伝説の二人
午後の春風を浮けて桜舞う学舎の中庭で、キラキラ輝く噴水を背に受け、長い髪をはためかせた生徒は周囲の状況......唖然とした集団をものともせず、全力で俺に正面から抱きついた。
「ひゃあああ!?」
「ひなのおおっ、久しぶり! お姉ちゃんはすんごくとっても驚くほどに寂しかったんだよ!」
陽菜乃、陽菜乃と連呼しながら力一杯に俺を抱き寄せ、揉みくちゃにする。
ちょお!どさくさに紛れてお尻とか背中とか撫でるようにタッチしてるよ......この人!
頬とか耳とかにもはぁはぁ息吹き掛けてくるし!
「ひゃい!?」
あっ胸触られた。でもちょっと首かしげたのは納得いかないかも......。
「ちょお! な、菜々子......お姉ちゃん!」
セクハラ、セクハラと連呼する俺に、ぜぇぜぇ息を吐き出しながら、わたしの生涯に悔いなしと拳を突き上げる。
――いやまあ、そのまま逝っちゃてもいいんよ。
いつの間にか周囲は、噴水から飛び出る水が跳ねる涼しげな音しか聞こえないほどにシーンと静まりかえっていた。
連れ達もポカンと俺と菜々子を見ているだけで、一言も声を出さない。
そんな俺の後ろから、驚嘆するほどに麗らかなとても人が発っしたとは思えない、清らかな音楽のような響きが伝わってきた。俺はそれが言葉とは理解出来ずに我知らず振り返ってしまった。
「やあ! 君が陽菜乃ちゃんか......菜々子からそれは沢山の話を聞いているよ」
逆光で直接顔が見えなかったのは、俺に幸いしたのだろう。
いーちゃんがすぐ向こうで崩れるように倒れ込んだのを、危なく彩帆ちゃんが支える姿を目の隅に捉えた気がした。
桜舞う季節なのに、その人の周辺だけ幾数万、幾千もの薔薇の花びらが舞い咲き乱れる。そんな印象を観るものに自然と思い立たせる存在。
宮ノ坂女子高等学校演劇部在籍
The Legend of Prince 白河 聖
「なになに、やっぱり陽菜乃も聖見て固まっちゃうわけ?」
俺に抱きつくのを止め、ニヤニヤ笑いながら伝説の王子の元に行くと、あろうことかその背中をバンバン叩き
「お前も罪なやつよのー」とのたまった。
ちょえええっ! この生き物にそんな事が出来る生物がこの世に存在するとは、俺は失神するほどの畏れを元妹に感じた。
「痛いよ、君は......相変わらず容赦がない」
その一言を聞いただけで幾人かの生徒が熱にやられたかのように額に手をかざす。
「まあ、こんな澄まし込んだやつだけど、一応わたしの一番の親友だから陽菜乃も仲良くするのだよ」
嬉しそうに王子様の手を取ると俺の手に近づけてくる。
へふっ! 俺に握手せーと迫ってるのですね。
どうしようもなく、ぷるぷると手が震える。
――目の前にいる人の顔を直視してはいけない、俺の本能がそう語り掛ける。
いつのまにか目をきつく瞑っていたのだろう、俺の右手の平にひんやりとして柔らかなものが押しつけられ、少し強く握りしめてくる。
「あんっ!?」知らず声が出てしまったようだ。
「おふっ? 陽菜乃の喘ぎ声GETだよ!」
それだけでもお前はいい仕事をしたよ、その言葉の後にバンバンと音が続いて聞こえる。
また背中でも叩いてるんだな、仕方がないヤツと思いながら恐る恐る目を開ける。そこには覗き込むようにこちらを注視している、その人の瞳と俺の瞳がしっかりと交差してしまった。
俺、逝きます。
立ち眩みしたのか、くたくたとその場に崩れ込みそうになり菜々子が慌てて俺の脇の下に手を入れて後ろから支えてくれる。
握手して目線を合わせただけで、この破壊力。
演劇部の人たちって、まともに演劇出来てるのだろうか。
――遠い国の出来事のようにぼんやりと考えていると、なにやら胸のあたりに何か邪なものの気配がする。飛びそうになる意識を奮い起たせどうにか見ると菜々子が俺のリボン下に手を入れて、わさわさと触っている。
ここでも首を傾げているのが気に食わない。そうですね......宮女のブレザーはとても分厚いのです。俺は背景の一絵になってしまっている連れの一人、都ちゃんをチラリと盗み見た。
流石は我が誇り高き元愚妹、俺の目線に感じるものがあったのか、切れ長の目をそちらに向け......見事に固まった。
ずるずるずり落ち、気がつけば女の子座りでペタリと地面へ......えっ! 俺ここにきて放置プレイ?
「なんやねん......姉ちゃん! わて、いてこまされたわ!」
なに、何語? まさか関西弁とか言うんじゃないよね......わてって、私のことかしら?
ほら、みやちゃんすんごく怯えてるし
「豚マンぎょうさん仕込んでおますな」
かつて、ここまで適当な関西弁があったのであろうか。
菜々子のターンがまだ続く、あのいおりんですら「っす」も出ないぐらいに愕然として一歩も動けないでいる!
「その乳ごっつ、ええちょ......ほげばああ!?」
スパアーンンンと豪快な音を発し、自我境界線を逸脱しきった菜々子の後頭部へとレジェンド王子の水平手刀が炸裂した。
「菜々子だめだよ、下級生を怯えさせるのは」
崩れ落ちる菜々子を無造作に見えながら、しなやかな動作でもってお姫様抱っこする。
桜吹雪を一掃するかのような黄色い悲鳴や雄叫びが次の瞬間、中庭に響き渡った。
「そろそろ部活に行かないと」
誰にともなく王子は言葉を紡ぐ。
「あ、そうだよね......うん? 陽菜乃どうしたの」
あれ? 今崩れ落ちてお姫様抱っこされてなかった?
何事もなかったかのように王子の横に超然として佇む、美しき姫君のような菜々子。
「そっちらの子達は、もしかして陽菜乃の友達?」
皆はガクガクと頷く。
「へぇー 友達一杯出来たんだ......陽菜乃、本当に良かったね!」
途方もなく優美な艶笑を浮かべる。
とても先ほどまで如何わしい関西弁を捲し立てていた人物と同一とは思えないほどの変わりように、俺を含めた全員が目を白黒してしまう。
「陽菜乃は私のそれは大切な妹です。皆さん末永く良い関係を築いて下さいね」
スカートを軽やかに摘まみ優雅な一礼をしてのける。
――その姿を見ていると自然と一つのワードが浮かぶ。
The Legend of Princess 椎木 菜々子
「そろそろ本当に行かないと」
チラリと体育館を見た王子は、そこに背景と化していた心々菜ちゃんに初めて目を止めた。
「これは......また」
舞うかのような足の運びで心々菜ちゃんの前に立つと、放心状態の彼女の左手を柔らかく持ち、手の甲に唇を近づけ、そっとささめく言の葉を投げ掛けた。
「君はいいね」
それが二人の最初の邂逅




