story3 名探偵vs名探偵 4
「……わかりまちた。そういうことでちたら、わたくち、力の限り、お手伝いさせていただきまちゅ」
カチャリ、と少女は受話器を置いた。
世話になった人からの願いだ。断るはずもない。
彼女は、すぐにメイドの一人に指示を出す。メイドはさらさらとメモを取ると、「きゃ、おもしろそう」とかいいながら下がった。
「ケイティ、いまの電話は?」
愛する影の薄い少年の問いに、少女はニタリと笑った。
「わたくちたちの愛のキューピッドからでちゅわ」
エリスン・キャサリン消失事件から丸一日。
シャルロットは、探偵社の座り慣れた椅子に、深く腰をかけていた。
窓の向こうから、赤い空がこちらを見ている。シャルロットはパイプを置いた。ゆっくりと、腰を上げる。
上着を取ろうとして、デスクに放ってあった便せんに、もう一度視線を落とした。三通目になる、例の手紙。
『ユーのことを、ホワイトモンスターが襲うであろうぞ』
今朝、郵便受けに入っていたものだ。
若き名探偵は、かすかに眉を上げた。上着をソファに投げ、代わりに、衣装ケースから別のものを取り出す。
不意に、呼び鈴が鳴った。普段は客などほとんど来ないのに、皮肉なものだ。シャルロットは玄関へ向かおうとはせず、顔だけそちらに向けた。
「開いている」
一言。少々の間の後、ためらうように、戸が開かれた。
「失礼」
低い声で告げて、金色の蝶ネクタイ、赤いサスペンダーの、ナイスミドルが現れた。ヒゲが眩しい。後ろから、びしりと気をつけの姿勢をした細身の男も続く。
「名探偵シャルロット=フォームスンどの、お久しぶりですな」
「お久しぶりです、シャルロット様」
口々にいわれたものの、シャルロットはそちらに一瞥をくれただけで、手を止めなかった。客人たちの見ている前だったが、意に介さず、それを着込んでいく。
「ええと……以前、世話になりました、ウノムでございます。覚えておいででしょうか」
「レオディエールエントロッファレリティーノ=アンジェスケリアントスです! お久しぶりです!」
ああ、とやっとシャルロットも声をあげた。
「いつぞやの事件のときの。ウノム刑事と、ミスタ下っぱ……だったかな? 今日は何か?」
ちー、とチャックを上げる。
ウノム刑事とレオディエールエントロッファレリティーノ=アンジェスケリアントス──シャルロットに倣って、以下下っぱとする──は、目の前の名探偵を、何ともいえない表情で見つめていた。
「ええと、とある事件のことで、聞きたいことが……」
「悪いが、こちらもいまとりこんでいてね。協力できるかどうかはわからない。だが、まあ、知っていることなら答えよう。何でも聞きたまえ」
ウノム刑事は、ごくりと息を飲んだ。
「何でも聞いて良いのですかな」
固い声。ええもちろん、とシャルロットが応ずる。
「……その格好は?」
ズバリ聞いた。
目の前の自称名探偵は、白いもこもこの着ぐるみに身を包んでいた。楕円のフォルムから、手足がにょきりと生えている。
「ジョニーさんだ」
さらりと答えられた。
「…………」
返答に窮し、ウノム刑事は隣の部下に目をやった。下っぱはというと、何やら目を輝かせ、探偵に見入っている。
「ほしー……!」
聞き捨てならない一言が聞こえたが、あえて聞き捨てた。
「……ゴホン。では本題に。ケイティー=グリダン嬢をご存じですな?」
「知っているとも」
どうしてもつぶらな瞳の頭部に目がいきがちだったが、どうにか着ぐるみの中の真の顔に焦点を合わせつつ、ウノム刑事は続けた。
「差し支えなければ、どういう件で関わったのか、お聞かせ願えませんか。実はケイティ嬢が……あなただからいうのですが、まあ、誘拐されたということで、捜査中でしてね。少しでも手がかりになればと」
シャルロットは、ふむ、とうなずいた。
「それは心配だな。しかし、私が関わったのは、恋愛相談だったのでね。恐らく関係がないだろう。私はいまから別件で調査に出るのだが、何か手がかりになりそうなことがあれば、すぐに連絡しよう」
「おお、それは助かります。ありがたい」
ウノム刑事は握手しようと右手を出し──たものの、着ぐるみ探偵の手を握る勇気がどうにも振り絞れず、そのまま通り越して左肩を叩いた。最近肩こりがひどくて、と苦しいフォロー。
「では、私は出かけるので、失礼するよ。いいかな?」
「は、あ、こりゃ、気がつきませんで」
ウノム刑事は慌てて探偵社の戸を開けた。先に出て、後ろの部下を促そうと振り返る。
下っぱは目を輝かせ、シャルロットにすがった。
「そのコスチューム、どこにあるんですか? わ、わたくしも欲しいのですが……!」
「どこにあるか? ──ふむ」
着ぐるみの中で、シャルロットはふっと笑った。歯が光る。
「君の、心の中さ」
「かっこいいー!」
「……ううむ、私も欲しくなってきた……!」
ウノム刑事と下っぱは、ロンドド警察署の新しいブームを予感した。
恥ずかしい、という概念は、恐らく彼にはない。
どんな服装でも、本人が自信を持ち、胸を張ってさえいればおかしいということはないのだ、という説があるが、この場合、それが適応されるかどうかは非常に微妙だ。
名探偵シャルロット=フォームスンは、まるでそれが常日頃から着こなしている普段着であるかのように、悠然と商店通を歩いていた。誰もが道を空けてくれるので、いっそ気分がいい。
今回は、隣を行く助手もいない。しかし、それを嘆いている状況ではない。
通りの向こうから、白くて丸くて浮いているものが二つ、こちらに来るのが見えた。
シャルロットは、胸中でほくそ笑む。予想通りだ。
「──ヒュイー」
「ヒュイーイッイッイッイッ」
異様に似合わない三角サングラス姿で、ジョニーとマイケル──どちらがどちらなのかは分からないが──が、シャルロットの前に立ち(浮き)ふさがった。あろうことか、二人(匹)とも、手に鞭を持っている。持っているといっても、ものを握れる構造をしていないので、手に縛り付けている状態だ。
通りを陣取る、大きなもこもこ一つと小さなもこもこ二つ。
ギャラリーが遠巻きに見ている。──ほら、またあの探偵よ! という声すら聞こえてくる。
「やはり、ホワイトモンスターとは、君たちのことだったか……自分の推理力が恐ろしい」
自分に惚れ惚れした。ツッコミ不在。
ジョニーとマイケルは、鞭を地面に叩きつけ、威嚇している。その様子に、シャルロットは着ぐるみの前で腕を組んだ。かさばるので、実際には両手を重ねただけだったが。
「ふむ……何か弱みを握られて、こういった行動に出ているのか……または、誰かに操られているのか……。そもそも、ジョニーさんとマイケルくんだという確証もないわけだ──いや、展開からいくと、片方はジョニーさんで間違いあるまい」
探偵らしい、しかしシャルロットらしくはない長台詞。
ホワイトモンスター二匹は、威嚇しながら、じりじりと近づいてくる。ヒュイー、という声すらいつもより低い。
「どちらにしろ、対策は万全だ」
シャルロットは、不敵に笑んだ。
二匹がこちらを見上げてくる。シャルロットは、両手を広げ、高らかに叫んだ。
「──ヒュイ!」
実にいい声。
「……ヒュイー」
「ヒュユユ」
二匹が歩みを止め、何ごとか返す。シャルロットは大仰にうなずき、
「ヒュイヒュイ、ヒュイー。ヒュイ! ヒュイヒュイ!」
よく通る声で続けた。
二匹は顔を見合わせた。
うなずき、お互いが、鞭を振り上げた。
「ヒュイヒュイ。……ヒュイ? ヒュ、ヒュユ…………ち、ちょっと待ちたまえ!」
『ヒュイー!』
待ってもらえるはずもなく、鞭が振り下ろされる。
「──!」
小さな身体のどこにそれほどの力があるのか、したたかに打ち付けられ、シャルロットはどってんと背中から倒れ込んだ。着ぐるみのおかげで衝撃は減ったのだろうが、それでも痛い。
じたばたと両手を動かす。立てない。
「ふ……作戦失敗か……」
それでも慌てず焦らず、状況を認識。もう一度じたばた。
「ヒュイー」
「ヒュイー」
二匹がとどめを刺そうとにじり寄る。シャルロットは勢いをつけて横に転がり、どうにか立ち上がった。
「こんなこともあろうかと、次の作戦も用意してあるのだ!」
高らかに宣言し、勢いをつけてチャックをはずす。
正義の味方がマントを翻すかのように、白い着ぐるみを一気に脱ぎ捨てた。
「これで、どうだ!」
二匹の動きが止まった。
ギャラリーもしんとした。
着ぐるみの下には──ピンク色の、ひらひらワンピース。着ぐるみの中に入れてあったのだろう、ブロンドのカツラまで取りだし、よいしょとかぶる。
自分以外の時が止まるなか、シャルロットは、無断で持ち出してきたエリスンのルージュを、のっぺりと塗りたくった。どこからか手鏡を取りだし、それを見ながら髪を整える。
それから、深呼吸。
両手を広げ、内股で、
「ジョニー、わたしのために、争わないで!」
裏声でいいきった。
セリフの選択が間違っているとか、そういうことは、この際問題ではなかった。
それを超越した破壊力が、そこにはあった。
二匹の目から、三角サングラスが、スローモーションのようにゆっくり、かしゃりと落ちる。
二匹はそのまま、ころりと気を失った。
「……自分の変装能力の高さが恐ろしい……!」
静まり返るなか、一人、本気で呟く。
ギャラリーから拍手が巻き起こり、小銭が投げられた。