レゾンデートル研究室
体育館では部活動紹介が一通り終わり、更に詳しい説明を聞くために生徒たちは、お目当ての専属ブースに歩を運ぶ。
彩帆ちゃんは演劇部に入ることを決めている心々菜ちゃんに付き添ってもらい、ダンス部ブースに二人で行ってしまった。
そして幼い時から彼女の兄と一緒に修業し、剣道初段の腕前を持ついーちゃんは、こちらも剣道部ブースに向かっていった。
心がざわざわと震え、いやに気が休まらない。
俺は先ほどのレゾンデートル研究室の紫月先輩のことが、心に引っ掛かり居ても立ってもいられず、キョロキョロと彼女の姿を探して周りを見渡す。
「どうかしたんっすか。それはそうとのっちは何処に入るか決めたんっすか」
「陽菜乃ちゃん......決めた?」
「ひゃい!?」
急にいおりんと都ちゃんに後ろから声を掛けられ、思わず声を上げてしまった。
俺は彼女たちに向き直り
「そ、そうだね......それはそうと二人は決まったの?」
質問を質問で返してしまう。
「うーん、奇術実践愛好会とかあれば迷うことなく入るんすけど、残念ながら無いっすね。こっちは入りたいのあったすか?」
「私も......特に無い」
だよね。MMO部でもあれば、即決で一緒に入るのにね。なんなら電脳クラブでも行ってみる?
「うひょー? はううっ!?」
俺は声に出して言おうとして、そこで背中をツツツッと何かが這う感覚に、意味不明な言葉を発してしまった。
「あっ、ん......」
ほのかに甘い藤の花の香りが漂い、続けて耳元にくすぐるような熱を持った吐息を吹き掛けられ、我知らず甘い声を言洩らしてしまう。
「アハハー! 可憐で儚げな、不可思議な力を秘めた人を計らずもボクは探し当てましたよ!」
耳元でなおも楽しげな笑い声が響き、とても残念そうに俺から身を離すと背中を撫で上げ、耳元で囁いた振る舞いが何事でもなかったかのよう無欲な微笑みを浮かべ目の前に立つ。
白衣を纏いし『レ研』桐原 紫月室長。
その立ち振舞い......宮女の制服の上に染みひとつない白衣を羽織り、160cmを越える極めてスレンダーな体形に今からイタズラを始める幼子のようなキラキラした眼差しを俺に向けている。
「フフフッ 改め初めましてお嬢さま......よければ、ボクに君の名前を教えてもらえるかな」
ニコリと笑い俺の名を見定めるよう目に力を籠める。
胸が激しくドキドキ音をたてていく。
「い、一年三組 一ノ宮 陽菜乃です。こちらこそ、初めまして桐原先輩」
俺の名のりに、猫科の動物を連想させる、いたずらっぽさとしなやかさが交じった瞳を輝かせ
「へぇ......陽菜乃......昔からその名前......なのかな? それとボクのことは紫月と名前で呼んでくれると嬉しいな」
その問いに心臓がトクリといっそう跳ね上がり、一歩後ろに引き下がる。
藤の花の豪奢な甘い匂いを漂わせながら、間合いを同じ分だけ近づけ
「一ノ宮......得てして、あの理事長の縁者なのかな。フフフッ......やはり君の存在は......とてつもなく面白い」
更に仰け反り、心臓がドクドク限界まで膨らむ。
「ちょっと先輩? なにのっちのことイジメてくれてるんすかね」
「先輩......意地悪」
俺の怯えている様子に、それまで状況が飲み込めずに黙って見ていたいおりんと都ちゃんが先輩に詰め寄る。
うん? と間を起き、改めて二人に気を向ける。
「へえー これはまた凄いね......貴女たちは彼女の友だち? だとしたらボク堪らなくご機嫌な気持ちになっちゃうかもね」
アハハハ! 大きな笑いを本当に愉快そうに溢す。
二人とも心の底から快活に、それは愉快そうに笑う先輩に対して二の句が告げず押し黙ってしまう。
気が付けば結構注目されているみたいだ。
俺は悪目立ちしたくなかったため、場所を人が居ない体育館の中二階に移動するようお願いした。
先輩は素直に移動に応じ、周りに人が居ないことを確認すると声を潜め
「ねえー まだ入るところ決めてないなら誠心誠意、貴女たちにお願いするよ......ボクと一緒に遊んでくれないかな」
豪放に笑い飛ばしていた姿から一転して、まるで幼い子供が置き去りにされることを怖れるかのよう切実さと心侘しげな瞳を俺たち三人に委ねる紫月先輩。
「面白いっす! 自分は好きっすよ。なんか退屈な学校生活から解放される何かを待ってたっす! くっち先輩よろしくっす!」
ぶんぶん手を振り、握手を求めるポジティブシンキングないおりんに、ミステリアスな紫月先輩も頬を赤くし、口をもごもごさせながら手を握り返す。
「くっち? 初めてそんな言われ方したよ。でも嬉しいな......キミはボクのこと気味悪いと思わないの?」
「まったく全然、少しもこれぽっちも思わないっす! 逆に興味がますます津々でやんすよ。あっ 自分のことを愛情いっぱいにいおりんって呼ぶっす!」
その言い様に一際大きく笑い、いおりんかっどちらかと言えば委員長じゃ駄目なのと、誰もが思うことを笑い過ぎて涙を流しながら確認する。
いおりんは次の瞬間、三つ編みを解きほぐしダテ眼鏡を頭に乗せ
「これでも委員長ですか? 紫月先輩......この姿の時は渚って呼んで下さいな」
おどけた柔和な笑みを浮かべ、白い歯を溢す。
キョトンとして言葉を無くした紫月先輩の仕草が可愛いらしく、俺も最前までの緊張していたのが馬鹿らしくなり、珍しく声を出して笑う都ちゃんと一緒になって笑ってしまった。
「アハハ......びっくりしたよ。いつの間にその髪を解いたのか、このボクのスタンドポイントを持ってしてすら、まるで判らなかった。桁違いの技能だね......途方もなく修練を繰り返していることが、その技からにじみ出ていたよ」
あいつと同じでね。とこちらは、ほとんど聞き取れない声で呟いた。
頬に赤みが差し、照れ笑いを浮かべる渚。
スタンドポイント?その聞き慣れぬ言い回しも気になったが、俺は渚をたぐい稀なる才能を持つ手先や視力の良い奇術好きな女の子としか見ていなかった。
考えてみればあれほどの巧みな技を披露するには並外れた反復練習を行わなければ出来ない。人知れず努力を重ている渚を一目で理解し実直に称賛する紫月先輩に、底知れぬ畏れを感じていた気持ちが徐々に薄れていく。
「君はどうかな......ある意味、その存在は驚異的だけれども」
じぃと都ちゃんを見ていた眼差しが急に泳ぎ、顔を赤らめ慌てて目線を外し
「最高存在ってことさ」
気恥ずかしそうに言葉を洩らす。
都ちゃんは、俺に一つうんと頷き
「先輩......よろしくです」
言葉は少ないが、真摯な気持ちを十分に注ぎ込んでいるのが解る。
俺も心を決める。この妖しく不思議な先輩のもとで何か人知れぬ心踊る日常が始まる......そんな予感がする。
「アハハハ! 今日はなんて佳い日なんだろうね。君たちに逢えてボクは今まさに、そしてここに存在している理由を、心の底から感謝する気持で......一杯です」
ポロポロと涙を零し、ありがとうと呟く。
「で、デレたっす! もっえるううう!」
今は渚だからっす!は要らんしょ。
「先輩......泣かない」
都ちゃんは優しく泣き終わるまで背中をさする。
「ありがとう......ボクとしたことが泣いてしまうなんて......そしてこれから宜しくお願いするね。取り合えず明日の放課後でも一旦集まるで、いいかな?」
俺は明日の放課後、演劇部の入部審査を受ける友だちに付き添う約束があることを告げる。
「そうだね......片翼の羽ばたく時だったね」
片翼?なんでそんなことを知っているのだろう。
「ああー 君たちのクラスの二つ名の話しは、結構広まっているよ......片翼の癒し手と演じ手だね」
俺は少し釈然としなかったが、その話しはお仕舞いとばかりに明後日、ちょうど土曜日のため何処かで昼ご飯を食べながら、今後の活動を話し合うこととなった。
「ようこそ! 我がレゾンデートル研究室へ......君たちの入室を心より歓迎するよ」
アハハハ!ひとしきり高らかに笑い、渚、都ちゃんの順にハグして、最後に俺を抱き締め耳元に唇を寄せる。
そして渚でさえ聞こえないのでは? と思うほどの小さな声で
「――君は本当に女の子なのかな? その存在する事象がボクを例えようもなく......魅了する」
甘い紫色の花の香りを漂わせ低く囁いた。




