少女の正体
「ああッ、良かったッ!! マリー様ッ!!」
女騎士は回復を掛け終えた海を押し退け、海の助けたマリーという少女に声をかける。
「セリ、ア……?」
その騒がしさで意識がある程度はっきりしたのか、女騎士の名を少女が弱々しく呼ぶ。
女騎士は少女の手を握るが、逆に少女の手にはほとんど力が込められていない事が見てとれる。
少女は血を流し過ぎているようで生気が無い薄ら白い顔色をしており、休養が必要だという事を海は察した。
「助かって嬉しいというのは解りますが、この少女には休養が必要です。 回復魔法では失われた血までは補えません」
「な、何を――――」
「命の危険を脱したとはいえ、そう騒ぎ立てられては回復にも支障が出ると言っているのです。 ご理解を」
海は敬語でそう言って今も少女が無事であった事に対して騒ぎ立てる女騎士の手を少女の手から外し、馬車の外へと今度は海が押し出した。
飽くまでも『ラ・メール』の『守護騎士団』に所属する騎士様に無礼の無いようにやんわりと、だ。
今の海は職業を兼任できるという『古代人』ではあるが、この世界では何の後ろ盾も無い『平民』に過ぎない。
確かに職業を兼任している事は『現代人』にしてみれば理不尽だ。
しかし、現在の海の価値は言ってしまえば今後の成長次第。
現在の海のレベルは決して高い訳ではない。
つまりは海よりも圧倒的な実戦経験者と戦えば間違いなく倒され敗北は必至。
それは個対個だけではなく、個対複数ならば実力が優っていても負けてしまうかもしれない。
貴族や騎士、国そのものなどと敵対すれば目に見えない圧倒的な権力によって抑えつけられてしまうのだ。
事を荒立てて機嫌を損ねれば、牢屋行きどころか首を刎ねられかねないだろう。
もっともそんな傍若無人な行いをすれば『守護騎士団』の名声は地に落ちる事になるだろうが。
「な、待てッ! 私はマリー様を護衛するという任がッ?!」
「命に関わる傷は塞ぎました……ですが、貴方があのままで喚き立てていれば間違いなく身体に負担がかかっていくでしょう。 『ベルティエ』まで絶対安静です。 街に着いたら念のために駆け出しの私よりも上の回復を使える者に見せた方が良いでしょう。 いいですね?」
少なくともこの場で権力は下から数えた方が早いが、発言力は上だろう事からセリアという女騎士に有無を言わせず馬車を降ろさせる。
現状、目の前の回復魔法が使えるだけの平民に縋り付く以外の手段を持たない女騎士には、有無を言わせない海の物言いは矜持を曲げてでも遵守しなくてはいけない事だろう。
もしここで海の言いつけを無視して少女の容態が急変してしまい、回復を拒否されてしまえば目と鼻の先にある『ベルティエ』に着く前に万が一が起こってしまうかもしれないのだ。
そう考えた女騎士は少女との間に割り込んだ海の言うとおりに馬車から渋々と離れた。
それを見届けた海は微かに意識を取り戻した少女に向けてゆっくりと語りかける。
「あなたの傷は癒しました。 もう少しで『ベルティエ』に着きますので、少しお休みになると良いでしょう」
「あり……がとう……」
少女はそれだけを辛うじて言うと瞼を閉じて眠りについた事を確認し、海は馬車を降りた。
「騎士様、あなたと私の仲間を呼んで頂けませんか?」
「あ、ああ……」
女騎士は黙って海に従って、エジェリーと銀甲冑の男を呼び寄せた。
それは『ベルティエ』へ向かうためにどうするか、という問題で、少なくともこのまま回復のできる海を街に着くまで放す事はないだろう事は何となく予想できていたからだ。
「これから街に戻るって事で良いのよね、カイ?」
「ああ、騎士様達もそれで良いですよね?」
「もちろんだ。 少なくとも街まではマリー様の容態を見ていてもらいたい」
「…………」
甲冑の男は全く一言も喋らない。
エジェリーと海は男の方が気になり視線を向けていると女騎士が口を開いた。
「すまない……彼は喉を幼い頃に事故で潰れて声が出せないのだ。 そう言えば自己紹介もまだだったな。 私の名はセリナ・ヴォルテーヌ、彼はバティスト・ラジアー。 共にこの蒼藍の『ラ・メール』に仕えている『守護騎士団』の『守護騎士』だ」
やっぱり間違っていなかったか……。
海は内心で確信に近かった予想が確実な物となった事に溜息を吐きたくなるが、何とか自制をした。
少なくとも今この場で、その行動はそぐわない。
「私はエジェリー・ベシェール、こっちはカイ・クロイで冒険者です」
同じくエジェリーも父が『守護騎士』で、その特徴を覚えていたからこそ特に驚きはしなかったため、エジェリーが海も含めて自己紹介する。
「あまり驚かないのだな? それにベシェールといえば……」
ベシェールという姓の『守護騎士』が居た事を、同じ『守護騎士』であるはずのセリアが思い出さないはずが無い。
「はい……私の父は『守護騎士』でした」
「なんとッ、では貴女は副団長の――――」
セリナがエジェリーへ話題を広げようとしたところで、バティストがセリナを制した。
「残念ですが話は少しお預けにしましょう。 あなた方の主を腕の確かな者に見せなくてはなりません」
バティストの行動を見ていた海は、その行動の理由に当たりを付けて発言する。
「む、確かに……ではバティストは引き続き護衛を、エジェリー殿は御者をお願いできるか?」
「はい、問題はありません、ヴォルテーヌ様」
「いや、私の事はセリナと呼んでくれ……そっちの方が慣れているのでな。 カイ殿は私と共にマリー様の様子を見ていて欲しい」
「……わかりました」
エジェリーとバティストはすぐにセリナの言うとおり、自分の割り振られた場所に向かうも海は少しだけ行動が遅れた。
何故なら自分がセリナに警戒されているからだろう。
エジェリーは父親が知られていたくらいだから確かに信用できるかもしれない。
だが海はやはり魔法が使える平民で『大和』の国の人種なのは一目見れば一目瞭然だ。
流れ者だという事は何か事情がある者か、もしくは流浪をする変人と認識される。
冒険者と言う事で可能性が無いとは言い切れず、多少の疑惑も薄れているが、やはり自国を越えて他国へと流れる事は中々に珍しい。
他の国が魔法を使える者を優遇しているにもかかわらずの流れ者はその中でも飛び抜けていると言ってもいい。
用心に越した事はないと思われているのだろう、と予想した海は既に馬車の扉に手をかけていたセリナの方へと歩き、馬車へと乗り込んだ。
海とセリナが乗ったのを確認したエジェリーはバティストも馬に騎乗した事を確認してから馬車を走らせる。
『守護騎士』……お父様の居た場所かぁ……ううん、今は御者に集中しなと。
エジェリーは頭に浮かぶかつての父の面影を知る事ができるかもしれないという欲を頭を振るって打ち消し、『ベルティエ』へと向かうのだった。
端的に言えば海の回復魔法はきちんと効いていた。
目を覚ましたマリーの顔色は未だに少し悪いが、傷を負っていた時よりも幾分か調子が良くなっているように見受けられる。
それを裏付けるように傷口も元の綺麗な肌と遜色なく、念のために街に着いてから真っ先に向かった現代で言うところの病院代わりの場所となっている教会の『司祭』――――『僧侶』の上位の職種――――に後は失った血を作るために、たくさん食べたほうが良いと言われただけだった。
異常が無い事を知ったマリー、並びにセリナとバティストに謝礼をしたいと言われた事は当然の流れであり、それを断るほど無作法でも無かった海とエジェリーは一先ず、ゴブリンの間引きのクエスト終了報告をするためにギルドへ寄るという話になる。
ならば馬車で一緒に行きましょうという強引な流れとなり、『守護騎士団』の馬車で乗り付けた事によってギルドマスターが呼ばれるという不本意な悪目立ちをしてしまう。
そして今現在、冒険者ギルドの最上級の応接室にてギルドマスターとの不本意な対談するに至った訳だ。
ギルドマスターは歴戦の兵を思わせる無数の傷を肌に残す初老の男性だった。
「つまり……君達はランクが低いにもかかわらず、ロック鳥に挑んでこれを見事仕留めただけでなく『ラ・メール』の第3皇女、マリー・クリスティーヌ・プロヴァンス・ラ・メール様の傷を癒した、と?」
「それは我々『守護騎士団』が保証しましょう。 つきましては緊急性もあったために回収できなかったロック鳥の部位報酬を確保、それに見合った金額を彼女達に払って頂きたい。 それとは別途で我々からも謝礼を送りたいと考えています」
ギルドマスターは毅然とした態度で答えるセリナから視線を移し、海とエジェリーを真っ直ぐに見る。
まるで蛇に睨まれたカエルのように海は思わず身体が硬くなったかのような錯覚を覚えた。
「その件については我々冒険者ギルドの名に賭け保証しましょうぞ。 しかし、不明瞭な点が一点ほど」
ギルドマスターの瞳が海にだけ注がれる。
何か不明瞭な点でもあったのか?
海は自身に向けられたままの視線の意味を推測するも、今までの会話の中で特に発言もしていない自分に注目すべき者はないはずだという結論にしか行きつかない。
「何か問題でもありましたか?」
マリーはギルドマスターの不明瞭な点に関して問いかける。
「いや、なに……この者達の情報を知るために少々照会をしていたのですが。 カイ・クロイ……君は『僧侶』ではなく、『魔法使い』じゃったと情報に掲示されておる。 皇女も職種を変える事はできても、別の職種の技能を扱えるはずが無いという事くらいは知っておりますでしょう?」
「それは……」
マリーとギルドマスターの視線どころかこの場の全ての人間の視線が海に集中する。
その場に沈黙が流れる。
だが、ほどなくしてその沈黙は破られた。
「はぁ……」
本来であれば不敬に値する愚行。
それを海は意図する事も無く損得すらも考慮せずに、ただ自然と垂れ流した。
垂れ流された溜息に場の空気が一段悪くなる。
その場に居るエジェリーは思わず逃げ出したい気持ちになったが、それは許されない。
そんな中、ようやく海は厄介事に望まず巻き込まれ、己の預かり知らぬ場所で己の行く末を決められてしまったかのような不快感に心中が鬱屈を始め、険のある表情で一段低い声色で語り出す。
「ただの元『僧侶』だった、という事にしませんか?」
「なんじゃと?」
「報酬ですよ。 皇女様を救った報酬の一部……もしくは全てでそういう事にしておきませんか、と言ったのです。 そもそも何故、今この時に私の個人的な情報を第三者の前で公開したのですか? 冒険者の過去は訊かれないからと訊いて冒険者になったつもりだったのですが? うっかり口を滑らせたと言うのなら、ギルドを抜けさせて頂きます。 証人はラ・メール第3皇女様です」
「それは……」
海の物言いに言い淀むギルドマスターは、ダメもとで苦し紛れの脅しを始める。
「広場での事もワシは知っておるのだぞ?」
「奇遇ですね……冒険者ギルドに加入する時の契約書に―――――」
ギルドに不利益、または各国の法に触れなければ自由を許される。
他人の過去への詮索は必要とされた時以外には許されない。
冒険者間での無用な諍いを起こさない。
他国からの理不尽な干渉が成された場合、冒険者ギルドの威信にかけて屈しない。
ギルドで勧誘、脱退を強要してはならない。
「―――――と書かれていた事を私も知っていますよ?」
正に、ああ言えばこういう。
この場に居た誰もが海に抱いた印象だろう。
もっとも海はあのような物言いを表に出すタイプではない。
ギルドマスターの明らかな悪意とは言えないが、エジェリーの善意に引っ張られての行動で感謝される事はあっても、このような事になるとは思っていなかった。
契約書の内容は覚えておくに越した事はないってな。
しれっと海は言葉を発し、更に言葉を続ける。
「この規則はギルドマスターと言えども例外ではないはずでは? まさかその規則を破ってまで私を取り込みたい事情でも? それは自由を尊ぶ冒険者ギルドを統べる長としてあるまじき行為だと思いますけど? で、此処まで言われて呻いているだけのギルドマスター様は一体、私をどうしたいのですか?」
苦虫を噛み潰した顔をしながら更に呻く。
それを見ているしかなかった騎士達と皇女は表向き丁寧な言葉使いと柔らかな物言いをしていた海が辛辣な言葉を浴びせかけた事、己の素性を隠す事に対してムキになる事に多少の好奇心が出るが、それをしてしまえば矛先がこちらに向きかねないと理解し口を噤んだままだ。
「ぬぅ……この事はもう言及せぬが、いずれそれは問題となるぞ? ワシの思った通りの存在なら……」
「どんな存在であれ、私はそうなる前に何とかしますよ。 だから今、私は冒険者をしている」
いつもの声色に戻った海は自分よりも強い立場のギルドマスターの鋭い視線を睨み返し、虚勢を張りながら言う。
自信や根拠なんて全く無いが相手のペースに呑まれてしまっては身動きもままならなくなる。
「時間稼ぎ、と言ったところかのぅ?」
「ご想像にお任せしますよ」
未だに鋭い視線が海へと向けられるが、海は睨みつけていた視線を納めて取り合わずに目を伏せる。
これ以上は何も言わない方がいいか……ギルドマスター、要注意だな。
「フン、生意気な小僧じゃ……迷惑料も含め、後でカウンターから報酬を受け取るがいい」
「……それはどうも。 で、俺の事はともかく、後はギルドマスターと皇女様達だけでどうぞ。 俺達は単に通りかかっただけなんで……」
「え、あ、ちょっとッ?! カイ!?」
もう関係ないと言わんばかりに海はエジェリーの腕を掴み、応接室を退室しようとした。
何せ、異世界より召喚されし勇者……なんてものではないのだから、進んで厄介事に首を突っ込みたいとは思わないのだ。
「お願いします。 私に力を貸して頂けませんか?」
だがその言葉に海は退室を止められる。
「皇女様、私達は単なる偶然で居合わせ、結果的にアナタが助かっただけに過ぎないんですよ。 そこには特別な意味なんてなかったし、レベルの低い自分達よりも、もっと使える冒険者を雇えばいいと思いますよ?」
「カイ! そんな言い方……ッ」
「いいのです、ベシェールさん。 ですが、私達が求めているのはレベルの高い者ではなく信用できる者です。 私は本当の母を探しています。 名前はアンナ……昔、王宮に仕えたメイドの1人だった事しか知らされていません。 私は逢いたいのです……母に」
あっさりと自らの目的を明かし、海とエジェリーを引き止めようとするも海は止まらない。
だが海は応接室を出られなかった。
「カイ……私、手伝いたいよ……」
エジェリーが海の両腕を掴み、扉の前に立ち塞がったからだ。
面倒事をわざわざ背負い込むのか……でも。
その面倒事に首を突っ込むからこそ海は救われた。
自分だけ助かって他人を見捨てる事が多分、海はできる。
でもリスクがあるからやらないだけで。
エジェリーは幼い頃から騎士として育てられ、困った人を助ける事が当たり前の事だと思っている節がある。
それはとても立派な事だが同時に付け込まれやすい。
だから自分が傍に居る時くらいは、エジェリーに救われた自分が、その短所を補えればいいと思った。
「どうしてもか?」
「うん」
エジェリーの瞳は真っ直ぐだ。
自分には真似できないくらいに真っ直ぐで、そんなエジェリーに海は好意を覚えている。
「はぁ……わかった。 でもこれは依頼という形を取らせてもらう」
「うんッ!!」
エジェリーは海へと人目を憚らずに抱きついた。
それに気付いたのは居たたまれなくなったギルドマスターがワザとらしい咳をした時だった。
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