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story2 バレンタイン大作戦

「む、これは……!」

 ぱくりと口に入れた瞬間に、びびびと電流が走った。

 いつもの昼下がり。おやつにと、手製のマドレーヌを提供したエリスンは、上司のただならぬ様子に眉を顰める。

「なに? 変な味がする?」

 自分も食べてみた。普通だ。

「エリスン君……! これは、なんという菓子だね?」

「何って、マドレーヌよ。この前、キャサリンさんに特製レシピを教えてもらったから、作ってみたの」

「ふむ、そうか……ならば、これはエリスンヌと命名しよう。この、マドレーヌとは思えないパサパサ感! 絶妙な塩気! まったく、君は天才だね!」

エリスンヌ。いいにくい。

 エリスンは怒りをぶつけようと息を吸い込んだが、思い直して、むりやり抑えた声で質問を投げた。

「褒めてるの? けなしてるの?」

「もちろん、褒めているのだよ。レシピどおりに作ったのでは出せない味だ」

「レシピどおりに作ったのよ、これでも」

「ふむ、それはおかしいな。ではなぜ、キャサリンさんのものとこれほどまでに違うのだろう」

「それは──」

 要するに、あたしの腕が悪いってこと?

 そう続けようとしたエリスンだったが、第三者の声が、それを阻んだ。

「愛でちゅわ」

 舌っ足らずな、愛くるしい声。

 シャルロットとエリスンが、声の方を見やる。いつの間にか、栗色のくるくる巻き毛の少女が、入り口のあたりに立っていた。

「間違いなく、愛でちゅわ。お姉さんの、お兄さんを想う気持ちが、チュパイチュとなってマドレーヌに入ったんでちゅわ」

「ふむ、そうだったのか」

「百二十パーセントそれはないわ」

 ばっさりと切り捨てて、エリスンは少女に向き直った。

「あなた、いつの間にそこに? パパか、ママはご一緒じゃないの? ──あら? でも一人じゃないのね」

 ずかずか部屋の中央まで歩いてきた少女とは対照的に、影の薄い少年が、入り口にぴったりと張りついて頭を垂れている。

「彼は付き添いでちゅ。お気になさらずに。そんなことより、お姉さん、素直にならなくちゃ、愛はあっという間に逃げていっちゃいまちゅわよ? そう、わたくちのように」

 どう見ても四、五歳の少女は、妙に大人びた表情で、遠くを見つめた。ほう、とため息をもらす。

「愛って、儚い……」

 自分の世界に入ってしまったようだ。

「エリスン君。そういうことなら、心に秘めてスパイスを入れていないで、どーんと愛を告白してくれたまえ。はっはっは、なあに、愛なんてケセラセラさ」

「何いってるの? 寝言?」

 調子こいたシャルロットに、エリスンがひどく冷淡に言葉という名の刃を刺す。

 シャルロットは鮮やかに話題を変えた。

「お嬢さん、この名探偵シャルロットに、何かご用かな? いまなら格安パックも用意されているが」

「お金ならありまちゅ」

 巻き毛の少女はそういい捨てて、勧められてもいないのに、応接ソファに腰をおろした。

 よく見ると、ずいぶん上等な衣類を身につけている。光沢のあるワンピースに、毛皮のボレロ。派手ではなく、清楚な印象を与える装いだ。金持ちに違いない。

 とりあえず客らしいということで、エリスンはティーカップにミルクをそそいで少女に出した。少年の分も出そうとしたが、少女に断られてしまう。付き添いだという少年は、微動だにせずに控えている。

「わたくち、お願いがあってまいりまちた。あ、わたくちは、こういうものでちゅ」

 少女の向かい側に座った二人に、名刺のようなものを差し出す。『時の美少女ケイティ=グリダン』──名前が書いてあるので名刺には違いないが、材質は紙ではなく、金属でできた薄いプレートだ。

「これは、ご丁寧に。私は名探偵シャルロット=フォームスン」

「あたしは、助手のエリスンです。どうぞよろしく」

「よろちくお願いちまちゅ」

 少女はわざわざ一度立ち上がり、スカートの裾をつまんで一礼した。幼子とは思えぬ身のこなしだ。

「それで、お願いというのは?」

 シャルロットが促すと、ケイティは急に顔を赤らめた。つい、と目を逸らす。

「いいにくいのでちゅが……もうちゅぐ、その……バレンタインデーでちゅので、……あのでちゅね、なんといいまちゅか、わたくち……」

「愛ね!」

 キラーンとエリスンの目が輝いた。

「わかりましたわ、ケイティさん。愛する殿方に、愛を告白するお手伝いをして欲しいと、そういうことですわね? お任せください、この愛のキューピッド、エリスン=ラブ=ジョッシュが、必ずあなたの想いをお届けしてみせますわ!」

「まったく、女性はこういう話題が好きだね」

突然仕事モードに突入した助手を見て、シャルロットはやれやれと嘆息した。ぷー、とパイプを吹かす。

「たしかに、もうすぐセントバレンタインデーだが、本来、男性が女性に花を渡し、想いを告げる日だろう。女性であるケイティさんが、なぜそんなことを?」

「知らないのっ?」

「ご存じないのでちゅか?」

 レディ二人が目を見開き、珍獣を見るかのようにシャルロットを凝視した。それから慌てて、二人ともがどこからか雑誌を取り出す。

 一つは、『週刊ゴージャス』。もう一つは、『週刊幼児』だ。

 シャルロットは、エリスンの手から雑誌を受け取った。

「さあ、もうすぐバレンタインデー☆ 気になるアノヒトに、愛を込めたチョコレートをプレゼントしちゃお☆ バレンタインに、意中の彼からの花を待ってるだけなんて、もう時代遅れナンセーンス! 今年は、あなたの気持ちをあま〜いチョコに溶かして、先手必勝ラブアタック、ハートをゲッチュー、ゴー☆☆」

「……声に出して読まなくても」

「ふむ、なるほど」

 テーブルに広げられた、『週刊幼児』にも目をやる。ひらがなばかりだが、内容はほとんど同じのようだ。

「今年は、女性の方からアグレッシブに、という傾向なのか。ふむ、時代は変わるものだね」

 頭の固いお年寄りあたりは、女性から動くなどはしたないだの、けしからんだのいい出しそうだ。しかし、もうそういう時代でもないのだろう。

「おととちくらいから、チョコをプレゼントっていうのはあったんでちゅけど、あんまりみなちゃんやらなくて。ことちからは、こっちが主流になるみたいでちゅわ」

「そうねえ、街に出ても、お菓子屋さんはこぞってチョコレートを売り出してるものね。これからは、女性が強くなる時代なのよ!」

「でちゅわよね!」

「ね!」

 女性陣は意気投合したようだ。その様子を微笑ましく見ながらも、シャルロットはもりもりエリスンヌをたいらげていく。これ以上女性が強くなるのはちょっと困るかな、などとちらりと思ったが、あまり深く考えないことにした。

「で、依頼内容だが、意中の殿方に想いを伝える──この場合は、チョコレートを渡す、ということになるのかな──とにかく、その手伝いをする、ということで良いのかな?」

「そうでちゅ」

ケイティはうなずいて、落ち着くようにミルクを一口飲んだ。

「実は、わたくちには許嫁がいまちゅ。お父ちゃまが決めた相手で、名前はギルバート=エスター。わたくちと同じ歳で、幼なじみでちゅわ」

「その彼が、想い人?」

 エリスンの問いかけに、重々しく首を左右に振る。

「いいえ、ギルバートははおこちゃまちゅぎて、わたくちの好みじゃないでちゅ。わたくちは、他に好きなひとがいるのでちゅ。そのひとに想いを告げて、お父ちゃまにちょうかいちて、ギルバートとは結婚できないと、ちゃんとわかっていただきたいのでちゅ」

「そうなってくると、少し事態はやっかいだな。グリダン家もエスター家も、そこそこ名の知れた家柄だ。ケイティ嬢がその想い人と結ばれるには、本人の気持ちだけではどうにもならないことを解決しなければならない」

「…………!」

 ぐらり、とエリスンがよろめいた。

「どうしたの、シャルロット! なんかまるで頭がいいみたいよ? 熱? 風邪? 天変地異?」

「はっはっは、私は年中無休で天才さ」

 およそ天才らしからぬ、オール開店宣言をかまし、シャルロットは上機嫌でパイプを吹かす。エリスンは胡乱げに上司を眺めた。きっと熱があるのだ。

「それは、わたくちが自分で、お父ちゃまを説得しまちゅ。お願いちたいのは、そういうことではなくて……わたくちの想い人がどこの誰なのか、それを突き止めてほちいのでちゅ」

「あら。じゃあ、街で見かけて一目惚れとか?」

「そんなようなものでちゅ」

 ケイティはうなずいて、ポシェットから小さな紙袋を取りだした。そのなかから写真を数枚、丁寧にテーブルに並べていく。

「この方が、わたくちの想い人でちゅ」

 シャルロットとエリスンは、絶句した。

 写真に映し出されている人物を、凝視する。

特徴が多すぎて、感想を述べづらいが、一言でいうのなら……

「……ヒーロー?」

 ぽつり、とエリスンがつぶやいた。

 マント、頭の先までの全身タイツ、ロングブーツ、右手を高々と挙げ、左手を正面に突き出すようなヒーローポーズ。

「正義の戦士、バレンターちゃまでちゅ。かっこいいでちょう?」

 恋する乙女は、頬を赤らめた。


どこがいいのかと尋ねると、「顔でちゅ」という簡潔な答えが返ってきて、探偵サイドはそれ以上追求するのをやめた。顔ってタイツで隠れてるじゃーん、というつっこみは意味を成さないように思われた。

 世の中には、いろんな人間がいる。

 キャサリンがいい例だ。

「エリスン君、君は正義の戦士バレンターとやらに会ったことがあるかね?」

「ないわね。聞いたこともないわ」

 ふむ、とシャルロットは考え込む素振りを見せた。

 それから長い沈黙が流れ、

「いやあ、良い天気だなあ」

 考えがまとまらなかったらしい。

 最初から期待していなかったので、意に介さず、エリスンは商店街の人々に次々と質問していく。ケイティ嬢が帰ったあと、さっそく二人で聞き込みにまわることにしたのだ。

 あれだけ目立つ風貌だ、見たことがあればまず忘れないだろう。

「ああ、知ってる知ってる。正義の戦士バレンターね。去年だったかな、財布を落として困ってたら、拾って届けてくれたのよ」

「あー、こいつ、見たことあるなあ。遠目に見たことがあるぐらいだから、詳しいとこはわかんないけど」

「ファンです! 池にバッグを落としたら、新しいオシャレなのと取り替えてくれたの!」

「迷子の犬を見つけてくれたわ」

「正義の戦士バレンター? 知ってるよ。彼女がヤンキーに絡まれてるときに、助けてもらったとかいってた。え、オレ? や、オレは会ったことないな」

 結果、道行く人の三割程度が、会ったことがある、または存在を知っているということが判明した。

 思ったよりも高い数値だ。

「エリスン君、聞き込みの結果、わかったことをまとめてみたまえ」

 休憩、という名目で、何もやっていないシャルロットが率先してカフェに入り、足を組んで上司面をした。

「あたし、このクレープのクレープ包みメープルイチゴシロップ。あ、あと紅茶で」

 あー、ごほん、とシャルロットの咳払い。

 エリスンは、パタンとメニュー表を閉じ、初めて向かいのシャルロットに目をやる。

「何も食べないの?」

「…………小倉パンケーキとコーヒーを」

 かしこまりました、と店員が下がる。

 少しの沈黙。

「エリスン君?」

 威厳を保ちつつ、やんわりと促した。エリスンは目を瞬かせる。

「なに?」

 きょとん。

「……君は最近、私を無視する癖がついているのではないかね」

「だって、あなたのいっていること全部聞いてたら、やっていけないもの」

「はっはっは、なるほど、凡才と天才では言葉一つにも差が出てしまうからね」

「あなたって幸せね」

 無視をしている、についてはあっさり肯定されたのだが、そんなことでめげるシャルロットではない。助手のいうとおり、彼は今日も幸せいっぱいだ。

「正義の戦士バレンターなんて、だれも知らないかと思ったけど、結構知ってる人いるのね」

 グラスに浮かんだ氷をカラコロさせながら、さらりと本題に入る。ふむ、とシャルロットはうなずいた。

「助けられたという意見がほとんどだな。ケイティ嬢のいうとおり、正義の戦士であることは間違いないらしい」

「でも、助けられたっていってるのは、いまのところ女性ばかりだわ。女性限定の正義の戦士なのかしら」

「はっはっはっはっ!」

 カフェのなかだというのに、偉そうな高笑いを腹の底からかまし、シャルロットはパイプを取りだした。

「何をいうかと思えば。あたりまえではないか!」

 火をつけようとして、禁煙と書かれた張り紙をバックにこちらを睨みつけている店員と目が合い、そのままそっと懐にしまう。いまいちさまにならない。

「どうしてあたりまえなの?」

「考えてもみたまえ、正義の戦士の名前は? そして出現時期は?」

エリスンは、少し視線を彷徨わせた。

「名前はバレンター……これは自分で名乗ってるみたいね。出現時期は、ケイティさんや目撃者の証言から、毎年のバレンタイン前後──」

 それが何か、と目で訴える。シャルロットは、ふふんと鼻を鳴らした。

「つまり、正義の戦士バレンターは、バレンタインデーを意識して登場しているということだ!」

 そんなことは、いわれなくてもわかっている。

 バレンターとかいう名前で、バレンタインとまったく関係がなかったら、そっちの方がびっくりだ。

「……で?」

 ごくごく冷淡な目。そこにはなんの期待も宿っていない。

「この地方でバレンタインデーとは、そもそも男性が女性に想いを告げる日。そんなときに、男性が男性を助けて何がおもしろいんだね? 実につまらない! 助けるのなら、女性限定に決まっているではないか! そう、つまり、キーワードは愛なのだよ!」

 おまたせしましたー、と皿が二枚運ばれてくる。バレンタイン期間中ということらしく、両方にハートの旗が刺されていた。

「ほうら、小倉パンケーキもそういっているだろう!」

 なぜか勝ち誇った。

「……そんな理由? まあ、そうかも知れないけど。でもそうすると、バレンターさんってものすごい女たらし?」

「フェミニストというところだろうな」

「……フェミニストねえ」

 エリスンは、思わず考え込んだ。依頼なのだからこなすしかないが、あの良家の令嬢であるケイティに釣り合う人物なのだろうか。

「なんにせよ、そういうことなら、正義の戦士バレンターをおびき寄せるのは簡単だ。エリスン君、君が何者かに襲われ、困り果てればいいのだよ」

「おとり捜査ね。何者かって、何者?」

「私が悪漢の役を買って出ようではないか」

 ああそれなら助けてもらわなくても勝てる気がする、とエリスンは思ったが、いわなかった。可憐な美女(自分)がピンチに陥ったのだと思わせればいいのだ。演技力の見せどころだ。

「あなたのやる悪漢というのに、ものすごい不安要素が結集されているような気がするわ……。具体的にプランを決めましょ。おかしな失敗はしたくないでしょ?」

「ふむ、確かに」

 考えるそぶりを見せながら、小倉パンケーキを一口、二口。エリスンもフォークでイチゴシロップを塗りたくる。

「……よし、では、練習しよう」

 数分間考えたわりに、そんな結論だった。

「練習ね。いいわ、かかってきなさい」

 沈黙が流れる。

 シャルロットは静かに立ち上がり、カフェの入り口付近に置いてあるニュースペーパーを手にした。席に戻ると、人差し指を唾液で湿らせ、ぷすりぷすりと穴を開ける。半分に折り曲げ、両端をねじるようにして、それを作り上げていく。

「あの、お客様……?」

 声をかけた店員も、逡巡した後、彼から離れた。『おかしな客には関わるな』──このカフェの決まりだ。

 シャルロットは、完成した覆面じみたものを、頭からすっぽりとかぶった。それから、右手にナイフ、左手にフォークを持ち、立ち上がる。

「ははははは! 私は怪人ニュースペーパー! エリスン=ジョッシュ、ァお命、ァ頂ォォ戴ィイ!」

 ノリノリ。

「きゃー、たすけてー」

 エリスンはというと、飲み食いしながらの適当感溢れる対応だ。

 周囲の客がざわつき、あからさまに距離をとり始める。隣のテーブルの男性だけは、静かにコーヒーを飲み続けている。

「ァここで会ったがァ百年目ェェ、このシルバーナイフアンドフォークで、……、……ァお命、ァ頂ォォ戴ィイ!」

 何か気の利いたことをいおうとしたものの、失敗に終わる。ボキャブラリー不足。 

「きゃー、たすけてー」

 演技の質をどうこういうより、堂々とした生き様を評価すべきだろう。 

 これどうやって収拾つけようかな、と二人が思い始めたそのとき、隣のテーブルの男性が、厳かに立ち上がった。

 五十歳ぐらいだろうか。顎髭をたくわえ、ブラックスーツに身を包んだ、絵に描いたようにダンディな殿方だ。

 シャルロットとエリスンは、横目でダンディさんを見る。何かいわれるかな、と思ったのだが、彼はそのままゆっくり歩いて、トイレに入っていった。

「怒られるかと思ったわ」

「怒っていたような、雰囲気ではあったな」

 小声でやりとり。ダンディさんのオーラが、カフェで騒ぐなボケ、といっていたような気がしたのだ。

 じゃあ続行しようかなと、シャルロットがナイフとフォークを構え直した、そのときだった。

「変、身! バレンタァーーーーーー、インッ!!!!!」

 トイレから声が響き、発光した。

 どこからともなくテーマソングまで聞こえてくる。

「ジャカジャカジャカジャカ、ジャン」

「チャーラーラー」

「アーアーーーー」

 と思ったら、いつの間にか現れた数人のコーラス隊が歌っていた。

「バレンタインにはなやぐこの季節に、目に余る悪行の数々──。この正義の戦士バレンターが、貴様を成敗してくれる! とう!」

 前口上と共にトイレから出てきたのは、写真で見たのと同じ姿だった。「とう」といったわりには普通に歩いて、シャルロットの前に立ちふさがる。

 足の先から頭の先までの全身白タイツに、黒いサングラス。額にはハートのマークが輝き、赤いマントが揺らめいている。彼は、右手を高々と挙げ、左手を正面に突き出すように、びしっとヒーローポーズを決めた。

「いけいけバレンター!」

「おまえの空手を見せてやれ!」

「灯せ平和の青信号!」

 コーラス隊が歌の合間に、適当なことをいっている。

「……会えちゃったわよ、どうする?」

「会えてしまったな……しかし、悪人と思われている以上、協力を願い出ても素直に応じてくれるかどうか」

 悪人と思われていないとしても、新聞をかぶった奇人の頼みは恐らく聞いてくれないだろう。

「どうするの?」

「任せたまえ」

 自信たっぷりに、シャルロットはそんなことをいった。

 それから、武器(食器)をがっちり構えてバレンターに向き直る。

「貴様、ァ何者だぁあっ」

 しっかり名乗られたのに、もう一度聞いた。確認。

「私は正義の戦士、バレンター! バレンタイン期間限定の正義の戦士だ!」

 丁寧に答えてくれた。

「そのバレンターが、この怪人ニュースペーパーに何用だっ」

「貴様を成敗してくれる!」

「──ぐはっ、やーらーれーたー」

「はっはっはっは、なんと手応えのないやつ。さあ、お嬢さん、こちらへ」

「あ、どうも」 

 なんだか決着がついたようだった。怪人ニュースペーパーが、特に何もされていないのにばたりと倒れる。

 エリスンはひとり、テンションに置いていかれながらも、一応助けられておくことにした。コーラス隊が勝利のマーチを歌っている。

 怪人ニュースペーパーは、倒れた状態で両手を挙げると、「ちゃりらー」と自ら効果音をつけて、びりびりと新聞を破り捨てた。

「はっ、私は一体何を? おお、どうしたんだね、エリスン君?」

「…………っ」

 エリスンは言葉につまった。まさかこれにノれと。

「……良かったわシャルロット。正気に戻ったのね。あなた、操られていたのよ」

ノった。

「そうか、私は操られていたのか……! は、そうか、あなたが助けてくださったんですね! 何かお礼をしなければ! ぜひお名前を教えていただきたい!」

「名乗るほどの者ではないさ」

「なんと謙虚な……! あなたこそ、正義の戦士にふさわしい!」

「それでは、私はここで。また会おう! はーっはっはっはっはっはっ! とう!」

 バレンターは、コーラス隊のミュージックをバックに、トイレに入っていった。

 しばらくして、そこからダンディさんが現れ、何食わぬ顔で席につく。

 他の客も、ぱらぱらとテーブルに戻り始めた。いつの間にか、コーラス隊は姿を消している。

「お会計、よろしいですかー?」

 シャルロットの前に現れた店長が、言外に帰れと告げた。


「バレンターちゃまに、会えたんでちゅかっ?」

 翌日、噴水広場にケイティを呼び出し、シャルロットとエリスンは報告を行っていた。

 ケイティは、今日は真っ赤なワンピースに身を包んでいる。相変わらず一言も話さない少年がだいぶ距離をとって控えていたが、こちらは白シャツに黒ズボンという質素な装いだ。影が薄い。

「はっはっはっ、なあに、この名探偵シャルロット=フォームスンにかかれば、正義の戦士の一人や二人」

「ちゅごいでちゅわ! ちゅごいでちゅわ!」

 ケイティは喜び真っ盛りだったが、エリスンが複雑な心境で目を逸らす。

 やつはやめておけ──心底そう思うのだが、キャサリンの例もあるので、なかなかいい出せない。

「ちゅれてきてくれたのでちゅか? バレンタインにはちょっと早いでちゅが、チョコレートの準備はばっちりでちゅ!」

 その言葉に応えるように、控えていた少年が、金色の紙袋を少し掲げて見せた。あのなかに入っているのだろう。

「連れてきてはいない。が、バレンターをおびき寄せる方法を編み出したのでね、安心したまえ」

 偉そうに胸を張り、エリスン君、と助手を促す。エリスンは、無言で新聞を差し出した。

 できれば、もう二度とやって欲しくはなかったが、仕方ない。

 シャルロットは、昨日と同様、指を湿らせて穴を開け、それを頭からかぶる。律儀に探偵社から持ってきたナイフとフォークを構え、大きく息を吸い込んだ。

「ははははは! 私は怪人ニュースペーパー! ケイティ=グリダン、ァお命、ァ頂ォォ戴ィイ!」

 ケイティは眉をひそめた。

「気がふれまちたか?」

「バレンターをおびき寄せる作戦です。ケイティさん、ほんっとに申し訳ないですが、ノっかってあげてください」

「そういうことでちゅか」

 あっさり納得し、ケイティは両手を口にあて、大声をあげた。

「きゃーーーーーーー! 助けて! 助けてバレンターーーーー!!!!!」

 一瞬、そこにいた全員の注目を集め、噴水広場内が静まり返る。

 ややあって、どこからともなく、例のテーマソングが聞こえてきた。

「ジャカジャカジャカジャカ、ジャン」

「チャーラーラー」

「アーアーーーー」

 音楽がだんだん大きくなっていく。

「これこれ! これでちゅわ!」

 ケイティの胸が期待にふくらむ。

 ごぼごぼ、ざばあ、という音と共に、噴水のなかからバレンターが現れた。

「バレンタインにはなやぐこの季節に、目に余る悪行の数々──。この正義の戦士バレンターが、貴様を成敗してくれる! とう! っくしゅん」

 バレンタインにはなやぐこの季節に、行水は辛かろう。

「やーらーれーたー」

 面倒だったので、早々に怪人ニュースペーパーはやられておいた。

「はっはっはっ、この世に悪が栄えたためしはない!」

 勝ち誇るバレンターを目に、ケイティは意を決する。

 いまだ。いまいわなくては、また彼はどこかに行ってしまう──!

「あ……あの、バレンターちゃま!」

 うわずる声を張り上げた。

 びちょ、とバレンターが振り返る。

「わ、わ、わ、わ、わたくち、こういうものでちゅ!」

 ケイティは名刺を突きつけると、その勢いで控えていた少年から紙袋を奪い取り、そのまま彼に差し出した。

「こ、これ、心を込めたバレンタインのチョコレートでちゅ! 受け取ってくだちゃい! ついでに結婚してくだちゃい!」

 おー、と噴水広場にいた方々が、感嘆の声をあげる。

 コーラス隊も歌を控え、ことの成り行きを見守る。

 実際には、数秒だっただろう。しかし、ひどく長く感じられる沈黙が、過ぎた。

「……すまない、レディ。私は、妻子持ちだ」

「────!」

 よろり、とケイティがよろめき、その場にへたり込む。広場内はいろんな意味でどよめいた。

 コーラス隊が、悲劇の歌を歌い始める。

「しかしその心、実に嬉しい! 君のことは忘れない! では……とう!」

「待って!」

 引きとめる、凛とした声が響いた。

 ケイティのものではなかった。シャルロットとエリスンは、驚いて声の主を見る。

 ずっと静かに控えていた少年が、うなだれるケイティとバレンターの間に割り込み、慰めるようにケイティの肩を抱いた。

「ケイティ、君は、ぼくが幸せにするよ。ぼくじゃ、だめかな」

 泣きながら、ケイティが顔を上げる。

「ギルバート……」

「…………ギルバート?」

「どこかで聞いたわね」

 探偵サイドをよそに、ギルバート少年は熱く続けた。

「君の許嫁としては、ぼくはまだまだダメかもしれない。でも、努力するよ!」

「だめでちゅわ……どうしてもちゅきになれないんでちゅ……バレンターちゃまぐらい、顔がよくないと……」

「だから、ぼく、考えたんだ」

 ギルバートは、バレンターに向き直った。じっと彼を見つめると、どこからか取りだした白い服を頭からかぶる。それからサングラスを着用した。

 額に輝く、ハートマーク。

 風になびく、赤いマント。

「バレンターさん、ぼくを、弟子にしてください!」

「いいだろう!」

「ギルバート──!」

 叫びにも似た声をあげ、ケイティは立ち上がった。

「変身」した許嫁、ギルバート=エスターを見つめる。

 その瞳が、ハートの形に変わり、ぽっと頬が赤らんだ。

「かっこいい……」

 コーラス隊が、勝利のテーマを歌った。

 シャルロットは感涙し、エリスンは鼻で笑った。 

 


 バレンタイン当日──

 エリスンがいつものように菓子を焼き、テーブルへ運ぼうとしたところ、シャルロットに呼び止められた。

「エリスン君、テーブルの上のバラを花瓶にでもいけといてくれたまえ」 

「それぐらい自分でやったらどうなの」

 冷淡に告げながらも、綺麗にラッピングされたバラを手に取る。そもそも、なぜこんなものがあるのか。

「そういうわけにはいかない。それは、エリスン君のだからね」

「あたしの? 誰から?」

 驚いて聞き返す。パイプを吹かしながら、上司はこともなげに告げた。

「私からに決まっているだろう。今日が何の日か、忘れたのかね?」

「…………」

 エリスンは絶句した。

 今日はバレンタインだ。

 手の中にあるのは、赤い赤いバラ。

「……それって、どういう……」

「シャルロットさん! このたびは素敵なバラをありがとうございました! これ、私とジョニーからの愛のお返しです!」

「ヒュイー!」

 呼び鈴も鳴らさずに、ピンクのキャサリンとバラをくわえたジョニーが探偵社のなかに飛び込んできた。クッキーをテーブルにのせ、当たり前のように席につく。

「さ、お茶にしましょうか。まあ、エリスンさん、今日はチョコレート風味のマドレーヌですね! いいにおい」

「ヒュイヒュイー」

「………………」

 エリスンは、ぐしゃり、とバラを握りしめた。

「どうかしたのかね、エリスン君?」

 いつもと同じシャルロットの声。しかし、からかうようなニュアンスが含まれているような気がする。

 わけもわからずいらつきながら、エリスンは「別に」と吐き捨てた。  

 

  

  


 


 舞台はフォームスン探偵社。

 シャルロット=フォームスンは、チョコレート風味のエリスンヌを口に入れ、満足そうに笑む。それからこちらを見て、コーヒーを飲み、ゆっくりと立ち上がる。

「やあ、みなさん、いかがおすごしかな。私かね? 私は知ってのとおり、平和な毎日を過ごしているよ。私ほどの名探偵でも、そうそう大事件は舞い込まないからね。

 ケイティ嬢は、許嫁と仲良くしているようだよ。まあ、波乱のない選択ができて、良かったのではないかな。正義の戦士バレンターは、バレンタインデーを境にすっかり見なくなってしまったな……また来年には、その姿を現すだろう。次は、弟子とともにね。

 ああ、それにしてもエリスンヌは絶妙だ。え? 食べてみたい? それは無理な相談だ。こんなにおいしいものを、そうそう人にあげられるわけがない。自分で作ることだね。もっとも、この味が出せるとは思わないが。

 ──む? なにやら向こうが騒がしいな。ああ、失礼。そうだな、次はもう少し探偵らしい活躍をお見せできればいいのだが。また、できるだけ近いうちに、お会いしよう──」

 つづく高笑い。空いた食器を手に、部屋をあとにするシャルロット──暗転

 

 

 


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