story3 名探偵vs名探偵 2
うろうろと森の中をさまよい歩いて、どれほどの時間が経っただろう。
「いないな」
シャルロットはそう結論を出した。
「ちょっとシャルロット、まだ五分も探していないわよ」
「いやまさか。五分は探したはずだ」
至極心外そうにシャルロットが反論する。エリスンはぐっと胸を反り返らせた。
「あたし、体内時計には自信があるの。まだ四分ちょっとしか経ってないわ」
「では、あと数十秒探すとしよう。それで五分だ」
「そうね、それなら五分…………危ない! 騙されるところだったわ! 五分探せばいいってものじゃないでしょう!」
決してノリツッコミではなく、あくまで自然にエリスンは気づいた。彼女も日々成長している。
シャルロットは、ふうむとうなり、森の中を見渡した。
花々は姿を消し、緑一色に染まろうとしている。まだ汗ばむほどではなく、心地良い陽気に心躍る季節だ。
「こういうところでランチというのも、なかなかいいな」
とか考えていたら、頭の中で話題がずれた。
その背後で、キャサリンがわっと泣きながら膝をつく。
「来いって書いてあったから来たのに、何もないなんて……! ひどすぎる! 私たち、弄ばれているんでしょうか……! ああ、ジョニー、どうか無事でいて……!」
彼女にとってみれば真剣なのだろうが、シャルロットにもエリスンにも、いまいち無事ではないジョニーが想像できない。
殴られても飛び跳ねそうだ。
刃を突き立てられても体内に吸収しそうだ。
やってみたいという誘惑に駆られたが、その本体が誘拐されているという事実に、やっと思い当たる。
脱線している場合ではない。
「そうよね……ここに来いって、犯人の手紙にあったんだから、何のイベントも起きないっていうのはおかしいわ」
「だが、これだけ探しても何もないというのは事実だ──そうだ、探偵七つ道具で探してみるとしよう」
シャルロットは、胸ポケットから、ルーペを取りだした。目の前に構え、身体ごとぐるりと回転し、周囲を観察する。
そのまま空を見た。
「眩しっ」
う、っと目を押さえ、うずくまる。
「もうちょっと、ちゃんと探しましょう。広い森だもの、きっとどこかにジョニーさんがいるか、少なくとも手がかりになるようなものがあるはずだわ」
慣れた様子で、助手はさらりと流した。
────…………マリ………………ヌ……
ふと、どこからか、声が聞こえた。
ぴくりと顔をあげ、涙を拭いながら、キャサリンが立ち上がる。
「……いま、何か」
「どうかしましたか、キャサリンさん」
何ごともなかったように七つ道具をしまったシャルロットが、なぜか威厳たっぷりに問う。しっ、とキャサリンは人差し指を立てた。
────……リ………ンヌ……
「何か聞こえます! ……マリヌ? マリンヌ?」
「本当、声がするわ」
女性陣二人が耳を澄ます横で、シャルロットは大きく息を吸い込んだ。
「ッックショイ」
「あなた、なんでそんなにどうしようもないのっ?」
怒り心頭といった様子で、エリスンが根源的な問いを投げる。シャルロットはもっともらしくうなずいた。
「まったくだ、この鼻め。くしゃみにもTPOというものがあるだろう」
「あー! イライラする! イライラするわ! あなたよ、あなたにいったのよ!」
エリスンが指を突きつけたが、その指の先にはちょうど鼻があった。
「鼻には後で私からよくいっておくから、そんなにカリカリしないでくれたまえ」
エリスンは無言で歯を食いしばって空を仰いだ。イーってなった。長い爪でガラスをキィとやられたときに味わうようなこの感覚。まさか人相手で体感できようとは。
「お二人とも! 聞こえません! 静かにして下さい!」
ぴしりと叱責され、さすがに二人は黙る。
急にしんとした森の中に、遠慮がちに声が響いた。
────…………アンヌ……
「ちょっと! あなたもあなたです! いいたいことがあるなら、思わせぶりに演出しないで、はっきりいったらどうなんですか! わたし、怒りますよ!」
────マ、マリアンヌ、マリアンヌ!
やや焦った様子で、はっきりと声が聞こえた。
「それでいいんです。最初からそうしてください。……なんですか、マリアンヌって? エリスンヌみたいなものでしょうか?」
きょとんと首をかしげながら問うその姿に、探偵とその助手は、きっとこの人最強なんだ、と悟った。
「マリアンヌさんというのは、以前、ジョニーさんに字を教えたご老人の名だ。この森の奥地で、一人で暮らしている」
そう説明を受けたキャサリンは、むっつりと頬をふくらませていた。唇を尖らせ、黙って歩を進めている。方向だけを聞いて先陣を切って突撃するピンクワンピースの後ろを、シャルロットとエリスンは、やや恐れながらついて歩いていた。
「……彼女は何を怒っているのかね?」
「逢い引き相手だからでしょ」
声をひそめ、エリスンが答える。シャルロットは眉根を寄せた。
「それは誤解だったではないか。ジョニーさんは、キャサリンさんにラブレターを書くために、マリアンヌさんに字を教わっていたというのに」
エリスンは一瞬シャルロットに目をやり、それから呆れたように視線を戻した。
「……どんな理由でも、相手が女性なら、もやもやするものがあるんじゃないの。たとえば、あなた、恋人が自分のプレゼントを選ぶために男友達と二人でショッピング、っていう状況、平気?」
いやに具体的なシチュエーションだ。シャルロットは考えようと空を仰いだものの、ううむとうなった。
「難しいな」
平気かどうかの判断が難しいのではなく、その状況を想像することが困難だったらしい。
最初から答えは期待していなかったので、エリスンはさっさと先に進んでいる。
「あの小屋ですね」
キャサリンの声に前方を見ると、一年ほど前に訪れたきりの、小さな小屋が見えた。相変わらず、薪が積んである以外には、生活の臭いのしない質素な小屋だ。
出番とばかりにシャルロットが咳払いをひとつ。先頭に立ち、小屋の戸をノックした。
「マリアンヌさん、いらっしゃいますか? 名探偵シャルロット=フォームスンです」
何の疑問も持たずに、自ら「名探偵」。いたたまれなくなって、エリスンがそっと涙を拭う。
返事は聞こえてこない。もう一度ノックをしてみるが、結果は同じだ。
「このパターン……もしかして、小屋の中にマリアンヌさんが倒れていて、その指の先に、血文字でダイイングメッセージが書いてあるんじゃ……!」
エリスンが恐怖に打ち震える。最近はそういう小説にも手を出しているらしい。
「鍵はかかってるんですか?」
「いや……開いているようだな」
引いてみると、かちゃりと開いた。少しためらったのち、一気に引き開ける。
「────!」
「こ、これは──!」
「ひどい……!」
正面の壁に、赤い文字が躍っていた。
マ リ ア ン ヌ は あ ず か っ た
「誘拐……」
ぽつり、とエリスンが呟き、そのまま後ずさるように壁にすがる。キャサリンは両手で口を押さえ、ずるずると力なく座り込んでしまった。
小屋の中は、ある臭いが充満していた。正面の赤い文字、そして、食卓に並べられたオムライス──
「ケチャップ文字か……」
もっともらしくシャルロットがそう口にする。狭い小屋の中は、ケチャップの香りむんむんだ。
「比較的新しいな。オムライスもまだ温かい」
食べてみた。
「味もいい」
ついでに横にあった茶もいただく。
シャルロットは左手に皿、右手にスプーンを持った状態で、部屋の物色を始めた。何か、手がかりになるものはないか。他にメッセージはないのか。
「しかし、愛する者を失う、という手紙をよこしてきたにしては、ジョニーさんの次にマリアンヌさんとは……一体犯人の狙いはなんだと思うね、エリスンくん」
呼びかけ、振り返る。
「……エリスンくん?」
もう一度、呼んだ。
しかしそこには、エリスンの姿も、キャサリンの姿もなかった。