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8話

このところ、夜な夜な啜り泣くようなヴァイオリンの哀しい音色が何処からともなく聞こえて来ると言う噂が社内に出回っている。しかもその場所が古い資料を置いている倉庫。

そうなると一層誰も、倉庫には近づかなくなった。


「早乙女さん」

「何でしょうか?」


あの夜以来、新倉は時間を見てさくらに仕事を持って来るようになった。


「新倉さん、これは私達がやりますから〜」

「君達が?これ、フランス語だけど出来るの? なら、頼んでも良いけど早乙女さんに押し付けることはしないでくれよ」


そうきっちり釘を押して行くようになった。

それでも山田&坂本コンビは自分達に任された仕事を何のかんのと言い訳しながら、さくらへと押し付けてく。

この日は第二企画部と営業の合同飲み会があると言うのに、さくらはと言うともちろん残業。


「早乙女さん、あなた飲み会は行けるの?」


態とらしく聞いて来る山田に、心の中で千回ほど彼女をサンドバックにしたさくらはにっこりと笑って、「私は仕事が残っていますから、みなさんで行って下さい」と見送った。







「なーにが、『早乙女さん、あなた飲み会は行けるの?』だって。どの口が言ってんだよ!こっちはあんたたちがご丁寧に仕事をしこたま貯めてくれたせいで行けるわけないっ一つーの!大体、山田は総務からここに応援で入ったくせに、想いっきり足引っ張ってどうすんだよ!」


うわばみのさくらにとって、飲み会を辞退するのは一番堪えた。

ようやく仕事も一段落した後、いつものようにフラリと資料室に寄ったさくらは、弦が張られてない裸みたいなヴァイオリンを目にした。


「お前も一人か…」


ぽつりと呟くと、ポケットの中から弦が入った袋を取り出すと、慈しむようにヴァイオリンの弦を張っていく。

目を瞑ったさくらは昔のことを思い出していた。

悔しそうに目を潤ませ、口をへの字にした小さな女の子。

あれはいつものようにルッソの自宅にある練習室でのこと。何度練習してもどうしてルッソと同じ音が出ないんだろう…。

ピタリと演奏をやめたさくらに、ルッソがどうしたのかと聞いて来た。

勝ち気な少女が泣いてないもんと言いながらも、流れる涙を汗だの水だの言っている。


ールッソ、どうしてわたしの音とルッソの音はちがうの?


幾ら練習しても、さくらが奏でる音とルッソが奏でるそれはヴァイオリンの大きさも関係していたが、音の域や艶が違い過ぎる。


ー悔しいと思うことが進歩だよ。ティンクがこれから経験する人生の甘いも酸いも全て君の音楽の糧になってくれる。


ーほんと? 


ーああ本当さ。音はウソを吐かないからね。


ー人は?


ー人はウソツキだよ。だから音楽で心を洗うんだ。



「音はウソを吐かない…か」


四本の弦を張り終えると、耳で調弦した。

ポロン♪

ここちのよいA弦の響きがさくらの耳に残る。


ねえ、ルッソ…、今なら私もあなたみたいな魔法の音を出せるかしら…。

あなたが言っていた人生の甘いも酸いも経験したわ。殆どが酸いばっかりだったけど…。

空気を震わせる調弦の音はまるで水面を震わせる波紋のようだ。

このヴァイオリンは音を奏でたいと泣いているみたい…私みたいね…ねえ、ルッソ今なら…今なら私はあなたと同じ音が出せるかしら?

ゆっくりと腕慣らしをした後、ゆっくり目な曲を弾き始める。

目を瞑ればそこはあのフランスの片田舎のソニアの屋敷。

今はいないソニアに。

そして私の……ためにも…。




今夜もヴァイオリンが語る。






 守衛が巡回する中、何処からともなく哀しいヴァイオリンの音が聞こえて来る。

始めはラジオかなんかだろうと思っていたが、ひっきりなしに聞こえて来るのは、おかしい。


「ひぃ!!」


音を頼りに歩いて行くと、幽霊が出ると言う都市伝説のような七不思議の一つである資料室の前。

ごくりと唾を飲み込んだ守衛は、懐中電灯を握りしめると扉に手をかけた。

そぉ〜っと扉を開けるとピタリと音は止まる。やはり気のせいだったかと思い、扉を閉め始めるとヴァイオリンの音色がまた聞こえ始めた。

守衛は懐中電灯を震える手で音のする方を照らすが、焦ってたのか懐中電灯を落としてしまった。


「!!」


慌てて床に転がって行ったそれを拾おうとした時、彼が見たものは壁に映し出される長い髪の女がヴァイオリンを弾いていた姿だった。


「うう、うわわわぁああああ!! でたぁ!!」


這うようにして慌ててその場から離れた。

この日以来、やはり夜の資料室にはお化けが出ると噂が立ち始めた。







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