第二話 避退論争
「何故『ニュー・ジャージー』だけ空母のように避退しなければならんのだ!?『ニュー・ジャージー』は合衆国海軍最強の『アイオワ』級戦艦なのだぞ!?『アイオワ』だけ戦わしてどうして『ニュー・ジャージー』だけ戦わせない!?」
「長官、それは...」
確かにハルゼーの言う通りだ。「ニュー・ジャージー」は50口径40.6センチ3連装砲塔3基9門を搭載するアメリカ合衆国海軍最強の「アイオワ」級戦艦の1隻だ。その主砲の威力は伊達じゃない。日本海軍の「フソウ」型や「イセ」型といった旧式戦艦が相手ならば4、5斉射で戦闘不能に追い込む事も十分に可能だ。そんな強力な戦艦、それも無傷の艦が真先に避退していいはずが無い。ハルゼーの言い分はこのようなものだろう、とボーガンは推測した。
ボーガンがそんな事を考えているうちに、彼の座乗する第二任務群旗艦「イントレピッド」、そしてその僚艦「バンカー・ヒル」「インディペンデンス」「カボット」は一斉に回頭し“レヴァイアサン”に背を向けていく。元々空母は他の艦種に比べて脆弱な艦種だ。さらに攻撃隊の準備中である今、4隻の空母は極めて無防備な状態になっている。“レヴァイアサン”の攻撃手段がまだ分かっていない以上、迂闊に近付かないに越した事は無かった。
“レヴァイアサン”が、右の回頭によって、視界の中を左に流れていく。
今のところ、目立った傷は無いらしい。先程から続けられている砲撃はまだ効果を発揮していないようだ。
「アイオワ」が、30ノットを上回る高速で突撃しながら、新たな斉射を放った。それをボーガンが見た直後、“レヴァイアサン”も「アイオワ」も艦橋の死角へと消えていった。
「ボーガン、何とか言え!」
ハルゼーの怒鳴り声で、ボーガンは我に返った。
ハルゼーは明らかに怒り狂っている。
これ程怒り狂っているハルゼーを、ボーガンは知らない。
今のハルゼーを大人しく避退させるのは、“レヴァイアサン”を倒すより困難なのではないか、とボーガンは思った。
だが、ハルゼーはこの「キングⅡ作戦」成功のため、引いてはこの戦争におけるアメリカ合衆国の勝利のために、絶対に死なせてはならない人物なのだ。駄目元でも、何とか説得してみよう、とボーガンは決めた。
「長官、此処は我々に任せて避退して下さい」
「巫山戯るな!そんな事が出来るか!」
「長官には指一本触れさせません。ですから御安心して避退なさって下さい」
「馬鹿を言うな!俺が言ってるのはそんな事じゃない!俺も、この『ニュー・ジャージー』も戦わせろと言っているんだ!」
「“レヴァイアサン”と戦うのは、日本海軍のコンバインド・フリートと戦うより極めて危険です!何卒避退して下さい!」
「黙れ!第二任務群は今、その“レヴァイアサン”とやらと戦っているのだろう!?『ニュー・ジャージー』も第二任務群の1隻である以上、戦うのは当然だ!」
「それはそうかも知れませんが、長官の御身体に万が一があってからでは遅いのです!長官の御身体は長官だけのものではありません!」
「うるさい!部下が命懸けで戦っているのにどうして俺だけ逃げれる!?」
「こんな想定は如何なものかと思いますが、もし長官に万一の事が起こったら誰が第三艦隊の指揮を摂るのですか!?」
「ミッチャー(マーク・アンドリュー・ミッチャー中将 第三八任務部隊司令官)が摂ればいい!彼なら十分にその能力がある!」
「こんな事を言うと上官誹謗になるかも知れませんが、ミッチャー司令官は一任務部隊の司令官に過ぎません。長官の代わりにはならないと考えます」
「だったらスプルーアンス(レイモンド・エイムズ・スプルーアンス大将 第五艦隊司令長官)を呼べばいい!彼なら全く問題無い!」
「それは無茶です!とにかく今は避退なさって下さい!」
「ええい、埒が明かん!ボーガン、直ちに先の避退命令を取り消せ!」
「それは出来ません!長官、此処は...」
「ボーガン、貴様は少将だったな?」
「そ、それは...」
「俺は大将だぞ?まさか抗命するつもりか?それならこの場で貴様を更迭するぞ?」
「...『ニュー・ジャージー』の避退命令を撤回します」
負けた、階級の差に負けた、長官を説得出来なかった。ボーガンは無力感を感じた。
「よし、“レヴァイアサン”など火葬してやる、見ていろ、ボーガン」
「長官、くれぐれも気をつけて下さい」
「なあに、あんなでかいだけの海蛇野郎にやられてたまるか」
隊内電話が切れた。
何が何でもハルゼーを守らなくては、ボーガンはそう思うと同時に新たな命令を下した。
「無線封止解除。全艦隊宛緊急信『第三八任務部隊第二任務群、謎の巨大生物と遭遇せり。巨大生物を“レヴァイアサン”と呼称す』」
ボーガンはそう命令を下すと、攻撃隊が敷き並べられ始めた「イントレピッド」の飛行甲板を見下ろした。
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