夏の教室
「あっついなー」
放課後の教室でワイシャツの襟元を伸び縮みさせようと試みる
だけどそんなことで涼しくなるわけがない
「暑い、って言うと余計暑くなっちゃうよー?」
のほほんとした声が聞こえた
振り返ると斜め後ろの席に座った、女子が笑っていた
「だって、あっついもんはあっついぜ」
「そーだけどー。私だってあっついもん」
スカートの裾をつかんで、邪魔そうにつまみ上げながら話す
こいつは俺に話しかけてくる。そんな奴は学校では珍しい
元々人と話すのは好きじゃない。だから話し方が冷たくなる
「てゆーかさ、何でまだ教室にいるのー?」
間延びした声が俺に質問を続ける
本来なら部活や委員会に、所属していない人間がいるには遅い時間だ
「別に、深い意味はない」
「そーなんだー」
会話をぽつぽつとしていて気づく
「何でお前もいるんだ?部活とかないのか?」
女子は少し困ったように笑った
「えっとね、部屋のエアコンが壊れてるからさ。家、帰っても涼しくないの」
「だったら喫茶店でも行けばいいじゃないか」
「だって一人で行くのは寂しいじゃん!」
「そうかよ」
勝手に会話を打ち切って、机の上に置いていた文庫本をバックにしまうと、斜め後ろからガタガタと忙しない音がした
振り向くと、女子が机を漁っていた
「おまえ、何してんの?」
「あっ!おまえって言ったー!名前で呼んでよ」
「・・・・・・・・・。」
「え、なにその沈黙。まさか名前覚えてないのー?」
何だっけ。クラスが一緒になったときに自己紹介されたはずだ
「・・・。森崎だっけ?」
「誰だよっ!!」
鋭いツッコミが返ってきた
結構自信があったので、ほかの名前は思いつかない
仕方ないから素直に聞こうとすると
「もー、覚えてよね!私は、林崎!林崎雫だよー!」
すぐ目の前に林崎の顔があった
いつの間に近づいたのか、まるで気づかなかった
「惜しかったな。木が一つ余分だった」
「そういう問題じゃなーい!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ林崎の手から、一枚のプリントが落ちた
拾ってしわくちゃのプリントを綺麗にすると
数学のテストに真っ赤な字で大きく
「48点」
と書かれていた
「おま、林崎、この点数はやばいんじゃないか?」
「えっ?」
騒ぐのをやめて、俺が手にしていたプリントを見て
違う意味で騒ぎ始めた
「うわ!見ちゃダメだってばー!」
俺の手からプリントを毟り取り
胸の前で握り締めていた
「いいの。私に数学は必要ないの!」
「いや、それでもやばいだろ」
「なによー、久遠君だって点数よくないでしょう?
あっ!そうだ!じゃあ、明日のテストで点数勝負しよう」
「勝負?」
「うん。どっちが勝つか楽しみね!!」
そう叫ぶと林崎はプリントをバックに詰め込みながら、走って行った
開けっ放しの扉を呆然と見ながら
変な奴だな、とそう考えた
翌日は珍しく日差しが弱かった
昨日より少し涼しい教室に、また林崎といた
「えへへ、覚悟はいいかーい?」
不敵に笑いながら、手を後ろに回して俺の机の前に来た
俺は大人しく机の上に、テストを裏返したまま置いた
「じゃあ一気にいくよ!いっせーのっ!!」
林崎が68点
俺が100点、いわゆる満点というやつだ
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
林崎の反応がない
震える手で俺のテストを掴み、教室の蛍光灯に透かす
穴が開くほど見つめて、ゆっくりとテストを机に置く
「・・・負けましたー」
「いや、そんなに落ち込まなくても」
思わず声をかけた
あまりの落胆振りに笑いが沸き起こる
俺の前の席の椅子に勝手い座り、言い訳じみたことを言い出した
「だって、久遠君ていつも授業で寝てるからー。私と同じほうかなー、て思ってたのに」
「よく知ってるな。授業をしっかり受けろよ」
そう言うと怒ったように両手を振り回す
「寝てる人に言われたくなーい!久遠君に裏切られたー」
「いや、裏切った覚えはねーよ。てか暑いから騒ぐな」
うー、と唸りながら、俺の机に伏せる
黒い髪がさらさらと林崎の肩を流れる
それを目で追いながら、質問をした
「なぁ、学校楽しいか?」
驚いたように顔を上げる
目にかかった髪の間から、林崎の悲しそうな目が見えた
「え、と、うん。もちろん楽しいに決まってるじゃん!友達も先生もいるし。それに久遠君もいるしね」
楽しそうに目を細める
その顔を見て、心の奥が微かに痛んだ
蝉の声が耳にうるさく響く
それが不快で顔が歪む。だから、決して林崎の言葉に顔をしかめた訳じゃない
「久遠君は、学校嫌いなの?」
「別に、好きじゃないよ」
「そっか・・・。」
林崎がゆっくりと席を立つ。見上げると、俺を真っ直ぐ見てた
「それじゃ勿体無いよー」
いつもの調子でのほほんと笑っていた
俺は席を立って教室のゴミ箱へと向かった
ゴミ箱の中にテストを丸めて放り込んだ
それをみていた林崎が叫ぶ
「ああー!!何で満点のテストを捨てるのー!!?家に持ち帰ろうよー」
「別に誰もみないからいいよ」
「えー」
林崎は未練がましくゴミ箱を見ていた
家の自分の部屋でベットに座り込み考えた
何でか、林崎の悲しそうな目を思い出してた
暗い部屋で昔を思い出す。毎日が楽しかった。学校も友達も好きで、毎日が輝いていた
だけど中学に入って変わった
最初は勉強が原因だった。大して勉強しなくても、自然と問題が全て解けた。なのに間違いはなくて、友達から嫌みを言われた
「それからだったな・・・・・・」
自然と口から言葉が出た
そこから先は坂道のように毎日がつまらなくなった
部屋に時計のアラームの音が鳴り響く
無機質な音からは生活感がまるで無い。冷たい音だった
秒針は夜明けを指していた
窓を開けてベランダへ出る
「眩しい・・・。しかも暑い」
外はすでに朝日が昇っていた
爽やかと言い難いけど、どこか季節を感じさせる
「ここから飛び降りたら、世界が変わるかな」
そんなことを呟きながら
ベランダの柵から身を乗り出す
暑苦しい風に頬を撫でられながら、俺は足を地に付けて学校に向かった
学校では朝早くから朝会があった
学校を遅刻するべきだったか、と悔やみながらも
人の密集する体育館へ足を運んだ
「あ、久遠君おはよー」
林崎は人目を気にせず、俺に朝の挨拶をしてきた
手を振りながらこちらに近づくので無視は出来ない
「おはよう・・・」
小さな声で返事を返して、クラスの列の最後の方に逃げた
そのまま体育館を出ようとした
そのときに校長の話し声が聞こえた
「今の中学生には、自ら命を絶ってしまう者が多く、大変嘆かわしい・・・・・」
その言葉に胸の奥が熱くなる
だけどこの熱さは、どうしようもないほどに気持ち悪かった
一時間ほどを屋上で過ごし、そろそろ授業が始まるだろうと考えて教室に向かった
だが校舎は静まり返っていて、生徒の姿も教師の姿も見当たらなかった
きっと校長の長話に捕まっているのだろう
教室に入ろうとして、足が止まった
「林崎・・・?」
声が小さかったから聞こえなかったらしい
林崎は自分の席に座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた
その顔は涙で濡れていた
いくつもの雫が頬を流れていた
「消えたいね」
林崎が小さく呟く
その言葉を聞いた瞬間、頭の奥が寒くなる
足の指先が冷たくなる
俺は踵をかえして校舎を出た
バックも持ったままで、家に走って帰った
部屋で何時間も過ごす
何となく携帯を見ると、時刻は午前四時半
ゆっくりとベットから降りて、ベランダへ向かう
昨日と変わらない、爽やかじゃない空があった
それからも寝れない日が続いた
そんな体で学校に行くのはさすがに苦しかった
息を荒げながら学校に向かう
きっと今日もあいつの、のほほんとした声が俺の名前を呼ぶだろう
教室に向かおうとすると、担任が教室の扉の前に立っていた
「あ、お、おはよう。片野君」
声が小さくて聞き取りづらい
それに動揺しているようだった
「おはようございます。あの、教室に入りたいんですが」
「あ、今日はね、この教室は使えないんだよ」
「何でですか?」
「じ、実は、林崎さんが少々問題を起こしてしまってね」
「あの林崎が?」
「そうだなんだ。だから今日は真っ直ぐ体育館に行ってくれ」
「そうですか・・・」
違和を感じながら、体育館へと向かおうとする
すれ違う女性徒がハンカチで顔を覆っていた
それ以外にも男子生徒も肩を震わせていた
女性徒の悲痛な声が耳に入ってきた
「な、なんでよ。私、雫のこと好きだったのに・・・・。何で突然飛び降りたり、したのよ。何で死んだり、した、のよ」
「林崎が、死んだ・・・・・・・・・?」
泣いていた女性徒が顔を上げてこちらを見ていた
俺はそんなのどうでも良くて、体育館を抜け出した
真っ直ぐに教室に行った
教室の扉は二つあったが、そのうちの一つは塞がれていた
開いているほうの扉から中に入る
俺の斜め後ろの席には、白い花の入った花瓶が置かれていた
ふらついたまま、林崎の席に座る
あいつはいつだか、この席で泣いていた
名前のような雫を、いくつも流していた
ふと自分の机の中が目についた
机の中から少しだけ、白いプリントが見えていた
林崎の席を立ち、俺の席から椅子を退かして机の中を見る
机の中には、一枚のプリントが入っていた
プリントは、俺が林崎と勝負した数学のテストだった
表には大きな字で100の数字が書かれていた
『・・・負けましたー』
『あ、久遠君おはよー』
『誰だよっ!!』
いろんな林崎の仕草を、声を思い出した
いつものほほんとした声で俺を呼んでた
毎日楽しそうに笑ってた
暑いという俺に笑いかけ
学校を好きじゃないという俺に言っていた
『それじゃ勿体無いよー』
それをどんな気持ちで言ったんだろう
いつもどうやって笑ってたんだろう
窓から生暖かい風が入ってきた
持っていたテストが舞い上がり、裏返って机に落ちた
「折角だから、笑おうよ!満点なんてなかなか取れないよっ!?
勿体無いよ。笑おうよ。きっといつか、学校も好きになるからさ!雫より」
丸っこい筆跡で書かれた文は、林崎からのメッセージだった
しわくちゃになったテストを綺麗に伸ばし、不敵に笑いながらこの文を書いただろうか
俺の瞼の裏に、林崎の笑顔がうつる
頬に雫が伝った
テストが、林崎の顔が、教室が、全てぼやけて見えなくなる
「勿体無いのは、林崎の方じゃねーかよ」
「ごめん。俺、お前が怖くて、泣いてるときに話しかけられなかった。話しかけたら、そのままどこかに行っちゃうような気がして。何にも声かけなかった。ごめん。俺さ、忘れないから、林崎の、雫の笑顔、ずっと忘れないから。笑顔もすねた顔も、悲しそうな顔も忘れないから。ごめんな」
「ありがとう」
涙をワイシャツで拭いて、椅子に座る
懐かしい感じがした
テストのしわを綺麗にして、また折り目をつける
数分してから席を立つ
窓の外を眺めて、少しだけ笑ってみた
「ありがとう」
雫の席にある花瓶の横に、俺のテストで折った
白い花を一緒に飾った
長文を読んでいただきありがとうござます!
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