復するトリガーとして、その任をまっとうした」
囁やくように言葉すると一人ひとりに視線を送り
「そうだとしたら、貴方はそれはこよない素敵な贈り物を私たちに遺してくれたのだわ」
掌の上におさまる忘れ形見を感慨無量に見守り、思いの丈を紡ぐ。




