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受付嬢の甘美な一日

本作は、カレンダー小説企画投稿作『1.28秒待って』およびなろう投稿作『プロポーズ教室』とゆるくつながりを持っていますが、特にそれらを未読でも問題ありません。

 私は受付嬢なのです。

 受け付けるのが仕事なのです。


 何を受け付けるのかというと、大切な大切な、人から人への思いのこもったメッセージです。

 先輩は言いました。


「亜子ちゃん。あなたも22ともなれば恋人の一人や二人いたこともあるでしょう。だったらわかる筈。大切な人と長く会えないでいる辛さを。募る思いを伝えたいという切なさを。私たちが受け付けるメッセージは、そんな人々の思いなのよ」


 残念ながら、モテ系の先輩と違って、私には「恋人の一人や二人」がいたことがありません。でも大切な人と長く会えない辛さは私にもわかります。私にも大切な人がいました。

 それは、小さい頃お盆やお正月にお爺ちゃんの家に集まった時に時々現れる親戚のおじさんでした。そのおじさんはとても気前がよくて、ねだるとたくさんお小遣いをくれるので、私にとって経済的な意味でとても大切な人でした。そのおじさんがいない時は収入の当てが外れてしまい、それはそれはがっかりしたものです。

 それを私が話すと、先輩は数秒、高級レストランでタッパーに料理を入れて帰ろうとする客を見た時の淑女のような視線で私を見ました。その後、諦めたようにため息をついて、厳かな表情に戻って続けました。


「いいこと、亜子ちゃん。今日ここに集まってくる人たちはね、あの何十万キロもの遠くに、大切な人がいるのよ。家族、恋人、友人、その他さまざまな……大切な人が」


「その他さまざま……」


 その「その他さまざま」を、私は想像しました。愛人、義兄弟、ライバル、飲み友達、昔の同級生、取引先の部長、顔が似てる赤の他人、人間に姿を似せたアメーバ状の生物……。

 そろそろ「人」の定義を超えようとしていた私の想像を、先輩の声が遮りました。


「……そんな大切な人たちへの、特別な思いがこもったメッセージなのよ。たった一夜限りのメッセージ」


 なるほど、と返事をして私は頷きます。


「亜子ちゃん、私たちの受け付ける「スカイ・メッセージ」がそういう特別なメッセージだということを、けして忘れないで」


 私は頷きました。そして言いました。


「あ、略したらSMですね」


 先輩は、苦労してレ・ミゼラブルのストーリーを話して聞かせたのに冒頭の銀の燭台のエピソードしか子供たちが覚えていないのを知った時の教師のような顔をしました。

 その後、先輩は、どうやってメッセージが送られるのかとか、このプロジェクトの説明を色々してくれました。でも、私は考えました。手段なんか問題じゃないんじゃないでしょうか。人が人に言葉を送りたい、そんな人種年齢性別貧富によらない普遍的な願い。その願望が本質です。どんな形でメッセージが届くかなんて大した問題じゃない。葉書、メール、電報、伝書鳩、手旗信号、ネットの匿名掲示板、テレパシー……その一つがこのSMだってだけのことだと思いました。

 そんなことを考えているうちに先輩の説明が終わってしまったのでプロジェクトの詳細はよくわかりませんでした。でも、問題ありません。私は確信をもって頷きました。


「要するに、みんなの願望をSMという形でお手伝いするんですよね。誇り高き仕事ですね、先輩」


 先輩は絶妙なボウリングでスプリットになってしまった時のような顔で、微笑んで言いました。


「なんとなくわかってくれたことはとても嬉しいけど、亜子ちゃんは略語を使わないほうがいいわよ」


 *


 私も含めた受付嬢が、合計32人。同じく32個設営された小部屋の中で待機しています。そしてこの受付嬢の群れによって受け付けられようとしている迷える子羊たちが、今この体育館のような広い会場の中に何百人と集まっています。パーティションで仕切られているものの、向こうのざわめきが聞こえてきます。

 自分のブースについて、私は改めて自分に言い聞かせました。


「大丈夫、緊張することはありません。これは誇り高き仕事です」


 まあ……バイトですけれど。32人の受付嬢はほとんどバイトです。でもそんなこと関係ありません。

 私は先輩にいただいた、もっとも大事なアドバイスを思い出します。


「亜子ちゃん。メッセージの中身について、文句を言ったり、疑問を挟んだりしてはダメよ。世の中には色々な人がいて、色々な人間関係があるの。それに他人が口を出す権利なんか無いのよ。仕事に誇りを持つのは大切だけれど、冷静にね。一喜一憂することなく、淡々と間違いのないように受け付けていけばいいのよ」


 私はその言葉を何度か脳内で繰り返してから、手元のボタンを操作しました。

 ポーン……と柔らかいトーンのアラームが鳴ります。


「受付番号11番のお客様、15番窓口へどうぞ」


 私の仕事が始まります。


 *


「あの……よろしくお願いします」


 入ってきた長身の外国人男性を見て、私は思いました。わぁ。超イケメンです。どうしましょう。


「え? イケメン? や、やめてください」


 まあ、日本語も上手です。


「日本語は猛勉強したんです。このメッセージのために」


 ……って、あら? まるで私の心の声が聞こえているかのような反応。


「心の声って、あなた声出てますよ」


 きゃあ。


「申し訳ありませんでした」


 私は謝りました。またやってしまいました。


「いえ……あの、大丈夫です」


 男性は、男子トイレに入る前に顔をあわせた女子トイレに向かう女性とトイレから出た時にも目があってしまった時のような顔をしながら、言いました。

 私も顔が真っ赤になっていましたが、でもお仕事お仕事。


「ではまずお写真をお撮りします」


 カメラでイケメンの写真を撮る私。ぎこちない笑みを浮かべる彼。


「用紙の記入はお済みですか?」


「あ、はい。これです」


「拝見します」


 えーと……ラルフ・ロールデン。24歳。……。むふふ、私とちょうど釣り合うくらいじゃないでしょうか。


「……は? 釣り合う?」


 ……。なぜか彼の訝しむような声が。


「あのう、また私声出てましたか?」


「ええ、まあ」


 もう、困りました。私ったら、興奮すると心の声が出てしまう体質なのでしょうか? はい、その通りです。小さい頃から友達にも両親にもそう言われて育ちました。私のよくない癖なのです。興奮すると心が脳を経由せずに声帯を動かしてしまうのです。

 気を取り直して、お仕事お仕事。私は手元で彼に見えないようにスクリプトをめくります。


「あらかじめご説明しておきますが……、このご応募の全てのメッセージがスカイ・メッセージとして送られることは保証されません。まず抽選がございます。この後の選考課程を経て残念ながら落選となってしまった場合は、先ほどお撮りしたお写真を添えたお手紙としてのお届けとなります。また、当選となった場合にも、プロジェクトの特性上、郵便等と違いメッセージが確実に相手に伝わることを保証するものではありません。また、天候によってはプロジェクト自体が中止になる可能性もありますし、時間の都合で中断、といった可能性もあります。その場合は……」


 私は気まずさをごまかすように、お決まりの事前説明を早口でまくし立てました。


「あ、大丈夫です大丈夫です。注意事項は読んできましたから」


 イケメンのラルフさんは流石にイケメンらしい用意周到さです。


「そうでしたか。では説明は割愛させていただきます。では、さっそくメッセージのほうですが……確認のほう、させていただいてもよろしいでしょうか」


「はい。……」


 彼は少し黙った後、少し息を吸ってから、その一言で秘められた封印が解かれる禁断の言葉を口にする時の勇者のような顔で、私の目をまっすぐに見て、こう言いました。


「結婚しよう」


「はい。私で良かったら!」


 私は即答しました。

 ……ああ、なんて素晴らしい日なんでしょう。こんなイケメンに求婚されるなんて。このバイトに申し込んで本当に良かったです。まさか人生の一大チャンスがこんなところに転がっていたなんて、誰が思うでしょう。大学の夏休み中で暇を持て余していた私に一緒に申し込もうって誘ってくれた里美に、ありがとうです。誘った里美が都合が悪くなって来れなくなって私だけ採用されちゃってごめんなさい、大丈夫私、里美のぶんまで幸せになります。このイケメンと……!


「あの、すみません。盛り上がってるとこ申し訳ないんですが……」


 式の段取りとかどうしましょう。絶対チャペルでやるってのは決めてるんですけど。ああドレス着るためにダイエットしないといけません。というか、いつにしましょう。いつ挙げましょう。


「あの、言いにくいんですが、あなたではなくてですね……」


 私としては連休中は避けたいなってのはあるんですよね。ほら私もうすぐ大学卒業じゃないですか。今からだと式のころには友達とか皆、社会人だと思うんですよね。となると……。


「いやあの、話聞いてもらえますか。あなたにプロポーズしているわけじゃなくて……」


 ほら、連休中に式入れられちゃうと旅行とか行けなくなっちゃいますし。……ってお姉ちゃんが言ってただけなんですけど。……でもそういう気遣いも大切だと思うんです。

 ふと見ると、未来の旦那様が私を、倒れ始めたドミノを止めるのに失敗して手の届かないところまで行ってしまったのを見る時のような顔で見つめています。

 ……あら。


「もしかして私、また心の声が?」


「え……今のも、全部心の声のつもりだったんですか? ひとりごとにしても声大きいと思いますが」


 ……ラルフさんは、迷惑な酔い方をする親戚のおじさんが帰った後のうちの母親のような顔をして、ゴホンと咳払いをしました。


「あの……今のが、メッセージです」


 え?

 ……。ああ。


「……メッセージ、ですよね。はい、なるほど」


 手元の用紙を見ると、メッセージ欄に確かにそう書いてありました。「ラルフよりダイスへ。結婚しよう」と。


「……その、あなたにではなく、僕の……恋人へのメッセージです、念のため……」


 彼は、手応えのない鍵穴にもう一度鍵を回してみる時のような顔で私の目を見てそう言いました。ダイス、というのがその幸せな人の名前なのでしょう。


「……あらいやだ、私ったら勘違いを」


 先輩の言葉が脳裏をよぎりました。「一喜一憂することなく淡々と」……全然、守れてません。

 急激に私の気持ちはしぼみました。


「なんかすみません」


 ラルフさんのせいではまったくないのですが、彼は謝ってくれました。でも謝られるとかえって立つ瀬が無くなります。


「……ええと、ではメッセージ内容は、はい、確かにこちらで。承りました」


 気持ちがしぼんでしぼんで、しぼみきったおかげで、私は冷静に事務処理をすることができるようになりました。体を傾け、端末に用紙の内容を入力していきます。


「問題ないですか」


 ラルフさんが人生で初めて美容室を利用する時のような顔で、そう聞いて来ました。


「ええ。きっと……その。喜ぶと思いますよ。彼女さん」


 私は用紙の送り先の欄に書かれている名前を見ながら、そう言いました。


「だと……いいんですが」


 ラルフさんの顔が少し陰りました。


「不安なんですか?」


 つい、いけないと思いつつも私はそう訊いてしまいました。


「ええ。とても。もう遠距離恋愛になってから長いんです。三年経ってしまいました」


 曇った顔もイケメンの彼は……憂いをその表情から消しません。


「三年も?」


 いけないいけないと思いつつ私は食いついてしまうのでした。


「はい。出会った頃、彼女は教師の卵でした。彼女の仕事が向こうで決まったのが三年前、でも僕は当時はまだ学生で……。とてもじゃないですが、行かないでくれとは言えなかったし、一緒に行くとも言えなかった。彼女はとてもしっかりした人なので、僕がいなくても平気そうでしたし」


 私とは逆のタイプの人なのでしょう。


「どのくらい会ってるんですか?」


 いけないいけないいけないと……思いながら私は興味津々です。


「もう最近は月に一度くらいになってしまっています。二ヶ月開くこともあります」


 それは長いです。


「長いですね」


「……ですよね。わかってます」


 ラルフさんは、懺悔室で神父に向かう時のような顔でそう言いました。


「正直言うと……。ええ、たぶんもう、僕ら終わりなのかもしれないと思ってるんです。……彼女も、そう思ってると思います。だから、これは賭けみたいなもんなんです」


 彼はそう言って私を見ました。

 彼の視線を初めて鬱陶しいと思いました。

 私は、端末への入力の手を止めました。


「……信じられない」


 私は、彼のほうを向いて言いました。


「では、やめたほうがいいんじゃないですか?」


「……え?」


「別れてもいいと、思ってるんですよね。そう聞こえます。賭けってなんですか?」


 私の怒りはあっさりと沸点に達してしまいました。

 それに呼応してか彼も怒ったように言いました。


「違います。別れたくありません」


「じゃあ賭けなんて言わないで下さい!」


 机を危うく叩きそうになり、なんとか自分の膝を叩くのにとどめました。痛いです。


「賭けって言ったのは、違うんです。別に振られてもいいって意味じゃなくて、彼女の気持ちがわからないところがあるというか……。彼女の気持ちが離れてるんじゃないかという……」


 全然……全然、わかってません。


「同じじゃないですか!」


 私がなんとかギリギリで声のボリュームを押さえて怒鳴ると、ラルフさんは、沈黙しました。その顔は、壊れて止めようがなくなった目覚まし時計の電池が切れるのを待つ時のような顔でした。それがまた私を苛立たせます。


「……同じなんですよ」


 私はさらに音量を下げました。


「不安がある……それでも賭けに出よう、と」


 ……彼は、殺虫剤をかけたゴキブリがまだ生きているか指でつついて確かめるような顔で頷きました。


「私にも昔、好きだった人がいました」


 私は回想シーンに入ることにしました。ほわんほわんほわん……。


「彼は二つ年下の可愛い男の子でした」


「は、はあ……。あの、長くなりますか」


 ラルフさんは、取り出しボタンを押してもディスクが出てこなくなったDVDプレーヤーを前にした時のような顔で訊いてきたので、私は頷く代わりにウィンクで肯定の意を示しました。


「それはそれは天使のような笑顔で笑う、素敵な人だったんです」


「はあ……。それはそれは」


 彼の名前は、ヨシオくん。回想の中のヨシオくんはいつだって、天使の笑顔で私に笑いかけてきて、こう言います。


「あこたん。だー。だー」


 私の顔をその小さな手でなでる彼。私は目を閉じて数秒その甘美な感触の想像に浸ると、目を開けてラルフさんに話を続けます。


「彼と出会ったのは知り合いの紹介でした……」


「ああ、合コンか何かですか」


 そう早合点するラルフさんの失礼な邪推に、私はきっと睨み返しました。何を言うの、合コンだなんて。そんな不純なものではありません。


「違います。叔母さんの紹介です」


 というか、ヨシオくんは叔母さんの子供なのです。いとこの赤ちゃんが産まれたというので当時四歳だった私は母親に連れられてヨシオくんに会いに行ったのです。


「ああ、なるほど、お見合いですか……」


 ラルフさんはそう言って頷きました。まあ、そう捉えることもできないこともないでしょう。


「彼はシャイな性格でしたが、私たちはすぐに打ち解けました」


 初めは抱き上げると泣き出したものでしたがすぐに懐いて私たちは仲良しになりました。


「えと……あの、結論から言ってもらえると助かります」


 しびれを切らしたらしいラルフさんは、「続きが是非聞きたい」という意味のことをそんな日本語で言いました。私は頷いて、話を続けます。


「私が十歳になった時のことです。私たちは遊園地に行きました……」


「あ、続くんですね。……デートですか。いいですね」


 デート……と言えなくもないような気配はします。実際のところ、家族も一緒でした。双方の両親に連れられて遊園地にやってきたのです。


「そこで、彼は私に言ったんです。……僕についてきてほしい、きっと大丈夫。二人ならどんな困難も乗り越えられる」


 ……みたいなことを。具体的には、「亜子ちゃん、あれ乗ろうよあのジェットコースター。だいじょぶだって。怖くないって」でしたが。それで私たちは、その日初めて、小型のジェットコースターにチャレンジすることにしました。


「その日は……初めての日でした」


 私は顔を赤らめてしまいました。そう、その日は三つ年下の彼が身長制限をギリギリクリアした、初めての日でした。


「はあ……。情熱的ですね。プロポーズされたんですか」


 ラルフさんは、酔っぱらって妻との馴れ初めを語り始めた取引先の部長の話を聞いている接待係のような顔で、私の話に興味津々のようです。


「え、ええ……まあ、その、そう受け取っても間違いではないと思います」


「……はあ。で……あなたはなんと返事を」


「私は……うん、と言いました」


 するとヨシオ君は、じゃあいこっか、そう答えました。そして二人でジェットコースターに乗り込んだのです。


「なるほど」


 ラルフさんの相づちに、しかし私はそこで急に表情を曇らせました。


「でもそこからが地獄の始まりだったのです」


「え、地獄……? ……うまくいかなかったんですか?」


 ラルフさんの言葉に、私は、死後の世界からやってきて生者を呪い殺す時のような顔をしながら、うなずきました。


「いきませんでした」


 ごくり、とラルフさんが唾を飲み込んだのがわかります。


「彼に、覚悟が足りなかったからです」


 ヨシオくんは、ジェットコースターがあまりにも怖かったのでしょう。降りた時には、ボロボロ泣いていました。しかもヨシオくんは……恐怖のあまり「お漏らし」をしていたのです。


「私の愛はそれですっかり冷めてしまいました」


 なんかヨシオくんってガキなんだなー当たり前か、年下だし、と。そう思ったものです。それから次第にヨシオくんには会わなくなり、私も中学高校と自分の人生を謳歌し……。


「二人は別々の人生を歩むことになったんです」


 私がそう締めくくると、ラルフさんは何の気なしにコンビニで立ち読みしたホラー本が意外に怖かった時のような顔で、私に言いました。


「彼の覚悟……それは……どう足りなかったんですか」


 私は神妙に頷きます。


「彼は実は不安で一杯でした……そしてその不安を拭うために無意識に私を頼っていたんです。だから私が少しでも揺らいだら、一気に崩れてしまったんです」


 考えてみると、ジェットコースターの中で隣の彼をぶんぶん揺すってみる悪戯は、ちょっと可哀想だったかもしれません。


「なるほど……」


 ラルフさんの目は真剣でした。きっと私の話が正しく伝わったのでしょう。


「そうか……僕は、間違っていました。彼女が、プロポーズを受け入れてくれないかもしれない、それは覚悟していたつもりでした。でも、そんなものは覚悟じゃない。それはただの「心の準備」なんですね」


 そうやって真剣な表情で顎に手を当てながら考えるラルフさんは本当にイケメンです。


「覚悟ってのは……そうじゃないんだ。彼女が受けてくれないなら、強引にでも受けさせる。受けさせてみせる。それが覚悟ってものなんだ」


 ラルフさんは、私の目を見て言いました。今日初めて見せる、自信に満ちた表情でした。


「……そういうことですよね」


 私は、黙って頷きました。たぶん、そういうことです。よくわかりませんけど、こんなイケメンが言うんだから、間違いありません。


「メッセージを、訂正させてください」


 彼はそう言うと、用紙に書かれたメッセージを線で消し、書き直しました。……読めませんでした。日本語ではないようでした。


「これ、何と?」


 私が尋ねると、彼は答えました。


「結婚しよう。そう書いてあります。日本語ではなく、彼女の母国語、つまり英語で」


 ああ、英語。筆記体だったので読めませんでした。


「なるほど……彼女さん、日本語がネイティブではないんですね」


「ええ、彼女の母国語は英語です」


 私は不思議に思いました。


「ではなぜ、日本語でプロポーズをしようと? 普段、英語で話されているのでしょう?」


 このメッセージは特に言語に制約はないのです。

 ラルフさんは首を振りました。


「僕の母国語は英語ではないのです」


 私は少し驚きました。

 どういうことでしょうか。ラルフさんの言葉と、日本語と、そして彼女さんの言葉は、どれもバラバラ。


「僕と彼女は、異なる国から日本に来て、出会ったんです。言葉が通じなくても、恋に落ちた。惹かれあった。今でも……言葉でコミュニケーションを取るのは少し大変です」


 彼は笑いました。


「日本で出会った僕らは……どちらにとっても母国語ではない日本語で会話をすることが、公平だと考えたんです。いや……僕ら、じゃない、僕が、かもしれない。とにかく、それが僕らのルールだった。二人とも、日本語は片言なのに。おかしいですよね」


「ええ、おかしいです」


 よくわかりませんが、おかしいと思いました。


「でもおかしいと思ってなかった。だから僕は今日のために、最近になって日本語を猛勉強したんです。こんなに堪能になった。それは日本語でプロポーズするためだけじゃなく、これから二人で、日本語で結婚生活を送るためにです。……でも」


 彼は、そこで書き直したメッセージを指差しました。


「プロポーズは、彼女の母国語でします」


 自分に言い聞かせるように、彼は言いました。


「公平さなんかどうでもよかったんだ。彼女の心をノックしなくちゃいけない」


 そして私を見るラルフさんはやっぱり、イケメンでした。


「問題ありますか?」


 私は、さっき自分語りをしている間に、なぜラルフさんに怒っていたのかを忘れてしまっていました。ですが、とにかく……こんなに自信満々なイケメンが目の前にいるのですから、何も問題なんかあるわけありません。


「問題ありません。はい、確かに受け付けました」


 メッセージを端末に入力し、私は確定キーを叩きました。入力受付完了。端末がそう表示しました。


「ありがとうございます」


 ラルフさんの礼に私もペコリとおじぎをしました。

 ちょっと、名残惜しいです。でも仕方がありません。私とつきあってくれるわけではないイケメンなんです。それは食べられない見本のオムライスと同じように、長く見ていても仕方がありません。

 ああ、でも!

 なんて名残惜しいんでしょう!


「それは……こちらこそ」


 ラルフさんがそう言ったので、私は自分のテンションがまた上がってしまって、声が出ていたのだと知りました。思わずため息をついてしまいます。


「いい加減に人の心を読むのやめてもらえませんか」


 レディーに対して失礼じゃないですか。


「いや、だってあなたが全部口に出してるからです」


 しょうがないじゃないですか。声が出ちゃうんですから。


「そこは聞かないことにするのがマナーってものです」


 そうなのです。そのマナーがわかっていない男ばかりだから、私の彼氏いない歴は22年になってしまったのです。


「え? 彼氏いない……。え、だってさっきの話は……?」


 ほらまたマナー違反です。


「す、すみません」


 よく謝る人です。私は腹がたって、彼の退席を促すように手元のボタンを押してマイクを有効にします。


「受付番号83番の方ー。15番窓口へどうぞ」


 いつの間にかかなり番号が進んでいます。私は一人に時間をかけすぎたみたいです。

 彼は荷物を持って立ち上がりました。出て行こうとしたところで、こちらを振り向きました。


「僕が言うのも変ですが……あなたはとても素敵な人だと思います。ですからきっと良い人が現れると思います」


 ……。


「では、失礼します。ありがとうございました」


 彼はブース入り口のドアを開け、去って行きました。

 ……。

 きゃああああああああ!

 素敵な人ですって? 私が!? 

 ああ、なんていい日なんでしょう?

 素敵な人? 素敵? やだ、そんなこと言われたの初めてです!

 凄いです! 私浮かれてます! 世界が明るく見えます! 太陽が眩しいです! そりゃ昼ですもの! なんていい天気! ここ室内ですけど! そう、あれは蛍光灯!

 私の彼氏いない歴も22で打ち止めです! 今年中に格好いい人が現れる予感がします!

 だってあんなイケメンがそう言ってくれたんですもの!


 私はしばし、興奮して壁をドンドンと叩きそうになるのを必死にこらえていました。

 その時、逆に隣のブースからコンコンと叩く音が聞こえました。


「あのさ亜子ちゃん」


 先輩の声です。私は我に返りました。自分が立ち上がっていたことに気づいて、慌てて座ります。


「すみません先輩。私……もしかして、また声でてました?」


「あ、今の心の声のつもりだったの? うん、超出てたよ。あと、言いにくいんだけど……フロアマイク入りっぱなしでしょ」


 ……。


 うわああああああああ!


 ホントです。マイクのスイッチ切るの忘れてました。


「亜子ちゃん。フロアに響き渡ってる時くらい声が出てることに気づこうか?」


 慌ててマイクをオフにしてから、頭を抱える私です。


「うわああああ」


 私はドアの向こう……まだ何百人という人が待機している待合スペースのほうに耳を澄ませてみました。

 案の定、ざわざわとした話し声と笑い声が聞こえてきます。


「何じゃ今のは……。恥ずかしい。マイク切り忘れたのか」

「まあまあお爺さん。誰だって浮かれることはありますから」

「ねえママ、今のおっきな声、なあに?」

「しっ。聞かなかったことにしてあげなさい」

「22年間彼氏いなかったのって絶対あの癖のせいじゃんねぇー?」

「でも、悪い人じゃないんじゃない。悪い子じゃなさそう」

「なあなあ俺、15番窓口行きたいわマジで。どんな女の子なんだろ」

「お前が行ったらかわいそうだろ。格好いい人見つけたいって言ってるんだし」

「ねえねえ、イケメンってどの人? さっき出てきた人?」


 ……。私は額を机にぶつけ、その姿勢のまま動かなくなりました。


「あの……。こ、こんにちは」


 顔を上げると、中学生くらいの女の子が二人いました。目の細い背の高い子と、丸顔の愛嬌のある子です。


「な……何でしょうか……」


 自分でも顔が熱を持っているのがわかります。


「こ、ここでいいんですよね。15番受付って。番号83なんですけ、ど……」


 二人とも、店員も客も店内に見あたらない喫茶店に入ってしまった時のような顔をしています。

 ……そりゃそうです、お客様です。

 丸顔のほうの子が申し訳なさそうに番号の書かれた紙を見せてくれました。

 しびびびと私は背骨に電気を走らせて、姿勢を整えます。

 深呼吸。


「どうぞお座り下さい。メッセージの受付ですね?」


「はい。あの……大丈夫でしょうか?」


 大丈夫?

 私はまっすぐに二人のお客様を見ます。

 ……平気です。超恥ずかしいけど、平気です。

 気にしている場合ではありません。

 だって、目の前にはお客様がいるんです。


「大丈夫ですよ」


 二人は、顔を見合わせてから私に言いました。


「友達へのメッセージなんですけど……」


「用紙はご記入いただいていますか? お名前をどうぞ」


「あ、私が柏木亜紀で……」


「私が楠木千恵美です」


 用紙の名前を確認して、私は笑顔を向けます。


「メッセージを確認させていただいてもよろしいですか?」


 私は受付嬢なのです。

 受け付けるのが仕事なのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 『高級レストランでタッパーに料理を入れて帰ろうとする客を見た時の淑女のような視線』、『酔っぱらって妻との馴れ初めを語り始めた取引先の部長の話を聞いている接待係のような顔』などの描写が秀逸!…
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