始める気持ちを心に宿し
「よ、陽一! ま、前! 赤信号だから!」
俺の悲鳴が車内に響き渡る。
「へふっ!? わ、わ、わあああ ヤバいッス!」
急ブレーキ気味に車は交差点の手前で辛うじて止まった。
車はどうにか止まってくれたが、車内では慣性の法則が当たり前だが働いたようだ。
後部座席の真ん中に座り、はしゃいでいた紫月先輩は、はにゃあ!?と力なく叫びながら前方へと勢いよくつんのめる。
左右に座る俺と白露が、先輩の突発的な非常事態にそれぞれが急いで袖を掴んだものだから、ぶかぶかになってしまったワンピースだけを残して、ズルリと白い裸体が宙を舞う。
あわやフロントガラスに衝突するかと思われたのだが、助手席に座っていた都ちゃんがぶつかる寸前に、ガシッと先輩の頭を鷲掴みすることに成功していた。
「イタタタッ! ゆ、ゆ、指がめり込んでいるかも!」
先輩はアイアンクローを掛けられたまま、手をじたばたさせる。
「あ、ありがとう! だからその手を放してええええ」
都ちゃんは何故か名残惜しそうに先輩の額から指を外す。
俺と白露が後部座席に急ぎ引っ張り戻す、その際にワンピがこれでもかというほど、ずり落ちてしまい、先輩はひゃあああと叫びながら片手で胸を隠し抱く。
片手で!
バックミラー越しに陽一の目がクワッと限界まで見開く、むろん俺も右に同じく。
数多いるおっぱい星人の中でもムッチー科に属するニッチな資質を持つ俺イコール陽一。
半裸状態で胸を片手で覆い顔を朱に染め慌てふためく先輩に、えもいわれぬ情感が沸き起こり、知らず涙が溢れ落ちていた。
「ムッチー......信号......青」
なんとも醒めきった都ちゃんの声で俺たちは我に返る。
「陽一! しっかり集中して運転してくれないとダメなんだから、万が一でも事故に遭ったりしたら、皆ただじゃ済まない身の上なんだからね!」
俺は現在おかれている状況が、感動の涙している場合でないことを思い出し注意を促す。
陽一もぎこちなく頷きながら目的地に向け車を発進させた。
先輩は荒い息を吐きながらも乱れてしまった着衣を直している。
そんな彼女の仕草を、俺はついつい気になって横目で見てしまう。
「あはっ 一事はどうなることかと思ったよ......今後は安全運転第一でお願いします」
先輩、本物の女の子に成ってから、とてつもなく可憐な女子力を発揮しているよね。
はいい! 陽一は、ここ一番の返事をして運転に集中する。
俺たちは黒野家の自家用車を借りて一路、高井戸ベルパークに向かっていた。
陽一イコールその頃の俺は、春休みを利用して教習所に通い免許証を取得したのだけど、椎木家の舞花母さんは頑なに自分の車を貸してくれなかった。
ぶつけられでもして修理に出すのが嫌だった、そしてガソリンが減るの嫌だったのだろうけど、どんだけー。
そのような事情があり全く運転する機会がなく今に至る。
陽一が初めて操作する車と道にいつにも増して真剣になるのも致し方がない。
それにプラスして車内にいる先輩にしても白露にしても事故でも起きてしまうとややこしい事態に陥る。
俺はくれぐれも安全運転でねともう一度声を掛けておく。
複合型商業施設、ここに行って先輩と白露の女の子用衣装一式を買うのが目的だ。
先輩は今までも装いは女物を着ていたのだけど、サイズが随分と変わってしまったため、買い直す必要があった。
とはいえ、実は女物の下着はまだ履いたことないんだよね、ってそれは恥ずかしそうに呟く。
その羞恥を帯びた表情と戸惑い。
いいね! いいんじゃない! 七菜子があんなにも心を昂らせていた気持ちが、ようやく判ったような気がしたよ!
俺は下着売場に行った際の先輩のリアクションを想像して、ついニンマリしてしまう。
「あと少しで......到着する」
都ちゃんがポツリと呟く。
ジャンケンして負けたとはいえ超初心者マークが運転する助手席は、さぞ不安だろうに健気にナビをする。
ちなみに先輩はジャンケンで勝ったのに、嬉しそうに後ろの真ん中を選んだんだよね。
「僕、女物の洋服とか着たことないんだけど、に、似合うかな」
白露も車内の興奮した空気が伝染したのか照れながら、あはっと控えめに笑う。
「無問題! ボクにお任せあそばせ......それはびっくりするぐらいの可愛らしい女の子にエクスチェンジして・あ・げ・る♪」
先輩はそれは自信満々にドヤ顔を決める。
「ハクはミヤみたく、爆......胸も普通の大きさだから、好みの服が選べると思うよ」
ヒナよりかは十分大きいけどと俺をチラ見しながら言うのもどうよ!
確かに白露の胸は俺のより大きいとはいえ、いおりんよりは小ぶりに位置付けられそうだ......まあ俺より大きいのですけどね。
ぶつぶつ呪文のように呟く。
「今後の参考にしたいから、ミヤはどうしたらそんなに巨なるになったのか教えて......下さい!」
紫月先輩は目をうるうるさせて甘えフェイス全開でおねだりする。
堪らなく可愛いのですが!
都ちゃんからてっきり、もう......知らないといった返しがくると思いきや、少し考え
「牛乳......風呂」
その返事に車内は驚愕に揺れる。
若干一名、運転にいっぱいいっぱいのため、星人とはいえ会話を聞き入ってる余裕はなさそう。
いや。ムッチー科に属しているから秘かに耳をそばだてているかも知れん。
「ぎゅ、牛乳風呂って、肌はすべすべになりそうだけど、匂いつきそうだね」
俺は想像してみて、その贅沢さと手間に都ちゃんの本気をみた気がした。
俺がいたく感じ入って納得している姿をバックミラー越しに確認したのか。
「なあんて......冗談よ」
クスッと心楽しげに笑う。
都ちゃんがジョークを口にするなんて初めてのことじゃないだろうか?
「毎日......おから......食べてる」
おからの炊き込みご飯、ハンバーグ、サラダ、エビチリなどのおかずやクッキーやケーキといったお菓子にも使えるらしい。
「エストロゲン......効果ある」
今回は、至っていつもの生真面目な表情で語る。
「おから! 子供の頃から苦手......ダメかも」
先輩は長い髪に埋まるようガクッと落ち込む。
「僕も! 都が毎日飽きずに、そしてレパートリー増やすしているのは知ってたけど、そんな実利があったんだ」
白露もあまり好きではないのか項垂れる。
「美肌......なるよ」
その一言で皆の目が煌めく。
よし! しぃちゃんに教えて今日から一ノ宮の食卓は、おから三昧だ!
って、確か昨日も体に良いから食べなさいよと言われて、出てたっけか......ママ! 残してごめんなさい。
「はあああッ みんな長らくお待たせ! やっと着いたッスよ!」
陽一がこれで一息つけるとばかり盛大に伸びをする。
いつの間にか車は無事に目的地へ到着していた。
「あははっ......なんか自分のことながら緊張してきたかも」
本物の女の子に成り、初めて俺たち以外の人前、しかも今日は休みの日でかなり混み合っている商業施設に、さすがの先輩も二の足を踏む。
白露も気が付けばガタガタ小さく震えていた。
「僕......車の中で待ってるよ」
先ほどまでの元気よさがなくなり消え入りそうな声で呟く。
そんな隣に座る白露を紫月先輩はとても愛しそうに見つめ、そっと手を握る。
「大丈夫......ボクがキミを守るから......だから一緒に行こう」
交わされる瞳、心から信頼する者だけが持ち得る共感。
「アハハー! 時は満ちたよ。ボクたちは今この時から安らぎと己れの居場所を自らの力で見つけなければならない......さあ手を取り最初の一歩を踏みしめようか」
白露は握った掌を見つめ、今度は力強く頷いた。




