鉄分の補給が必要です
目が覚めると、柔らかい何かに体全体を覆われていた。
手にも、何か温かな力が優しく加えられている。
薄く目を開けると、淡い光の照明が見え、部屋の中には、ほんのりと消毒液の匂いが漂っていた。
下着売場で情けないことに貧血で倒れてしまった俺を、菜々子が血相変えて、施設のスタッフを呼び医務室に連れて行ってくれたらしい。
らしい......というのも意識を失ってしまっていたようで、先ほど目を覚ました時は、ベッドの中で毛布に包まれ、俺の右手を菜々子が、ギュウと両手で握りしめていた。
「ゴメンね、本当にごめんなさい」
菜々子は、泣きながら俺に謝る。
そんなに謝ることないのに、そりゃちょっと悪ふざけが過ぎたけど、別に悪意があってしたことじゃないんだからさ。
「べつに菜々子......お姉ちゃんが謝ることないよ」
近くに人が居る気配がしたので呼び捨てずに、ここはお姉ちゃんと呼んでおく。
するとお姉ちゃんと言う呼び掛けに、過剰な反応をしめしたのか、首を大きく振る。
「血が足りないなら、遠慮せずにほら私の首に噛みつきなさい! 血を補給するのよ!」
寝ている俺の顔付近に横顔を向け、髪の毛を手で押さえると、きれいなうなじを差し出してきた。
こいつ、本気で噛みついてみるか。
今の今まで悲壮感たっぷりの大粒涙はなんなの!
「あっ 噛む時は、甘がみでお願い!」
噛み方の指定までしやがった。
「ひゃっん!?」
えっ!? 俺なにもしてませんし、する気もありませんけど、なに勝手に首押さえて悶えてるの、壊れたの、ついに来てしまったの?
こんなのが実妹......今は違うとはいえと思うと、お兄ちゃんの方が顔赤くなるじゃないですか。
「えっと......目が覚めて元気になったのなら、帰ってもらえるかな」
ほら見ろ、すごく醒めた目で呆れ果てられてるだろうが。
俺たちは、仏頂面の医療スタッフの方にペコペコお辞儀すると、隅でクスクス笑っている看護師のお姉さんも
「お大事に、今日は鉄分たくさん入った晩御飯食べるのよ、あっ とはいえ血を直接飲んだらダメだけどね!」
笑いながらダメ出しされ医務室を出た。
医務室を出ると、しぃちゃん、舞花母さん、陽一がこちらに小走りで向かって来るのが見える。
「さっき電話したの、あっ陽菜乃のスマホは陽一が持ってるから」
どうやら受け取りを、先に済ましてくれていたみたいだ。
「陽菜乃ー 大丈夫なの」
しぃちゃんは、心配顔で俺を抱き締め
「貧血になって倒れたって、もしかして色々な危うい下着見て興奮しちゃた?」
いやいや、ここでそんな直球投げられても、おいそれと打てませんよ。
あっ 陽一も顔赤くしてうつ向いてる。
俺の気持ち判ってくれるの、やっぱり自分だけだよな。
「で調子はどう?」
ちょっと体がダルいだけみたいだ。
「う、うん、もう平気みたい......晩に鉄分多めに取るよう言われたけど」
先ほどのやり取りを思い出して、上目遣いに菜々子を見てしまった。
「ハッフーン! なにその目力!」
お前を上目遣いに見上げてしまったことを、俺は一生後悔するよ。
ぎょっとした陽一が、俺と菜々子を交互に見る。
陽一よ、お前のあの憎々しかった......ではなくてクールで凛とした妹は、今はもういない。
いないのだよ!!
しぃちゃんが、それじゃ鉄分補給に今日は、寿司でも食べて帰りますか? もちろん奢りまっせ!
てきな発言したものだから、大いに盛り上がる。
菜々子もさすがに反省したのか、俺の大人しめの下着と今日用の家着を買って来ると、しぃちゃんと連れ立って買いに行った。
二人が見えなくなるとすぐに
「無論、回らない寿司よね」
舞花母さんはニコニコ顔で誰に言うでもなくそれでも力強く言い切った。
待ってる間に、俺は陽一からスマホを受け取り、充電されていることを確認するとメモに書かれた番号をプッシュする。
その様子を陽一が不審そうに見ていた。
くくくっ 驚愕に打ち震え刮目するがよい。
「もしもし、あっ遥さん? 今大丈夫ですか......わたし陽菜乃です。先程はありがとうございました」
陽一の顔が驚愕で歪む。
判る判るぞ、その焦る気持ち......俺だからこそよく判る。
「――登録お願いします、今って、みんな電話しても大丈夫ですか? あっじゃ順番に電話します......はい、またお会いしたいです」
「お、お、お......」
「お前が女の子に、いつ知り合ったんだよ、というか遥さんて誰だよ、みんなってなんだよ......お前は言う」
かはっ!!と陽一は目をこれでもっか!っと見開く。
ここは、俺のターンだ、ずっとかも知れない。
俺は続いて、佳苗さん、まゆ美さんに電話を掛けた。
どこからそんな話になったのかは謎だが、まゆ美さんに俺には、とても恥ずかし過ぎて言葉にできないであろうことを、神林さんに言えと約束させられてしまった。
最後に、今からあの神林さんに電話する、しかもまゆ美さんとの約束......急激なプレッシャーが俺を襲う。
俺のターンってなに、なにを意気がっていたんだか。
陽一の存在も忘れ、震える指で番号を打ち込む。
「も、もしもし、か、神林さんですか......」
陽一が、今まさに隣で昇天した気配を感じた。
「陽菜乃で。、先ほどはありがとうございます、あっはい番号登録お願いします......えっまゆ美さんとの約束ですか......やっぱり言わなきゃダメですか」
チラっと陽一を見ると、茫然と在らぬ方向を見ている。
よし! 今だ、今がChanceだ! さすがに恥ずかしすぎる、たとえ自分とはいえ、これを聞かれるのは......。
「は、はい、それでは、し、しゅ、朱里お姉様もお元気れ」
俺はまゆ美さんと約束した、朱里お姉様と噛みながらも言えたことに満足な溜め息をもらした。
さ、寒い、凍てつくオーラを感じる。
陽一がそれは俺を無表情に眺めている。
無表情な人ってすごく怖い、なんて思ってると急に肩を叩かれたものだから、思わず
「ひゃぁー」
なんて悲鳴をあげてしまった。
「あっゴメンなさい......ひなのちゃん?」
俺の肩を叩いたのは、ちょっと前まで電話してたはずの神林さんだった。
「えっ!? な、なんで......」
「うん、実はついそこのカフェに居たの、ほらまゆ美たちまだいるでしょ」
指差した先では、まゆ美さんたちがこちらに向かって大きく手を振っていた。
俺が手を振り返している横で
「あれっ、もしかしたら陽一くんだよね......お久しぶり!」
神林さんは、気さくに陽一に声掛けている......。
よく名前なんて覚えていたな。
陽一は、現実世界に帰って来れていないのか未だに茫然としている。
「あれれっ もしかして、私のこと覚えてないのかな、高二のとき同じクラスだった神林 朱里だよ」
ちょっと上目遣いに陽一を見やる。
神林さん! そんなポーズしちゃったら陽一益々還ってこれなくなるよ!
しかし今日の陽一は、いつもと違い、その一言で無事現実世界に還ってこれたみたいだ。
これでもか!っと首を振り
「か、神林さんと話すことが出来て、こ、こ、光栄であります隊長!!」
直立不動でバシッと最敬礼まで決めていた。
「えっなにそれ、ひなのちゃんと同じ反応って」
「「!!」」
俺たちは、二人揃ってアワワッと手を振る、その姿も見事にシンクロしている。
「あははっー なに二人とも面白すぎるんだけど」
涙まで流して、楽しんでいる神林さんを俺たちは感無量に見ていた、どんなことであれ神林さんが嬉しそうにしている姿を間近で見れて幸せ。
「二人って、もしかして恋人?......違うかっ、もしかして兄妹? あれっ、でも椎木くんの妹さんってnanakoだけだったはず......恋人じゃないよね」
最後を歯切れ悪く呟いた。
神林さん......なんで俺(陽一)の個人情報網羅してますの??
神林さんにとって俺なんて、学校生活を彩るモブF
「「こいつとは、ただの従姉!です、それ以外のなに者でも金輪際ありやせん!」」
ステレオで、ありやせんまで被りやがった!
神林さんは、ちょっと安心したように笑うと
「そうなんだ......陽一くんの周りって、半端なく綺麗な人が多いんだね」
それから、意外そうに
「あれっ? でも陽一くん......なんか背伸びた? 雰囲気も全然違うし」
あっそれは、俺も朝から感じていた。
悲しいことに陽一、背の高さほぼ神林さんと同じぐらいだったのに、今はお洒落なヒール高のパンプス履いてる神林さんが、陽一をちょっと見上げるぐらいになっている。
こいつ、ズボンも新調してるし、シークレットブーツでも併せて買いやがったのか。
陽一の足元を見ると、いつも履いてるクロクッスだった。
「いや、なんか今日急に、持ってたやつ全て小さくなったみたいで、スニーカーも履けないし、このTシャツもピチピチなんだよね」
照れながら長袖のTシャツをパタパタ捲った。
おいっ! ヘソが見えてるぞ、神林さんも頬染めてうつ向いちゃったじゃないか!?
――なにその恥ずかしそうな仕草。
なんか陽一から、いつもの女の子臭さが全く感じられない。
端正な顔を、男くさく照れ笑いしてる......なんなのこれ。
「でも、すごく素敵だよ! 良かったら今度一緒に買い物でも行かない?」
神林さんは、いそいそとスマホを取り出す。
「連絡したいから、番号とラインアド教えてくれる」
今日一番の笑顔を陽一に向けた。
「あっ!!」
それまで全く気配を感じさせずスマホを一心不乱に操作していた舞花母さんが、突然声を張り上げた。
固まっていた俺たちは、ギョッとしてそちらに振り向く。
舞花母さんは、極上の笑みを浮かべると
「やっぱりアワビ盛り尽くしも捨てがたいけど、極上トロ五点盛りにしようかなっ♪」
いや......実の妹にたかるのも大概だけど、とことん逝くつもりですね母さん。




